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地図11.山川流域図2(地理院地図より) 地図で見る限り山川本流は水口町中畑近くの三角池(私が勝手につけた名称)から流れ下るのがそれに当たると考えられる。それに対してもう1本、東側の甲賀市土山と日野町との市町境から流れ出て農地のなかを流れ、前項で述べたいわゆる四の橋で三角池から来た流れと合する支流がある。 地図12.四の橋分岐から町境まで(地理院地図より) 本稿、全流域の前半部分である。”農道T字路”としたが、果たして農道かどうか。農地を横切って布引山地を越え国道1号につながっている。道幅は車1台分だが、ひょっとしたら一般道かもしれない。 3.四の橋分岐狭隘部 写真81.今郷農地 四の橋から支流沿いには歩けそうにないので、国道経由で今郷ランプへ出た。支流は四の橋を出てすぐに山裾をまきながら国道との狭隘部を流れて今郷の農地へ出てくる。そこの山すそと国道の境をイメージしていたが、バックに大きな城山が目立つ。それと住宅が重なって、山すそをまいてくるというイメージが出ない。城山と住宅が消える場所はないか。農道を歩くことにした。 写真82.山川の水音 圃場整備されたところはどこでもそうだとは思うが、地図で見るように、ここの農地は縦横の線がことのほかきっちりしている。今郷ランプから林を抜けたところが上の写真81の撮影場所。近くのちょっとした空き地に車を止めて、農道の短辺を横断する方向に歩く。手前方中央部に向かって田んぼが少しずつ低くなっていく。それにつれで農道も下っていく。 写真83.山川の流れ 写真82の横を山川が流れていた。岸に彼岸花が咲いていた。左が写真83の田んぼ。右がそれよりさらに一段低い田んぼ。これが一番低い田んぼだった。山際の住宅も隠れ、川がいかにも山際へ向かって流れ下る、そんなイメージだった。反対側、上流の流れ。こちらも一直線。 写真84.川の手前から 川の手前から農道を見たところ。左側の彼岸花が上の写真83に見える花。ここから見てもそこを川が横切っているという雰囲気はない。こうして最初に水音が聞こえ出し、川が現れる。道路の勾配感は写らないが、田んぼが向こうへ向かって積み重なっていくのが分かる。 写真85.農道を振り返る 歩いてきた農道を振り返ったところ。一番高いところを県道182号が走っている(トラックが走っているところ)。画面右方が国道1号今郷ランプ。農道の上部をアップしたところ。田んぼが階段状にアップしていくのが分かる。最上段に近いところに道路標識が見える。これがこの農地の中央部を長い方向に一直線に貫く舗装道路。ただし幅は軽トラ1台。 写真86.長辺の農道を下る 上で述べた長辺方向に走る軽トラ1台の舗装道路。農道だとは思うが、ひょっとすると一般道かもしれない。先ほど大学生風の男性が自転車で走り過ぎた。道の先には例の住宅が見える。その向こうに城山も見えている。山川からはだいぶ高い所を通っているが、例の狭隘部に向かっているから、何かが見えるかもしれない。 写真87.狭隘部に近づく 狭隘部に近づいてきた。歩き出した時は遠くに見えていた山裾がすぐそこに見る。小さな畑があってそこに軽トラが1台止まっていた。その横の道を通り坂を少し下ったところを山川が流れていた。しかしここからはまだ見えない。 写真88.再び山川に会う 坂を下ると山川だった。農地では細い溝のような川だったが、ここでは岸をブロックで固めた、前項で見た本流と同じ仕様に変わっていた。 写真89.行き止まり 出会ってから100mほどで行き止まりだった。目の前を国道1号が走り、その向こうに例の住宅が見えた。後で地図を調べてみたら前項の四の橋から直線距離で200mほどの近さだった。 写真90.上流を 帰り、上流へ向かって農地の方を見たところ。すぐそこまで高い農地が迫り、その段差はまさに河岸段丘を見る思いだった。まさかこれが自然の段丘だとは思わないが。 4.今郷ランプから町境まで 写真91.県道182号 改めて上流へ。今郷ランプを降り林を抜けてちょっと走ったところである。片側一車線のしっかりした道路だがほとんど車はこない。秋の田んぼが広がり、その奥に日野町との境の山地が横たわる。前後にクルマがないことを確かめて停車。車中から1枚。 写真92.XX記念碑 弓なりにカーブした道が山に近づいたところに建つ記念碑。”記念碑”の文字だけは馬鹿でかくて誰でも読めるが、上のサブタイトルが読めない。 生のデータを拡大すれば字は見えるが、私の漢字力では「農業XX改善事業」までしか解読できない。記念碑を調査しているわけではないから、別に読めなくても大勢に影響するわけではないが、じつはこの記念碑の裏を山川が流れている。写真83Aで見た直線の山川。その直線と県道182号がここで交わる。 写真93.山川に出会う 記念碑そばの橋の上から山川を見たところ(奥が下流・カメラの背後が上流)。左に見える石が記念碑を横から見たところ。左右の田んぼより低いところを流れている。低地にある田んぼへは給水できるが、たとえば右奥の田んぼなどへは不可能である。 写真94.道の反対側暗渠で道の反対側へ出て、なおも道沿いにさかのぼっていく。見た目では農業用水路だが。 写真95.農道T字路付近 農道T字路を少し通り越し、振り返って見たところ。田んぼの中に木が生えているのが山川の岸。ちょうど県道(画面右奥に遠く電柱列が見える。これが県道沿いに立っている。手前画面右外を走るが見えない)が弓の弧、山川が弦に当たる。農道に立つ電柱(太く大きい)が見え、ちょっと下がって農道に架かる橋のガードレールが見える。 写真96.T字路から農道を見る 県道は農地全体に対して山手の高いところを通っている。その県道のT字路から農道(一般道かもしれない)を見たところ。 ガードレールが山川のもの。こうして見ると山川が農地全体の最低点を流れていることが分かる。 写真97.山川・農道より下流 上の写真86のガードレールの場所に立って、山川の下流を見たところ。田んぼよりうんと下を流れている。すくなくとも左右の田んぼには給水できない。 写真98.山川・農道より上流 山川は一直線。大きな弧を描いて戻って来た県道とぶつかる。左上に県道を走るクルマがちらっと見えている。 写真99.山手造成中 県道より山手で、かなり大掛かりな造成工事が行われていた。農道よりその現場を見たところ。電柱が立っているところが農道T字路。その奥が造成現場。右手の写真をもう1枚。 5.土山町域、日野町境までへ 地図13.土山町域(地理院地図より) 県道182号の町境は、山川の立場から言えば狭隘部を出て1Km以上続いてきた一直線のルートが曲がるところである。そして末田の集落を抜けたところで再び直線になる。そして県道183号の手前で姿を消す。 写真100.町境 最初に行ったときの帰りに、走りながらこの標識を見た。「甲賀市水口」とある。ここが日野町との境だとは思わないが、仮にそれが「日野町」との境なら、標題写真の表記は「甲賀市」だけだろうし・・・・。往路もここ通ったが、標識には気づかなかった。分からんなーと思いながら帰ってきた。2度目に行ったとき、反対側を意識しながら走ってみた。やっぱりない。事故で標識がなくなってしまったのか。 写真101.横断農道 水口町側から走ったとき、町境を越えると土山町大野になるが、地域的に末田という集落に入る。狭隘部を出てから1.3Km直線でやってきた山川が町境を越えたところで初めて曲がる。これは地図を見て分かることである。道路からは一切川は見えない。 写真102.下流を見る 写真101の農道、最低点で山川とクロスする。標題写真は下流を見たところである。この写真ではよほど注意していないと見えないが、ちょっと右へ寄るとこういう写真になる。奥(下流)へ行くほど田んぼが階段的に低くなっていく様子が見える。 写真103.上流を見る 同じ場所から上流を見たところ。当然田んぼが階段状に高くなって行くのが見える。突き当り、トラックが並んで登っていくのが布引山を越えて国道1号につながる県道183号である。実は山川の消失点はどこかとこの道(トラックの場所)へ回ってみたが、そこまでいくと山川はどこへ行ったのか姿が見えなかった。横から見たら極めて見つけにくい川だったが、タテから見れば一直線だから見つかるだろうと安易に考えたのが間違いだった。この写真を見ればトラックより手前で川(溝みたいなものだけど)は土で塞がれているようである。 写真104.県道182号から農地を見る 末田集落のはずれから農地を見たところ。山川は見えない。実際には手前の刈入れが終わった田んぼの向こう側、農道が左へ行くほど高くなっている。おそらくこれが山川の勾配であろう。 そこを最低点として農道が山裾へ上っていく。この山間農地の典型的な姿である。 写真105.県道182・183T字路 県道182号は末田集落のはずれで183号に突き当たる。写真は布引山から下ってきたトラックが日野へ向かうところである。右が水口からやってきた182号 写真106.市町境 T字路を越えて日野へ向かうところに立つ市町境の標識。地形を見るとここが峠というわけでもなし、なぜ、ここが市町境なのか、ちょっとわかりかねる位置ではある。 |
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