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03.思川流域

0302C. 分水嶺・春日越え、八田越え

取材:2015.06
初稿UP:2015.07.31


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  5.春日越え
地図631.春日越え・八田越え 関係地図(国土地理院Webマップ)
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 相変わらず市町境と分水嶺は複雑な絡み合いをしている。湖南市の一部と甲賀市水口町の一部が祖父川流域に入っている。この稿では「春日越え」と「八田越え」が対象になるが、どちらも実際の峠を読んで、実物合わせで線を引いたものである。
 H点からG点に抜けるいわゆる八田越えは春日の集落を抜けて八田へ抜ける道。もう30年近くになるが、日野町から甲西町(現湖南市)下田へ抜けようとして、途中この道に入り込み、細い道に苦労したことがある。現在はF点からG点へ抜けるバイパスが通り、何苦労もなく通り過ぎられる。  



地図632.春日越え・八田越え 要所拡大地図(国土地理院Webマップ)
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 いわば旧道と新道、どちらも同じ区間をつないでいるが、峠の位置は旧道が八田寄り、新道が春日寄りなのが面白い。この峠の位置は現場での確認済みであるが、それらをつなぐ分水嶺は、例によってゴリ押しに現物合わせをしたということで、自信は皆無。
 八田集落の背後を越える分水嶺が、206mのピークに達する。そこへきてやっと分水嶺が市町境と一致する。ほっと一安心というところである。






a.市境から春日越えまで
写真631.ここより甲賀市
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 地図632のE点、湖南市下田と甲賀市水口町との境である。昔なら、「従是甲賀市」とかなんとかの石標が立っていたところである。いまは例によって例の通り、薄い1枚の標識が立っているだけ。それを目に留めるものはいない。
 上にも少し述べたが、県道165号(竜王春日線)の「春日越え」は、春日交差点のすぐ近くである。レポートの対象範囲をどこまでにするか。春日側は言うまでもなく決まってしまう。問題は反対側である。それをどこまでにするか。旧道との合流点でもよかったのだが、せっかくだからと市境にきめた。その市境である。緩い上り勾配で通り抜ける。ここが「市境」だとの感慨を持って通過するものはおそらく皆無だろう。なぜそこが市境なのか。



写真632.祖父川
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 祖父川は、水口町八田の丘陵地帯(この項でいう春日越え付近)を水源として、県道165号沿いを流れ下る。このあと湖南市下田で湖南工業団地を流れ下ってきた茶釜川と合流。竜王町へ入ったところで野神川、獄川など十二坊北麓の水を集めて北上、国道8号の少し手前で日野川に合する。野洲川と直接分水嶺を挟む水域の川である。
 写真は県道沿いを流れる祖父川である。濁った水が流れているのか止まっているのか。一応、理屈の上では画面奥が上流である。



写真633.両側の池
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 今のいままでというか、今回、ここを歩いてみるまで全く知らなかったのだが、道の両側に池がある。なぜ道の両側なのか。農業用水ということだろうが、普通はそんな面倒くさいことはしないだろう。道路が池を2つに分けたと考えるほうが理解しやすいような気がするが。もっともそれも面倒くさい話で、迂回するのが最も簡単、分からない話である。
 素人の勝手な判断はそこまでにして、この池が市境とつながっているのかもしれない。奥のトラックが走っているところ、丘陵のすそをぬって緩い勾配を上っていく。このあと春日越えまで勾配の緩急はあるが上り一方。下りは一切ない。



写真634.春日への旧道
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 途中、地図632のG点で春日への旧道を分ける。以前ここ(バイパス)を走っていて、甲賀市のミニバスがこの坂を上っていくのを見た。距離があったので勾配がきつく見えた。感動的だった。なんとまあすごいところを上っていくと驚いた記憶がある。(注・坂の途中に止まっているクルマはバスではない。念のため)。





写真635.小さな田んぼ
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 旧道を左へ分けてバイパスは右へ大きくまがる。そしてもう一度左へ切り替えしたところで、左側、森に囲まれた水田が見えてくる。突き当りに大きな木があってその下を道が下ってくる。そして手前2本の道が合流してバイパスの下をくぐっていく。ははーここだったのか。実はここを歩く前に旧道を歩いていた。そこからバイパスが見えて驚いた。あの木の下でこちらを撮ったはずだ。なるほどこうしてみるとよくわかる。旧道とバイパスは大きく離れていると思い込んでいたが、そうではなかったのだ。こうして両側から見るとよくわかる。
 余談、堀栄三著、『大本営参謀の情報戦記』という本を読んだ。面白かった。その中で何度も出てくる「情報の突合せ」の話。情報は一つだけではだめだ。いくつかの話を突き合わせて・・・。当たり前の話だけど。この田んぼがそうだった。こちらから見ただけでその意味が読めたかどうか。詳しくは旧道の項で。



写真636.最後の登り坂
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 上の写真の撮影場所からバイパス最後の上り。歩道にフェンスがついている。左が山でないということである。フェンスの外を道が上がってくる。上の写真で右へ上がっていく道である。








写真637.上り坂、終わりに近く
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 上り坂が終わりに近づいてきた。左にフェンスが見える。再び左に田んぼが見えてくる。間違いない。旧道から見たとき山を挟んで田んぼは2つに分かれていた。その1つがこれ。右上の黒い木が写真635で突き当りに見えている。







写真638.最高点近く
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 長い上り坂を上り切ったところである。峠を越えて車が向こうへ沈み込んでいく、といいたいところだが、一方から見ただけではだめ。そこはそれ情報を突き合わせなければ結論は出せない。ということで、ここはこれで一旦中止。春日交差点から逆に詰めることとする。







b.春日交差点から春日越えまで
写真639.春日交差点
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 春日交差点、県道165号春日竜王線・164号水口竜王線がクロスする。このあたり(坊谷川流域)の代表的な交差点である。写真は165号が春日越えから急な下りを経て交差点に達するところである。
 赤信号の向こう乗用車が2台、春日越えへ向かって急勾配を上る。





写真640.ソーラー越えへのT字路
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 春日交差点から上り勾配を見たところである。左からクルマが出てくる。ソーラー越えの尾根道から下ってきたところである。肉眼で見ると勾配のほどが分かるのだが、写真になるとその勾配が感じ取ってもらえるか、場合によっては下りに見えたりするから難しい。
 反対側の歩道から、ソーラー越えの尾根道を下ってきた車を見たところ。手前が下りだけど分かってもらえるかどうか。




写真641.上り切る
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 勾配を上り切ったところ。上り切ってからの道路、黒いクルマが走る道路はほぼ水平に見える。白いクルマから左のガードレールが水平に見える。手前の道路の勾配が見える。
 参考までに、春日交差点から280m、標高差15m。水平距離100mにつき高低差5.4m。上で述べた市境からの上り、水平距離1900m、標高差37m。水平距離100mについての高低差1.9m。約3倍近くの急登である。




写真642.どちらが水平?
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 写真641で水平のガードレールが見えたことで、ほっと一安心。勾配を上り切って上り切って、振り返って驚いた。先ほど水平間違いないと考えていたガードレール付きの道を軽トラが上っていくのである。撮り方が下手やからや。確かにそれもある。しかし軽トラの道を水平とすれば、黒いクルマが走っている道はまだ上りだということになるになる。しかしそれはないだろう。仮にそうだとすれば電柱や照明灯の立場がおかしくなる。




写真643.さらに上から

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 写真641の右端に細い道が山の上へ上っていく。視点を変えて高所から見れば大局が見えてくるかもしれない。それが左の写真である。さあこれで白い車が走る道は上りか下りか。なにしろ基準になるものがないからなー…と、画面を眺めていて気がついた。田んぼは絶対水平である。これほど正確な基準面はない。で、もうええ加減にしておきたいのだけど、どうだろう水田に比べるとほんの少し奥の方が低いようにも感じられるのだけど。
 で、こんなしょうもないことを延々とやるのも気がひける。一旦休戦。それよりも奥へ進むと緩い下りになって民家が見えて来た。何や、こんなとこか。そこは旧道を歩いて印象に残っている場所だった。旧道編で詳述。



写真644.山の断面
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 写真642で軽トラがいたところから、例の上り坂を見たところである。こんなしょうもない話を読んでくださる方はおられないはずだが、万が一、間違ってここまで読んで来てて下さった人でも、おそらくおいおいまだやるのかというところだろう。いやその通りもうやる気はありません。さっきは「休戦」と書きましたが、「終戦」です。
 山へ上る細い道は、県道沿いに上っていく。最高点まで上がって右へ折れる。山の断面沿いの道が下っていく。下った先に民家がある。クルマが走る県道の左、写真には写っていないが山である。ソーラー越えから来た分水嶺は右側の山に続いていた。そこに県道ができて切通しになったと考えると分かりやすい。おそらく今見えている断面も、人工的に削られたものだろう。




写真645.春日越え
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 実はこの春日越えは簡単だと考えていた。車で走って一番高いところを峠にすれればいいのだから。その考え方は半分正しく、半分間違っていた。上りつめたまではよかったが、そのあとが水平で最高点がどこかわからないかったのである。道路の最高点が分水嶺と考えていたこと。これが大きな間違いだった。道路は人間が作ったもの。分水嶺は山の自然な姿があってこその線である。人間が作った切通しを通る道路の最高点を探すこと自体意味がないことだった。道の上り下りにこだわって山が見えていなかったのである。今撮ってきた写真を見くらべて切通しのはっきりとした姿が写っているのに気がついた。木が生えだして分かりにくくなっているが、右側の明るい斜面、これが切通しの断面だったはずである。その最高点こそが分水嶺だった。




写真646.春日越え・余談
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 結局、市境・県境などの峠であるかどうかは別にしてとにかく境の標識が立っている。ところが今回の場合は甲賀市水口町内の峠であって別に標識はいらないというわけである。いってみれば当たり前のことで走る場合も何も考えない。太平洋と日本海を分ける大分水嶺の場合はともかく、野洲川と日野川の分水嶺にこだわる人間はいない。しかし小学生などにそれを意識させることで大事な郷土意識を持たすことになるはずである。




6.八田越え
写真651.八田橋
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 地図632のA点、春日西越えから下ってきた道路と県道165号・春日竜王線とのT字路に架かる橋である。祖父川に架かっている橋で、下流を見たところである。橋の名前は八田橋。上流側を見たところで、トラックや黒いクルマは春日越えへ向かう。遠景が八田集落。関係ないこととはいえ同姓のよしみ。なんとなく一声かけたくなるから不思議である。黒いクルマの向こうに八田焼の看板が立っている。



写真652.旧道<
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 八田越えへ向かう旧道とバイパスの別れ。昔なら沓掛というところか。こうして別れていくと両者は全く別のところへ向かうように感じるが、歩いてみると意外と近くを走っていることが分かる。

  写真653.分かれ行く旧道
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 集落のはずれから森の中へ入って行く旧道。










写真654.一直線の上り
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 水平距離400m、標高差24m、旧道としては珍しい一直線の上り。単なる憶測だけど、旧道の中でも新しいバイパス的に作られた道ではないか。そう思って地図を見ると、峠から細い道が八田神社経由で集落へ下っている。
 坂の途中右側に何か赤いボックスが見える。近寄ってみれば、”防犯ブザー作動中”。ここでブザーを鳴らしても、びっくりするのはサルぐらい。もちろんしかるべきところへ直結されているのだろうが、それを受けておっとり刀で駆けつけても、そのときまでのんびり待ってる犯人おるかなー。



写真655.うしろを振り返る
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 上りついたところから後ろを振り返る。バイパスを走る赤いクルマ。











写真656.八田越え
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 上り切ったところで緩い右カーブ。左へ折り返すように分かれていく道が見える。これが旧道の旧道らしい。地図で見ると集落奥に建つ八田神社のところへ下る。後であれこれ考えるとこのあたりが峠、いわゆる八田峠らしい。
 バイパスの峠が、春日交差点から一気に上がったところ。八田越えが八田集落からぐっと登ったところ。この組み合わせの妙が面白い。その位置のずれについて、分水嶺のつじつま合わせで苦労することになるのだけれど。



写真657.杉林
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 右カーブから左カーブにつながるところに立つ杉並木。ガンでなくなった写真家林忠彦の『東海道』で見た「箱根の杉並木」を思う。もちろんスケールは全く違うけれど。








写真658.ここから春日
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 右側に赤いボックスがある。それはもういい。それよりも左に見える「春日」の標識。上の写真をよーく見ると2つのカーブの真ん中辺にこの標識が見える。このあたりが「八田」と「春日」の境ということだろう。とすればここがホンマの「八田越え」か。写真656の場所から100mほどの距離である。






写真659.春日集落のはずれ
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 杉林のカーブを経てほんのわずかの上りがある。八田から20mを超す上りを経てきたから、春日へはもう一度それだけ下らなければならないと考えがちだが、20m上ったところが春日の集落だった。後で考えると、これは集落内でのちょっとした上りに過ぎなかった。






写真660.上り坂
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 と、曰くありそうな道が右手へ上っていく。ずーっと昔、まだ今のバイパスが影も形もなかったころ、日野からの帰りうっかり三十坪から下田へ迷い込んだ。その時の記憶がこんな道だった。これは何かありそうだ。道はぐんぐん上っていく






写真661.立派な蔵が
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 立派な蔵が見えて、その続きの建物が補修中。左へ曲がると面白い形をした石の柱が何本か傾いて立っている。板張りの塀の補強材だったらしい。板の部分だけ撤去されたらしいのだが、それが何とも展示ステージのように見える。反対から見たところをもう1枚。道は建物のはずれで終わりになっていた。






写真662.草つきの道

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 建物のはずれから覗いてみると草つきの道がさらに上へ向い、すっと伸びた木が2本、一度見たら記憶に残るような並びで立っていた。これ以上登っても仕方なさそうで引き返す。後でわかったことだが、バイパスを歩いて道路沿いの坂を上って、集落の方へ下ったところにこの2本の木が立っていた





写真663.集落の向こう
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 坂を下って元の道を歩く。道沿いの田んぼ越しに下ってきた集落が見える。その向こうが稜線。後でわかったことだがその向こうをバイパスが走っていたわけ。その時はそんなことわかるはずもなかった。







写真664.県道164号近づく
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 そのまま上り下りもなく里道を行くと車が勢いよく走っている。何や、もう県道だ。出合ったところに土壁の小屋が建っていた。地図632のH点である。坊谷川を歩いた時に見覚えがあった。間違いなく祖父川流域から坊谷川流域へ抜けていた。今歩いたどこかで分水嶺を越したことになる。

  写真665.県道164号
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 H点から県道を北へ歩き、三角形をなす里道を戻ることにする。







写真666.春日集落入り口
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 県道から春日集落への入り口。ちょっとした上りになっている。初めて通った時にはこんな上りにも反応したが、特別意味があるわけではない。









写真667.耳が痛い?
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 坂を上って少し行ったところに、耳が痛い、いや書いてあるだけだから音はしない。目がいたい、いや、そんな言葉はないな。とにかくずしんと応える言葉。3項目あるが、どれもアウト。お寺の掲示だということはすぐにわかったが、お寺が見つからない。はて、こんな立派な掲示板があるのに・・・。里道をさらに右に折れた丘の上に立派な門があった。地図で確かめたら「渓蓮寺」と記されていた。




写真668.三叉路
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 ちょっと歩いたところで三叉路に出る。先ほどはこの道を右から左へ通り抜けた。これで三角形を一回りしてきたことになる。
 この時点では八田越えの場所が特定できていなかった。八田から春日までの間のどこかで旧道が分水嶺を越えなければならない。これは絶対条件である。しかしその場所が分からない。そんな状態だったから写真666のような勾配でもひょっとしてと反応していた。と、遠く山の中腹で何か白いものが動いた。




写真669.バイパス
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 クルマだった。民家の間を車が通り過ぎる。すぐには理解できなかったがバイパスらしい。それ以外にそんなところクルマがを走るはずはない。『…情報戦記』にいう。情報は一方からだけではだめだ。後刻、バイパスへ確認に行った。渓蓮寺の大きな屋根が丘の上に見えた。その間は田んぼ、少なくともその間(里道とバイパスの間)を分水嶺が通ることは考えられなかった。





写真670.コンニチハ
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 バイパスを通るクルマを狙っていたら、「コンニチハ」と子供が3人通り過ぎていった。珍しい風景だったので、少し追いかけて後ろから1枚撮った。何も考えずに撮ったアングルだったが、狙っていたバイパスより右前向き、真正面の家の奥だけが尾根が切れ空が抜けていた。そこが八田へ抜ける峠道ということだろう。





写真671.クルマが見えた
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 春日の集落のはずれ、八田越えへ向けて右へ緩く曲がりだすあたりでまたクルマが見えた。バイパスだ。例の三叉路のところで経験済みだから判断は早かった。見れば田んぼに向かって細い地道が下っていく。下ったところが、バイパスから見えた写真635の大きな木の下だった。







写真672.バイパスを見る
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 その木の下からバイパスを見たところ。そこまでは田んぼである。3人の子供に出会ってからここまでバイパスは見ていない。その間集落とバイパスとの間を分水嶺は通っていたはず。それが標高を下げた。どこか近くまでは来ているはずだ。木の下からバイパスまでは田んぼだ。田んぼを分水嶺は通らないことはないだろうが例外的なものだろう。通るとすれば多少なりとも標高の高い所のほうが自然だ。と考えると田んぼの中を通るよりは、田んぼより一段高い集落のなかのほうが理屈に合う。地図633で「春日越2?」としたところがそれである。  



地図633.春日越え・八田越え 要所拡大地図(国土地理院Webマップ)
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 県道164号から春日の集落へ入るのに2つのルートがある。それが出会う三叉路。そこからバイパスが見えた。分水嶺はそこよりもう少し西側(三叉路から見れば右寄り)の切通しを通って集落の背後へ入ってくる。カメラの方向(バイパスのクルマが見えた方向を12時とすれば、大体午後2時の方向)を見ると集落の上が抜けている(写真670)。左からやってきた尾根(切通しを渡ってきた分水嶺)が急に標高を下げる。いわゆる鞍部になる。そしてそれを過ぎると再び集落の背後へ出てくる。
 そこで分水嶺が里道とクロスするか、接するだけで再び離れていくか。もしクロスするとするとそのまま破線のルートを北上する。これをたどるとするならば、「八田越え」は存在せず、「春日越2?」は晴れて「春日越2」になる。ところが実線のように再び里道とバイパスの間を西進するとすれば、「春日越え2」は存在せず、「八田越え」が生き返る。地図631・632で「八田越え」を採った。その根拠としたのが「八田越え」と「春日越え2」の間の「春日」の標識の存在である。もし「春日越え2」が峠だとしたら、「春日」の標識もそこにあるほうが自然だと考えたからである。




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