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03.思川川流域

0302A. 分水嶺・南陽台越え、広野台越え

取材:2015.06
初稿UP:2015.07.31


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  0.概観
地図500 分水嶺・甲賀市水口町北部 関係地図(国土地理院Webマップ)
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  前項・十二坊南東部ですでに見えていたが、市町境と分水嶺とが分離している。それがこの部分に来てさらに大きくわかれる。そのうえ低い丘陵が広がる地形で、素人の私などにそれを読み解くことは不可能である。いまのWeb地図、たとえば地理院地図・Google Mapなどは画面をクリックすると標高を得られるにもかかわらずである。正直、えらいことを始めてしまったとの思いである。とはいえ、とにかく線を引かなければラチが開かない。左の地図で「広野越え」から春日越え経由「竜王越え」までの分水嶺は、地図を頼りに私が引いたものだが、まったく自信はない。



地図501.南陽台越え・広野台越え 関係地図(国土地理院Webマップ)
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 前項で述べた「にごり池越え」、県道13号の最高点である。ここが野洲川(思川)と日野川(茶釜川・祖父川)との分水嶺であり、本来ならば湖南市と竜王町との市町境に当たるところである。しかし実際には単なる一つのつ峠でしかない。不思議なことばかりだが、それはいい。問題はそれから。分からないのである、その分水嶺がどこへ向かうのか。
 とりあえず地図で「大池町」とある工業団地内を走ってみた。東西800m、南北300mのこの地域、道の緩い上り下りはある(写真500A)。前方、軽自動車が走っているあたりからもう1枚(写真500B)。しかし地域全体はいわゆる造成地であり、自然のままの地形が残っているとも思えない。それが分水嶺であろうことを読み取ることは不可能であった。ただ、そんな中でひょっとしてこれがかつての分水嶺ではなかったか、そんな場所が見つかった。地域の南端に近い南陽台住宅地にいたる道である(写真500C)。  



1.南陽台越え
写真501.南陽台入口1
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 大池町工業団地のすぐ南に「南陽台」というこぢんまりとした住宅地がある。案内用の看板も可愛らしい。上の写真500Cに写っているのだけど見ていただけたかどうか。余談だけど、この看板を撮ろうとシャッターを押したときクルマが飛び込んできた(左の写真501)。お前何すんねんと思ったけれど、写真としてはこちらのほうが面白かったので、捨てるにしのびず・・・。
 地図501を見ると、南陽台の南、広野台西の住宅地との間に、甲賀市と湖南市の境が通っている。普通、市境というと平野地はともかく、丘陵地などではその尾根筋が市境をなしている。とすればこの市境が尾根筋であろう。住宅地は南へ行くほど標高が高くなるのだろう(要するに北向きの斜面)と考えた。ところが予想に反し、入り口でぐんと高くなった道は、それを越えると急降下するのである。



写真502.南陽台入口2
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  さて上の写真501で、道路の右に見えるコンクリート擁壁、それが途切れたあたりに2つ見えている菱形マークの上の方が左の写真に写っている。要するに上り坂の下から3分の2ぐらいのところから上を見ている状態である。坂の向こうに屋根が見える。実はこれ2階建てである。ことほど左様に勾配はきつい。





写真503.南陽台入口3
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 上の写真502で左の山ぎわに見えている電柱のところである。502では下から見えているので、なんとなく上り坂の向こうはすぐに下り坂のように見えるが、実際にはそうではなかった。100m足らず水平の部分があり、そのあとが急な下り坂である。地理院地図を見ると、すぐそのそばに132mの三角点がある。たぶん右に見える森(写真501に森の全景が見える)の中にあるのだろう。左側も写真502に見えるように切通しのような雰囲気だ。ということは切通しになる前は大池町の方からこの三角点のピークに上がり、そこからこの峠道を右から左へ越える尾根筋が通っていたのではないか。その尾根筋こそが思川と茶釜川との分水嶺だったのであろう。写真は切通しの水平部分を越えて住宅地へ下っていく状況である。大きく言えば、分水嶺を越える峠道の構図である。
 住宅地側から見た峠道(写真503A)。住宅地内の坂道(写真503B)



立体地図510.南陽台越え・広野台越え付近(カシミール3Dによる作図)
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 南陽台越え・広野台越え付近の地形をカシミール3Dで作図してみた。勾配があるとはいえ全体にはフラットな地形であるから、高さ方向を4倍に強調してある。視点(カメラ位置)は北方十二坊連山の中ほど正福寺上空600mぐらいのところである。(画面左下が北、右上が南という感覚である)
 赤い線が私が推測した分水嶺。にごり池を越えて工業団地に入る。この市街地に関しては適当に推測するしか手はない。茶色の線はいわゆる峠道。たとえば図中のA点は、写真500Aの撮影地点。同じくB点は写真500B、C点は500Cと対応している。A点は茶釜川畔であるが、そこかを過ぎたあたりからゆるい上りになり、C点を越えたあたりから急な上りになる。そこを登り切ったところが南陽台越え。にごり池からやってきた分水嶺を越える。
 分水嶺はその後、南陽台住宅地の背後を高度を上げつつ通り抜け、上り切ったところで広野台との境を抜けてきた市境と合流する。そして「広野台越え」。地形図ではその手前にF点とあり、広野台越えと微妙なずれがある。いわく言い難いところだが詳細は後述する。



2.広野台越え

 さて広野台越えである。ここで述べている2つの峠越えは、どちらも分水嶺であると私は考えているが、南陽台越えは峠を越えていきつく先はこじんまりとした住宅地だけで、通行量もさして多くないし、関係者以外はほとんどの人が知らないのではないか。それに対して広野台越えは住宅地としての規模も大きいし、湖南市と甲賀市とを結ぶ峠越えでもある。



写真504.広野台入口
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 画面右のさびたパイプ、これが茶釜川に架かる橋である(左が上流である)。立っている場所は上の立体地図510のD点。奥の方で軽ワゴンが左折、軽トラが出てくるところがE点、工業団地側(湖南市側)から広野台越えへの入り口である。
 工業団地から広野台への上り口





写真505.峠越え
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 すぐ上りになる。前半はまだ勾配が緩いが、後半、路面が黄色く処理されているところは急勾配である。その行く手に「広野台越え」が見える。南陽台越えとは異なり交通量が多く、クルマの途切れはほとんどない。
 近づくイエローゾーン





写真506.広野台越え
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 E点から距離250mほど、標高差13mほどの小さな上りである。峠を越えた車が向こう側へ下っていく、ように見えるのだが実際に上り切って見ると、ほとんど水平(写真506A)どこにも下りは見えない。上り切って水平に走る車が、下から見ると下っていくように見えたわけ。

 さて、見てきたように峠を上り切って直進して行く車は、目で見る限りほぼ水平な道を進む。地図で読むと水平距離500mに対して11mほどの下りではあるが。これを峠といえるかどうか。峠は山偏に「上、下」と書く。文字通り、上りついたが最後、次は下りが待っているのが峠である。ちょっと様子が違う。片流れの峠というべきか。



写真507.ある疑問
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 写っている場所は「広野台越え」そのものである。そこをトナミ運輸のトラックがが右折し勾配を上っていく。さらによく見ると後続の軽も右折のサインを出している。左端に写っている赤いクルマも実はさっきトナミとは逆に坂を下ってこちらへ曲がってきたものである。統計をとったわけではないが、大げさに言えばほとんどのクルマが右折をしていく。





写真508.F点・G点
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 谷筋(今の場合谷筋といえるかはともかくとして)を上ってきた車が、すんなり向こう側へ越えていけばいいものを、峠で右折さらに稜線を上ろうというのである。峠・鞍部模式図
 写真は右から上ってきた車が、右折してF点を越えていくところである。何や、たったこれでけか、大げさな・・・・とおっしゃるだろうが、このたかだか1mちょっとのコブが気になるのである。反対側からもう1枚。右折してくる車の下半分が見えない。もうちょっと後退したところからもう1枚。道路の最高点は長さにして家一軒分ぐらい。それが過ぎると緩い下りになる様子が見える。




立体地図511.南陽台越え・広野台越え付近拡大図(カシミール3Dによる作図)
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 今のところをもう少し詳しく見てみよう。左の立体図は510を拡大したところである。もちろん上下に4倍の倍率をかけている。
 E点を出た車は坂を上り広野台越えで右折、さらに勾配を上ってF点を越え住宅地内を経由して国道1号へ向かう。コゲ茶色の線である。このコースの最高点がF点。
 それに対してもう1本、広野台越えを直進。G点を越えるオレンジ色の線である。こちらへ向かう車は少ない。そのまま抜けても団地を抜けるのに手間がかかるという道路の事情によるものと考えられる。それは仕方がない。クルマの多寡はともかくとして、問題はF点に対するG点、これが見つからないのである。両地点間の距離は約30m。F点ではっきりしているコブが、G点にはないのである。実際の道路はE点から広野台越えへ上りついた後、ほとんど水平に見える道(写真506A)を直進する。




写真509.さらなる不思議・1
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 広野台越えを直進して最初のT字路を左折したところである。立体図511でG点から左へ上がっていく稜線である。平面地図で見ると市境も平行にに上っていく。そこまではいいのだが、左の写真509を撮ったとき、なんとなく坂道が短いなと感じた。地図の感覚でいえばもっと長いはずである。しかも立体図によれば、坂道の途中からぐっと勾配が急になるはずである。写真ではそれが見えない。




写真510.さらなる不思議・2
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 不思議に思って、後日改めに行ってみた。たしかに坂道は長かった。が、勾配は立体図とは逆に後半が緩くなっていた。左の写真は緩くなった後半の位置から坂の下を見下ろしたもの。カメラ位置は前半のきつい勾配の延長線上(私の身長分)にある。その分後半の勾配が緩くなっていることになる。ちょっとわかりにくいが左端を人が登ってくる。その姿勢で勾配のほどが想像できる。

 この広野台が造成された時点で自然の地形がかなり人工的に変化したのではないか。私自身こんなあほなことを始めるまでは広野台の存在をまったく知らなかった。もちろんその以前がどんな状態だったか知る由もないし、広野台越えそのものの道路が初めからあったかどうか。それすら分からない。しかし多分、一般的な山地だったのだろう。その間かなりの地形の変更が行われたことは想像に苦しくない。私が使っているカシミールの数値地図が古く、工事で行われた変更は修正せず、住宅地の区割りのみを書きこんだ状態だったのではないか、これが私の判断である。




写真511.広野台遠望
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 ちょっと視点を変えてみる。野洲川右岸、湖南市岩根、新しくできたイオンタウンの近くからの視線である。画面右半分ゆるやかな斜面上に小さく点々と並ぶ住宅が見える。これが広野台である。地図で見ると東西に分かれているが、こうして見るかぎり東か西か判断はできない。しかしこの傾斜が特徴である。ヤマ勘だけど、左へのぼりつめたところが広野台越えだと考えている。




立体地図512.南陽台越え・広野台越え付近拡大図(カシミール3Dによる作図)
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 ちょっとくどいけどもう一度立体地図を。阿星山(693m)から広野台を見たところである。見えている住宅地はオレンジ色の斜線とすればイメージは合うが、もっと視線を下げて見るとこげ茶色の線と考えても大差はないだろう。住宅地の左端が広野台越え。E点への下り写真511の場合は山の陰になって見えない。






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