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N03.思川流域

N0300B1. 車谷川を遡る

取材:2013.04
初稿UP:2013.06.01


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車谷川地図(国土地理院Web地図に加筆)
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 十二坊連山の南西面(湖南市側)の水を集めて流れ下る川は、大谷川、高田砂川、大砂川、小砂川、そして車谷川の5本の川が数えられる。前の4本はそれぞれが直接野洲川に注ぐ。そういう意味もあってこれらは前項で、「独立小河川」として一項を設けた。しかし、最後の車谷川は同じ南西面を流れ下りはするが、合流先が思川になる。もちろん思川は野洲川へ合流するわけではあるが、形が少し異なる(車谷川は野洲川からすれば孫に当たる)。
 車谷川は、十二坊温泉”ゆららの湯”付近を源流として、十二坊の南西面を流れ下る。独立小河川と違って、直接野洲川へ合流できなかった運命の不思議さ。思川の野洲川への合流点は、車谷川の合流点から測って450mほどである。この「ほんのわずかな差」は、源流部においても見られる。車谷川は全長1.8Kmほどの小さな川である。源流は十二坊温泉”ゆららの湯”の近くである。これもあくまで”近く”であって、決して”ゆららの湯”ではない。その意味はこの車谷川の源流部と”ゆららの湯”との間に、野洲川流域(いまの場合は車谷川)と日野川流域(祖父川)の分水嶺が通っているからである。後で詳述するが、”ゆららの湯”は日野川流域に入る。もし車谷川の源流が”ゆららの湯”と同じだたら、このレ―ポートの対象には入らなかったはずである。



1.初めに
写真11.思川・車谷川合流地点
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 車谷川が思川に合流するところである。手前、川底いっぱいに広がって流れるのが車谷川。思川とはT字形に交わっている。左(思川の上流)の橋は思川橋。と書けば何いうことない普通の合流風景である。ところがここにとんでもない曲者がいた。思川の上流に位置するファブリダムから、思川右岸堤防の内側を農業用水が流れているのである。そのため思川に合流する川はその農業用水とクロスすることになる。たとえばこの合流点より少し下流にこんな風景がある。ここも車谷川と同様T字形に合流しているが、右岸堤防をくぐったところで、農業用水(見えている細い流れ)とクロスしている。



写真11C.対岸から合流点を見る
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 思川左岸(合流点の対岸)から合流点を見たところである。当然流れていなければならない農業用水が見当たらない。まさに、忽然と姿を消しているのである。最初歩いたときには、このことに気づかずにいた。原稿を書いている時点でこの不思議に気がついた。となると知らん顔はしておれない。もう一度確認にいった。





2.合流点の仕掛け
写真51.思川橋から右岸上流を見るる
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 結論は、何いうことはない極めて単純なものだった。写真は合流点すぐ上流にかかる思川橋から右岸上流を見たところである。農業用水が堤防の内側を伝って流れ下ってくる(奥が上流。思川の流れは画面右外で見えない)。







写真52.対岸から合流点を見る
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 対岸から合流点を見たところである。写真11Cとほぼ同じ場所から同じところを撮っているのだが、ずいぶん印象が違う。細かくいえば、こちら(写真52)の方が、10mほど下流の地点から若干上流川を向いて撮っている。同じ合流点を撮りながら、農業用水を意識するかしないかで、これだけ写真が変わるという例である。
 上の写真、橋の下に見えるブロックの擁壁、その下の黒い線が農業用水路である。写真ではそこまでしか見えないが、そこで「く」の字型に堤防の方に向かって折れたあと堤防の下へ潜っていく。橋の上から撮ろうにも、カメラを真下に向けることになり、どうにも絵が作れない。



写真53.堤防下から出てきたところ
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 潜ったものが潜りっぱなしとは行かない。車谷川の下をくぐった農業用水が再び所定の位置に出てきたところ。上流、橋からみて右、堤防の下へ潜った水が、下流から見て、左(堤防の下)から出てくるところ。







写真54.合流点下流を見る
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 合流点から下流を見たところ。左に光るのが思川本流。右手前が合流点(車谷川が流れ落ちている)。20mほど下流から再び農業用水の姿が見える。こんな単純な仕掛けが、その気にならなければ見えないのである。






3.車谷川を遡る
写真55.里中を流れる
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 ことは意外に簡単に終わった。ちょっと車谷川を覗いてみよう。前回来たときは、思川そのものが目的であって上流へと気が急いだので、付近の風物には目がおろそかになっていた。で、もう一度周囲をゆっくりと見てみる。たとえば写真11D、コンクリート橋が風景をぶちこわしているが、その奥はどうなっているのか。方向を変えて奥を覗いたのが上の写真である。ずーっと奥に風情がある橋が見える。いかにも里中の川という感じ。




写真56.コンクリート橋から
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 上の写真のコンクリート橋、道路か水路かも分からないが、とにかく邪魔になる。電柱でも建物でも、邪魔になればその上か横に立てばいい。ということでそこまで回ってみたところ。幸いそれは道路だった。その道路から1本足の橋を見たところ。遠くてよくは分からないが、どうも石造りのようだ。川伝いには行けないが、迂回すれば道はあるはず。





写真57.上流から
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 遠い距離ではない。回り込むことにした。こんなに遠かったかなと思い出したころ、ひょっこり川に出た。見れば先ほどの橋が川下に見える。上の写真では太陽を背にしていたのが、ここでは川面がキラキラ光っている。おかしいな、来すぎてしまったらしい。道は見落としていないはずだが。





写真58.上流を見る
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 対向車が来ると難儀するような道幅だが、立派なお寺があったりして、古くからの道らしい。
 上流を見るとすぐ目の前にまたコンクリート橋がかかっている。








写真59.コンクリート橋から
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 写真58のコンクリート橋からさらに上流を見たところ。山腹を真新しい林道が登っていく。何の心配もなしに歩けそうな立派な林道だが、上り口へはまた迂回をしなければならないようだ。としたら、先ほどの道しかない。






写真60.磨崖仏入
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 先ほどの道へ戻って少し行くと、見慣れた道標が立っている。「磨崖仏不動明王0.5Km」。ということはいま歩いているこの道は、岩根小学校の前で左へ別れた道か。なるほどそういうことか。不動明王への道が先ほど見上げた林道への入口でもあるのだろう。よし、行ってみよう。







写真61.車谷川標識
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 少し行くと林道入口につながる。「砂防指定地 車谷川」の標識がある。ナニ? 車谷川?。来てよかったと思った。もうすんでのことで、とんでもない失敗をするところだった。ホント、来てよかったと胸をなで下ろした。
 実は、思川への合流点のところで、よく似た標識が立っている。古く色あせており、光線の都合もあって、わたしはそれを「本谷川」と読んでしまった。そのまま「本谷川」でUPしてしまったら・・・。



写真62.ねはん山
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 林道を登って振り返ると、集落の中を行く本谷川、いや車谷川が真正面に見えた。
 バックの山は阿星山。わたしはこの山を「ねはん山」と呼んでいる。1号バイパスから見ると、この山が涅槃像に見えるのである。中央からちょっと左の低いところを首として、左が顔、右が胸から腰・足・・というように。





写真63.砂防堰堤
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 大がかりな仕掛けを施した砂防堰堤。登るにしたがって谷が狭まってくる。 急登を登りきるとコンクリート舗装がとぎれて地道になる。ガードレールがとぎれて林道が山道に変わってちょっと行くと、なにやら標識が見えてくる。

 写真の堰堤について、昭和40年代 思川の改修や車谷川(砂防河川)などの工事にかかる事務処理をされていたT氏から次のようなコメントをいただいた。
 かってのように単純にコンクリートで堰き止める堰堤は、直ぐに土砂が溜まってしまって、土砂崩れで大きな岩や倒木が下流の人家を直撃することになるので、現在では、堰堤の開口部を計算しながら、水や砂はある程度流しながら、下流に被害を起こさないように大きな岩や流木は喰い止める。いずれはこの堰堤も満杯になりますが、防災効果を長持ちさせる構造ということです。



4.磨崖仏不動明王
写真64.磨崖仏入口
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 これでホンマに500mあったのだろうかと思う。勾配はきつかったが、結構近く感じた。ひょっとしたら別の標識ではないか。そんな思いで近づく。見ればまがいもなく「磨崖仏不動明王」とある(分かって貰えただろうか、この駄ジャレ)。
 アホなことをいうている場合ではない。わたしには「磨崖仏不動明王」としか書いてないと思えるのである。お前なにいうてんね。これでいいじゃないかという人もいる。これを立てた役所の人もその範疇に入る人だろう。でも初めて来たわたしにとっては納得できない。麓の里から500mというのだから、まさかここから1kmも2kmもあるはずはない。が、いままでが近かったから、ひょっとしたらこの後まだかなりあるのではないかと思うのである。
 その昔、生まれて初めての山、焼岳へ登ったとき、「焼岳小屋30秒」という標識を見て感激した。何でそんなアホな標識をと思う人もいるはず。でもそこから小屋は見えなかった。あと30秒、どこあるのやときょろきょろしながら山かどを回ったら、目の前が小屋だった。歩いているものには「残りの距離、残りの時間」が知りたいのである。「あと30秒」、機を見るに敏、登山者の心をつかむ最高の標識だった。に較べると、この標識は・・・。やはり、「あと何m」がほしい。でないと目的地の近くまではつれていく。でも、あとは勝手に探せ・・・というカーナビと同じである。
磨崖仏説明板。これはボヤキの対象に非ず。



写真65.・・・と、ぼやいていても
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 と、ぼやいていても誰が連れて行ってくれるわけでもない。行こうと思ったのはわたしである。ハイハイ、分かりました。 トシ寄ると一言多くなりまして。
 で、橋を渡って・・・。この項としてはここが大切。当然下には川が流れている。それは車谷川へ入り(というよりはこの谷川そのものが車谷川の上流ということだろう)、ゆくゆくは思川へ流れ込む。ここは思川の流域だということである。




写真66.磨崖仏
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 橋を渡って、3,40mも登っただろうか。角をまがって振り返ったとたん、覆いかぶさってくるように磨崖仏が立っていた。 アップをもう1枚








写真67.車谷川上流
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 帰り、例の標識付近から車谷川上流を見下ろしたところ。下手な写真である。逆L字型に光るのが水面。とても水面には見えないが、それは辛抱してもらおう。光るのは分かっていたが、エーイ、面倒くさいと撮ってしまった。
 それはエエとして、問題はこの2つの水面が同一平面に見えること。実はいちばん下に写真63の大仕掛けの砂防堰堤が風景を塞いでいて(山の木と重なって仕掛けの一部が見える)、それから手前へ小さな堰堤が3つ並んでいる。当然手前の方が高い場所にある。手前の白飛びと、次の白飛びとでは10m前後の差がある勘定。




地図04.車谷川(カシミール3Dによる作図)
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 野洲川左岸三雲上空あたりから見た十二坊連山。十二坊温泉近くから流れ出る車谷川の流路を示している。磨崖仏は右岸中腹山中にある。川は谷筋を直線的に流れ下るため勾配は強い。





5.一本足橋
写真68.一本足
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 例の道へ下りて、来たときとは反対側へ回ることにした。前出のお寺の前を過ぎたところで、左へ折れる道があり、それをたどると一本足の橋へ出た。いわゆる公道ではなく、民家の裏口から川を渡って畑へ行く私道らしい。それにしても立派な造作で、うちの裏口にも・・・アカンアカン、止めといた方がエエ。上流から見て、橋の上が何故か緑がかって見えた。これだったのかと納得した。こんなところを通れる水は幸せですな。
 反対側からもう1枚。アカン。一本足に惚れて撮ったけど光が正直で立体感なし。よう似たものだけど、まだこの方がマシか。子細に見れば二本足だったが、いまさら「実は二本足でした」なんていえへんし。やっぱりこの橋は一本足でなんぼのもの。



写真69.橋の上から
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 他人様の裏玄関かと思うと橋に足をかけるのも気が引けるが、まあエエか。そーッと足音しのばせて、橋の上から上流を撮ったもの。ここもエエ風景でした。川底に打ち込んであるアングル材は意味不明。
 いやいやそれにしても、思っても見ない楽しい撮影行でした。





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