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N03.思川流域

N0300B. 思川を遡る・湖南市域

取材:2013.04
初稿UP:2013.06.01


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地図01.思川下流域地図(国土地理院Web地図に加筆)
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 思い川は長い川である。水源部は、水口市街地を横断する近江鉄道と県道307号に挟まれた三日月池(私がつけた名称。正式名称不明)の水口町と日野町の境界部。当然そこへ流れ込む源流部があるはずだが、これ以上ははっきりせず。
 ここで触れるのは、そのうちの湖南市域での流れである。合流点は甲西橋の下流部。対岸には甲西高校の校舎が建つ。これが目印である。ここから十二坊連山の麓を遡って旧県道13号の思川橋までが、本項のエリアである。



1.合流点から湖南・甲賀市境まで

1. 甲西橋
写真01.甲西橋北詰交差点
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 甲西橋。もう1つ下流の橋が甲西大橋で、「大」のあるなしで別の橋になるからややこしい。川は画面右が上流である。Mobileのタンク車が走っているところが国道1号バイパス。突き当たりの山は十二坊の一部。そのすそを県道27号が通っている。十二坊と野洲川に挟まれたこの地域、かつては県道27号が山裾の集落をぬうだけの静かな地域だったが、バイパスが開通して様相が変わってきた。




写真02.合流点を見る
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 上の写真でカメラ位置の真下ぐらいを思川が流れている。橋の下流側に立って合流点を見たところ。左に流れているのが野洲川本流。手前からそれに合流していくのが思川。流量は結構あり、水も澄んで水質良好と見える。下流に小さく甲西大橋が見える。奥の山は左が菩提寺山、右がいわずと知れた三上山。その右にうっすら琵琶湖の向こうの比良山系が見える。
 橋の構成が変則的で、上流側に写真01のような歩道があり下流側にはない。しかし、道路としては余裕があり、下流川でも普通の写真撮影ぐらいなら特別な苦労はない。
 余談だが、この場所は、初めて三上山と比良山とで絵が作れた場所である(撮影:1978.01.04)。これが撮れたときはうれしかった。改築される前、歩道がない旧の橋、カメラは6×7判で手持ちが困難。クルマに脅かされながらの三脚撮影だった。いま下流側に見える甲西大橋も甲西北中もまだないころの話である。



写真03.甲西橋から上流を見る
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 写真1の撮影場所から上流側を見たところ。画面奥から手前へ流れ下ってくるのが思川。緩やかにカーブの先に1号バイパスの橋。右奥に見えるのが野洲川本流。右側の山は、三雲烏ケ嶽から飯道山に続く。画面左外に十二坊が続く。






2. 花園橋
写真04.花園橋畔
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 花園橋畔に立つ「思川」の標識。何とも哀れ。写っている橋が県道27号の花園橋。1号バイパスの橋にへばりつく形で影が薄くなったが、県道とバイパスとの連絡橋の働きをしている。山沿いを走る旧道一本の時代から、この橋が開通して今の1号バイパスに先行する形で田圃の中の県道27号(新道)につながった。その橋が出来るまでは、たとえば十二坊山頂へ行くには旧27号沿いに岩根集落まで走って・・・という形だった。



写真05.三上山
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 花園橋上から下流側を見たところ。トラックが通っているのが1号バイパス。橋の正式な名称はあるのだろうが確かめに行くすべがない。歩いて行くわけにもいかないし、車を止めるわけにもいかないし。
 花園橋の親柱を見るバイパス側から見たところ。右上、陰の部分がバイパス。日が当たっているのが花園橋。




写真06.花園橋から上流を見る
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 花園橋から上流を見たところ。河床にはヨシが生い茂っているが、流れははっきりしている。左は十二坊連山のすそ。と書くと、左から勢いよく流れ込む水は、一見山から直接流れ落ちたもののように見えるが、これは上流から川と平行に流れてきた農業用水からのもの。左の大きな建物は岩根小学校。





写真07.農業用水取水口
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 上の写真で放水されていたところ。上流から流れてくる水路が見える。思川の水面よりはずいぶん高いところを流れている。改めて上の写真を見ると、桜の下にブルーの枠組みが見え、川面からの高さがはっきり読みとれる。
 もう1枚。左に旧県道がちらりと見える。岩根小学校が近づく。





写真08.岩根小学校
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 岩根小学校。旧県道と十二坊のすそとの間に建つ。ここにも二宮金治郎像。
 学校の前のバス停に、「思川とホタルを守ろう」との標語が立つ。









写真09.小学校前の三差路
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 小学校前のY字型三差路。左0.9Km「磨崖仏不動明王」とある。前項・十二坊山頂のところで、ゆららの湯の近くで見た標識と同じ磨崖仏らしい。ということは、ここからゆららの湯へ道がつながっているということらしい。GoogleMapで拡大してみると、なるほどそれらしい道が見える。





写真10.農業用水とクロス
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 十二坊から下ってくる小さな川と農業用水とのクロス。なるほどね、水を送るということは簡単な話ではない。こんな面倒くさいことが起こるんだ。








写真11.車谷川合流
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 次の橋が近づいたところで、先ほどと同じように、十二坊のほうから、小さな川が合流してくる。そばに立っている標識には車谷川とある。当然ここでも農業用水とクロスしなければならないはずだが姿が見えない。対岸から撮った写真を見ても、もう一つはっきりしない。ヨシの陰に隠れているような、そうでもないような。写真奥が十二坊連山。
 写真に見えている橋(思川橋)から流入口を見たところ。集落の間を流れ下ってくる車谷川



3. 思川橋
写真12.思川橋から上流を見る
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 思川橋から上流を見たところ。左側にちゃんと農業用水が見えている。どうして車谷川のところだけ姿を隠すのかよく分からない。
 もう一つ上流の橋が見え、その手前、ヨシの間に落差工が小さく見えている。






写真13.ファブリダム
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 先ほどの落差工に近づいた。よく見ると祇王井川のところでなじみになった可動式ダム(ファブリダム)である。対岸に取水口らしいものが見える。一つの物を見ても、それをある程度知っているか知らないかで、ずいぶん印象が違う。







写真14.農業用水取水口
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 対岸(右岸)から見た農業用水取水口。上の写真を見れば、それぞれ高さの違いがあるはずだが、こうして写真に撮ってしまうと、それが全く表現されない。写真の難しさである。たとえば、画面左下が、ダムの上流側の水面。農業用水はそれと同じ。広い水面は落差工分低いはずだが、それが表現できない。さらに用水の右のコンクリート面は道路とほぼ同じ高さ、農業用水へはステップを伝って下りなければならないはずなのに、両者が同じ高さに見える。


写真15.農業用水取水口
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 同じ取水口を下流側から見たところ。上と同じように、高さの差が全く表現されない下手な写真。早い話が、道路(県道27号の旧道)と、農業用水が同じ高さに見える。そんなことは絶対にない。写真13を見れば、少なくとも1m以上、場合によっては私の身長以上の上下差があるはず。それが全く画面に出てこない。
 お前の写真が下手なんだといわれればその通りだが、それにしても下手すぎる。「すべてのものがはっきり写せるポイントを探して、そこへ櫓でも組もうか」そんな心境で、もう一度上流の橋へ戻ってみた。何気なく橋のネームプレートを見て、「なに?、キツネ橋?」。字がはっきり読めんのもしゃくに障る・・・これも狐の仕業だろう。
 そうか、キツネやったんか。下手を通り越して念が入りすぎている。1m以上差があるところを”ツライチ”に見せたり、勾配を水平に見せたり、念が入りすぎている。そうかキツネの仕業やったんか。



4. 狐橋
写真16.キツネ橋から下流を見る
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  キツネとケンカしてもシャーナイ。けど、どーです?、どー見ても道路と水面とは明らかに高低差がありまっしゃろ。それが全部ツライチに見えるのやからカナンわ。キツネちゅーヤツは何しよるか分かりまへんで。・・・そんなおもろいとこならワシも行ってみよかなんてしょうもない気持ち起こしたらアキマヘンで。キツネにはさわらんほうがヨロシ。





写真17.キツネ橋から上流を見る
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 どーです。これがキツネ橋から見た上流や。何ときれいなとこやなーと思もたらあきまへんで。ここで滝廉太郎が「花」を作曲したのとちゃうかなんてことを考えると、やられまっせ、キツネに。でも、ホンマ、「春のうららの隅田川・・」なんて歌も出てきます。
 キツネからのプレゼントをもう1枚。





写真18.?船着き場
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 またキツネが出てきたらしい。上流を見ているつもりやったのに、いつの間にやらまた下流を向いている。でも、この写真何となく小さいな。船着き場らしいものが写っている。そろそろ怪しなってきた。気ーつけなあきまへんで。リンクもかかってへんし。そろそろ出よるころや。隅田川から帰ってきた船がここへ着くという説明やが。ホンマカイナ。ホラ見てみ、鳥が4羽浮いているだけで船着き場なんてどこにもありまへんやろ。



写真19.タヌキ橋
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 ショーもない話を長々と。キツネ橋があったら、当然次はタヌキ橋やろう。しかし、順番は「キツネとタヌキ」、これが常識。だとすると上流からキツネ、タヌキの順のはず。しかしキツネ橋の下流は「思川橋」と、面白くもおかしくもない名前やった。順番ぐらい変わってもエエやろう。次はタヌキ橋や。




5. 農免橋
写真20.なーんや
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 だから世の中は面白くない。キツネと来たら次はタヌキと相場が決まっている。で、この橋の名前、読めますかな。読めない場合はこちらをクリック。そう、「農免橋」だとさ。面白くもおかしくもない。せっかくキツネで盛り上がったのに、もう止めた。

 野洲川左岸・旧1号夏見交差点から総合体育館の横を通り、甲西中央橋を渡って十二坊のすそに突き当たったところである。



写真21.農免橋上流1
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 「春のうららの隅田川」の風景はの農免橋で終わりになる。狐橋から農免橋の間は下流にあるファブリダムで、一種のダム湖になっていたわけ。このあたりでまた元のアシが生えた状態に戻る。もう1枚。次の橋(井出橋)が見えている。

  写真22.農免橋上流2
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 橋の上から流れの方向に見た場合、水の流れは見えるが、堤防の上から流れと直角方向に見ると、草の陰になって流れがほとんど見えない。シラサギが先ほどからじっと動かない。




6. 井出橋
写真23.井出橋
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 井出橋。農免橋から300m弱。歩けばあっというまである。


写真24.井出橋から上流を見る→

 井出橋から上流を見たところ。次の橋・桧木立橋が見えている。農免橋から井出橋の間が約280m、井出橋から桧木立橋の間が160m。以下ほとんど同じぐらいの間隔で橋が続く。橋そのものは車1台がやっとというより、軽トラ用。要するに農作業用の橋だろう。



写真25.井出橋、堤防の外から
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 井出橋から十二坊側へ出て、堤防を振り返ったところ。山から流れてきた水がこのように堤防の下をくぐって思川へ流入している。これで思川が増水して逆流してきたらどうなるのだろう。一見したところ水門もないようだし。

写真26.同じ場所を対岸から見る
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 井出橋のたもと。上の水路から流入してくるところを対岸から眺めたところ。このような流入口は随所に見られる。








  写真27.桧木立橋
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 川が少し左へ曲がり出したところが桧木立橋。橋の上から上流側を見るとカーブしていくその先に、次の岩根橋が見える。十二坊側へ渡ったところが、ちょっとした広場になっており、地蔵さんが祀られている

  写真28.花見ちょうちん
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 地蔵さんからカーブの内側の堤防に桜が植わっており、花が散り終わった今も提灯がぶら下がっていた。







7. 岩根橋
写真29.岩根橋
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 今までのいくつかの橋とは違いしっかりした橋である。農道と一般道との違いというところか。銘板には「岩根橋」とある。かつての県道27号(旧道)の橋である。

  写真30.岩根橋から上流を見る
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 岩根橋から上流を見たところ。相変わらず橋が続いている。








写真31.名無し橋
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 岩根橋のすぐ上流の橋、上の写真で水道橋と並んで見えていた橋である。ネームプレートがはがされて名前不明。まさかタヌキ橋ではあるまい。

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写真32.岩根保育園→

 名無し橋から上流へ。左岸に立つ岩根保育園。ほとんどの桜は散り終えていたが、1本だけ今が満開。ちなみに撮影日は2013年4月16日。


写真33.中出橋
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 中出橋。保育園のはずれにかかる。保育園側から右岸へ渡ると、昔の城塞を思わすような階段状の塀が見える。もちろん今回のテーマとは何ら関係はない。振り返ると、保育園から川越しにつり下げられた鯉のぼり。右が下流。






写真34.上出橋付近
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 中出橋の1つ上流の橋が上出橋。これは臭うぞ。この橋が上出橋。さっきの橋が中出橋だった。ということはそのさらに下流の名無し橋は・・「下出橋」。と、行けばおもしろいのやが、そうは問屋が下ろすか下ろさないか。市役所あたりへ問い合わせれば分かるのだろうが。






写真35.津島神社
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 上出橋を右岸へ渡りきったところにある津島神社。何の御利益があるのかと探してみたが、何も見つからず。とにかく「こんな神社がありました」というだけのはなし 。
 まあ、どんなに建物が立派でも、神さんが願いを聞いてくれるわけでなし、これぐらいのが手頃でよろしいな。上出橋から上流を見る。





8. 中島橋
写真36.中島橋
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そして、中島橋へ出る(左は中島橋からさらに上流を見たところ)。国道477号下田から、甲西工業団地を通って岩根中央へ出、野洲川を新生橋で渡る。旧1号吉永にいたる県道13号、現在のこの地区の幹線道路である。
 私が三上山を撮りだしたころは、この道路はなかった。橋のプレートの、「昭和63年3月竣工」は、新たな道が出来その橋が架けられたという意味で、古くからあった橋が改修されたという意味ではないはず。
 上流の橋は曙橋。



写真37.中島橋上流
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 左岸の桜並木に沿って上流へ。桜の木の間から流れを見る。


  写真38.中島橋を振り返る
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 曙橋付近から中島橋を振り返ったところ。背後の山、アンテナが立っているところがは十二坊山頂。









写真39.曙橋から上流を見る
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 曙橋から上流を見たところ。すぐ目の前に落差工が見え、その向こうに思川橋が見える。橋の向こうの流れが判然としないが、突き当たりの白い大きな工場と、右に見える六角形の瀟洒な家との間を左へ曲がっていく。







写真40.落差工
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 上で見えていた落差工を右岸から見る。普通の落差工である。










9. 思川橋
写真41.思川橋
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 思川橋、右岸下流側から左岸を見ている。橋を右へ行くと国道1号朝国へ出る。いま、前出の中島橋を通っている県道13号がなかったころは、これがメイン道路だった。たとえば野洲から下田あたりへ行くには、この道を経由していた。
 見えている信号は思川左岸、県道13号の「岩根東口」である。





写真42.県道13号旧道
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 思川橋上から県道13号(旧道)岩根からにごり池方面を見たところ。中島橋上から岩根中央あたりを見るのと何となく似た雰囲気がある。道がだらだら上りになるのがそれを感じさすのだろうか。







写真43.思川橋畔から下流を振り返る
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 思川橋左岸から下流を見たところ。中央の高い建物が、中島橋畔のホテル・サンクレスト甲西。その向こうの山が十二坊。後へ去るのを実感する。


  写真44.思川橋
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 思川橋を上流左岸から見たところ。左が朝国、右がにごり池である。バックの山はもちろん十二坊。









写真45.思川橋畔から上流を見る1
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 思川橋を上流左岸(上の写真の撮影位置)から上流を見たところ。竹薮の向こうの工場が写真39で見ていた突き当たりの工場。六角形のの家はこの画面左に建つ。








写真46.思川橋畔から上流を見る2
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 上の位置から、さらに10mほど上流側へ移動した。川の突き当たりが見える。下流から上流側を見ているわけで、突き当たりはおかしいのだが。地図(昭文社ライトマップル滋賀県道路地図)によるとこのあと進行方向に対して45度ほど右に振れさらに90度ほど右に折れる。そこが市境である。これよりあと川沿いの道はなくなる。ここが分水嶺なら何ほどの不思議もないが、道もない市境を川だけが越えて来るという不思議。




写真47.湖南・甲賀市境遠望
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 県道13号新道の方から、同旧道付近、思川が抜けてくる山合いを見る。手前が湖南市側、中央の白い建物が見えるあたりを抜けてくる。丘陵の向こうが甲賀市水口である。







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