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N03.思川流域

N0300A. 思川流域概観

取材:****.**
初稿UP:2013.06.01


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  1.思川流域概観
地図01 野洲川流域図  建設省近畿地方建設局琵琶湖工事事務所編 『野洲川改修計画概要』(S58.5)より 写真拡大

 思川は甲賀市水口町、近江鉄道水口松尾駅近くの丘陵地帯を源として、途中、同市水口町伴中山で水口町春日あたりから流れてくる坊谷川と合流し、湖南市岩根の甲西橋下流で野洲川へ注ぐ。それに対応する分水域は左地図の太い赤線で示すとおりである。
 前項「独立小河川」で述べたように、名神沿いの八重谷口から十二坊連山の尾根に沿って分水嶺が続く。その尾根筋が湖南市・竜王町の境界でもあるわけだが、市町境界線はどういう訳か十二坊山頂を目前にして、北側の斜面を下ってしまう、分水嶺をほったらかしにするようにして。



地図02.思川流域地図
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  何となく思わせぶりな名称に、何かネタはないかと『近江輿地誌略』をひっかきまわしていたら、面白い文が出てきた。以下、白文字は『・・輿地誌略』の本文。グレー文字は私の文章。

でわ、参るぞよ。
 [思川] の項である。
 岩根山麓東より西に流れる川なり。相伝えて思川といふ。・・・・
 ”岩根山”というのは、いわゆる”十二坊”のことである。その麓を東から西に流れるというのだから、当り前のこと、普通の表現である。私も最初はそう思っていた。しかし、それは下流部の一部だった。”どこまで行くのや”と流れをたどって驚いた。湖南市から市境を越えて甲賀市へ。そしていつの間にか水口の近江鉄道松尾駅近くへ。あと少し行けば日野ではないか。いや参った参った。
 源は山渓の滴水、・・・・
 当り前やろう。湖や、ため池から流れ出る川もないではないが、大概の川は”山渓の滴水”、だと思っていたら、な、なんと近江鉄道沿いに上流へ、鉄道線路と307号との間の細長い三日月池(私がつけた名称)が源流だと。そういえば『輿地誌略』の時代にはこんな池はなかったな。
 松尾村の邊りて川となり下流して岩根を通り横田川に入る。・・・・
 松尾村てどこかなと探してみたら、近江鉄道の「水口松尾駅」あたりがそれに該当しそう。一般の解説文にも”水口松尾駅周辺を源として…”との文章を見かける。私も上で使わしてもらった。横田川とは言うまでもない、野洲川のことである。そうそう朝国と三雲の間の”横田橋”。そうそうそれそれ。しかし、おかしいな、これだと横田川は岩根の下流ということになる。とまあまあ、このあたりは普通のことを書いている。しかし次あたりから冷やかし半分の文章になる。
 土俗或云ふ、源もなく下流もなしよってこの歌ありといふ。・・・・
 当時、世間ではこういわれていたれていたのだろう。分からんでもない。ホント、この川はどちら向きに流れているのだろうと思うところがある。たとえば湖南市と甲賀市の境の山間部など、この川はあの山を越えて行くのかと思うところなきにしも非ず。
 そうそう、そういえば、さっきの三日月池のところ。調子に乗って歩いていたら、いつの間にか流れの向きが逆になっている。こんなアホなことありますか?。もう1つ。水口の伴中山辺りで合流してくる”坊谷川”というやつ。どこから来ているのかとずーと付き合いしていったら、いつの間にか川の名前が「須川」と変わって、川の流れがが勝手に逆になる。そしてそれがいつの間にか、どこへ出たと思います?。日野川でっせ。それも知らん間にでっせ。分水嶺はどないなってますねや。

 詠人不知。「近江がた岩根のまへの思川川上もなし川下もなし」。此歌代々の撰集にも見えず、土俗の伝ふる所のみ。且當國の思川を歌仙の詠ずる所未知らず。・・・・
 ここまで来たら、けちょんケチョンである。
 そう、たしかに「川上もなし川下もなし」、これも分からんでもない。たとえばこの写真。湖南市側から甲賀市との市境あたりを見たところである。あの丘陵地帯を水源として川が流れてくるというのなら分からないでもない。しかし、あの丘陵を越えたまだ向こう甲賀市の田んぼの向こうから流れて来るといわれるとほんまかいなと思う。しかし、これが事実なのである。まさに、”川上もなし川下もなし”である。

 思川、岩根山麓東より西に流れる川なり。ゆっくり楽しんでください。


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