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N02.独立小河川

N0205. 分水嶺・十二坊連山

取材:2013.03
初稿UP:2013.04.17


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1.十二坊概観

地図01.高田砂川・大砂川・十二坊連山関連地図  国土地理院Web地図より
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 左の地図の赤い線は十二坊連山の稜線であると当時に、湖南市と竜王町との市町境である。そしてまた視点を変えれば野洲川・日野川の分水嶺でもある。もちろん直接水を受けるのは、野洲川側は高田砂川と大砂川、日野川側は祖父川であるが・・・。
 市町境界線に沿うように稜線をつかず離れず湖南市側を走る林道、これが十二峰林道(山の名は十二坊だが、林道の名は十二峰だった)である。
 私が三上山の写真を撮りだして間なし(1970年代後半)のころ、十二坊の稜線近くに真新しいガードレールがついているの見えた。当然そこを道路が通っているということである。その道への入口が分からなかった。出来たばかりの道とみえて、地図にも載っていない。方々探し歩いて、八重谷越えの入口を捜し当てたときはうれしかった。
 早速上ってみた。50CCのヤマハメイトだったが、1速であえぎあえぎだった。谷筋から稜線に出て息を呑んだ。枯れた松の木の向こうの三上山。田圃からの姿しか見ていなかった目には、山上から見る三上山は新鮮だった。当時、その稜線が石部町(現湖南市)と竜王町との境界であることは理解していたが、それが野洲川と日野川の分水嶺だとは考えても見ないことだった。
 十二峰林道挽歌(1980年前後の様子)

 十二峰林道は現在全線クルマ乗り入れ禁止。封鎖された八重谷口(2013.03.28撮影)。仮に自分の足で歩いたとしても、眺望は皆無。頂上の三角点の周辺から、わずかに水口方面が見えるだけである。

 前項で述べたように、大山川(野洲川流域)と光善寺川(日野川流域)との分水界が希望が丘青年の城付近を通って、名神高速道路の南側へ出てくる。そこが八重谷越えである。十二峰林道入口はそれより300mほど菩提寺寄りへ下った谷筋にある。しばらく谷筋を詰めたあと、いったん西側(進行方向右側)の尾根に取りつく。急斜面を登り詰めて稜線に立つと、真後ろに三上山が見えた。ちょうど地図で林道と分水嶺とが出会うあたり(A点)である。だいたいここあたりまでが大山川の流域かと思われる。

 分水嶺の尾根に取り付いてからは、林道は尾根の甲西町(現湖南市)側を走って山頂にいたる。A点あたりから山頂付近まで、南西側斜面の水はすべて、高田砂川と大砂川・榎川に流入しているはずである。私が足繁く通っていた1970年代末期、工事中の林道からは眼下に野洲川が見えた。そのころは三上山だけしか眼中になく、その方向の風景は撮っていない。今となっては惜しいことをしたとの思いが強い。

 さて、問題はここからである。十二坊山頂が近づいたところで、正福寺林道を右へ分岐するが、その少し手前で市町境界線は突然分水嶺から離れて北東側へ下り始める、十二坊山頂を敬遠するように。地図01の赤い線がとぎれたところから、北東(右上)へ伸びる黄色の太線がそれである。この意味が分からない。探れば面白いかも知れないが、このレポートの目的は市町境界線ではない。分水嶺が目的だから、いまはとりあえず先を急ぐ。



地図02.十二坊山頂付近地図  国土地理院Web地図より
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 左は十二坊山頂(標高405m)付近の地図である。見て分かるとおり、このあたりまで来ると、甲西橋付近で合流してくる「思川」の流域に入る。そのことは山頂付近の分水界とともに、次項の大きな課題になるが、十二坊連山の終わりにあたり、現在の山頂付近の様子を見てみることにする。
 地図の赤枠で示した十二坊温泉、そこまでは一般道で簡単に行くことが出来る。その近くから山頂への林道が延びており、そこを歩くことになる。林道入口あたりに標高点があって238mとある。入口から山頂まで2Km弱、標高差200mたらずである。

 とここまで書いてきて、ふと気になりだした。私が十二峰林道に通っていたころ、ほとんどが北の八重谷口から入り、全通していなかった林道の途中で引き返すのが一般的なパターンだった。しかしそのころすでに、山頂にはNHKのアンテナが立っていたし、山麓の岩根の集落を抜けて林道がそこまで開通していた。その上半分がこれから歩こうとする温泉近くからの林道だが、それまでの一般道はその当時はなかった。岩根の集落からどのルートで上っていたのだろう。と、古い地図を探していて、面白いのを見つけだした。国土地理院25000分の1地形図(野洲)・平成11(1999)年4月発行。十二坊温泉もないし、甲西大橋から直結する道は建設中の表記になっている。新旧対比するにはもってこいの面白さだが、十二峰林道は全通しているし、少し新しすぎる。もうちょっと古いものはないか。

 そして出てきたのがこの地図である。国土地理院25000分の1地形図(野洲)・昭和53(1978)年2月発行
 十二坊山頂というとき忘れられない1枚がある。1979(昭和54)年6月22日、夏至の日、三上山への落日である。そのとき地図の上で、十二坊山頂から見た夏至の日の太陽が三上山に落ちることを知っていた。山頂のNHKアンテナの裏から撮ったものである。十二峰林道でない本当の十二坊山頂に登ったのはこのとき初めてだった。バイクで岩根の集落を抜けて林道を走った。そのときのために買った地図だったのだろう。林道は全線の3分の1ぐらいしか記載されていないし、よく見ると山頂にアンテナ・マークはない。地図は「発行されたときすでに古くなっている」ことがよく分かる。しかし、そのとき走った林道はこの地図通りであったのだろう。


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