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地図01.大谷川・高田砂川・大砂川関連地図 国土地理院Web地図より この項では大谷川・高田砂川という2つの川を見てきた。地図を見ていただくとよく分かるが、2つの川は大きく見ると同じ流れかたをしているといえる。ともに、山地から流れ下って南西向きないしは西向きに、野洲川に対して斜め向きに合流している。そして、その流域に対応する集落が、大谷川は湖南市菩提寺、高田砂川は湖南市正福寺ということになる。 1.大砂川・河口から県道27号まで 写真01.野洲川堤防 甲西大橋下流の野洲川右岸堤防である。桜の木が2,3本生えていて、逆光に映える流れとあいまって、なんとなく懐かしさを感じる場所である。 写真02.1号バイパスと十二坊 反対側に目を転ずると1号バイパスが近寄ってくる。道路の向こうに見える大きな屋根は甲西北中の校舎。トラックの右奥の高いピークが十二坊山頂。 写真03.1号バイパス大砂川橋 堤防を下流側から上流に向かって歩くと、堤防が徐々に左へカーブし1号バイパス大砂川橋のたもとへ出る。 写真04.橋畔から合流路を見る 野洲川の流れの向こうに甲西大橋が見える。この橋を画面左へ渡り、1号バイパス、県道27号を越えて山中にはいると十二坊温泉に達する。 写真05.大砂川橋から上流を見る すぐ上流に大砂川農道橋がかかる。水は流れてはいるがごくわずかである。 写真06.農道橋 1号バイパスの上流を通る農道である。奥に見える建物は甲西北中の体育館。橋の親柱には「大砂川農道橋」とある。 写真07.農道橋から上流側を見るる 農道橋から上流側を見たところ。車が走っているところが県道27号。小さく見える鳥居が、県道沿いの岩瀬神社。奥の山が十二坊連峰。八重谷越えからの稜線が山頂(画面右外)へ続くところである。 写真08.岩瀬神社 岩瀬神社鳥居。県道27号に面して立つ。川は画面の左外を流れる。画面右外に(川から見れば、神社を挟んだ反対側に)大砂川の表示板が立っている。 写真09.大砂川橋 県道27号の大砂川橋である。神社に向かって左側(野洲側)に架かる。1号バイパスにも同名の橋があった。橋の名というのは、同名があっても差し支えないらしい。 2.榎川 写真10.?川 さて皆さんこれを何と読む。岩瀬神社から大砂川橋を渡ったところ上流側に立っている標識である。「木」偏であることは間違いない。木偏に「戸」のように読めなくもない。しかし、木偏に「戸」という字があったか。
写真11.正福寺林道入口 懐かしくなって少し登ってみることにした。右側に見える川に沿ってのぼる。桜並木の歩きやすい道である。 写真12.林道封鎖 しばらく行くと橋が見えて来る。そういえば、その昔の正福寺林道は橋を渡って入っていった記憶がある。しかしいまは、完全に門扉で封鎖されている。イノシシよけの「開けたあと必ず閉めてください」というようなちゃちなものではない。絶対に通さないう強い意志が感じられる。 3.大砂川・榎川合流点 写真13.合流点 単純にこれが大砂川だと思っていた川が「榎川」だった。大砂川がどこへ行ったのか。もう一度県道・大砂川へ戻ってみた。よく見るとそこが合流点だった。大砂川橋の上流側に水道橋が架かっている。この写真は2つの橋の間から見たところである。右が上流。手前、岩瀬神社側が大砂川、奥(上流に向かって左側)が榎川だった。 写真14.大砂川 岩瀬神社の境内に入って川の様子を見たが、どこの谷川と変わらない普通の川だった。しかし、川の水は清澄そのもの。写真では黄色く濁っているように見えるが、これは私の写真のまずさを示すもので、水の底の黄色い砂が写って透明な水が見えないわけである。まさに大砂川。 写真15.水道橋を通してみた榎川 水道橋のトラスを通してみると、遠く榎川の水面が光って見えた。 地図02.高田砂川・大砂川関連地図 国土地理院Web地図より 地図は湖南市正福寺の集落、農地を中心とした、高田砂川・大砂川および榎川の様子である。国土地理院のWeb地図をお借りしたが、滋賀県エリアは河川の細部が記入されていない。地図の高田砂川と大砂川・榎川は、GoogleMapを参考に私が補筆したものである。ご覧のように十二坊連山の南西斜面から流れ落ちる水、を両側から手をさしのべて集落を守っている様子がよく分かる。いうまでもなく、これら2つの川の分水嶺は十二坊の稜線であり、その対象河川は竜王町を流れる祖父川である。 |
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