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地図03.大谷川流域地図 国土地理院Web地図より 従来からの菩提寺集落周辺の水を集めて石部頭首工に注ぐ川である。目で見ただけでの感覚であるが、流域面積もいちばん大きく、旧菩提寺地区との関わりもいちばん深いようである。 1.大谷川・河口付近 写真01.大谷川河口 水口方面からやって来た国道1号バイパス(栗東水口道路)が、中郡橋北の信号を過ぎて、高架になり石部頭首工を越える。但し2013年3月現在、本線は未開通、側道のみが開通という変則的なことになっている。その側道から別れて野洲へ向かう道が旧県道27号に出会うまでの数100m、頭首工の貯水池の縁を通る。夕日が湖面に光るときは一つの風景になる。 写真02.大谷川河口 川尻橋から上流を見たところ。新しく護岸工事が施されたところらしい。画面奥の山は左半分が菩提寺山のすそ。その下を旧県道27号が走る。右半分、遠景の山が十二坊の北半分。 写真03.大谷川から1号バイパスを見る 川は右へ右へと曲がる。堤防に桜並木が見え出す。右手前方は石部から頭首工を渡ってきて、同じように右へ曲がる1号バイパス。桜並木をもう1枚。遠景の山は十二坊。 写真04.県道に沿う 県道27号に沿うようになる。車が走っているのが県道。野洲からやって来て岩根の方へ向かうところ。木の枝に重なって分かりにくいが、突き当たり、小さな白壁の下で川が2つに別れている。川をさかのぼっている立場で分岐と読めるが、実際に流れから見れば合流していることになる。 写真05.分岐点 上の写真の分岐点に近づいたところ。(流れからすると合流点)。流量から見ると右奥から来るのが本流のようだが、ここでは左から流入してくる方をたどることにする。 2.大谷川・「西の川」をさかのぼる 写真06.直角に曲がる 上の写真で左へ別れた「西の川」が、ミカンの木を中心にして、左へ90度向きを変え、曲がり込んでくるところである。ミカンの木は画面右外にある勘定になる。(実際の川の流れは、道路の反対側からカメラの下の暗渠を潜って出てきたところ。右へ曲がって「中の川」と合流する)。 写真07.道路沿い 県道27号沿いの「西の川」を上流から下流を向いてみたところである。奥の軽トラは野洲に向かうところ。川はガードレールの切れ目まで道路沿いに流れ、軽トラの下の暗渠を潜って左側へ出て、写真05のミカンの木を中心に右へ曲がって「中の川」と合流することになる。
写真08.道路沿い 県道から離れて、集落内の細い道に沿って流れる。石垣の川岸、ガードレールがないので写真になる。カーブミラーを立てるにも細かい工夫がなされている。それにしもこの電柱の芸のなさはどうだ。 写真09.石垣の側壁 集落の中を行く。両岸とも石垣の側壁である。石垣の側壁をもう1枚。このように側壁が石垣の部分は何故かガードレールがない。つけられないのか、あえてつけていないのか。もし、後者だとしたら、その見識に拍手を送りたい。 写真10.コンクリート側壁 石垣が終わり悪名高いコンクリートに替わる。と同時にフェンスがセットでついてくる。 写真11.旧県道から新県道を見る 上の写真の一旦停止の場所から、新県道を見たところ。奥の高みに見えるフェンスが新県道である。両者は50mほど右の交差点「菩提寺鶴ヶ下」で出会う。 写真12.新県道沿い 交差点経由で新県道側へ回ったところ。無理に押し曲げられた感じ。おそらく道路が出来る前はもう少し楽に曲がっていたのだろう。
写真13.新県道から離れる 60mほどで新県道から離れ、再び旧県道の方へ向かう。もう1枚。 写真14.再び旧県道を潜る 旧県道(車が通っている)を潜る。 写真15.旧県道を潜って 旧県道を潜ったところ。実際には上から流れてきて、カメラの下の暗渠にはいるところだけど。川幅が、下流部と較べてずいぶん狭くなっている。たしか、アネックス菩提寺とかいうマンションの裏手のはず。 写真16.貯水池 貯水池。菩提寺小学校への坂道の中腹にある。取水口など細部は見てとれなかったけど、水源はこの池であろうことは先ず間違いないであろう。 写真17.二宮金次郎像菩提寺小学校前にあった二宮金次郎像。真新しいピカピカの金治郎像である。見れば2011年建立とあった。 3.大谷川・「中の川」をさかのぼる 写真05.分岐点 再び分岐点に戻る。今度は右側。流量からすればこちらがメインといえそうな流れである。堤防の右下を農道が通っている。とりあえずその道を歩くことにする。 写真18.堤防への上り口。 少し行くと堤防への上り口がある。登ったところが橋になっていた。 写真19.中の川堤防 画面右外の斜面を上り、橋を渡って反対側の堤防へ出たところ。車が走っているのが、国道1号バイパスに連動して新たにつながった県道22号。上の「西の川」で出てきた新県道につながる道である。トンネルが2本見える。下の低い方が農道である。この大谷川が農道より高いところを流れていることが分かる。 写真20.天井川 斜面を戻って最初の農道を歩き、県道を潜ったところ。農道が大谷川の下を潜っている。壁面に「昭和十一年二月竣工」の文字が見える。 > 写真21.「大谷川」の銘板 トンネルを潜って反対側の堤防へ上る。水道橋側面に「大谷川」の文字が見える。 写真22.菩提寺山 振り返って県道をくぐるトンネルを見たところ。写真16の反対側を見ていることになる。バックの山は一見、三上山に見えるが、これは菩提寺山である。ちなみに、ここから三上山は菩提寺山の影になって見えない。 写真23.堤防への上り口。 左へ曲がり始める。もう1枚。 写真24.県道に出会う 「大谷川」の銘板のあたりから、徐々に曲がり続けて、最終的には約90度曲がって、県道27号に直角に出会うことになる。 写真25.歩道の下を もとへ戻ってよく見ると、例の民家の前で歩道が右と左で構造が違う。右へ行ったところに網板があって、下を覗くと水が流れていた。よくある構造で、何で最初それに気づかなかったか。間抜けた話だった。 写真26.再び山手へ それからすぐ、仏壇店の横を左(山手)へ向かう道があり、そこで再び姿を見せる。それが左の写真である。もう1枚。 写真27.集落の中を 隠れたり顔を見せたりしながら、集落の中で高度を上げていく。もう1枚。 写真28.行き止まり? 結構上ってきたところで、民家と竹薮に挟まれ、行き止まりの感。フェンスの横をすり抜けて行けば行けなくもないが、ちょっと気が引ける。 写真29.住宅地 川から離れて道路がなおも上っていく。と、思っても見ない広い道路に出た。あとで地図を確かめたら、北山台の住宅地だった。 写真30.貯水池 住宅地の一角に、ネットで囲まれた貯水池が見えた。 写真31.ここで終わり その横に立って下を覗いてみると、先ほど行き止まりに見えた水路が、畑の中に光っていた。 4.大谷川・「東の川」をさかのぼる 写真25.分岐・B 先ほどの仏壇屋まで戻る。もう一度歩道をしっかり見ると、同じ構造で信号のあたりまで続いている。ということは、ひょっとして・・・。この先、支流か本流か分からないが、もっと先から流れてきているのかも知れない。それをたどることにする。あたりの地形を見れば、信号・菩提寺のあたりが一番高い。そこへ行くまでに山手から下ってくる流れがあるのだろう。 写真32.菩提寺交差点 交差点まで150mぐらいだったか、流入してくる川はない。おかしいな、交差点を越えると県道は下りになる。何かカラクリがあるはず。 写真33.斎神社正面 斎神社正面に回ってみると、10何段かの石段。下ってくる県道に対してブロックの擁壁、ただの擁壁として何の気にもとめていなかったが、その上が水路だったわけ。もっとも、下から見ていては見えるはずもないのだが。 写真34.斎神社前の水路 石段を登って水路から下の県道を見たところ。下手な写真だけどご勘弁を。 写真35.神社の森を巻く 神社の森を巻くように流れる。 写真36.北山台住宅地入口へ 県道から北山台への坂道を見下ろすように流れる。クルマが下ってくるあたり、写真には写っていないが、先ほどオバチャンが自転車を押して上がっていった。 写真37.住宅地を巻くように 住宅地にたどりついたところで、急に方向を変え道路を潜って、宅地擁壁の下を巻くように進むようになる。 写真38.住宅地を巻くように 住宅地の擁壁の下を行く。片方は芝生を敷いたいい散歩道である。もう1枚。2枚とも、背後の山は十二坊である。 写真39.問題は・・・ さて、問題はここからである。家庭菜園風の農地が現れ、肝心の道は川から離れていく。その川の行く手はぼうぼうたる荒れ地。すぐ50mほどのところに行く手を阻むように高田砂川の堤防が見える。 何か手がかりがつかめないかと高田砂川の堤防に上がってみたが、手の追えそうにない林が立ちはだかってるだけだった。 写真41.分からない ここで終わりにしてもいっこうにかまわないわけだが、何となく気色が悪い。住宅地のあいだから、この荒地が見下ろせないかと、上ってみた。 写真42.ここで終わり 何とかして、荒れ地が見える場所はないかと探し回った。家が建ってない空き地らしきところへの階段が目についた。真新しいコンクリートの階段である。ひょっとしてと上ってみた。空き地だと思っていたところは真新しい貯水池だった。もちろん「東の川」がこの貯水池から流れ出ているという証拠はどこにもない。多分そうであろうというだけである。そしてさらに、この貯水池への水はどこから来ているのか、当然さらにその先があるわけで、しかしそれをやっていたのでは先へ進まない。 つけたし 地図03参照 写真43.大山川・大谷川の分水界 つけたしである。最初にも書いたが、この項は今回のシリーズのテーマとは何の関係もない。ただ、菩提寺地区の川はどうなっているのかと気になって、つい深入りをしてしまっただけである。しかし、この大谷川が独立しているためには、大山川と境を接しなければならないことである。大谷川と大山川、「谷」と「山」、まさかふざけてつけた名だとは思わないが、どこかの合い言葉のような、その境はどこにあるのか。 |
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