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「中央道越え」のつけ足し。何となくはっきりしない話である。その前にいままでのところを簡単に復習しておこう。 地図06.笹尾ヶ岳丘陵群 国土地理院Web地図 左の地図は笹尾ヶ岳丘陵群。茶色の実線が歩いたところ。赤色の実線が分水嶺であることを地図で確認し、その上を歩いて少なくとも自分でも納得できた場所。赤の点線は歩くことは出来ていないが、多分この辺りが分水嶺であろうと推測できるところである。 1.中央道越えからA点へ 地図07A.子犬の首輪越え 国土地理院Web地図 左の地図、赤線は大山川と家棟川の分水界である。子犬が座って上向きに首を持ち上げているように見える。そののど頸のところを野洲市・竜王町の市境境が通っている。その分水界上を「中央道越え」からA■で示すポイントまで実際にトレースしてみた。それ以降は探せば探せなくもないかも知れないが、かなり時間を食ったことでもあるので、Aの先はあきらめた。 写真61.中央道越え(旧電話ボックス) 「中央道越え」である。写真では道路の勾配が表現できないが、中央道の峠である。そこに不思議な建物が建っている。かえでの森もそうだったが、そこにあるものが何となく曰くありそうに見える。このボックスなどもそうだ。分水嶺越えの何かかと近寄ってみると、どうもかつての電話ボックスの残骸らしい。いまどきこんなところでわざわざ電話する人はいないだろう。機械はもちろん取り払われている。雨宿りぐらいならできそうだ。 写真62.分水嶺の行くへ 電話ボックスから反対側を見たところ。前を行く中央道は、左が西ゲート、右が東ゲート。向こうがちょっとした広場になっていて、言い訳のように最高点に溝蓋が2枚。写真では分かりにくいのが残念。溝ブタが悪いのではない。撮り方が悪かった。 写真63.分水嶺? 上の地図で見ると分水嶺は道を越えたあと左前方へと進んでいく。広場に立って見るとその方向に林があり、その中へ入っていく道がある。ゆるい登りになっていて、右も左も地形は低い。どうもこれがくさい。 写真64.源流コース 木に小さな標識がついている。近寄ってみると、「源流コース」とある。これやな。悪い道でもなさそうだし、いって見ようか。 写真65.源流コース標識 少し入るとT字型の分岐があって、「源流を歩こうコース」とあって、友情の橋290m、芝生広場960mとある。標識は二方、道路は三方。わからん。芝生広場のどこまでの距離か分からないが、そこはまちがいなく家棟川流域だ。いまの目的には分水嶺を歩くのだから、うっかりつられていってしまったら大変だぞ。 写真66.だらだら上り とにかくまっすぐの道を行く。落ち葉の降り積もっただら登り。何となく道のような道でないような雰囲気になる。ついには木が倒れていたり。とはいえまともな道でも木が倒れていることなどザラにあるから、気にもとめずに行くと・・・。 写真67.行き止まり(A点) すぐに小山のてっぺんに登りつく。そこからはどう見ても道はナシ。GoogleMapではぐるりと回って源流コースへ出るように記載されているがそれも分からなかった。しかし、ここまでは間違っていなかったはず。地図ではこの辺りから右へそれて、自転車道を斜めに横切って山の中へ入っていくように読める。バックしながらその道を探す。それらしき脇道があって自転車道へは出たが、その道を造るのに地形が崩されているらしく、その次につながる道は見つからなかった。 2.友情の橋からB点へ 地図07B.子犬の首輪越え 国土地理院Web地図 上の地図07Aと同じ地図である。上述のような経過でA点から先はあきらめた。しかし、地図を見て分かるようにこの辺りは、3つの川の源流でいろいろと気になるところである。たとえば、A点から子犬の鼻先辺りまでは家棟川と大山川との分水界である。ところがそこを過ぎたあたりから背中にかけては光善寺川(鏡山の西側を流れ日野川へ注ぐ。この地図の範囲には出てこない)と善光寺川(鏡山の東側の水を集めて日野川へ)の流域になって、そこは大山川と善光寺川との分水界ということになる。国土地理院のWeb地図原本を見ると、野外活動センター付近から、犬の首の付け根に当たるB■ポイントあたりまで道があるようなないような。とにかくそこまで行ってみよう。 写真68.友情の橋 友情の橋。中央道から大山川を渡って、野外活動センターをつないでいる。手前、広場のように見えるのが中央道。カメラは東ゲートから西ゲート向き。流れは見えないが大山川が奥から手前に(西から東へ)向かって流れている。橋を渡るとすぐだらだら坂の上りになる。 写真69.野外活動センター 300m余り上ったところで道が折り返してくる。地図を見ていると行ったり来たり、何でこんなけったいな道を造ったのかと思っていたら、勾配の道のりを稼ぐためだった。いわゆるスイッチバック。右へ折り返してさらに上る。右下の道が、いま登って来た道。 写真70.第1キャンプ場近く 道がやっと水平になって、第1キャンプ場が近くなる。 写真71.第1キャンプ場 第1キャンプ場。川が見えるが溝というスタイル。この辺りがこの溝の源流らしい。標識があって、「せせらぎの道 ジャイアントコース」の字が読める。国土地理院の地形図にはもちろん道の名称までは表記されていない。これから歩こうとする道は、どうやら「ジャイアントコース」というらしい。 写真72.コース入口立派な標識で「ジャイアントコース」とあるが、それがこれから歩く道の名称であるという確証はない。地図のイメージからおよそこの辺りとおぼしきところを探す。それらしき道はあるが、例によって落ち葉が降り積もって、道そのものも判然としない。明確な指示もない。もう一度標識に戻って周囲を見直して、他に道がないことを確かめてから歩き出す。 写真73.階段歩き 歩き出してすぐに階段になる。ということは、入口は間違っていなかったらしい。けもの道ならば階段はないはず。 写真74.イノシシ様? 階段を上りきると、道の真ん中に大きな穴。こんな穴を人間が掘るはずはない。それも道の真ん中に。それにしても、これだけのエネルギーを使って、どれだけの収穫があるというのか。この経済学だけはわからん。穴の大きさでいえばこれが最大だったが、このあと道はほとんどイノシシが掘り返した跡を歩く状態。何とも歩きにくい。 写真75.ちょっとましな道 ちょっとましな道。ホッとする。しかしこんな道はごくわずか。道のほとんどは、ここをまた引き返すのかと思うと気が重くなるような道だった。結果的には後述するように周回道路があってその苦労は免れたが。 写真76. 源流? ちょろちょろと音がして水が流れている。ということは大山川の源流だろうが、こうして水を跨ぐことは、まだ分水界ではないということ。 写真77.曰くありげな と、100mほどで曰くありげな場所へ出る。近づいてみると太い木に標識が結びつけられ、「左、希望が丘野外活動センター 右、鏡山」とある。奥の明るい道が左右に通じており、いま歩いてきた道は左へカーブしながら合流していく。上から見たとき「て」の字を左右逆にしたような状態である。 3.B点らしき場所<写真78.分岐点(合流点) 上の場所を向きを変えてみたところ。右の影の道を歩いてきて、振り返って見たところ。左の太い木に標識がくくりつけられている。左の明るい登り道が鏡山への道。どうやら、ここが上の地図07のB点らしい。念のためGPSで緯度・経度をチェックしておく。 写真79.帰り道 標識によると、とにかく左へ行けば野外活動センターだという。いま来た道を帰る気はしない。あれだけイノシシが荒らした道はイヤだ。ということで、標識に従うことにする。 写真80.尾根道下り 木の階段があったり、だらだら坂だったり、多少の登りはあるが全体的には下り坂。いま歩いてきた道よりは歩きやすい。細かい標識もある。シーズンには中高生が来るのだろう。 写真81.標識 途中、Y字形の分岐がある。ところがそのそばにある標識が3方向を向いており、お互いの方向が90度。そのうちの1本などは、その向きに歩けば崖下へ突っ込む。これで意味が伝わるのだろうか。頭の固い爺には理解しかねる。 写真82.野外活動センターが見える と、悪態をついていたら、林の中に野外活動センターが見えてきた。何やこんなに近いのか。すぐに舗装道路に出る。GPSでは直線距離360mだという。多少の屈曲はあったがそれでも400mぐらいか。小さな標識があって、「北稜コース入口」とあった。「北稜」とは希望が丘用語で鏡山から城山あたりまで、希望が丘の北に連なる稜線のことである。 写真83.野外活動センター 野外活動センターの本館である。笹尾ヶ岳を歩いたときに森の中に見えていた。そのときもこき下ろしたが、静かな森の中にこんなばかでかい建物が必要なのか。以前青年の城の維持費が大変だと聞いたことがある。よく似たものだろう。建っているだけで金がかかるのだから。 4.つけたしのつけたし・もう一度B点へ 写真77A.鏡山へ 左の写真77Aは前に上げたB地点と思われるところに取り付けられていた標識である。これだけ見ると、希望が丘の野外活動センターから鏡山まで、一気に登り詰めるように見える。しかし実際はそうではない。
地図07,子犬の首輪越えを見ると大山川流域のセンターから、いったん分水嶺のB点まで上がり、そこを越えて善光寺川(鏡山東麓を流れ日野川に合流する)源流に下りそこから登り直す計算になる。 写真84.B点へ・1 再び野外活動センターの裏、「北稜コース入口」から歩き出す。前回逆向きに歩いたところだが、改めて注意して歩く。地図で見るとB点までは尾根歩きである。左の写真に見るように、それは間違いない。 写真85.B点へ・2 ・2 歩き出すときに、前回来たときにB点と思われるところでチェックしておいたポイントをGPSに呼び出す。画面にB点までの直線距離が示される。360m。そして大きな矢印がそのポイントへの向きを示す。「めざすB点は矢印の向きに360mだよ」というわけ。歩けばその値が減っていく。 写真86.B点らしきところその数値が1桁になって、B点へ到着。いちおうGPSのいう通りに歩いて、前回チェックした場所へ戻ってきたということ。その点がB点であるかどうかは別の問題。もう一度現場を確かめる。「Y」の字型に道が重なっており右へ行けば前回のイノシシロード。左へ登っていくのが標識では鏡山への道。そこが分水嶺だとはどうしても思えない。ただ言えることは上ってきた道を含めて、左へ上っていく道が尾根道であるということだけである。 <写真87.B点へ・3 センターを出てからずーと写真84・85のように尾根道を詰めてきた。それは間違いない。その道が分水嶺だとしたら、そこを含めて写真86のB点らしきところも分水嶺であるといえるが、少なくとも写真84・85の尾根道は子犬の首輪の部分で分水嶺ではない。左も右も大山川へ流れいるゾーンだ。とすると写真86のB点らしきところは分水界ではない。道はさらに登っていく。両側を見ると間違いなく尾根道である。センターから続いてきた尾根筋の延長だと考えられる。 <写真88.B点へ・4 と、前方に白い標識があって、道がなくなっている。A点でも同じ経験をしたからまたかと思う。「鏡山へ」という標識にしたがって歩いてきているわけだから、ここで終わりということはないはずだが。 写真89.あっち・B点? 近寄ってみると小さな標識があって、ワープロで打ち出したような字で「稜線を歩こうコース・あっち」とある。「あっち」はないやろう。矢印を見て判断せよというわけだろうが、どっち向きでもあっちだから。なくなったと思った道は、そこから右下向きに続いていた。 写真90.登ってきた道を振り返る 「あっち」の標識の場所から、歩いてきた道を振り返ったところ。こちらから見るとほとんど一直線の下りである(この道を登ってきたわけ)。 写真91.「あっち」へ向かう 道は「あっち」へ向かう1本しかない。下りである。一応分水嶺は越えたと考えられる。しかしその実感が湧かない。いままでの例でいうと登山道は分水嶺(水を分ける尾根筋)を峠で越える。歩く立場からするとそこが最高点だが、分水嶺から見ると鞍部(水を分ける尾根筋の最低点)を越えていた。尾根を越えるのにわざわざいちばん高い点を越えるものずきはいない。ちょっとでも低い点を超えようとするのが人情である。 写真92.なおも尾根道 道はなおも尾根づたいに行く。軽い上り下りがある。 写真93.曰くありげな 曰くありげな場所へ出る。力はなくなっているが、かなりの老木が立っている。しめ縄を締めていたりすれば立派なご神木になりそうな木である。周囲も広場になっていて、明らかに意味がありそうな場所である。 写真94.羊歯の下り 上の写真では迂闊にも左側を広く撮ってしまったが、この木の右から下り坂になり、羊歯が密集する斜面を下る。若いときならともかく、この年齢になると、さてどうしたものかと思案したくなるような下りである。写真では少しも下り感がないが、私の写真の力のなさである。坂の途中からカメラを水平に向けて撮った1枚。シダが写らず、枯れた木が1本。ずーっと下に生えている木の上部である。 写真95.鞍部 ややあって、鞍部にたどりつく。標識があって「北稜-野外」とある。なおもそのまま進めば「北稜コース」へ。バックすれば「野外活動センターへ」という意味である。水が流れているかと探したが、それは見つからなかった。でもからからの場所かというと決してそういうわけではない。むしろ湿っていて、すぐにでも水源になりそうな場所である。 写真96.B点へ あっちこっち歩き回っていて、「奥鳴谷峠」の標識に気づく。「峠」。私はここを「鞍部」と見たが、稜線を下ってきた立場からすれば鞍部だが、それと交わる谷筋を詰めてきた者から見れば「峠」である。なるほどここは峠か。羊歯の斜面から下ってきたときには右へ下る谷筋と読んだ。当然左へ行けば登りになるはずだが、「峠」ということは左へ行っても下りになるということか。ということは水はここで別れている。しかし、地形からはすぐにそこまでは読めなかった。でも「鳴谷」の地名は明らかにそこが善光寺川流域に含まれるということだ。いつの間にか大山川流域から善光寺川流域へ出ていたということだ。犬の首輪を歩いて分水嶺を越えたはずだが、その実感がない。しかしここは間違いなく善光寺川の源流だ。 地図08.さてB点は 歩く前に地図を見ておよそのルートのイメージを描く。しかし、今回はそのイメージに合わないのである。最も地図を見て描くイメージなんてものは、私の場合、合わないのが当たり前で、目の前に現れた現実を見て、そうかあの部分はこういうことだったのかとイメージを組み立て直す。たとえば野外活動センター付近の道の蛇行。行ってみれば単なる蛇行ではなしに、勾配を稼ぐためのものであったりというように、すぐに理解を出来る場合が多い。ところが今回の場合は違った。現場を歩くとき、どうにも理解できない違和感がつきまとうのである。 |
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