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1.天山 地図01.天山付近地図 国土地理院25000分の1地形図(野洲) 天山(あまやま・あまのやま)。標高303m、三上山の東に位置する。南桜の農地に立って、三上山を左、菩提寺山を右にするとき、正面に見える山である。
地図02.天山山中分水界 国土地理院Web地図より さて、分水界。「梅林越え」を過ぎた後、天山山麓に取り付き、背後の山を上り、花緑公園植物園からやってくる山道と出会う。地図の「花緑公園道出会い」とあるところである。もちろん私が勝手につけた名前で、現地にこんな名前の案内板があるわけではない。そこから山頂近くの「天山越え」まで水平距離で約600mにわたって直線の尾根が伸びている。この複雑な山地の中で、直線の尾根自体が不思議だが、そこに山道がついている。
地図03.カシミール3Dによる立体図・1 天山の東方上空から見たところである。「梅林越え」から上ってきた分水嶺は、あずま屋を越えてさらに上って、「天山越え」(標高286m)に達する。天山の標高が303mだから、普通ならば分水界は山頂まで上るところだが、現実にはこの”天山越え”で下り始める。山腹から流れ下ってくる谷筋の中で、5番目の谷が、もし家棟川側へ流れていたら、何の問題もなく天山山頂を分水嶺が通ったはずだが、現実には、5番目の谷は”大山川側”へ流れている。ねじれ現象を起こしている感じである。これもまた、この山の複雑な地形がなすワザで、面白いところである。城山上空辺りから見た立体図をもう1枚。 2.天山越え 写真01.花緑公園植物園 花緑公園植物園ゾーン噴水の近くから山越えして里の家方面へ抜ける道が2本ある。これはその道の右(噴水から山に向かって右)の方。県道からすれば奥の方の道を上りだしてすぐのところ。左・里の家、右・希望が丘中央道との標識がある。右に見える白い短冊風標識には、「これより先は希望が丘文化公園です」とある。われわれ素人には2つの公園の境界は分からない。トラブルがあった場合は希望が丘へいっていけという意味だろう。ハイハイご親切に。 写真02.花緑公園道出会い わけのわからんタイトルである。これの命名者は私。希望が丘にも花緑公園にも責任はありません。
写真03.出会いから下方を見る 写真02の位置で180度反対側を見たところ。道はやや右に曲がりながらやはり尾根道状態を示している。これでそのまま梅林越えへの道が見つかるのではないかと下ってみたが、100mも行かない間に大きく右に曲がり、右が山、左が谷の地形になってしまった。右側から流れてきた水が道を横断していた。そこはもはや分水嶺ではなかった。 写真04.尾根道を登る で、引き返し尾根道を登る。地図の通り道は直線である。木の階段に落ち葉が降り積もっている。冬の光が柔らかい。 写真05.岩を巻くグリーンネットの先に岩がある。道はその右を巻いていくが、右側は谷、岩の向こうも谷、この岩が分水嶺である。 写真06.北東側 北東側、天山に向かって(尾根道の登る向き)左側を見たところ。陸上競技場のトラックが見え、その向こうに城山が見える。家棟川は城山の麓を流れる。そこまで何遮る物はない。この尾根の頂上に向かって左側に落ちた雨は、家棟川に至るはず。 写真07.南西側 南西側。遠く菩提寺山が見え、南桜・北桜の農地が見える。手前にもう1本尾根があって、地形が複雑だが、いま登ってきたことから考えて、水は花緑公園桜池に流れるはず。そこから遠くの農地を流れる大山川へ。 写真08.三上山 振り返れば右後ろに三上山。その間を県道が通り、小山川が流れている。この尾根が右と左、水を分けていることが実感できる。 写真09.馬の背を登る道は相変わらず馬の背。そこを一直線に登る。 写真10.北方 真後ろを振り返ったところ。手前に小さく見えるのが山上ダム。その向こうに大きく辻ダム。右奥の山が吉祥寺山、左が田中山のすそである。遠方は野洲市北部の農村地帯。 写真11.西方 池が消えたと騒ぐ人がいるかも知れない。上とよく似た風景だが、こちらは東光寺越えを通して見た守山市南部。右が妙光寺山、左が三上山のそれぞれのすそ。左の林の中に花緑公園ふるさと館のとんがり屋根が見える。 写真12.あずま屋 まっすぐ上ってきた道があずま屋にぶつかる。振り返ってみれば写真10・北方と同じ風景が見えた。上ってきた道が、それほど真っすぐだったということである。 写真13.あずま屋・三上山 あずま屋を前景に三上山を見たところ。こったデザインで上部にガラスを使ったり何とも贅沢な仕様である。全体像をもう1枚。
写真14.道しるべ ところどころにこのような小さな道標が目につく。これはあずま屋の横に表示されているもので、地図02の花緑公園植物園駐車場横から登ってきた道 b が、そのまま進めば希望が丘中央道へ下っていくことを示している。道 b にとってはここが分水嶺越えの峠である。あえて名付ければ「あずま屋越え」ということになろうか。 写真15.天山へ あずま屋のすぐ横に「天山」の標識が立っている。最初から道が明確でなくどうなることかと思うが、とにかくまっすぐな尾根道を登るのだから何とかなるだろう。 写真16.馬の背を登る地図で見たとおり、馬の背を登る。ちょっと登ってすぐ鞍部になる。馬の背をスクリーンに冬の木の姿が投影される。道の両側はどちらに流れても下りである。 写真17.天山へ 5分足らずで次のステップへ。左の小枝にぶら下がっている標識、うっかりして太陽光線が反射してしまった。もちろん「天山」を示すが、次の登りを予感さすステップである。 写真18.案の定 案の定、岩が現れてくる。尾根の真上に鎮座。道はその横、ギリギリのところをおそるおそる・・・・。 写真19.絶妙なバランス見えるだろうか、絶妙なバランス。きょうに始まったことではない。以前来たときにも驚いた記憶があるから、人間の時間とは別の時間でこのスタイルが続いているのだろう。 写真20.三上山 一直線の尾根は続く。ひときわ登りがきつくなったところでちょっとしたテラスがあり、そこから三上山。妙光寺山が真正面に見える。いちばん低いところが「東光寺越え」。 写真21.希望が丘(第1見晴台) 第1見晴台から見た希望が丘。左、木と重なっているのが田中山。その右下、山上ダムと辻ダム。その右、木の上が吉祥寺山。その右、傾いた台形が城山。右なだらかな稜線のトップが鏡山。「第1見晴台」とあるから、第2,第3とあるのかと思ったが、希望が丘の地図によるとそれは南ゲート付近の山中にあるということらしい。 写真22.天山越え 第1見晴台を過ぎるか過ぎないかのところで、右手から登ってくる道に出会う。花緑公園から上ってきた道で、この道をたどる立場からするとここが峠。そういう意味で「天山越え」ということになる。この後しばらく分水嶺と同じルートをたどり、写真道24の「南陵別れ」で、左へ別れ「南ゲート越え」へと下っていく。これは歩いてみて分かったこと。歩く前はいま登ってきた直線の分水界が野洲・湖南市境と交わるところが「天山越え」、その後「南ゲート越え」へ下っていくと考えていた。前出の地図02はそれを表現したものである。
写真23.馬の背 地図を見て漠然と予想していたのとは少し事情が違う。花緑公園植物園駐車場から上ってきた道 d
は、そのまま分水嶺を越えて南ゲートの方へ下っていくものと考えていた。ところが道はいったん分水嶺上の道に吸収された形になる。すなわちこの場所は、十字路ではなくT字路になっていた。
写真24.南陵別れ 賑やかなところへ出る。まず目につくのは「天山山頂」はあっちというプレート。木の根っこに置かれている。市境を示すのであろうコンクリートの杭が打ち込まれ、そのそばに赤い頭の木の杭が何本か打ち込まれている。「平成二十四年 菩提寺区」などと墨書されている。自治会が毎年確認に来ているのだろうか。 地図05.天山山中分水界 しょうもないことで手間取った。とにかくここが「南ゲート越え」への下り口である。分水嶺としての考え方は地図02でよかったのだろうが、実際の下り口はいわゆる城下町・宿場町の枡形のようにずれていたことになる。下り口はすぐに見つかった。しかし見下ろすと土が見えているのは最初の数mだけ。後は落ち葉が降り積もって道の体をなしていない。さらにその傾斜のきついこと、これは滑ること間違いなし。しかし、それよりも道そのものが判別できるかどうか。滑ることはともかくとして、この年になれば、道に迷うことの方がコワイ。その道をたどることはあきらめた。とにかく天山まで行ってみよう。 写真25.馬の背 このコースは徹頭徹尾”馬の背”である。道は分かりやすいし歩きやすい。降った雨は道の両側へ振り分けられることは間違いない。ということでこれも分水嶺であることは間違いないのだが、少なくとも地図05の「南陵別れ」あたりから先は、どちらに流れ落ちても行く先は大山川、小山川、どっちみち野洲川へ流れつくことになるという面白いところ。 写真26.天山山頂下 と、まあそういうことで、「花緑公園道出会い」に取り付いてから、とにかく尾根道ばかりをたどりながら、天山山頂にたどりついた。考えてみれば不思議な山登りだった。 2.天山山頂 写真27.天山山頂 高さ3.4mぐらいの岩場をよじ上ると天山山頂だった。そこはテラス。ほんの一部を除いて360度の展望だった。三角点があって、そばに国土地理院との標識が立っていた。およそ絵にならない構図だったが、とにかく三上山と1枚。考えてみればこの山と三角点を1枚の写真に収められたのは、これで2箇所目。他の一箇所は石部の「臥竜の峰」だった。 写真28.十二坊 奥の大きくなだらかな山が十二坊。名神沿いを大山川が流れる。ここからなら、どこをどう流れてもそこへ流れ込むのは当然の理。手前がハイウエーサイドタウン。確か昭和30年代後半だったか、クルマ付きで270万とかで売り出した。そのころはまだ京都に住んでいたが、名神を走るハイウエーバスが珍しく、名古屋からの帰りそれに乗った。尖り屋根の可愛い家が並んでいた。ああここか、と、目を見張った記憶がある。 写真29.大山川源流 上の写真の左をアップしたところ。名神が登っていくのが八重谷越え、大山川支流の源流である。その一つ手前、小学校の向こうの谷が荒川谷。大山川本流はそこをさかのぼって、希望が丘奥の鏡山山中に達する。 最後に分水嶺の整理をしておこう。梅林越えから南東へ向かう直線の尾根。麓から尾根を登る向きに見て、その右側へ流れ落ちる水については、天山山頂に至るまですべて小山川ないしは大山川へ達する。 |
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