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地図01.大山川下流域地図・合流点から大山池まで なかなか本論にたどりつけないが、分水界を見る前に大山川のルートそのものを見ておこう。すでに述べたように、大山川は希望が丘山中を水源とし、湖南市菩提寺の大山池を経て、国道8号野洲川大橋辺りで野洲川に合流している。本稿では、合流点から希望が丘までをさかのぼることにする。 1.合流点から県道27号まで 写真01.大山川・野洲川合流点 国道8号野洲川大橋から見た大山川合流地点である。右の流れは野洲川。中央やや左、緑の堤防が野洲川右岸と大山川左岸がV字形に合するところ。そこから左が大山川である。河床のほとんどがヨシで覆われ水は見えない。実際の水がどこで野洲川に合流しているのか、それも判然としない。しかし、大水でも出た場合、2つの川の水がここで合流することは間違いない、そういう場所である。 写真02.合流点右岸から野洲川大橋を見る。 両川の合流地点右岸あたりから野洲川大橋を見たところ。この橋の長さを地図で測ってみると約430m、以前何かの時にこの橋の長さと三上山の高さ(標高432m)とが同じだと聞いたことがある。偶然の一致だが面白い。ただし、三上山山麓の標高がほぼ110mなので、実際の標高差は320mほどだが。遠景、左の方のピークが比叡山である。 写真03.大山川・野洲川合流点 上と同じ場所から大山川河口を見たところ。こういう場所を河口といっていいのかどうか、要するに大山川が野洲川へ出ていくところである。画面左端から水平方向にに続いてくる緑の堤防が大山川左岸。その右のススキ(オギかも知れない)の穂が白いところは野洲川の河川敷である。アップをもう1枚。川幅は約40m。ヨシの中で流れが光っている。普段はこれぐらいの水量でしかない。 写真04.大山川河口と野洲川大橋 少し上流へ移動して下流を振り返ったところ。黒い影が左岸堤防。それが切れて野洲川へ流れ出る。遠景の山は比叡山から比良山(画面右外)へ続く稜線。 写真05.三上山 同じ場所から三上山を見たところ。上空の飛行機雲を撮ったので妙な構図になっているが、雌山が手前にあり、本体と重なる形でほとんど見えなくなっている。いわゆる三上山の正面。雨水の流れでいえば、右斜面は大山川へ、左斜面は家棟川へというところ。実際はそんなに簡単に振り分けられるものではないだろうが。 写真06.河川管理境界 さらに上流へ移動し、対岸(左岸)が完全に大山川堤防になったところ。堤防上に立っている「河川管理境界」の標識。上流が大山川(滋賀県)、下流が野洲川(国土交通省)。堤防上面、野洲川は舗装・大山川は地道である。 写真07.近江富士団地通学橋 対岸に近江富士団地の住宅地が見えるようになる。小さな橋が見える。大山川最下流の橋である。おそらく団地から三上小学校へのルートとして架けられたものであろう。そこから上流を見たところ。正面に菩提寺山が見える。対岸は桜並木である。 地図04.補遺:祇王井川が大山川をくぐる (国土地理院Web地図に加筆) 地図の中央に見える橋が上の写真07で見た橋である。今ここでは地図の赤い矢印と逆向きに、下流から上流へ大山川を遡っている。大山川に着目して堤防を歩いていただけでは何事も見えてこない。実はここにとんでもない事実が隠れていた。じつはここで大山川の下をもう一つの川、祇王井川がくぐっていたのである。 写真08.小富士橋 小富士橋・独特のスタイルを持つ、自動車通行不可のしゃれた吊り橋である。団地の中央部に架かかる。対岸は日立ツール、シライ電子などがはいる工場団地である。もう1枚(写真08A)。この橋が開通したとき、これ(写真08A)とほぼ同じ構図の写真を撮った。真新しい銅鐸がキラキラ輝いて写真にならなかった記憶がある。 写真09.三上山 小富士橋の上流側から見た三上山。何とも不細工な写真だが、前出の「写真05」と比較して山の形がよく分かる。写真05では姿が見えなかった左の山がどこから出てきたのかと思う。写真05は三上山の山容を人間の顔に例えれば真正面から見たもので、鼻筋がもう一つはっきりしなかった。左の写真は、人間の顔の左前45度ぐらいの位置に回ってきた。雌山が主峰(雄山)の前に突き出ている。今見えている範囲に降った雨がこの大山川に流れ落ちることがよく分かる。 写真10.さくら橋 小富士橋の上流100mあまりのところに架かる。こちらは自動車通行可。左岸たもとに河川敷へ降り口がある。そこに立て看板があって、「イノシシ注意。朝夕・夜間は降りないように」との警告。住宅地内のこんなところまで来るのか。 写真11.小山川が合流する さくら橋の手前で小山川が合流してくる。上の写真には写っていないが、さくら橋のすぐ下流右岸に小山川が合流してくる。本流が「大山川」、支流が「小山川」、ふざけたネーミングだが、分かりやすくていい。ついでに中山川もと思うが、残念ながらそれはない。 写真12.さくら橋から上流を見る 住宅地の中らしく、河床が整備され、その中を流れが蛇行していく。徒渉用の踏み石も作られている。車が走っている橋が県道27号・野洲甲西線。国道8号御上神社前から旧甲西町をつなぐ道路。野洲川右岸を走る1号バイパスとつながって、最近交通量が増している。ついでに下流側を1枚。 2.県道27号から大山池まで 写真13.大山川橋 県道27号・大山川橋。南桜のほうから御上神社方面を向いて撮ったもの。黒い車は旧甲西町へ向かっている。右に見える山裾は三上山雌山である。もう1枚、この橋を大山川上流側から見たところ。画面左が南桜、右が御上神社前。 写真14.県道27号から上流側を見る 県道27号・大山川橋上から上流側を見たところ。左岸(画面では右側)がさくら緑地。最近やっとサクラが綺麗になった。 写真15.むかで退治タイル画。 さくら緑地に入ってすぐに見えてくるタイル画。俵藤太のムカデ退治伝説を壁画風にまとめたもの。 写真16.さくら緑地沿いを行く 私が三上山の写真を撮りだした1970年代後半ごろまで、この大山川は鬱蒼たる堤防林に覆われ、流れを見ることなど想像も出来ない状態だった。その後河岸が整備され、今は南北桜橋のたもとまでが「さくら緑地」して整備されている。 写真17.三上山 ”南北桜橋”の近くから見た三上山。橋の名前が奇妙さを感じるが、三上山の山麓の集落が北桜、反対側の菩提寺山山麓の集落が南桜。その間を流れる大山川。南桜と北桜をつなぐという意味らしい。語感を無視して理屈だけで名付けるとこういうことになりますよ、という見本のような名前。 写真18.南北桜橋から上流を見る 左岸(画面右側)は竹薮、右岸(画面左側)はさくら墓苑。今見えている直線河道は、河川改修時に付け替えられた部分で、以前は、さくら墓苑の外側を巻くようにほぼ半円を描いていた。それがこのような直線河道に生まれ変わった。 写真19.さくら墓苑から望む かつて大山川の流路だったさくら墓苑の外周、その高みから見た大山川流域。右の山が天山である。三上山のすそに広がるのが北桜集落。圃場整備が行われる前、この農地を菩提寺山の中腹から見るときは、モザイク模様のステンドグラスを見るようだった。 写真20.小山川合流 南桜から湖南市菩提寺へ向かうバス道が、右折して名神高速道路の下をくぐる。その曲がり角の辺りで、直進する大山川に対して、右岸から小山川が合流してくる。と書くと、あれっどこかでそんな話があったぞと思われるかも知れない。その通り、近江富士団地内のさくら橋のところで同じように右岸から合流していた。ここで合流してしまったものが、下流の近江富士団地へどうして現れるのか。わけのわからん話である。これは項を改めることとし、まず大山川をトレースして・・・と行きたいところだが、実際にはここで山地と名神との間に入り歩くことも不可能になる。 3.大山池 写真21.大山池 さて大山池である。写真の対岸が名神である。三上山の右下に防音壁が見える。それが切れた右側、トラックが走っている下が暗渠になっていて、これが池から大山川への出口になっている。普段はなみなみと水をたたえているが、このときは水を抜いた状態だった。 写真22.大山池余聞・1 私は、長くこの池の名前が分からず、「名神高速道路菩提寺PA裏の農業用水池」などと長い呼び方をしていたが、『鈴木儀平の菩提寺歴史散歩』(儀平塾編)という本を読んでいて「大山池」との名であることを知った。この本は、菩提寺正念寺住職、芭蕉研究家の乾憲雄氏から頂戴した。色いろと示唆に富んだ本で興味深く読ませてもらっている。 写真23.大山池余聞・2 もう1枚、同書から拝借する。「現在の大山池」とある。名神を走るトラックやバスが見える。防音壁などはなく、おそらく名神開通後、初期の段階のものであろう。 |
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