デジカメわいわい村
とれとれ作品集 NO.137
2013年10月・後半

 
 

BEST

S.T HN SS SKI マミー


SSSKIHNm.mJIJITKSS.TマミーMRTMO

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■SS

着信:2013.10.14
■撮影場所:希望ヶ丘

 

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■1.樹下
 休日は家族連れで賑わいをみせる。木陰で憩うご家族に許可を頂いて撮りました。
◆木下に憩う家族づれ。1と2は対象は同じ。対象物までの距離の違いで表現が変わった。こちらは木の上半分と右のわずかをカットすることで、家族が主役のイメージを表現した。カメラを下げたことで、家族連れが白雲と同じ高さにみえる。いかにも仕合わせそうな家族のイメージにうまくマッチした。

 

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■2.秋の休日
 憩う人々、散歩の人々。暑いと言っても、秋の気配が感じられるようになってきました。
◆こちらは秋になったとはいえ、まだ木影の方が過ごしやすい。回りを見渡しても木と名のつくものは見当たらない。そんな芝生の広場で、仕合わせな家族がむつまじく・・・。そんな感じが手にとるように読みとれる。実際の影は、木の下だから丸いはず。でもここから見る木の影は狭い。そんな小さな影の中に家族が集まっている風景。いじらしさが感じられる。

 

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■3.秋の色
 木陰のススキが風でそよぐ度に光が当たって光っていました。
◆ススキ自体はきっちり捉えられている。ピントもしっかり来ているし、左端の穂など気持ちよく光っている。バックのぼけもうまくいった。画面全体の色彩統一もうまくいっている。と、こうして一つ一つカウントすると全部クリアーしている。
 しかし全体としてみると何となくしっくり来ない。結局バックの明るさの問題か。穂を基準として、明るくするか暗くするか。といって、そこですぐに明るさを調節できるわけでもない。結局はそういう条件の揃った別の場所を探すしか仕方がないわけだが、いま仮にの画面でバックの明暗を調節できるとしたらどちらをとるか。いまの場合なら暗い方だろう。理由は、明るくすると穂の左に見える木の幹が穂と並行になるのが、いまより気になりだすだろう。


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■SKI

着信:2013.10.16

 

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■1.引き立つ:(静岡県富士宮市)
 雪のない富士山、何か物足りない感じを受け、路傍に咲く向日葵を入れてみました。
◆爽やかな青空の下で、ヒマワリと富士山。季節のものだとはいえ、ちょっと珍しい組み合わせ。いままで余り見た記憶はない。どちらが引き立てられているのか分からないが、なるほどネーと意識をあたらにする思い。
 なのだが、画面全体が何となく鈍重な感じがする。ヒマワリが鈍重なはずはないわけで、結局原因は富士山にあるのだが、「これは鈍重じゃありません。重厚です」と反論されるかも知れない。・・・んだけれども、どうだろう。この際富士山を下げてみたら。カメラを低くする。富士山は下がる、と同時に左のヒマワリは見上げるようになる。青空にすっくと伸びたヒマワリ、画面下の方にはるかな富士山という構図。
 右の小さいヒマワリはどうします?・・・そうやな、結構邪魔になりそう。のいてもらうしかシャーナイな。


 

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■2.オアシス:(山梨県北杜市大泉町)
 雑木林に囲まれて建つ八ヶ岳倶楽部。以前から、一度訪れてみたいと思っていました。店主の柳生 博氏が一から手作りされた庭園は手入れが行き届いていて、気持ちがやすらぐ思いでした。
◆有名人の造作による云々ということで、SKIさんの思い入れもあるようだが、そういう先入観を抜きにしてみると、この絵は手前に続いてくる木道と林の奥の建物との大小関係だと思う。いいかえたら建物への遠近感、奥行き感とでもいうのか。思い入れのあるものは、遠くから見る方が意識が強くなる。若いころありましたな・・・、話も出来ずに遠くからじーっと。「じっと」ではありません、「じーっと」ですぞ。ということで、ぼくならばもっと離れて木道を主役に撮る。もちろんそういう場所があっての話だけど。


 

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■3.秋の音:(長野県佐久郡佐久穂町)
 八千穂高原の飛竜の滝です。紅葉の最盛期は過ぎていましたが、落ち葉を踏みしめての散策は、感動の連続でした。癒しの清流を楽しみました。
◆そう、ビーナスラインから麦草峠を越えて、小海線側へ下る途中、白樺林がすごいな。でもちょっと寄るだけで飛竜の滝というのは知らなかった。
 渓流というのか滝というのか、それをどーんと真正面から撮って、まあいわば普通の写真。旅先の撮影に、技術的なことをとやかくいう必要はないだろうが、水も適当に流れている。ある程度のスローシャッターを切っているらしい。でも画面の中では滝が大きすぎたかな。
 余談だけれども、いま述べた麦草峠は日本列島の分水嶺。太平洋と日本海を分けている峠である。八ヶ岳連峰が分水嶺になっており、麦草峠はそこを越えている。東側の小海線側が日本海へ、西側の蓼科高原側が太平洋へという構図。と考えるとSKIさんが見たこの流れは、このあと千曲川へ流れ下り、小諸なる古城のほとりを流れて日本海へ注ぐことになる。
 タマケイ文庫「日本分水嶺」堀公俊著。山と渓谷社¥900。旅が面白くなること請け合い。絶対安い。


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■HN

着信:2013.10.17
撮影場所:日野川の下流あたり

 蝶も終わり、小鳥もまだ居ないこの頃です、サギが魚を撮る処をと思って野洲川や新家棟川、日野川を見て回りました。駐車場が見当たらないので困ります。どうしても何時も行く場所になります。今回は日野川の下流比留田から野村橋辺りで餌を捕っているところを発見、暫くこのあたりで撮って見ました。

 

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■1.サギの舞いA
◆サギの舞いとして、ほとんど同じ場所での撮影である。データの番号などを読むと連写した中での3枚かも知れない。
 飛来してきてブレーキをかけ始めたところらしい。足をさげ加減に両翼に力を入れて、空気の抵抗を翼いっぱいに受け止めている様子がよく分かる。翼の先端についている細い羽など何の役にも立ちそうにないのに、それまでしっかり力が入っているのがきっちり分かる。動いているものを止めて写す。写真の本領である。

 

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■2.サギの舞いB
◆減速も出来て一安心。あとは着地地点の微調整というところか。身体全体に力が抜けて空気に対する抵抗力よりは、重力への対応に移っているのがよく分かる。足はまだ宙に浮いているけれども、着地したときの準備体勢への動きが読みとれる。



 

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■3.サギの舞いC
◆細い首をぐっと起こして着地成功。さあ餌探しというところ。こうしてみると写真として見所が多いのが、鳥としても命をかけた運動をしているときだということがよく分かる。
 撮る側としてもそこのところに力が入るわけで、このつぎの勝負は魚を捕らえる瞬間ということになる。これはまた力が入る。けどもこれはわれわれからすれば瞬間にやってくる。HNさんもその瞬間を何度か捉えているけれども、私なんかからすれば、気が遠くなるような根気の上での作品だろう。この後を期待しています。


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■m.m

着信:2013.10.18

 今年は雲が例年になく多いように思います。それとも、いままで気にならなかつたのかもしれませんが、目にする被写体が写真になると、まつたく違う風合いの描写に驚きの再発見でしょうか。このところ楽しんでおります。

 

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■1.陽光と雲A
光芒に映える雲海。
◆m.mさんは、雲間から漏れる光芒をメインにして絵を作った。雲海がそれに映えるというが、実際は厚い雲の向こうに薄い雲があって、それが照らされて雲海のように見えているのだろう。しっかり画面を眺めて考えればそういうことらしいが、単純に見ると雲海に見えているところが海面で、手前の暗い面(実際には山)が波頭に見えて、その手前に光っているところが砂浜にうち寄せた水が引いていくところに見える。
 何でそんな見え方をするのか。結局風景の中に大きさの尺度になるものが何もないということによるのだろう。実際の山が波に見える。建物なり船なり、何かスケールを表現すものがあるとそういう錯覚はなくなるのだが。


 

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■2.陽光と雲B
黄金色に。
◆太陽が雲の裏面を黄金色に染めている。その力の中心は太陽付近だ。それを右端へ持っていった。その理由が分からない。左端に三上山があるからかとも思うが、それが太陽を右へ押しやるほどの力があるとは思えない。太陽を中心に絵を作り直せばもっとバランスのいい構図が作れただろう。


 

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■3.陽光と雲C
低空飛行の雲。
◆暗雲たち込めるという感じ。今回の3点のうちでは、狙いと画面の結果とがいちばんうまくつながって、しっかりした写真になった。雲が手前にあって、山が奥にある。その山の小ささが結果的に雲の大きさにつながった。要するに遠近感である(1にはその遠近感がなかった)。その雲が何層にも重なることで、重厚感を増した。


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■JIJITKS

着信:2013.10.20

■北の大地にに遊びました。秋は遅れていました。空前の撮影枚数が上がりましたが、胸を張る程のものもなく、静かに提出させていただきます。

 

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■1.翠の水面
 オンネトーの秋です。上方のシロ抜けを嫌うと絵が小さくなりそうで・・・・・。
◆いいですなー。「山の淋しい湖に、一人来たのも悲しい心・・・」。湖畔の宿のイメージにピッタリ。JIJIさんは上の白抜けに未練があるらしいが、雌阿寒だったか、雄阿寒だったか、山はこの際切ってもよかったのではないか。
 結局写真の要素が多かったのか。山、対岸の林、湖面、左下の銀色の植物?で4つ。光るさざ波をカウントすると5つになる。これは多い。思い切って対岸の林から上はカットする。横長になるから右をカット。左を切ったらアカンのか。これは止めた方がよい。湖面の表情が右より左の方が優れている。
 そんなことより、オンネトーは懐かしい。数えてみれば50年近くも昔の話、音楽夜話「サビタの花」をどうぞ。




 

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■2.碧の水面
 絵葉書と評されるを恐れず、夕やみ迫る湖畔の様子が撮れたと思っています。<右下の白樺に撮影者がブロッケン現象的?に写っているのを見つけてはもらえないでしょう> 。
◆ここは余りにも有名すぎて・・・。ボクがいったときもいい天気だった。遠くに斜里岳が見えたときはうれしかった。それが写っている。いいなー、ややアンダー気味の露出が透明感のある青空につながった。
 右下に見えるというブロッケンはホンマに見えるのかな。JIJIさんに担がれているのと違うか。それより白樺をつなぐブルーの虹のような円弧は何かな。ブロッケンはこんなものではないし、何よりも撮影者がいないし。これが解決しないと、この写真についてはとやかく言えんぞ。


 

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■3.熱い水面
 温泉の吹き出し井の横を流れる小川です。
◆「熱い水面」、これはつらいなー。写真に熱は写らない。溶鉱炉だとか陶器を焼く窯だとか、直接火が見えるものは別だけど、水か湯かこの区別を写真に撮れといわれてもそう簡単にはいかない。湯気が立っているらしいが、吹き出し井からのものか水面からのものか、それももう一つはっきりしない。
 ということでこの写真の最大の問題点は、肝心の川面が下4分の1でしかないこと。早い話がこの場合は青空などは何の関係もないわけで、川面がもっと全面に出てこなければならない。水面から頭を出している石なども、何らかの変化が見えるだろうし、その川面から湯気でも立っておれば、それこそ、熱い水面ということになる。いおうとしていることと画面とが遠く離れてしまった感がある。

◆以上をUPしたあと、JIJITKSさんから次のようなリアクションがあった。
 提出前にそれなりに考えで選別したつもりが、UPされて、世に曝されると、いかにもその稚拙さが見えて肩を落とします。
@ 遠い昔の「湖畔の宿」から[サビタの花]まで動員して慰めていただき恐縮に存じます。年齢的には、前者は熟知、後者は初ものでした。
 未練がましく添付したものはその選択対象になったものです。
必見・翠の水面(未練版)
 陰の声・・・隠しといたなー、さっさと出せばエエのに。
◆八田追記
 1は、JIKIさん自身がいっているように左上の白抜けがしんどかった。JIJIさんは「シロ抜けを嫌うと絵が小さくなりそうで」といっている、が逆である。この白抜けが絵を小さくした。未練版にはそれがない。それどころか雌雄どっちか忘れたが、1に見えている左の山の裾を望遠でバックに捉えた。ヨロシイがなー。それが山深い神秘の湖につながった。絵を大きくした。
 と、ほめた上で1箇所だけ未練の涙を探すならば、水面の位置。高さといってもいいのだけれど、この場合は位置だと思う。垂れた白樺の枝先と水面との関係。あとほんのわずか水面を下げておけば文句なしだった。
  未練なのね オンネトーの面影 鮭よ(おかしいな酒と打ったはずだが) 酒よ 
      どうしてどうして オンネトーをあきらめたらいいの あきらめたら  いいの

A “ブロッケン的現象‥”と書き込んだところが思い込みの最たるところでした。「説明なしではわからんことを書くな」とお叱りを受けて当然です。アーチ状の影は展望台の柵、その前下方に白樺(雲・霧になぞらえ)に映り、そこに撮影者が・・・・。苦しいですね・・。
◆八田追記
 と、説明されてもやっぱりわからん。「アーチ状の影は展望台の柵」だとすると肝心の展望台の影はどうなってるのか。滋賀県のイナカにおっては分からないような仕掛けがあるのか。やっぱりわからん。どうしてあきらめたらいいの。


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■S.T

着信:2013.10.24

 月初めの新聞に駒ヶ岳千畳敷の秋色写真の掲載有り友に誘われ行きました写真です。駒ヶ根から定期バスにのりかへ約40分「しらひ平駅」到着(快晴)。辛抱強く待ち時間約2時間半のロープウエーで約10分(途中からガス)で「千畳敷駅」着(残念乍ら霧の中)即、帰路の予約も2時間待ちの大渋滞。2時間の間、晴れるのを待ちながら寒いので千畳敷ハイクコースを歩きながら霧晴れた時の写真です。

 

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■1.宝剣岳
 出現したり隠れたり、注目度抜群。
◆イヤー、これは懐かしい。JIJIさんのオンネトーといい、この木曽駒といい、今回は懐かしいところが続いて出てくる。とくに木曽駒は私にとって最後の山だった。1980年というからいまから33年前。中央道の恵那山トンネルがまだ1本で対面通行のころだった。私の山と写真「木曽駒ヶ岳」をどうぞ。その時はわたし自身ロープウエーが開通したことすら知らなかったが、いまでは有名になりすぎて・・・、新聞に写真が出てから行ったのでは遅いわな。
 さてこの写真、ナナカマドの実にうっすら太陽が当たって、その後の灌木(白樺かな)とともに、前景が効いた。千畳敷カールでいちばん目立つ宝剣岳をどんと真ん中に置いて、雪を待つ高山のイメージがうまく出た。いい写真だ。


 

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■2.千畳敷カール
 整備されたハイクコースですが結構厳しいUP・DW。
◆撮影場所に多少の差異はあるかも知れないが、カメラを右へ振って木曽駒側の斜面に太陽が当たるところを捉えた。画面に明暗の差が出て、カールの地形もうまく表現されている。しかしトータルで見ると、1に比べると絵は単調になった。なるほどハイキングコースが入ってはいるが、構図としての意味合いは弱い。人物がうんと手前におれば別だけど。


 

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■3.霧晴れる
 樹木見え始めた先には雲海でした。
◆ガスが晴れて尾根筋の木の姿がシルエットで現れた。これも山では印象的な情景だ。いままで目の前数メートルしか見えなかったのが、ぱっと眼前に稜線が現れるのだから。その雰囲気はうまく表現されている。できれば手前に山道とそこを行く人物が入ってくると絵の奥行きが出てくるのだが。



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■マミー

着信:2013.10.26
国民休暇村の前の琵琶湖の波です。

 

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■1.波のメロデイーA
◆見事な白波だ。台風のあとだったとか。国民休暇村は対岸に沖島があって、一種の防波堤の働きをしている。そこでこれだから、琵琶湖の幅が広い北の方は、もっときつい波だっただろう。
 白波と砂浜、波が寄せて、水が残って光っている部分とそうでない部分との対比の面白さ。誰かが波打ち際から逃げた足跡でも残っていると変化が出たか。


 

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■2.波のメロデイーB
◆ちょっと広い部分を撮って、遠いところで波が2重になっている。そこのところを狙ったらしいが、上の部分が窮屈に感じられる。
 以前、一連の写真を見せてもらったとき、上の部分が見えていたのもあった。確か黒い岬のような部分が伸びていた。そういう変化が見えた方が面白いと思う。

 

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■3.波のメロデイーC
◆結局この欄に同じ種類の写真を並べる意味の考え方かな。いまの形だと、よく似たものを並べて、どれがいちばんいいですかという形になる。それはそれでいいのだが、別の考え方も出来る。別の種類の写真、たとえば奥の岬が見えたもの、砂浜に打ち上げられた藻が散乱しているところなどを見せて、台風の翌日の浜はこんな状態でしたとレポートする。ボクは後者の方の考え方の方が、お互いに視野が広がっていいような気がする。いわゆる組み写真というのは、そういう考え方によるもので、1枚ではどうしても表現できないものを、2枚なり3枚なりで表現する。そういう意味で今回の3枚は1枚でよかった。


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■MRT

着信:2013.10.28
10月16日、台風の翌日、国民休暇村に行った時のです。

 

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■1.よせる波
◆対岸(〜沖島かな)を見せて、その間に寄せてくる波を正面から捉えた。(上のマミーちゃんの写真は、この波が砂浜に上がって来たところを斜めから狙ったものだろう)。波の激しさはよく分かる。だが、その波2つと、対岸の並びがいわゆる二の字で単調になってしまった。2つ目の向こうに岩も見えているようだ、そこらをうまく使って絵を作れなかったのだろうか。


 

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■2.打ちよせられた木
◆こんな木がうち寄せられたのか。先ず驚きが大きい。幹の太さ、長さから考えて、根っこの部分の貧弱さが不思議な感じがする。だから倒れてしまったのだということなのだろうが。何か事情があって根が弱かったのだろう。流れ着いてどれぐらい時間がたっているのか分からないが、幹が半分砂に埋まっている。砂の流れの激しさも考えさせられる。いろいろ考えて上で、もっと木に密着してもよかったかという思いに行き着く。


 

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■3.波遊び
◆これは難しいな。・・・何が難しいか。結局、上から見下ろしている形になっている。山の上から下を見下ろしているのと同じで、展望台などから「ワー、きれい」で撮る大風景と同じ。いまの場合でいえば、自分は別の立場で、荒れた湖面で、ある意味では命を懸けて遊んでいる若者を半分あきれた思いで見下ろしている。まあ一言でいえば第三者的ということになる。超望遠で人物の表情まで分かるようになれば別だけど。


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■MO

着信:2013.10.31

 金剛輪寺でのフォトです。紅葉は今始まったばかりで、これからが楽しみです。

 

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■1.小さな秋
◆小さなキノコが大小2つ、光の具合もよく透き通るように見える。しかし写真全体としてはいかにも小さいし、当のキノコが余りにも真ん中過ぎる。小さなキノコだから小さく撮った。ちょっと発想が単純すぎるかな。ある程度の大きさに撮ってそして小ささを感じさせる、それがワザ。
 真ん中にあることについては、どちらかをトリミングすれば解決はする。しかしそれはインターネットなどの場合であって、プリントする場合には、画素数の関係から好ましいことではない。やっぱり撮るときに処理しておきたい。


 

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■2.凛として
◆大きな木を対角線上に置いた。一応常識的な配置だと言える。曇り空の場合、白抜けで苦労することが多いが、いまの場合、枝の配置がよくてほとんど抜けがない。これはラッキーだった。
 左上に太陽からの光かと思われるところがあるが、はっきりしない。(日本列島のようにくにゃくにゃしたのではなくて、その上にある点状のもの)。天気の様子がはっきりしないが、点状の白抜けから、太陽の光芒がはっきりと見えたら、強い写真になっていただろう。トータルとしては、このままでは今一歩というところか。




 

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■3.秋を待つ
◆分かる分かる、これが黄葉したら見事だろう。しかし、この写真は「紅葉したら」という仮定の状態を撮ったわけではなしに、新緑を思わせるこのミドリのきれいさを撮ったはず。
 と、考えてみて、この葉っぱの面の広さについて、ここまでの広さが必要だったかどうか。と同時に、この幹の細さ、これがこの葉の面の広さを引き締めるのはちょっと無理だ。で、幹をメインとして絵を作り直せばどうだろう。





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