---昔語り『音楽夜話』・5---



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041.ヴァイオリン協奏曲ホ短調

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-----メンデルスゾーン・この世で一番美しいメロディ-------

 「お富さん」がはやり出すちょっと前、昭和29年に、勤めていた大谷高校が創立80周年を迎えていた。それとときを同じくして、全国だったか、近畿地区だったか忘れたが、教員研修会を受け入れることとなった。大勢のお客さんを迎えるのだから、何か目玉がいるだろうと、図書館活動をテーマにして学校紹介の16mm映画を作ろうということになった。

 まだ大学在学中であったが、元々好きなことでもあったので、制作メンバーに入れてもらって、照明のライト係りなどをやりながら、結構楽しんでいた。とはいうものの映画など作ったこともない素人集団だから、撮るにはとってもこと編集となると、作業は遅々として進まず、公開の2,3日前になって、やっと解説の録音にはいるという、考えるだけで冷汗が出そうな話だった。

 録音機といえば、東通工(ソニーの前身)のオープンリール式のものが一台あるだけ。大きさは今のエプソンやキャノンのプリンターとほぼ似たもの。持ち上げるのに、「よいしょ」と気合いをかけなくてはならないぐらいの重さがあった。録音すること自体が珍しい時代だから、テープの切り接ぎなど思いもよらず、とちっては最初からやり直し。これを繰り返して、とにもかくにも、録音し終えたときには、夜が白々と明け始めていた。

 最初のタイトルが終わり、映画のテーマの図書館の外観が現れるところで使われたのが、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲だった。オイストラッフだったか、フランチェスカッティだったか、今となっては確かめようもないし、そのときは演奏者など何の関心もなく、ただただ世の中にこんなに美しい曲があったのかと心を奪われながら、テスト、本番、の繰り返しの度に、おそるおそる針の上げ下ろしをやっていた。

 というのも、いわゆるLPレコードなるものを、見るのもさわるのもこのときが初めてだった。高校時代からLPなるものが存在することは知っていたし、ラジオで、「・・・・使いましたレコードは、RCAビクターの長時間盤でした」などと放送されるのは聞いてもいた。しかしそれは放送局での話、自分の目の前にその「長時間盤」が現れるなど、考えても見ないことだった。

 それまでは、78回転のくるくる回るSP盤、雑音の向こうから虎造の浪花節が聞こえてくるのが、私の知っているレコードだった。それに引き換え、このLP盤の音の美しさはどうだ。曲自体の美しさもさることながら、その音のつややかさ、なめらかさに圧倒されていた。これがその後半世紀にも及ぶ中毒の始まりだったとは、私自身夢にも思ってみないことだった。

 『太平の眠りを覚ますLP盤、たった二枚で夜も眠れず』。




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042.サビタの花

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Tou Tube 伊藤久男 サビタの花

-----からまつ林 遠い道-------

 上の「サビタの花」リンク先のmid ファイルは、私が急遽作りました。伴奏譜がなかったためメロディだけです。一応テストでは鳴っているのですが、皆さんのところでは鳴るのかどうかよく分かりません。もし鳴らなければお許しを。

 作詞:大倉芳郎  作曲:原 六郎  歌:伊藤久男   昭和30年

 からまつ林 遠い道
 雲の行くえを 見つめてる
  サビタの花よ 白い花
  誰を待つのか メノコの胸に
  ほのかに咲いた サビタの花よ

 昭和30年の歌である。といってもこの歌にふんふんとうなずいてくださる方が何人おられるか。そんな歌知らんよ、「錆びたナイフ」なら知ってるが、とおっしゃる方がほとんどだろう。作詞は「山のけむり」の大倉芳郎、作曲が、美空ひばりの「お祭りマンボ」でおなじみの原六郎。3拍子の叙情的な歌である。

 爆発的にヒットしたわけではない。しかし、私は好きだった。特に伊藤久男のバリトンがしみじみと心にしみた。昭和40年だったかの夏、北海道へ行った。ちょっとローカルなところへ足をのばしてみようと、オンネトーへいった。雨にけぶる原生林の中をバスは走った。未舗装だった。中村メイコの「田舎のバス」に出てくるような車掌さんが、切符を切ってくれた。××旅館へはどう行けばいいのとたずねたら、「そんな旅館知んねえよ」、腹の立てようもない暖かい答えだった。

 そうして行き着いた旅館はカラマツ林の中にあった。部屋へ入ってひとしきり、「オラ知んねえよ」はよかったなと大笑いした。外は雨が降り続いていた。「からまつ林 遠い道 雲の行くえを みつめてる」、この歌にぴったりの旅館だった。この歌を聞くと、いかにも中学を出てすぐだという感じの、あの車掌さんと、ストーブがほしかった旅館の部屋を思い出す。

 この曲のメロディーを埋め込んだサイとがないかと、先程から検索を繰り返したのだが、見つからなかった。そんなことで、歌はCDか何かで聞いていただくしか方法はないのだが、(2013年、世の中は進歩してます。You Tubeで聞けますぞ)。
 それとは別になんと恥ずかしいことよ、無知とはいかに怖いことよと、穴があれば入りたい思いでいる。というのは、私は今のいままで、このサビタの花は北海道独特の花だとばかり思いこんでいた。ところが、検索の途中で、「滋賀咲くブログ”春・夏・秋・冬"」に行き当たった。「ノリウツギの花、三上山山頂近くに咲いていました」とあって、「ノリウツギの花=別名サビタの花」♪サビタの花よ、白い花♪とある。

 なに?三上山?・・・・これ、アジサイと違うのか?・・・いやはや、お恥ずかしい。サビタ頭に電気ショック。これでまた2,3年持ちそうです。





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043.草山に

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Tou Tube 伊藤久男 草山に

-----山の小窓よ 雲流れ-------

 上の「草山に」リンク先の mid ファイルは、私が急遽作りました。伴奏譜がなかったためメロディだけです。一応テストでは鳴っているのですが、皆さんのところでは鳴るのかどうかよく分かりません。もし鳴らなければお許しを。

  作詞:高橋 実  作曲:八洲秀章

1,山の小窓よ 雲流れ
   思いははるか ただひとり
    草山に来て 白き花
    つみて占う つみて占う
    人知らぬ 恋の悲しさ

2,遠い木立よ 夢去りて
  若き日はるか すすりなく
    草山のかげ なみだとは
    うつくしきもの うつくしきもの
    おもいでの 愛の草山 

 この曲は、昭和27,8年頃ではなかったかと思う。私の好きな八洲秀章の作曲である。伊藤久男が歌っていて、タンゴ調(なんど入力しても「単語帳」と出るんだな、自慢じゃないが、単語帳なんてものは、半世紀も昔に三行半----ミクダリハンと読むんですぞ----を渡してある。いまさらでてこられても・・・)の佳曲である。

 発表されたときからいい曲だなと思っていた。特に、「つみて占う」、「うつくしきもの」の繰り返しのメロディーがいい。しかし、よほどのものずきでなければ知る人は少ないだろうし、Webサイとを探しても、この曲へのメッセージは見つからなかったこともあって、メロディも紹介できずに歌詞だけではとあきらめていた。ところが、昨日、「サビタの花」でメロディーを打ち込んでみたら、一本指奏法なら、何とかなるめどがついた。それならば恥のかきついでと、調子に乗って取り上げた次第。

 発表以来、50年経って未だに解けない疑問。「草山」てどんな山なのか。奈良に若草山というのがあるが、どうもイメージは合わない。ビーナスラインの霧ヶ峰。あれも草山なんだろうが、ちょっとね・・・。阿蘇の草千里。「・・・おもいでの 愛の草山」ではないわね。こぢんまりした小さな山がふさわしいのだが、想像するだけで、現実のイメージにつながらない。不思議な山である。




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044.夕月の歌

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-----ふるさとの 丘に来て-------

  作詞:寺尾智沙   作曲:田村しげる  

1,ふるさとの 丘に来て
   ひそかにも 君想う
    夕月の ほのかにかかる
       あの梢 あゝ あの梢 

 寺尾智沙・田村しげる、「白い花」の夫婦コンビの作品である。作品リスト等によると、昭和27年の作、「白い花」の2年あとということになる。リストには、伊藤久男の歌だとするのと、岡本敦郎だとするのと、2種類ある。私の淡い記憶では、伊藤久男だったような気がする。多分、最初は伊藤で、そのあと岡本がうけたということであろう。それはまあ、どちらでもよい。「白い花」に比べると歌われる率はものの数ではなかったが、これもいい曲だった。

  「夕月」とは、どのような月を指すのだろう。辞書によると、夕方に出ている月で、季語としては「秋」だという。もうちょっときっちりした定義があるのかと想ったが、これなら当たり前の話である。これでは面白くもおかしくもない。

 たとえば、「十六夜の月」、これは日没後やや間をおいて昇ってくるから夕月とはいわない。満月はどうだろう。日没とほぼ同じころになぼるから、夕方に見える。とすれば満月も夕月ということになる。しかし満月は夜中にも見えるし、朝方にも見える。だから、満月を見て、夕月という言葉は浮かんでこない。

 私は、夕月とは、「夕方にしか見えない月」だと考えている。

 「新月」。これは太陽と同じ方向にあるから、当然、太陽とほぼ一緒に西の空に沈んでしまう。

 「2日の月」、これは糸のような細い月である。太陽が沈んで1時間たらずは見えているが、すぐに沈んでしまう。よほど意識して探さなければまず見えない月である。

 「3日の月」、これは「三日月」と書かなければ雰囲気が出ない。太陽が沈んでから、1時間あまりは見えているから、その気になって探せば見つかる。

 「半月」、これは夕方南の空に見える。だいたい「6日か7日の月」である。

 だから、旧暦の3日から5日ぐらい、日没前後に西の空に見える月。これが私がイメージする「夕月」である。

 夕月と三上山、何度か挑戦したが、まだまともな写真が撮れていない。夕月は西の空だから、三上山の東側へ回らなければならない。なかなかいい場所がない。鈴鹿の麓まで行かなければならない。うまく撮れたらまた発表します。チャンスは一ヶ月に1回、年12回。いつのことやら。




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045.サロマ湖の歌

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-----サロマ湖の 水はからいよ-------

  作詞:中山正男  作曲:古関裕而

1,アー   サロマ湖の 水はからいよ
    青く澄むとも 君知るや君知るや
    思い焦がれて 泣く女の
    熱い涙が しみてるからよ 

 昭和29年の作だという。作曲は古関裕而、この「むかし語り」の一番最初に書いた「露営の歌」の作曲者である。いや、そんな持って回ったことを言わなくても、「鐘の鳴る丘」、「君の名は」、「長崎の鐘」など、ヒット作には枚挙がない。私の好きな作曲家である。そうそう、何をかくそうかの有名な「六甲おろし」。これ以上書くと長くなる、もうやめとこ。

 先日、「サビタの花」の項で、北海道オンネトーのことを書いたが、その続きである。あのあと、道を東へとってサロマ湖へ行った。歌と地図とから、漠然と"ホーツク海の近くにある山の湖"というイメージを持っていた。今思うと、そのイメージは摩周湖に近かったといえる。しかし、実際のサロマ湖はそれとはおよそかけ離れた水平的な湖だった。

 サロマ湖。琵琶湖・霞ヶ浦につぐ日本第3位の大湖である。遙か彼方に続く砂嘴さえ見えなければ、立派に海として通用する。かつては海流で運ばれる砂のためにオホーツク海と隔てられていた。そのため春の雪解け時には湖の水位がが上昇し、湖畔の集落が被害を受けた。昭和4年に砂丘のいちばん細い部分を人工的に切り開いて水路を造った。それ以外、洪水の被害は減ったが、海水の出入りが自由になり、「サロマ湖の水はからいよ」という状態になったという。

 そのころ(サロマ湖を訪れたとき)、私はまだ京都に住んでいた。琵琶湖すら瀬田川の鉄橋を通り過ぎるだけの存在だった。そんな状態で、このサロマ湖の岸にたった。とまどった。はるか彼方に横一線の砂嘴が1本横たわっているだけで、その上は茫と霞む空。風景が行ったまま返ってこないのである。

 そのあと、滋賀に住まいするようになって、琵琶湖とのつきあいが始まった。いま、琵琶湖の湖岸に立って湖を見るとき、やはり湖岸線は横一線になる。しかしその向こうには山が見える。それによって風景は返ってくる。対岸の山が私の視線を受け止めてくれる。

 この歌を聴くたびに、ただただ横に広がる湖を前にして、茫然為すすべがなかったあのときのことを思い出す。アー サロマ湖の 水はからいよ。




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046.立体音楽堂・1

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-----ラジオを2台準備し、向かって左を第1放送に------

 昭和30年前後、NHKで「立体音楽堂」という番組があった。ものの記録によると、放送開始が1954(昭和29)年11月13日だという。第1放送と第2放送、2つの電波を使って、立体放送をしようというのである。なんとたいそうな名前を付けたものだと思うが、当時はまだステレオという言葉はなかった。いや、あったのかも知れないが、一般には使われていなかった。当時の本に、立体とは、タテ、ヨコ、タカサのあるものだから、立体放送という言葉はおかしい。いわゆる片チャンネルがモノーラルだから、2チャンネルはバイノーラルというべきだ。などという論説があったのを憶えている。

 さてその「立体音楽堂」、確か、日曜日の午前11時開始だったと思う。「受信機を2つ準備し、向かって左側をNHK第1放送に、右側を第2放送に合わせた上、2つの受信機を結ぶ線分を底辺とする二等辺三角形の頂点でお聞きください。」という、幾何の授業のようなアナウンスがあって、その日のプログラムが始まるのだった。

 そのころ我が家のラジオは、私が自分で組み立てた5球スーパーで、真空管・シャーシー丸出しのものだった。「5球スーパー」て何?。5級の間違いと違うのかといわれそうだが、間違いではない。「5球」は使っている真空管の数、「スーパー」というのは、買い物かごをぶら下げて、買い物をするあのスーパーではない。

 スーパーとは、詳しくは「スーパーへテロダイン」。検波の仕方を示す用語で、ただ単に検波するだけでなしに、中間周波数に置き換えて検波する方式で、当時のラジオのスタンダードだった。と書いても私自身何のことかよく分かっていないのだから、これを読まれた方は分かるはずがない。とにかく京都なら寺町、大阪なら日本橋の電気屋へ行って、部品を買ってきて、配線図の通り半田付けしていけば、理屈は分からなくてもラジオは鳴った。当時の電気屋は、そういうラジオ少年で熱気にあふれていた。

 そのラジオと、戦争中「中部軍情報」でお世話になって、そのまま物置でほこりをかぶっていた3球だったか4球だったか、世間ではスーパーでないという意味で、並3・並4と呼ばれていた旧式ラジオを持ってきてセットした。「スーパー」と「並」だから、その性能には如何ともしがたい差がある。こんなアンバランスではどうしようもないだろう。半分あきらめながら2つのラジオをセットした。

 11時までは、当然のことながら別々の放送である。スーパーの方はきっちりと聞き取れるが、並のほうは、何か番組をやっていることは分かるが、内容までは聞き取れない。これはダメだろう、そう思いながら三角形の頂点で午前11時を待った。




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047.立体音楽堂・2

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------二等辺三角形の頂点で-----

 午前11時。今まで別々の音を出していたラジオが、一つに統合された。生まれて初めての何とも不思議な感覚だった。と同時に、それまで全くの劣勢で、およそものの役には立つまいと思われていた「並」が、「スーパー」に合わすように機能しだしたのである。これには驚いた。能力は違う。しかし、それが同じ目的に向かって作動しようとするとき、両者はその能力の和以上の働きをする。

 当然、両方「スーパー」なら、もっと効果的な音が聞けただろうことは想像に苦しくない。しかしそれと比較しても仕方がない。「スーパー」と「並」が、いま目の前で、別々に出す音以上の音を出しているのである。それは間違いのない事実だった。音の良し悪し、音楽の出来不出来以上に、まずそのことに感動した。そのときは別に何とも思わずに聞いていたが、いま思い返してみると、大きな人生の教訓を得た思いである。

 番組では、多分オーケストラ曲の何かが演奏されたはずである。しかし、その内容は何も覚えていない。いま記憶にあるのは、曲が終わったときの拍手の広がりである。左右のスピーカー間、番組のアナウンスにいう「二等辺三角形の底辺」全体からわき上がるように拍手が聞こえてきた。半世紀過ぎた今でもそのときの感動を思い出す。私のステレオ初体験は、幾何の授業と拍手の広がりだった。

■ステレオ放送というともう一つ忘れられない番組がある。この「立体音楽堂」であったのか、後の「FMステレオ」のデモ番組だったのか、記憶が混同してしまっているのだが、音の質・内容から考えると、後者であった確率が高い。

 番組で紹介されたのは、つぎの3つだった。

1.走行中の列車の窓から草原に鳴く虫の声を聞く。
2.どこかの庭園の飛び石伝いに歩く下駄の音と、枝折戸を開閉する音。
3.カーネギーホールでの箏曲の演奏。

 とくに1の走行中の列車から聞く秋の虫の音。これが秀逸だった。空調完備の今の列車では考えられないことだが、当時、夏の列車は窓開放、これが常識だった。その窓から聞こえてくる虫の声。それが近づき遠ざかる様子が見事にとらえたれていた。虫の声がスピーカーの間をゆっくりと動いていった。

 音の様子では、列車はゆっくり走っているようではあったが、それだとしても車中から虫の声がきこえるのか。驚きだった。踏切の警報音は耳にしたことがあるが、いくら当時でも虫の声を聞いたことはなかった。よほどいいマイクを使ったのだろうと感じ入っていた。

 この放送は反響が大きかったらしい。後日、制作過程が明らかになった。列車の音と、虫の音は別々に録音されたものを合成したものだったという。

 まず列車にマイクを持ち込んで走行音を録る。虫の声は八ヶ岳山麓、車その他の雑音が一切ない場所を選んで録音したという。そしてミキシング、片方のチャンネルから虫の音を徐々に大きくして近づいてくる様子を表し、中央へ来たところで、今度は虫の音を反対側のチャンネルへ移し、音を小さくしていく。うんなるほど・・・。

 ところがそれだけではダメだという。近づいて来て遠ざかって行く感じを表現するには音量の変化だけではなしに、ドップラー効果による音程の変化をつけなければならない。パトカーや救急車がサイレンを鳴らしながら目の前を通過するとき、音程が下がる、あの現象である。その制作談では、テープの回転数を落とした云々だったと記憶する。




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047.貧乏人協奏曲

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------レコードプレーヤー-----

 16mm映画の伴奏音楽に使われた、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聞いて、感銘を受けた話を過日書いた。それはSPレコードしか知らなかった私にとって、曲そのものよりもLPレコードという音楽媒体への関心を引いた。これが我が家で聴けたら・・・・、との思いである。

 SP時代、電気蓄音機、いわゆる「電蓄」と呼ばれていた機械があるにはあった。もちろん我が家にあるはずはないのだが、そんなものはなくて当然と思っていたから、ほしいとも何とも思わなかった。しかし、このLPは我が家で聞きたかった。

 ものの本によると、レコードプレーヤーも組み立てられるという。モーター、ターンテーブル、アーム、カートリッジ等を電気屋へ行って買って来ればいいのだという。作業そのものはラジオより簡単だ。アンプはどうするのかといえば、5球スーパーの増幅段に放り込めは音は出るという。何度も何度も寺町へ足を運んだ。耳学問である。他の客と店員の話を横で聞いて勉強するのである。雑誌で読むより生きた話が聞けた。

 鉄道少年だった私は、ターンテーブルというと、蒸気機関車を載せてぐるっと回転させるあの転車台のことを思い出したが、ここでの話は、レコードを載せる回転台のことである。それがモーターと一緒になっていて、しかるべきボードに固定すればいい。直径10インチ(25cm)と12インチ(30cm)とがある。LPは30cmだから12インチということになるが、25cmでものせられないことはない。ああそうかと安心していると、「しかし」と但し書きがあって、安物を使うとごろごろとLPの音以外の低音ノイズが出るという。ハイハイ。いつまでたっても貧乏人は苦労する。

 アーム・カートリッジ、普通は先端に針がついていてピックアップとして一体となっているが、マニアはそれを2つに区別している。カートリッジとは、針で拾った音声振動を電気振動に変換する部分である。これにも、クリスタルによる圧電方式(今をときめく京セラの前進の何とかいう会社が作っていた)や、コイルの中で磁石が動くムービングマグネットMM方式や、磁界の中でコイルが動くムービングコイルMC方式などがある。コイルの中で磁石が動いても、磁界の中でコイルが動いても理屈は一緒じゃないかと思うのだが、出てくるものは違うという。

 そんな禅問答につきあっておる暇はない。要するに、5球スーパーにつないで音を出すにはどれを使えばええのや。それはクリスタルでないとあかん。値段もそれが一番安いという。そんなけったいな理屈があるか。高級品で出ない音が、安物で何で出るのや。また禅問答か。いやそうじゃない。音質と出力は反比例するのだという。音質が悪い安物は出力が高い。放送局ではMCを使っている。・・・・貧乏人は音質に目をつぶれいうのやな。もうええ、わかったわかった。放送局の話はするな。胸くそが悪い。

 針はダイヤ針とサファイヤ針があって、当然のことながらダイヤは目が飛び出るほど高い。放送局では、・・・ダイヤやというのやろ。もうええ、放送局の話は。わかった、わかった。安月給にはサファイヤが身の丈に合っている。

 費用調達はどうしたか忘れたが、とにかくターンテーブルは25cm、サファイヤ針・クリスタルという貧乏人セットを組んだ。




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049.交響曲「新世界より」

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------たった1枚のLPを-----

 とにもかくにもプレーヤーはできた。しかい、いくらプレーヤーがあっても、レコードがなければ音は出ない。これが難物だった。1枚2,300円。給料が手取りで10,000円なかった時代である。誰が歌ったのか忘れたが、「13,800円」という歌があった。確か、大学出のサラリーマンの初任給を歌った歌だったが、それだけ貰えたらエエやんけと話し合った記憶がある。給料の5分の1,いや4分の1のレコードをどうして買えばいいのか。

 先輩のAさんが、ワシの行きつけの店なら、「金払わんでもレコードくれるから」と河原町のS屋へ連れて行ってくれた。金払わんでもといってもただけくれるわけではない。「あんたら月給取りには1枚2,300円は痛いやろ。というて買うてもらえなんだら、うちも商売にならん。あるとき払いでエエさかい持っていき」。これはうかうかしていたら、ナントカ地獄に陥ちこんでしまう。大変な"事業"に足をつっこんでしまったと後悔したが後の祭りだった。そのとき、いくら払ったか忘れたが、とにかくLPなるものを、後生大事に抱えるようにして持って帰った。ドボルザークの「新世界より」だった。

 これが我が家の家宝になった。なんせ、イザナギノミコトの神代以来、初めて我が家にレコードなるものが入ったんだから。もちろん、クーラーもなかったし、電話もなかった、テレビもなかった。洗濯機はあったかなかったか。そんな時代の1枚2,300円である。その家宝を毎夜恭しく押し頂いて、何回きいたことか。レコードの傷の場所まで憶えてしまったとよく言われるが、まさにその通り。その後時代が進んでCDになったとき、LPは場所をとって困る、もう聞くこともあるまいと、全部処分した。しかし、家宝を処分するわけには行かないと残しておいたのが上の写真である。

 交響曲「新世界より」、例の第2楽章の「家路」のメロディーで有名なヤツである。戦後、いつ頃までだったろう、夕方だったか夜だったか、この曲が京都の丸物百貨店(その後近鉄百貨店になり、それもなくなった)の屋上から流されていたことがある。ミュージック・サイレンと呼ばれていた。当時、伏見に住んでいたが、家の少ない郊外へ出れば、それが聞こえた。衣笠の大学でも聞こえた。ということは京都全体に聞こえたということになる。今より町全体が静かだったのだろうが、それにしても、近くできいていた人はどんな音がしていたのだろうか。

 ドボルザークはややこしい。名前にしても確か、2つか3つあった。”ゲヨエテといは俺のことかとゲーテいい”という川柳があるが、ドボルザークもそれに負けない。確か、ドボルジャックとか、ドボルザックなんてのもあったような気がする。名前はともかく、さらにややこしいのが作品の番号。ジャケットを見てもらうと分かるが、SYMPHONY NO.5とある。今は確か9番かな。つい最近、「きょうは一日第9ざんまい」というFM番組で、この曲が出てきて、「何でやね」と驚いた。

 番号の変更といえば、シューベルトもややこしい。「未完成」はいま何番?。もうエエで、そんなややこしい話。 




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050.永久針

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-----世の中は諸行無常です-----

 来る日も来る日も一枚看板の「新世界」を繰り返し、繰り返し聞いた。

 そうして、10日も経ったころだったろうか。・・・・?。どうもおかしい。・・・腹具合ではない。それなら正露丸を飲めばなおる。・・・音がおかしいのである。もちろん5球スーパーの増幅段へ放り込んだだけの音だから、そして、貧乏人のひがみではないがクリスタルだから、そんなりっぱな音でないことは初めから分かっている。そういう話ではない。明らかに音が変化したのである。

 少なくとも、その家宝を家へ持って帰って初めてかけた音に比べて、明らかに音が変化しているのである。その予兆は数日前から感じてはいた。なんとなく音がおかしいなと。しかし、それは慣れであろうと思っていた。聞き慣れたことによって、感動が薄らいだのだろうぐらいに思っていた。ところがそうではない。明らかに音が崩れてきているのである。

 ラジオがおかしくなったのではないか。例の5球スーパーを疑ってみた。しかし、放送に切り替えるとちゃんと普通の音で鳴る。となると、問題はラジオへ入るまでの話である。プレーヤー以外に考えられなかった。しかしプレーヤーなんてのは単純な構造で、いたむようなところはどこにもない。考えられるのは針だけである。

 当時、LPレコードで使う針は、「永久針」と呼ばれていた。レコードプレーヤーに、サファイア針とダイヤ針の2種類があったことは先日述べた。それらを総称しての「永久針」であった。指を折って数えてみた。何日使ったか。ものの10日そこそこである。10日が永久やったらワシはこれから永久の何倍生きんならんのや。

 ぼやいていても仕方がない。音は明らかにおかしい。針がおかしいとしか考えられない。寺町へ行って、こうこうしかじかで音がおかしいんやけど・・・。「針ですな」。・・・簡単にいうな。ワシは死ぬほど考えたんやぞ。・・・「ハイこれ」。・・・それならそうと初めからいえ、とはいわなかったが、これはエライことになった。死ぬ思いでプレーヤー代は捻出した。しかし、針代なんて国家予算に入っていない。どないしてくれるねん。1本いくらだったか記憶にないが、いずれにしてもこの調子で聞いとったら破産するな。帰りの電車の中は憂鬱だった。

 SP時代には鋼鉄針、戦時体制になってからは代用品の竹針が使われて、竹の方がレコードにはいいのだとやせ我慢をはった時代もあったらしいが、片面3分ほどで針を交換しなければならなかった。3分に比べりゃ10日は永久か。

 子どものころ鋼鉄針の先を見せてもらったことがある。使用前にはなめらかに丸みを持っていた先端が、使用後にはナイフの先のように鋭く削られていた。そのときのことが鮮明に思い出された。来る日も来る日もレコードこすっとりゃ、サファイヤも摩耗するわな。それにしても、メーカーの宣伝通り、永久を本当の永久だと信じた自分がばからしかった。

 そう、世の中は諸行無常です。すべては移り変わるのです。永久なんてものはありません。・・・さっすがお釈迦さん、あんたは2000何百年前に、このことをちゃんと見抜いとったんやね。


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