穂高から三上山まで

---昔語り・わたしの山と写真・16---
1966年10月 番外編・板谷峠・2

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その1へ・その2



6.板谷峠

  昭和41(1966)年10月2日(日)
 朝、床の中で水音をきく。部屋の横に泉水はあったが、よくきくと、ぽつり、ぽつりと雨だれの音も混じっている。

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 カーテンを開けてみると案の定雨。7時55分の天気予報では、本州南岸にある前線が、予想外に発達して、その上を九州にある低気圧が東進する。一方、日本海にも気圧の谷があるという。

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 8時10分のバスで赤湯駅へ出る。





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 赤湯市街。古い町並みが残り、落ち着いたたたずまいが続いていた。







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 福島行き、普通列車。蒸気機関車かと思っていたが、ディーゼル機関車がひいていた。上の写真・蒸機C57は、対行の青森行き。入線してくるのが福島行き。何とも芸のないディーゼル機関車。赤湯駅ホームにて。写真左、蒸気機関車は青森行き。

 8時27分、赤湯発。日曜日の普通列車はすいていた。雨で視界がきかず、近くの松林などが後ろへ去れば、茫漠たる荒野を行くがごとし。




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 米沢で10分停車。ホームへ降りてみると、前4両が切り離されているところ。うっかりしていたが、後ろ4両だけが福島行きであったわけ。  ここで、ディーゼル機関車が切り離され、EF64がやってくる。さあ、いよいよ板谷峠。 



写真拡大  板谷峠、33/1000(水平に1Km走って33m上る)勾配を持つ難所である。碓氷峠(66.7/1000)がアプト式運転であったころは、この板谷峠が粘着運転の最急勾配区間であったという。そのため、古くはテンホイラー4110(5軸の動輪をもつタンク型蒸気機関車)。昭和23年からは、「後ろ向きタンク」の異名を持つE10(普通の蒸気機関車は煙突がある方が前である。それがこの機関車は逆になり、リンクした写真でいえば右向きに走るのが前進というけったいな機関車だった)が配置されていた。
 タンク機関車とは→普通、蒸気機関車は、機関車そのものの後ろに、石炭と水とを積む炭水車を牽いているのだが、この板谷峠など、短距離用の機関車にとっては、むしろそれが邪魔になる。ということで炭水車をつけずに、機関車本体に石炭・水を積むスペースをもうけていた。これがタンク機関車である。
 後日談。図体がでかすぎて小回りが利かないと、板谷峠から戦力外通告をうけたE10は、北陸線の倶利伽羅峠へ落ち延びる。しかし、そこでもぱっとした働きができずに、北陸線、米原・田村間で交直切替区間で最後の代打専門として使われていた。こんなに役に立たない機関車を作ったのは、どこの誰や。
  その板谷峠、昭和24年4月に直流電化され、いまはEF64が、モーターの音をうならせながら急勾配に挑む。  
 関根を超えるあたりから、列車はいよいよ山間部にはいる。碓氷峠までとは行かなくても、さすがに名にしおう急勾配区間である。雨はいよいよ激しく、屋根にしぶきを上げる。

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 登り初めて最初の駅が大沢。列車は上り勾配から左へそれて、水平な側線に入る。その後、バック運転で、本線を横切って反対側のホームへはいる。



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 ポイントのところは、屋根がついていて、さすがに豪雪地帯を思わせる。
 写真左は、上の図の右下から勾配区間を登ってきて、水平な側線へ入りつつあるところ。ポイント区間の覆屋の出口である。左の線が、さらに勾配区間につながる本線である。(列車の後方を見ている)。

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 大沢駅ホーム。

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 山はいよいよ深くなって次は「峠」。まさにそのものズバリ、たった一文字の駅名に詩情を感じる。ホームの標識に海抜624mとある。

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 駅の構造は先程の大沢駅と略同一。最後尾の4等展望車から撮影する。

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 「峠」駅構内だとは思うが、どのあたりなのかは不明。外は一見雪景色に見えるが、露出オーバーによる白飛びである。

 「峠」を出ると、トンネルを抜けて、次が「板谷」。「とうげ」が「」付になったから、「いたや」も「」付でないとカッコがつかなくなった。さてここでクイズ。カッコはいくつついたでしょう。

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 ここで勾配は逆になり、駅の構造もいままでの2つとは逆になる。つまり、勾配を下っていく列車は、どちらから来ても逆行せずにホームへはいることができるわけ。






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 板谷で25分ほど停車。まず貨物列車が上ってきてホームへ入る。その後を、EF64に牽かれたディーゼル特急”やまばと”がノンストップで、勾配を下っていく。下の写真は、左の写真の覆屋の部分だけをアップしたもの。電機に牽かれたディーゼル特急が本線を下っていくのが見える。

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 一般乗客は、「こんな山の中で、なんで25分も止まるの?」。ところが私には、この25分が楽しくてしかたがない。自分でも難儀な人種やな、と思う。
 上の左の写真。左側の線路が、私が乗っている列車が止まっているところ。右は貨物列車を牽いてきた電機。本線を上ってきて、いったん側線へ入り、本線をクロスしてバック運転で入線した。その後、本線を下ってきた特急がノンストップで通過。いまならズームでアップというところだが、当時はそんな器用なものはなかった。標準レンズ、一本槍。左の写真をトリミングしてみたがこれ以上のアップは無理だった。

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 25分の停車の後、乗っている列車がバック運転で、いったん本線を横切って側線へ出る。そこでいったん止まったあと、前進運転で本線へ出ていくところ。上の写真は、ここを通過している特急列車を、覆屋の向こうから撮ったことになる。
 板谷を出ると、すぐに福島県に入り赤岩、ここで最後のスイッチバック。

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 11時04分、福島着。リュックを担いだ女性が3人、その前を行く同じくリュックの男性。多分大学生だと思うが、まだいたんだなー、このころは・・・、こんなシャッキッとした大学生が。いまの大学生に見せたら、大笑いだろうが。



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7.磐梯吾妻スカイライン

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 さあ、次は磐梯吾妻スカイライン。雨でウンザリだけれども、吾妻小富士の噴火口だけは何としても見たい。ダメならダメの時、とにかく行くことにする。乗車整理券をもらって腹ごしらえ。


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 駅前にいた市街電車。いまはどうなっているのかと地図を調べてみた。東北新幹線ができたりして様変わりしている。市街電車らしい路線は見つからなかった。多分廃止されたのだろう。






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 磐梯吾妻スカイライン、12時ジャスト発。アプローチは20分ほど。すぐに上りにかかる。高湯から有料道路にはいる。ウルシの木などが色づいている。白樺も散見できる。




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 ヘアピンカーブを上って浄土平へ。明るい感じのするところ。一切経谷の噴煙が印象的。(写真右)










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 雨の中を、10分ほどの時間を使って、少し山手へ上ってみる。吾妻小富士の火口の周りがかろうじて見える(写真右)。
 もっと高く、もっと遠いところから見れば、ほっかりと口のあいた噴火口に見えるのだろう。時間をかけてみたいところ。それにしても傘をさして山を走って登るなど、なんとまあ忙しい旅だと思う。

 浄土平、13時50分発。会津側へ下る。途中ガスのため何も見えず。ガイドさんは見えない風景を一生懸命しゃべる。雨もまたよし。雨の中を歩くことに比べれば、バスは天国、ガイドさんさえ黙っていてくれたら。しかし、彼女はしゃべっていくら。黙っておれというのが無理なのだろう。
 15時20分、磐梯高原・檜原湖畔着。雨の中を水宝館へ入る。


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 部屋の窓から木立の向こうに湖面が見える。雨の音が屋根を打ち、部屋は薄ら寒い。何とわびしいところか。

 4時ごろ、風呂へ行こうと廊下を歩いていると、窓から木の間越に赤茶けた山肌が見えた。「・・・?」。磐梯山だった。思っても見ない近さだった。写真を見て想像していたのとは、全くかけ離れた迫力だった。
 夕方、いったん止んだ雨が、夜になってまた降り出した。明日は晴れてくれればいいが。


8.檜原湖畔から東京へ

 昭和41(1966)年10月03日(月)
 3時半に目が覚めたとき、まだ雨の音が続いていた。昨日の天気図から見ると急に晴れるとも思えず、あきらめて眠る。6時に起きたときには、雨は止んでいたが、雲が低くたれ込めて、山を見ることは無理だった。
 8時少し前に旅館を出て、バスプールまで歩く。バスの時刻は9時である。それまで少し湖畔を歩く。

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 誰もいない湖畔の道を行くと、リスが木の枝から枝へ、渡っていくのが見えた。
 人間の記憶というものは不思議なものだと思う。実はこの旅、板谷峠のスイッチバックはきっちり記憶が残っている。赤湯で泊まったことも記憶にある。しかし、檜原湖畔での宿泊は何の記憶もない。アルバムに残っているから、間違いなく行ったのだろうが、本当だろうかと思うぐらいである。ところがどこかで、リスが木から木へ渡っていった記憶はある。しかしそれがどこでのことだったのかは、全く思い出せなかった。どこかの山の帰りだったような気もするが、それがどこだったのか。今回、アルバムをひっくり返して、ああ、あのリスは檜原湖だったのだと、記憶を新たにした次第。しかし文章に残っていただけで、写真はなし。そう簡単に撮れるものではない。

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 9時35分、猪苗代湖駅着。
 10時23分発、会津若松からやってきた特急”やまばと”に乗る。郡山で山形からやってきた”やまばと”と合流する。そうか、きのう雨の中で板谷の駅を通過していったヤツは、一日前のこいつたったんや。
 右の写真は、一見事故現場に見えるが、郡山での”やまばと”と”やまばと”とのドッキング。たかがドッキングにこんなにたくさんの人間がいるのかな。それはそうと、「自分が乗っている列車をどうして撮ったの?」。・・・停車時間が10分。その間に隣のホームへ回って・・・。「30過ぎたオッサンが、跨線橋を行ったり来たり、要するにアホやね」。・・・・あれから、50年近く、こんなしょうもないブログ書いてんのやから、人間大して変わらんもんやね。

  

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