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御代参街道を歩く・J

10.本町商店街入口から建部下野町まで

取 材 日:2016.05.04
初稿UP:2016.07.18

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地図700.本町商店街入口から建部下野町まで
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 旧八風街道「本町商店街(アーケード街)入口からさらに北上する。商店街を抜けると近江鉄道八日市駅駅前通交差点。右奥が平和堂アルプラザである。さらに北上、建部日吉町交差点の少し手前で県道13号へ出る。13号はすぐ建部日吉町交差点で右へ分かれていくが、新たに52号が替わって直進する。そのあとそのまま県道を歩き、日吉神社(建部幼稚園前交差点)を過ぎて少し進んだところで県道が大きく右にカーブする。その左コーナーに大塚古墳がある。「河辺の森駅」取付け点で建部下野町に入る。一部集落の中を経由しながら建部下野町のはずれで一区切りとする。









54. 八日市駅前通りまで

地図701.ルート要所図
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 旧八風街道本町商店街入口からアーケード街へ入る。200m余でそこを通り抜け、すにぐ近江鉄道八日市駅前通り交差点へ出る。カメラのプロパティ―から見た所要時間、写真を撮りながらながらゆっくり歩いて12分。









写真1161.本町商店街入口
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 本町商店街、いわゆるアーケード街の入口である。人がいない。このときはたまたま1人歩いていたけれど、およそ商店街らしくない。入口の左隅に「八日市町道路原標」なる石標が立っている。その向こうに車両通行止めの看板が空しい。




写真1162.御代参街道
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 入口ゲートの柱にある「御代参街道」の文字。見る限り人影なし。もう一枚。ほんまち商店街。御代参街道の垂れ幕、誰が見るのか。






写真1163.孤軍奮闘
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 うどん屋さん孤軍奮闘。プロパティを見ると11時33分。昼時には若干早いがそれでも客足が見えだすころである。だけれどもとにかく人がいないのだから客が来るはずがない。もう1枚。こちらは居酒屋。夕方にでもなれば来るのだろうか。




写真1164.通行人
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 小学生か中学生か。とにかく通行人を見たのはこの2人だけ。


 写真1165.祠と常夜灯
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 それでも祠だけはさすが御代参街道、ちゃんと常夜灯もあります







写真1166.どこから来たの
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 出口が見えて来た。と、後ろでクルマの音がして、ブーンと追い越していった。入口は通行止めのはず。どこから入ってきたのか。この間200mほど。結局、通行人は自転車に乗った2人とクルマ1台。





写真1167.駅前通り近く
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 駅前通りの近くだけど相変わらず人は少ない。人がいないならいないで、まだ青天井のほうがいい。人がいないアーケード街は侘しい。  







写真1168.
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 交差点に近づいてカメラを構えていたら、その横をすーと音もなく小学生の自転車が通り抜けた。学校はどうしたのかと思ったが、今日は5月4日。GW真っ最中、それでいてこれである。何とかせんとアキマヘンで。  






写真1169.アルプラザ前広場
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 上の写真にも写っているアルプラザ前広場である。少なくとも写っている自転車の数だけは客は来ていいるということだけれども。もちろん車で来る人の方が多いだろうとは思う。しかし、そこの交差点の真ん中に立ち止まってこんなあほな写真が撮れるぐらい車も少ない。




写真1170.八日市駅前
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 御代参街道とは直接関係はないが近江鉄道八日市駅前へ寄ってみた。見事に無人である。  







55. 県道13号出会まで

地図702.ルート要所図
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 駅前通り交差点から県道13号出会まで、距離にして600m余り。プロパティから見た所用時間20分ほど。












写真1171.さらに北へ
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 さて改めて北へ。平和堂アルプラザ西側の道路(画面右側が平和堂)である。歩道に乗り上げた人の流れを塞ぐように並んでいるクルマ(といっても人はいないのだが)。仕方なしにおばちゃん2人が車道をのんびりと話ながら歩いていく。よく考えたら、僕自身も車道上から撮っていることになる。無意識だったからのんびりしたところである。



写真1172.松尾神社
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 上のおばちゃんの写真の一旦停止の角で、左を向くと松尾神社の鳥居が見える。ところで当の神社はどこにあるのか。念のためとその付近を地図で調べてみた。ところがみつからない。写真に見るような立派な鳥居を持つ神社である。そんなはずはないとさらに探して驚いた。近江鉄道を越えた西側、延命公園の麓(マピオン地図に加筆)に見つかった。近江鉄道も結構古いし、どっちがどうなのかよくわからないが、少なくともここに鳥居があるということは御代参街道を意識してのものだったのだろう。そういえば現場でもそうだったし、いま見ている写真もそうだ。鳥居はあるが周囲に神社の雰囲気を感じない。
 ところで上の写真1172は中途半端な写真だと思われるかもしれないが、これは鳥居よりも右にある祠と常夜灯が気になったためである。とここまで書いて来て、鳥居のすぐ右、赤い大屋根との間に太郎坊山が見えているのに気がついた。栄町交差点あたりまではところどころでこの山が見えたもう1枚。ところでこの後近江鉄道の電車を撮るために畑地に出てみたが、ものの見事に見えなくなっていた。手品を見た思いだったが、その種明かしがここにあるような気がする。



写真1173.緩いカーブ
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 さて、鳥居の十字路を越えてさらに北上。例によって緩いカーブが続く。「御代参街道」照明灯はない。  







写真1174.先ほどのおばちゃん
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 先ほどのおばちゃんに追いついた。松尾神社の鳥居を撮っていた間に先に行っていたらしい。オバちゃんに気をとられて右のお寺の名称を確かめるのを失念した。地図によると西照寺とある。西方十万億土を照らす寺。いい名だ。  






写真1175.武治さんち
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 何でこんな写真を撮ったんかなー。道路の曲がりくねり、特に左側。考えてみればけったいな話だ。右側は2本目の電柱(下に飛び出し坊やがいる)まではほとんど直線。ところが左側はくねくねと・・・。右側を基準とすれば左側がゆがんでいるわけだし、左が基準とすれば・・・。いまこうして見ると明らかに左側がゆがんでいるわけだが、その昔はこんなのゆがみのうちに入らなかったのだろう。そうでなければ大工の武治さんの腕が疑われる。おそらく明治から、いやそれ以前から続いてきた腕のはずだ。



写真1176.祠と常夜灯
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 そして上の写真で電柱の下に見えていた飛び出し坊や。これは付け足しで常夜灯と祠。特に大小2つの祠が面白い。この祠どちらが先に目につくか。大きいほうは飛び出し坊やにまけるし、小さいほうは常夜灯にまける。






写真1177.村長の家
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 右の家、玄関の横にアフリカ系の彫像が置いてあるように見えた。近寄ってみると何というのかなー、基本的な知識がないので何とも言えないが僧の等身大の像だった。こういうのはどうも苦手。奥に石標があって「御代参街道/旧建部村村長の家」とある。なんとまあ大げさなと思ったが、「御代参街道」とあるからには無視するわけにもいかない。横に添えられた立札を読んでみると、「孝養の不動尊」として、母の五回忌を記念して不動明王を勧請した。御信心のある方はどうぞお参りくださいという。玄関横のは不動明王ではないと思うし、どこかに別に祀ってあるということだろうか、よくわからないかった。



写真1178.小さな祠
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 普通は常夜灯が組み合わされているのだが、ここはこれだけ。









写真1179.近江鉄道
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 何となく郊外の雰囲気が感じられる。その後、太郎坊山はどうなったかと気になる。細い道があったので、裏へ回ってみた。タイミングよく警報機が鳴りだして電車がやってきた。






写真1180.サイクリング2人組
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 街道へ戻る。サイクリング2人組がやってくる。








写真1181.日吉山王御旅所
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 普通の民家に「いっぷくてんまや」との看板がかかっている。どう見ても看板を掛けるような店には見えないが。それよりも少し向こうに見える大きな常夜灯が気になる。近寄ってみると「日吉山王御旅所」とある。






写真1182.御旅所広場
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 お旅所の前はちょっとした広場だった。子供たちが水の掛け合いをして遊んでいた。子供たちはこういう広場がよく似合う。きれいに整備された児童公園では遊ばない。と、子供たちにつられてアングルが左へ寄ってしまった。





写真1183.改めて御代参街道を
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 御旅所の常夜灯から直進コースを見たところ。交差点を示す標識が見える。


 写真1184.県道に合流
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 県道13号に合流する。上に電線が張られているところが県道である。







写真1185.合流点
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 建部日吉町交差点の手前数10mの地点で県道へ合流する。上には「分離」の標識がぶら下がっている。合流点の、それも合流が終わったところになぜ分離の標識なのか。実はこの交差点、県道13号が斜め右へ分かれていき、新たに52号が直進していく。実はこの分離の標識は県道の交差点用で、すぐ目の前の建部日吉町交差点で県道が分離することを示している。御代参街道はその分離の60mほど手前で13号に一旦停止で合流するのだから話がややこしい(下の地図756A参照)。ということで、左から入ってくるのが御代参街道。理屈の上ではここで左折して進むわけだが、もはや旧街道というイメージではない。  



56. 建部日吉町交差点

地図756A.建部日吉町交差点 
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 建部日吉町交差点、いわゆるY字路であって右へそれる県道13号から直進する52号が新たに分岐していく形である。この交差点はその昔、愛東町あたりからの日没を撮りによく通ったところ。当時信号の標識に日吉町の「日吉」の字がそれぞれ半角で「日」ヘンに「吉」という字になっていて、何と読むのかなと不思議だった。あれから20年前後が立つ。もちろん標識は正しく書き換えられている。
 交差点の左に「乳橋地蔵堂」と表記された祠があり、南西へ折り返したところに「乳橋地蔵尊」という一字違いの祠がある。地図を見たときは集落の中の祠を県道沿いの場所へ移設したのかと考えたが、どうもそうではないらしい。どちらも現役だった。



写真1186.乳橋地蔵堂
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 まず地蔵堂。交差点の左側のものである。祠を真横から見たところ。前の常夜灯を除いては古いものではない。常夜灯は彫りが浅く、「乳」の字がかろうじて読める程度。橋の字が読めるかどうか。はて「乳橋」とは?。どうも地名らしい。





写真1187.乳橋地蔵堂
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 道路を渡って地蔵堂を見たところ。何の変哲もない。祠が一棟、ぽつんと建っているだけである。もう一棟、交差点のグリーン帯に何とも妙な覆いをかけられた祠がある。これも街道でよく見る左右大小の対(つい)だと考えるとこの道が旧御代参街道かと考えても不思議はない。しかしこのあとこの姿は消える。道路の拡張で消えたのかとも思うが、初めからなかったのかもしれないし。



写真1188.乳橋地蔵尊
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 一字違いの「乳橋地蔵尊」。御代参街道から見ると少し位置がずれている。常夜灯と大小の祠。街道沿い(左奥が現在の県道)といえば言えないこともないが・・・、集落の鎮めと考えたほうがいいのか。





57. 大塚古墳まで

地図703.ルート要所図
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 御旅所から100mほどで県道13号へ出る。建部日吉町交差点から県道52号を歩く。次の信号、右からやってくる広い道路と交わるT字路(交差点名なし)まで350mの間、歩道なし。会社の敷地や駐車場などを頼りに歩く。両側が田んぼのところはつらい。歩道が復活して100mほどで建部幼稚園前交差点。所用時間約15分。













写真1189.山際の風景
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 日吉町交差点から300mほど歩道がない。いい風景が続くのだが、おちおち写真も撮っておられない。現場を歩いたときには風景を見る余裕がなく見逃していたが、右上の稜線の向こうに太郎坊山と箕作山とのコンビの頂上部が見える。





写真1190.忠霊碑
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 左側に「忠霊碑」なるものが建っている。子供のころは各小学校に「忠魂碑」なるもの建っており、登下校のときはそこで立ち止まり、最敬礼をしなければならなかった。学校以外の地域では「英霊碑」と呼ばれていたようだが、「忠霊碑」なる用語は初めてのような気がする。もちろん御代参街道とは何の関係もない。 




写真1191.T字路
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 上日吉というバス停があって、右側から新しい道路がやってきてT字路をなしている。ここから歩道復活。日吉町交差点からここまで約300m。「五個荘近江商人屋敷5Km」の標識が立っている。いよいよ終点が近づいてきたことを感ずる。





写真1192.建部幼稚園前
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 すぐ建部幼稚園前交差点。大きな常夜灯が見える。そこを左へ折れると右が建部幼稚園。正面奥が日吉神社。







写真1193.日吉神社
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 日吉神社。瓦屋寺の鎮守社として坂本の日吉社を勧請したものという。奥に見える社殿、なんとなく比叡山の延暦寺を思う。光る屋根のイメージによるのだろうか。スケールではその比ではないが。
 神社の説明板に混じって、伝説「嫁取り橋」、話の中に出てくる「日吉の石橋」がそこにあったかなかったか。取材から一月しか経たないのにもう記憶がない。



写真1194.カーブ
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 県道が大きく右に曲がっていく。その曲がりぎわに花で飾られた塚が見える。近寄ってみると大塚古墳という。







写真1195.大塚古墳
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 大塚古墳。説明板によると建部大塚から建部南町に点在する建部大塚古墳群の一つで、横穴式石室を持つ古墳(6〜7世紀)という。外観をもう1枚







写真1196.大塚古墳
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 裏へ回ると石室入り口が見え、小さな庭を挟んで大小2棟の祠と常夜灯、例のトリオが建っていた。







写真1197.振り返る
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 古墳の前から振り返ると、田んぼの中に森が見えた。今までの例から見るとこれも古墳だと思われるが。






58. 建部下野町まで

地図704.ルート要所図
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 日吉神社前。県道の交差点名は「建部幼稚園前」となっている。そこから北行して大きなカーブ左側に大塚古墳がある。その後「河辺の森駅」取付までは見るべきものなし。県道拡幅によるものか、別ルートであったものが圃場整備で消滅したものか。












写真1198.さらに北へ
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 県道52号をさらに北へ進む。  


 写真1199.天神社の森?
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 田んぼの中を行く。左右は単調な風景が続くだけ。写真の森は道路の右側(東側)、建部上中町・天神社の森らしい。






写真1200.中山道関係の標識が
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 道路標識にも中山道関係のものが見えだす。









写真1201.河辺の森駅へ
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 「河辺の森駅」への標識が立つ。この写真撮った場所で行く手を見ると、「建部下野町」の標識が立っていた。そのときは分からなかったが、後で地図を調べると建部下野町の集落を抜けると五個荘奥町だった。いつの間にか終わりに近づいていたことになる。




写真1202.地蔵堂が見える
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 建部下野町へ入ってすぐ、ふと左を見ると住宅地の突き当りに地蔵堂が見える。見慣れた風景である。懐かしさを感じてちょっと寄り道を。手前、白いクルマが走っているのが県道52号。  







写真1203.祠・常夜灯
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 名前はわからなかったが、例によって大小2棟の組み合わせ。これぐらいの大きさになると、扉が閉まっているのが当たり前だったが、ここは大きく開かれ、新しい花が添えられていた。近所の方の熱い思いが伝わってくる。







写真1204.通りを見る
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 小さい祠を横に見てその前の通りを見る。反対側を見る。住宅が新しくなり、普通の集落内の里道だったが、道幅とか曲がり具合とか、この通りがかつての御代参街道ではなかったかと思わせる。次の写真で見るように、この道はすぐに県道52号につながっていく。出口はいいのだけれど、どうひねくり回しても入り口がつながらない。圃場整備で以前の道が消えてしまったのか。



写真1205.県道へ
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 地蔵堂の前の道を少し行くとすぐに県道(黒いクルマが走る)に出る。一旦停止の標識もない。のんびりしたところだ。







写真1206.分岐まぢか
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 県道へ出てすぐ、道が右へ大きくカーブしていく。五個荘小畑町へ向かう道が県道から分岐するはずである。もう1枚








写真1207.分岐があるはず
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 おかしいな。右カーブが終わった。すぐ左カーブになる。ここだけは地図でしっかり覚えてきた。旧の御代参街道(五個荘小畑町へ向かう道)へ分岐するのである。ところがそれが見えない。地図の読み間違いか、現場の見間違いか。後で分かったことだが、右側の3枚の看板の向こうに右からやってくる道路が見える。それがそのまま道を渡って、左側に正方形のネット用のものが見える。そこが分岐の入り口だった。






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