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御代参街道を歩く・H

08.朝日大塚駅から見送り稲荷まで

取 材 日:2016.04.11
初稿UP:2016.07.18

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地図681.朝日大塚駅から見送り稲荷まで
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 近江鉄道朝日大塚駅から見送り稲荷まで、南北に長いコースである。朝日大塚駅横の踏切をまたぐ道は県道46号そのものだった。それが石原宿の方から梵釈寺前を通って近江鉄道沿いにやってくる道に合する。左折した道はそのあとひたすら北を目指す。佐久良川橋を渡った後、桜川東町の集落を抜けて元に戻る。工業団地の丘陵地へ上り名神の下をくぐる。
 そのあとはだらだら坂を下って蛇溝町の長谷寺地蔵堂経出会う。そのあと近江鉄道大学前駅から来る道とクロス。住宅団地を一声して見送り稲荷神社前へ出る。














39. 朝日大塚駅から桜川東まで

> 地図682.ルート要所図
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写真1001.朝日大塚駅
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 近江鉄道朝日大塚駅、米原・彦根方面行きの電車が発車するところである。


 写真1002.県道46号・朝日大塚踏切
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 朝日大塚駅のすぐ北(米原・彦根側)の踏切である。この道はただの道かと思っていたが県道46号ということだった。




写真1003.県道46号
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 踏切を渡った県道46号が池を右に見て交差点を左へ曲がっていく。交差点から左は県道46号、右も県道だと思っていたらそうではないらしい。御代参街道は県道46号沿い。写真でどうぞ。といっても街道らしさはこれっぽっちもないのだけれど。左から来て一旦停止して、左へ曲がるのが街道(黒い軽が走る)。




写真1004.三上山
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 このあたりは鏡山(右端の裾が広い山)から十二坊への吊橋のような稜線の向こうに三上山が見える。電車は森の手前を走っているが、こちらのよりは低い。田んぼは手前が高くなっていている。田んぼを撮るのは難しいが、遠くの山は撮りやすい。残念ながらこのとき電車は通り過ぎた後だった。
 三上山の少し右に見える淡い山が比叡山。この道を左へ、梵釈寺の近くへ行くと2つのピークが一致する



写真1005.T字路
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 市子松井から近江鉄道を越えてやって来た道(市道かな)とのT字路である。トラックは陸橋を下ってきて46号へ左折するところ。このあたりは歩道がなく歩くのに難儀する。






写真1006.佐久良川を渡る
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 道はわずかに右へ曲がって佐久良川を渡る。日野川は少し南を流れており、両者はここから3Kmほど下流、名神高速道路の近くで合流する。







写真1007.佐久良川橋
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 橋の名前は佐久良川橋。分かりやすくてあり難いが芸がない名前だ。橋から見た流れをどうぞ。


 写真1008.三上山
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 このあたり、理屈の上ではずっと三上山が見えているはずだが、前景の森や藪の関係で橋を渡って少し行くまでは見えない。





写真1009.小道へ入る
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 現在歩いている県道46号と遠方を横切る524号が交差する。そこが桜川東交差点。それを示す標識の手前で小道を左へ折れる。「一般車両の通行はご遠慮・・・」との表示が真新しい。こんな細い道を好き好んで通ろうとするやつがいるのだろうか。もう1枚。突き当りを左右に走るのが524号。




写真1010.上小房バス停
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 すぐに524号上小房バス停に出る。県道を渡ると桜川東町の集落へ入る。







40. 桜川東から工業団地まで

写真1011.桜川東集落を行く
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 集落内を行く。クルマ1台の細い道だが、大体これがスタンダードのようだ。歩くのには事欠かないが、いわゆる行列が通過するときにはどうだったのか。もう1枚






地図683.ルート要所図
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写真1012.右折
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 300m余りで集落を出る。農道にT字にぶつかる。街道は消えてしまったのだろう。元の道(桜東交差点から直進してくる道。県道46号だと思っていたが、それは桜川東で右へ曲がっていた)に出るため右折する。ほたるの住む川の標識が立っている。





写真1013.元の道に戻る
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 元の道(桜東交差点から直進してくる道)に戻る。上で書いたように、46号は石塔寺の方へ行ってしまい地図では無名になっていた(市道かな)。もう一度”ほたるのいる川”の標識がある。軽トラは無名道へ出るために一旦停止中。





写真1014.無名道のほうへ
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 無名の道にしてはしっかりしているし、交通量も多いなと思っていたら、ほとんどのクルマはここで右折して、石塔寺の方へ行ってしまう。なるほど世の中は厳しい。こちとらは無名道のほうへ。






写真1015.三上山
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 道が上りになる。その少し手前で左へ入るけもの道のような細い道がある。そこから三上山が見えた。電柱が少なく、ちょっとした森が見えて落ち着いたいい風景だった。この無名道自体、通るのは今回が初めて、当然ここからの三上山も初めてだった。




写真1016.池が近づく
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 道が上りになって左手に池が見えてくる。池を通して三上山が見えた。写真1015よりは見る位置が高い。理屈の上からはこちらの方がよく見えるはずだが、手前に雑物が多く絵としてはもう一つだった。






写真1017.2つ目の池
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 よく似た池がもう1つある、こちらの方が広い。








写真1018.三上山
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 1つ目の池と2つ目の池の間に道がある。道路からは見えなかったが、その道を進んで右へ回りかけたところで三上山が見えた。もっと進めば鏡山が見えたかもしれないが、いまの場合はこれで十分だった。
 あとで地図を見ると、この道をそのまま進むと近江鉄道の桜川駅へ続いているらしい。



写真1019.栩原神社
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 2つ目の池から無名道を挟んで栩原神社が建つ。ところでこの字、「木ヘンに羽の旧漢字」、見たような気はするが読み方が分からない。調べてみたら、”くぬぎ”だとか。「くぬぎはら神社」だろうか、それとももっと別の読み方があるのか。人に聞くにも周囲は一切無人。もう1枚おまけ。おせっかいだけど漢字のべんきょう




写真1020.丘陵地を行く
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 2つの池を越えて丘陵地の中へ入る。この丘陵は布引山地と呼ばれ、東の鈴鹿山地から西に張り出す丘陵である。国道307号の西に位置する布引山(260m)が主峰だが、西端の主峰ともいうべき布施山(240m)は、名神高速道路・近江鉄道の西に位置し、布引山から測っても5Km余、真東の鈴鹿山麓永源寺あたりから見ると直線距離で12Kmにも及ぶ。今歩いているのは名神の南側、無名道が蛇行してゆく。



写真1021.脇道
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 左へ折れる道があって、”テイワ精工”との標識が出ていた。あとでGoogle Mapで調べたら、三又に分かれるところだったが、現地では左折する道があるぐらいの感覚だった。見れば先は農地だった。ひょっとして・・・。三上山が見えるかもしれないと入ってみることにした。正面は写真で見るような森である。三上山はもっと右のはず。




写真1022.三上山
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 右側のヤブに沿って曲がっていくと、すぐ下の水路から突然シラサギが飛び立った。条件反射みたいなもので、とっさにカメラを構えた。レンズを伸ばすのももどかしく連写で追いかけた。その先、電柱が林立する中に三上山が見えた。昔ありましたな、神武天皇がヤタガラスに導かれたという話。いやいや、ワタシが神武天皇だというわけではありません。
 右端、手前の木の枝と重なっているのが鏡山。大きな家の向こう側に見える色の濃い山は、雪野山の南端らしい。いま、御代参街道を三上山に対して右へ右へと歩いている。これに隠れてしまうと一切見えなくなる。




写真1023.ちょっとした峠
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 ちょっとした峠を越える。先ほど追い抜いていった軽トラの足回りが見えなくなる。分水嶺を探すようになってからこのような小さな峠が気になりだした。実際には何の意味もない、ちょっとした尾根の張り出しの上を行くのだが、これだけでも面白く感じる。
 右側の仰ぐような斜面で工事が行われている




写真1024.最後の三上山
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 と、森の切れ目から三上山が見えた。真ん中に電柱が立ち、カメラを下に向けるにもそこは雑物。どうにもならん写真だけど、ここはどうしても必要。右端、森の上に鏡山の山頂が見えて、電柱の向こう三上山の手前には雪野山の左端が張り出してきている。このシリーズでの三上山はこれが最後だろう。
 三上山そのものが高く感じられる。カメラ位置が高いからだろう。地図の上で標高を測ったら138mと出た。先ほどの桜川東の集落あたりで130mほど。そんなものか、もっと高く感じたが。



写真1025.三叉路
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 三叉路へ出る。流れとしては自然に右へいくように作られている。こういうのにつられて行くと怖いのだが、いまはこれで正解らしい。


 写真1026.急登
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 急な上りになる。写真では表現できないのがつらいところ。もう1枚






写真1027.坂の上の信号
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 今しがたブイーンと追い抜いていったバイクのおばちゃんが坂の上に出る。信号が地面からでてきたところ。もう1枚。オバちゃんはとっくの昔にいなくなっていた。右折してくるトラックの上半分だけが見える。






41. 工業団地から地蔵堂まで

写真1028.登り着く
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 登りついた交差点。交差する道路は、京セラなどが入る工業団地のメイン道路である。ちなみにこの交差点の標高は160m余、この急登で20mほど登ったことになる。






写真1029.白線が消える
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 交差点を渡ったところで白線が消える。あとは知らんよ、自己責任で勝手に歩け。


 写真1030.左、造成工事中
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 名神高速道路に近い。左手で造成工事中


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写真1031.名神の下へ

 道幅が急に半分になる。名神の下をくぐる。現場ではわからないが、地図を見るとこの右が黒丸PAである。



地図684.ルート要所図
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写真1032.丘陵を下る
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 名神をくぐった後、だらだら下りで丘陵を下る。もう1枚


写真1033.住宅地へ入る
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 小さな川をまたいで住宅地へ入る。


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写真1034.上流側

 上流側に桜が植わっている。下流側を覗くと花いかだ



写真1035.太郎坊山
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 住宅地の先に太郎坊山が見える。ちょっとわかりにくいが、突き当りのしゃれた住宅の屋根の上。ついさきほどまでは三上山が見えていたのに、名神を越えたところですぐに太郎坊山が見える不思議。






写真1036.地蔵堂が見える
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 広場ではないのだが広場のような雰囲気の場所である。右の桜の下に地蔵堂が見える。写真を見れば状況が分かってもらえるが、もし住宅が建っていたら地蔵堂は見落とすところだった。





42. 地蔵堂

写真1037.地蔵堂
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 地蔵堂、正しくは「願王山長谷寺地蔵大菩薩」というのだそうだ。石標があって大きな字で「右いせ道」は読める。問題は小さな字の左側。これが読めない。右側が「ひの」だから左はその方面3文字の地名が考えられる。「鹿深」(いまの甲賀)が挙げられる、伊勢も日野もひらかなだから鹿深もひらがなだろう。「ふ」は無理に読めば読めるが、それ以外は何とも・・・・。
 もう一面は、「左 いしとうさくら谷みち」と読める。「石搭」は読めるが「さくら谷」が分からない。桜川、佐久良川の地名があるから「桜谷」もどこかにあるのだろうか。もう1枚



写真1038.地蔵堂
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 昔、この地に大蛇が住んでおり人びとを苦しめていた。白鳳時代、行基菩薩がこの大蛇を退治、地蔵菩薩を彫り安全を祈願されたのが、地蔵堂のはじめという。いまもこの町は蛇溝町と呼ばれていると。もう1枚。厨子というのかな、一般の家でいえば仏壇に当たるところが、でーんと収まっていてあまり見ない構造である。




地図675.地蔵堂周辺地図
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 四本柱の不思議な形をした地蔵堂、桜も満開だった。右いせみちなどの道しるべもよかった。大満足で写真を撮り終えた・・・のだが、このとき自分はどこにいるのかわからなかった。この辺に地蔵堂があることは予習した時点で確認はしていた。しかし、感覚的にまだずっと先だと思っていた。それが突然目の前に現れたからその受け入れ準備ができていなかった。いまワシはどこにいるのか。それが分からなければレポートが書けないのである。
 名神のトンネルをくぐってから道はほとんど真北へ向かっている。図の赤いルートがそれである。地蔵堂はルートからちょっと離れている。気になったのはお堂の前にあった「右いせみち」の石標である。地蔵堂が建設以来同じ場所にあり、石標もそこにあったとするならば、その前の道が御代参街道ということになる。とにかくこの現在位置を確かめる必要がある。名神からの途中、川を越えた(地図でいう”住宅地入口橋”)。そこの橋で桜の写真を撮った。そこまでははっきりしている。計画を立てたときには、その橋のところから右へ折れて、突き当りを左折すれば地蔵堂の前へ出るはずだとも考えていた。それが感覚的にあまりにも近かったがためにそのまま通り越し、急に右手に地蔵堂が現れて驚いた。もう一度あの橋まで戻ろう。大した距離ではない。
 で、戻りだしたのだが、すぐに見なれない風景を歩いていることに気がついた。どう見ても記憶がないのである。ときどきTVなどで話題になる記憶喪失とはこんな状態を言うのではないか。何とも不安なものである。とっくに橋についているはずなのに感覚的には離れていく。そして「大凧通り」なる標識まで現れた。道を間違えたことは決定的だった。
 後で考えるとそのとき歩いたのは、みどりのルートだった。赤ルートを北上してきて、突然右側に地蔵堂が見えた。空き地を横断した。そのときみどりの道路の存在に気がつかなかった。そして撮影後、空地を横断してみどりのルートに入ったというわけ。とんまな話だった。

 補足:私はこのとき赤いルートでもう一度入口の橋まで戻り、ルートを変えて住宅地の中を北東に歩き、突き当りを左折して地蔵堂へ戻ろうと考えていた。要するに同じルートを歩いたのでは間違いは発見できない。小学校のとき、算数の時間によく検算せよといわれた。2×3=6と答えを出したら、6÷3=2と確かめよという。そのときはなるほどと思って聞いていたが、ホンマはそれではアカン。掛け算で行って割り算で戻っても同じである。別の方法、すなわち2+2+2=6と確かめなければならないはず。要するに人間というものは一度同じ間違いをやるとそれを繰り返すのである。別のコースで戻ってこそ正しいルートが理解できる。



写真1039.振り返る
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 赤や緑やと大騒ぎをして、とにもかくにも現在位置は確定した。ちょっと進んだところから最終確認。黒い軽が止まっている道が地蔵堂のすぐ前の道。もし堂前の道しるべが昔から動いていなかったとしたら、この道が御代参街道だったことが十分考えられる。地蔵堂を越えてからどこかで赤ルートに戻っていたのだろう。
 それはいいとして緑のルートである。右に見えるのが赤ルート。途中、横断歩道が見える。そこのところで縁石が不連続になっていて左へ分かれていく道が見える。これが緑のルートである。しかし何故こんな面倒な道を作ったのだろう。



写真1040.交差点へ
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 話が前後するが、上の写真の撮影場所は、この写真でいうと駐車している黒い軽と、その向こうからやってくるスカイブルーのクルマとの間の横断歩道がある。そのあたりから撮ったものである。ちょっとわかりにくいが次の交差点ということになる。で、それはもう決着がついた話だからそれまでとして、交差点を渡ったところに石標がある。



43. 地蔵堂から見送り稲荷まで

写真1041.交差点
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 大凧通りの方からやってきて近江鉄道・大学前駅の方へ向かう道と交差する。交差点名の表示はなし。こちらから渡ったところに石標がある。







写真1042.右 たが社・八日市道
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 正面には「右たが社・八日市道」。その左面に「左 西京・八まん道」とある。素人にはこの「西京」が分からない。京都のことだろうか。


 写真1043.住宅地を行く
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 そのまま直進して住宅地を抜ける。バス停に「布引台」とある。







写真1044.右・布引台小学校
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 右へ行けば布引台小学校。なんとなく町はずれの雰囲気が感じられる。


 写真1045.神社の杜
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 右側に神社の森が近づいてくる。こうして方々に見える鎮守の森の風景、日本の文化遺産である。





44. 見送り稲荷神社

> 写真1046.見送り稲荷神社
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 新しい標識があって「見送り稲荷神社」とある。少し離れたところに由来の説明板がある。嬉しいね、こういう配慮は。つい先ほど地蔵堂のところで石標に説明板がくっついていて、難儀な思いをしてきただけに余計にそれがうれしい。・・・・なのだが、「見送り稲荷の由来」としながら、”・・・原野の白狐が「見送り稲荷」の神威であった”というだけで、なぜ”見送り”なのか、そこのところが説明されていない。われわれよそ者は、なぜ”見送りなのか”が知りたい。なぜ”空振ではいアカンのか”、そこのところが知りたい。あの名曲、「夜のプラットフォーム」は、一人の女性が最愛の夫を出征兵士として戦地へ”見送る”シーンであったという。世も不思議なこの神社の名前のそこが知りたい。



写真1047.社殿
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 10段余りの石段を上がると正面が社殿である。極めて単純。神社はこういうのがよろしい。どこを拝んでいいのかわからんようなでかい神社は性分にあわない。どうせ拝まないのだけれど。





写真1048.右 たが・八日市
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 見送り稲荷神社から道を挟んだ反対側にポケットパークがあり、石の道標が建つ。常夜灯を兼ねており火を入れるための石段がついている。元はこれより南西の十字路に立っていたものを、住宅地の開発より現在位置へ移されたとか。詳しい説明板が付されており、大切にされていることが分かる。もう1面には「蛇溝邑(村)安全」とある。



写真1049.太郎坊山
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 農地の向こうに見える太郎坊山。こうして見るとまた富士山の形に見える。後ろの稜線より高く見える。







写真1050.北へ向かう
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 見送り稲荷神社から北に広がる三日溜。大体この種の農業用水池は地図にも名前は載っていないし、現地に標識もない。いまはたまたまポケットパークの案内板にこの名前があった。
 御代参街道はそれに沿って北へ向かう。






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