05.伊勢道から石原宿まで
取 材 日:2016.02.11前 項 | 次 項 | 目 次 へ |
地図651.伊勢道から石原宿まで 日野中央道伊勢道バス停から石原宿までを歩く。 26. 伊勢道から出雲川橋まで地図652.ルート要所図写真881.伊勢道T字路 日野町中心部からやって来た中央道に御代参街道がぶつかるところ。正しくは十字路だけれども、イメージとしてはT字路い近い。日野町中心部を背後に、近江鉄道日野駅の方を見たところである。左に常夜灯が見える。その向こうの小路が御代参街道。 写真882.八幡神社の森 300mも進むと前方右手に八幡神社の森が見えてくる。町中に見える森としてはスケールが大きく感じられる。 写真883.八幡神社 八幡神社が近づく。鳥居の横の大木の根っこが浮き上がっている。 境内へ入ると樹木が高い。 写真884.内池郵便局 伊勢道から500mちょっと。左側に内池郵便局が建つ。まっすぐ行けば日野駅。御代参街道はここで右へ折れる。 写真885.”右たが”石標 郵便局の向かい、児童公園の角に「右 たが北国道」の石標が建つ。そばに飛び出し坊やが放置されていた。気になったが、まあエエかと、そのままにして撮ってしまった。横へよけておけばよかったと今になって後悔している。 写真886.細い道 さてここで右折。道は細くなる。鎌掛でよく見かけた、切り妻部の軒端に縦の木を等間隔に打ち付けた、独特の様式がここにも見える。 写真887.カーブ 街道独特の緩いカーブである。道幅は狭い。対向車が来たらお手上げだろう。町はずれまで来たらしい。なんとなく雰囲気が変わってきた。 写真888.煙突 河村医院仮駐車場という広場があって、奥に三角形の白壁を持った建物が二棟建っている。新しいものではないが印象は強い。その建物に赤煉瓦の煙突がついている。それがまたいい雰囲気である。暖炉だとも思えないし、そうかといって工場のあとだったとも考えられない。もう1枚。 写真889.綿向山 田んぼの中を行くようになる。右側に遠く綿向山が見える。田畑の中に民家が散在する。 写真890.出雲川を越える 出雲川、蔵王ダムを水源として、国道477号沿いに流れ下る川である。上流側の左岸には桜の木が続く。橋の名前が出雲川橋。単純な名前だ。田んぼの中の小さい橋だけど、川の名前がつく。それなりの存在価値がある橋だということだろうか。 27. 出雲川橋から徳本上人碑まで地図653.ルート要所図写真891.直進 橋を越えたところで、直進せよとの道しるべ。 写真892.477号近づく 上の写真890で左へ曲がったところから、477号沿いの家並みを見たところ。そしてもう一度右へ曲がりなおして477号が本当に目の前。(ライトブルーの車が通っているところ)。 写真893.小御門 国道477号とクロスする。クルマが走っているのが477号である。小御門(こみかど)、由緒ありげな地名だが、南北朝のころ、亀山天皇の第五皇子、五辻宮守良親王が隠れ住んだところとか。民家の腰板に張り付けられた標識は直進を指示。民家側に寄って国道を横断した先の御代参街道を見る。 写真894.左へカーブ 国道を渡り終わると同時に左へカーブ。道なりに行くと前方が開けて、近江鉄道の線路が見えてくる。 写真895.踏切 踏切の手前で道路が2本並行している。地図でこのように道路が並行するときは、たいがいヘアピンカーブが多い。要するに2本の道路に高低差がある場合である。ところがここはそれがない。もう少しバックして見ると、何でこんな無駄なことをともっと不思議な感を受ける。踏切のすぐそばでの2本の道路の交差を避けるためだろう。 写真896.珍客 スライドショー 「珍客」・・・といってはいかん。珍客はこちらで、相手は毎日走っている。ただたまにしか来ないだけ。昼間はだいたい1時間に1本のはずだから、上り下りを勘定に入れても1時間に2本ほど。私にはそれを待つ根気はない。生まれて初めてやって来た踏切で、その1本に出会うのだから、やっぱりこれは双方ともに珍客。 スライドショー 写真897.三叉路 踏切を越えて三叉路へ出る。手前の例の道しるべが直進を指示する。互いに120度づつの分かれ方だが、道の状態から見て右が正解だろう。左への道の状態は記憶が怪しいが、農道だったかな。 写真898.煙突 あれ、また煙突が見える。アップして見る。たしか同じようなやつが内池を出たところにもあった。周囲の状況から見て現役とは思えない。何に使われていたのだろう。道路に対して直角方向から見てみる。こうして見ると奥にももう1本見える。 写真899.あれ?また煙突 また、煙突が見える。こうなれば偶然ではない。何か意味がありそうだ。こちらは建物から見て何か工場のようだ。左の写真は丈が短いが、場所を変えて見ると、そこそこ同じような長さを持っている。 写真900.またまた煙突 たかだか200mほどの距離である。残ったデータを見ると、この間煙突ばかりに気をとられ他のものを撮っていない。それはいいとして、これは何に使われていたのか。これがはっきりしなければ写真の価値は半減する。日野町のHPを調べてみても取り上げているページはない。 写真901.左折 このあともまだ煙突が現れるのではないか。そんな予感を抱いていたが、集落はそこでいったん途切れる。距離にして200m余りの小さな集落だった。突き当りの民家の手前で、道は左へ折れて田んぼの中へ出ていく。途中から振り返ってみた煙突の集落である。いちばん右の家に写真900の煙突が見える tokuhonn 写真902.南無阿弥陀仏 例のエントツの集落が途切れ、1本琵琶湖側の道に乗り移った感じ。その三叉路に1基の石碑が立つ。一見して何が刻ってあるのかさっぱりわからない。何でこんな畑の真ん中に?。 写真903.南無阿弥陀仏 上の石碑をアップしたところである。正直言って拡大しても分からないものはわからない。いちばん上の字が「南」と読めないこともないが、カメの象形文字のようにも見える。カメを捨てて、あえて「南」と読むと「南無阿弥陀仏」である確率が高くなる。しかし文字は確率の問題ではなかろう。妙な字体である。 28. 徳本上人碑から石原宿まで地図654.ルート要所図写真904.直線道路 意味不明の石碑を後に直線道路を行く。これは現在の農道を利用したルートだろう。昔の道路でこれだけの直線はない。もう1枚。集落の入り口にお寺が見える。地図で見ると集落は「小谷」、お寺は宗福寺とある。 写真905.南無阿弥陀仏 お寺の前、田んぼの片隅に、自然石に「南無阿弥陀仏」と刻まれた碑がある。前のお寺と関係があるのかと思ったがそうではなさそう。道中安全に南無阿弥陀仏はおかしいし。 写真906.宗福寺 「南無阿弥陀仏」碑の前から見た宗福寺。囲いの生垣がちょっときついが、落ち着いたいい風景である。 写真907.小谷集落 小谷集落に入る。道は微妙にカーブする。農道の直線とは一味違う。もう1枚。この直線は手直しされたものじゃなかろうか。右の塀などはクラシックだが、左の柵、側溝など現在の風を感じる。 写真908.作業所 作業所というより、農家の片隅といったほうが近いか。道端が広くなり古い脱穀機などが見える。例によって人影はなし。 写真909.左カーブ 左へカーブしだして・・・その先に雪野山が見える。日野あたりから見て山頂の形が三上山に似ていてよく見間違う。正法寺の裏山から見たときには、全体の山の形がちょっと違うがなと思いつつも、一時は三上山だと信じた。それぐらいよく似ている。 写真910.県道に出会う 左カーブを曲がり切って県道(車が走っている道)と出会う。この道、以前は国道477号だったが、いまは新たに西側に国道が開かれ県道になっているはずだが、何号かということが読めない。まあ、そんな細かいことはどうでもいいことだけれども。 写真911.右を見る 県道との四つ角に立って右を見たところである。その目の前に例の道しるべが立っている。今まで歩いてきた流れから見ると、標識の裏から見ることになる。道を渡って見直すと意味が通じるのだけれど。見えている細い道を奥から手前へ向かって歩いてきたことになる。左の写真はこの写真に写っているツタをまいた電柱のすぐそばで撮ったものである。 写真912.県道を行く 県道を行く。歩道はない。側溝のフタが続く上を行く。左へカーブしだすところで左折する(影と影の間、陽が照っているところ)。すぐ後で分かることだが、このまま県道を道なりに進んでも同じことだった。 写真913.左折する 左折したところ。すぐに突き当りである。そこを右折すれば当然県道へ出るはず。曲がるほどのこともなかったな。その意識が強かった。L字型に進んでそのまま通過してしまった。 写真914.右折 曲がり角にあったちょっとクラシックな門構え。これに紛らわされてこの時点ではエントツを見過ごした。 写真915.エントツ補遺 エントツに気づいたのは帰り道である。今やっている遊びは、どこかへ車を置かなければならない。結果街道を歩いて車に戻るには、必ず同じ道を往復しなければならない。考えてみれば無駄な話であるが、今度のようなこともある。往路に見逃したものを復路で発見する、こういうことが時々ある。視点が変わるのである。このエントツがまさにそれだった。こうして見れば文句なしに見えるのである。 写真916.エントツ補遺 正直な光線で見たところである。このときは屋根の上の姿だけに意識があった。いましっかり見ると屋根を抜けて下までその姿が見える。今まで何本か見たけれど、ここまでしっかり見えたのはこのエントツだけである。 写真917.県道へ出る 右折後、県道へ戻る。軽トラが走っているのが県道。(手前のグレーの軽は駐車中、後ろの白い軽が走るのが県道) 写真918.石原宿 県道に戻ってすぐ石原バス停の着く。それの反対側に「石原宿」の標識が立つ。下半分が剥げてしまって読み取れない。今までの流れが分かっているから、ああ例の標識、ということになるが、知らない人には意味が分からないはず。町全体の雰囲気も今まで歩いてきた中ではいちばん宿場町らしくない普通の街並みであった。 |