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N06.大日川流域

N0603XXX. 分水嶺・笹尾峠を越えるXXX

取材:2016.01.
初稿UP:2016.07.20


前 項 次 項 中トビラへ


別項、”「御代参街道を歩く」” の中の”鎌掛まで”と同じ内容です。

御代参街道を歩くXXX
03.鎌掛まで


13. 今回のルート
地図631.前項のルート
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 緑ヶ丘5の笹尾峠出入り口から笹尾峠へ。赤線で示したルートでP点までが前回のルートである。笹尾峠からP点まではほとんどが緩い下りの尾根道伝いである。すぐ近くに294mの標高点がある。その点のすぐ西を走る県道41号、ダム沿いの道あたりで253mぐらいであるから、約40mの標高差がある。上から谷間を見たときはもっと高さがあるように感じたが、実際に上り下りしてみると大して時間もかからなかったから、そんなものであろう。




地図632.今回のルート
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 前項でも述べたが、今回の試みは、クルマを置いた位置から歩き出し、適当な距離を往復して車に戻るという方法をとっている。車を置く場所は、公衆の迷惑にならない場所でさえあれば、位置は問わない。どこにおこうと要するに予定した距離を往復すればいいだけだから。今回は県道182号と42号の十字路の近くに置いた。そこからとりあえずP点まで歩く。そこから再び県道へ下って、鎌掛宿のはずれまで歩いてクルマへ戻る。その間撮影は原則としてP点から鎌掛宿までの間に行う。暇な話だけど、トシを食ってくるとそれが苦にならなくなるから不思議である。ということでレポートはP点から。










14. P点
写真751.P点
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 P点、もちろん私が勝手につけた地名である。笹尾峠から下ってきた尾根道の終点である。前回来たときはあまり深入りもせずここから引き返した。今回改めて来てみると尾根の先が2,3本に分かれていて、歩いてみるとそこだけで結構楽しいところだった。尾根はもうちょっと続いていたらしいが、現在は砂採場になっていて、下にはパワーショベルなどが見える。下を走る県道41号まで結構標高差があるように感じたが、地図で調べてみると40mほどだった。今回は下のダムサイトから登ったわけだが、思ったよりは簡単だった。なるほどな、40mくらいなら大したことないはずだ。



写真752.雪野山
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 紅白の鉄塔の右に雪野山が見える。いつか正法寺山の裏山へ上ったときだまされた山だ。三上山と左右完全にひっくり返したように見える。おかしいなとは思いつつそれが三上山だと思い込んでしまった。別のところに本物の三上山が見えたからよかったものの、それが見えなかったら、間違えたことに気がつかないという醜態を演じるところだった。
 この日は決して天気は悪くなかったが、モヤがかかって見通しが利かなかった。撮影後コントラストを無理やり上げてこの程度



写真753.三上山
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 雪野山の左45度ぐらいのところに三上山が見える。手前の尾根が邪魔をして難しかった。山の右半分しか見えないのである。いまこの状態で三上山を見つけられるのは、私以外にはいないはずだ。自慢しても何の足しにもならない話だけど・・・・。これも撮影後コントラストを上げてやっとの映像。ここまでしても、オリジナル原版で探し出してもらえるかどうか。おしいかなこの日天気はいいのだけど見通しは悪かった。もうちょっと右へ寄ればよかったのに。行けるものなら行っていますがな。



15. 斜面を下る
写真754.下りにかかる
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 さてこうして一通り楽しんでから下りにかかる。ちょっと下って左への下りの指示のところ。昔(砂採場ができる前)のルートはそのまま直進だったと考えられる。直進する先に砂採場が見える。遠くに見えるのが鎌掛の集落。






写真755.下り
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 上の写真の標識のところに立って下を見たところである。この写真が下りに見えるだろうか。ひよどり越えとは言わないが、これでも結構きつい下りなのだ。ところがそれが写真に写らない。世の中に絶えて斜面のなかりせば・・・。






写真756.下り
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 これはまだちょっと下りに見えるだろうか。まっすぐ上を向いて立っている木があればまだましなのだが。カメラを道に向ければ駄目なことはわかっているのだが。







写真757.倒木
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 倒木が見える。つい1時間ほど前、下から登ってきてここを見上げたのだが、いやなところだった。そこをいま上から見ているわけ。ちょっと段差があって、結構面白そうなところに見えるから難儀なもの。下から見れば斜面の中でちょっとつき出た尾根筋的なコブへとりつくところだったらしい。





写真758.この木もまた
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 何本かの木が倒れ、いま立っているこの木もまた倒れそうだ。それにしても交通事故でトラックがぶつかったようなえぐられ方。どうしてこのような状態になるのだろう。







写真759.斜面
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 きつい勾配を下る。45度とは言わないが、それに近い斜面である。峠から下ってきた尾根道が、下の砂採場で塞がれやむを得ず斜面を下ることになった。筋書きはそういうところだろう。もう1枚






写真760.ダムが見える
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 ダムが見えて来た。こんなところで転げだしたら、木にしがみつくしかないな。水際がどうなっているのかわからないけど、おそらく柵などないのだろう。なんせ下が見えへんのやから。

  写真761.堰堤
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 堰堤のそばを通る。









写真762.そして平地へ
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 そして平地へ。もちろん平地といっても山の中、ダムへの取付道路へ出たということだけど。例の標識には、曰く「至る鎌掛宿」、それはいいのだけれどかたや「急坂注意」。注意といわれても、登りたければ登らなければならないのだし。注意してもどうなるものでもなし。「急坂、いやな奴は帰れ」ぐらいの標識を誰か作らんかな。”注意しなはれや”なんていう標識は屁のツッパリにもならん。えらいおこってるけどホンマはどんな坂やったん?。まあこんなものかな。これが序ノ口いうとこかな。
 ところでこの間のタイム。下り始めが12:53、ダムサイト、13:02。まあ早い話が10分。登りの記録はないけれど、そうべらぼうな差はないはず。15分はかかってないだろう。



写真763.県道41号へ
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 県道からダムへの取付道路。今はその逆を行く。落ち葉が降り積もって快適な道に見えるが、ところどころ泥が積もっていて、要注意。いやな奴は帰れといわれても、いま行ってきた帰りですねや。






写真764.御代参街道出合
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 「出合」という言葉、なんとなく懐かしさを覚える。山にはよくある言葉、「白出沢出合」だとか「滝谷出合」だとか。「出合」だったか「出会い」だったか。詳しいことは忘れてしまったが。「御代参街道出合」はそんなことをふと思い出して私が作った名称。エエ名前でっしゃろ。もちろん御代参街道と県道41号との合流点。県道側から見たダムへの道
 もう一度元へ戻って、標題写真、右側から出てくる舗装道路が県道41号。右が鎌掛である。例の標識はここで鎌掛から来た場合は左へ曲がるよう指示をしている。その道が、写真では手前を左へ入るように写っている。ところがご覧のようにその道を塞ぐようにロープが張ってある(御代参街道側から41号を見たところ)。このロープの意味が分からない。上でも書いたようにこのときは鎌掛の手前に車を置いてここまで歩いてきてこのロープを見た。常識では”進入禁止”ということだろう。帰るしか仕方がないのだが。ロープ以外は何の指示もないから、それをまたいで通り越しP点まで上って帰ってきた。その間何の支障もなかった。
 例えば前回西瀬音から歩いたとき、P点で帰ったからそれですんだが、もしここまで来ていたら、誰が考えてもロープを越えて41号へ出る。峠道が通行禁止なら西瀬音側も封鎖しなければ意味がない。この峠道最大の謎がこのロープだった。誰かが張ったまま忘れているのか。そうではない。41号峠越えのところで書いたが、このときにはこのロープはピンと張りなおされていた。誰かが管理しているのである。余計意味が分からない。




16. 県道41号
写真765.県道41号を歩く
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 さて出会いを後に、県道41号を鎌掛へ。道は細いけれど特別勾配があるわけでもなし、クルマはめったに来ない。気楽な歩きである。

  写真766.一本道
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 まっすぐな一本道。左側の木、すごいな。もしこれが葉をつけていたら、この下は暗かっただろう。






写真767.巨石が2つ
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 巨石が2つ並んでいる。自然にそこにあったものではなく、人為的に置いたものだろう。砂採場の入り口らしい。ここにもロープが張ってある。しかしこちらには可愛らしいSECOMの札がぶら下がっていた。







写真768.砂採場前
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 巨石の間を入らなればならないからトラックはいったん右へ寄る。そのあとが生々しい。画面左、でかい石の奥に何か表示がある。恐ろしい看板だ。はいハイわかりました。






写真769.杉林沿い
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 杉林沿いの直線道路。道路の規格をオーバーした車が通るため、両側の土を巻き上げて汚れてた道。早く通り過ぎるに限る。








写真770.例の標識
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 例の標識が立っている。現場はT字路だけれども「直進せよ」とそっけない。「直進せよ」というより「曲がるな」という意味の方が大きいのだろう。それほど曲がりたい条件がそろっている。写っている道が曲がった後の道だがこちらの方がムードがある。上の写真769の泥に汚れた直線道路よりこちらのえもいわれぬカーブ、これぞ街道。しかし「曲がるな」という。




写真771.道しるべ
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 後ろに石標が2本あって、小さいほうには「右前野、左土山」道とある。現在の国道1号、垂水斎王頓宮跡のすぐ近くの交差点が「前野」である。要するに今の県道41号沿いのルートだろう。そして「左土山」、「土」の字が読みにくいが古い「土」という字にはテンをつけたのが多い。その点が「土」の第3画とくっついて「出山」または「立山」と読みたくなるがしっかり見直すと「土山」である。ということで、これこそが笹尾峠を越えて土山へ、御代参街道そのものである。かつてはここがその分岐点だった。
 この標識が立てられた年代は?。裏へ回ってみると「昭和3年・・」とある。月までは読めないが3年は間違いない。すくなくともこの時まではこのT字路を人は往来していた。御代参街道は健在だった。
 右の石標は、この際直接関係がない。




地図633.砂採場付近地図  国土地理院web地図より
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 笹尾峠から尾根筋を下ってきたP点。そこから斜面を下りダム畔へ。県道41号を歩き、いま石標のT字路にいる。県道そのものよりはそこから分かれた「左土山」の道の方い魅力があった。しばらくそこを歩くことにした。
 少し行くと砂採場が見えて来た。これは上から見ていたので予測通り。道が2つの分かれている。右は砂採場の現場につながっているように感じた。左へ取った。道がそっちの方がしっかりしていた。段々峠道から離れていく。こういう場合どこで引き返すか。その判断が難しい。このときは結局鎌掛池まで歩いてしまった。(この版では鎌掛池雪はカットした)。




地図634.砂採場付近地図  国土地理院2万5000分の1地図(昭和56年発行)より
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 念のためと思って昭和56年発行の2万5000分の1地図を調べたら、この砂採場が表記されていなかった。現在の県道41号沿いのダムもない。41号は記載されている。まあ言ってみれば、現在の1時代前の状態といえようか。「石標のT字路」という言葉は上の地図633で現場に立って実感したのを言葉に表した名前である。そこは確かにT字路だった。しかしその場所が1時代前にはT字路ではなかったのだ。
 現場の石標は北の方(鎌掛方面)から南向きに進んで来ての右左である。その一番左、「土山」は、いまはない旧笹尾峠を越えて土山に向かうものである。地図では実線で表示されている。これは間違いはない。問題は「右前野」である。地図633では単純に県道41号だと考えたが、それ以外にもう1本あったのである。それが真ん中の道で、地図では破線で示されている。今回下ってきた道がそれに当たるわけで、鎌掛から南向きに来たとすると、この石標の分岐点で左から2番目の道(3本のうちの真ん中の道)をとって現在の笹尾峠付近に達し、そこから群境を越えて現在の土山町前野へ下る。もし、昭和3年の時点で県道41号がなかったら、まさに「左土山、右前野」の状況になる。
 県道41号はいつ開通したのだろう。インターネットで検索してみたが、開通年は不明であった。近江文化叢書13・『近江の街道(1982年)』、(「図説近江の街道」とは別の本)に、”戦後開通した県道日野土山線は・・・・”という表現がある。昭和3年に県道が存在していなかったとしたら、一応のつじつまは合う。しかし、県道としての道はなかったとしても、人間が歩く道は存在しただろう。当時、新しい道を開くにあたって、前人未到の山野を切り開くことはなかっただろう。結局は既存の道を拡幅したはず。と、考えてみるとこの「三方別れ」は結局は謎である。
 と、ここで矛を収めるつもりだったが、もう一度だけと「図説近江の街道」の地図を見直してみた。と、と、と・・・。真ん中の地図634で破線に当たる部分、すなわち今回私が歩いた部分が消えていたのである。この地図にも緑ヶ丘5は記載されているから、そんなに古いものではない。ちょっとした時代の差によって、表現が微妙に変わっている。厄介なところであるといえばいいのか、面白いところといえばいいのか。とはいえ、これ以上は私の能力では無理である。
 こうなれば図説日本図誌大系の大正9年修正版ではどうなのかを読みたいのだが、残念ながら範囲が限定され、当該部分の記載はなかった。いやー、参った参った。地図によって全部表現が違うのだから。




17. 再び県道41号を
写真778.橋を渡る
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 さて、再び石標T字路へ戻って県道41号を鎌掛へ。すぐ橋を渡る。南砂川の上流である。橋から上流側を見たところ。峠から直線距離で1Km余りの所だけど結構大きな川になっている。反対の下流側。地図で見ると突き当り、山の麓で鎌掛池からの流れが合流して来る。





写真779.ある風景
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 川を越えて右を向いたところ。クリーム色の小さい小屋があって、数本の裸の木。いい風景だった。もう1枚

  写真780.山沿いの道を行く
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 左も右も山。いわゆる谷筋を行くのだが、道は左の山沿いにつけられている。右側は畑だけど、イノシシ除けのネットが延々と続く。もう1枚







写真781.空色の倉庫
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 空色の大きな倉庫が見える。そういえば先ほどP点からも見えた(画面の真ん中辺、杉林の一番奥、木と木の間にポツッと見える)。ということはこちらからP点が見えるということだ。倉庫のそばまで行って、奥の山を見る。光が逆で見えにくいが、木と木の間に見える剥げた部分がそうだ。

  写真782.里に近づく
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 道が穏やかにカーブするようになり、里に近づく。もう1枚







19. 赤坂地蔵
写真783.県道182号との交差点
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 県道183号との交差点。これで出発点にもどったことになる。182号を赤いクルマがやってきた。だめだな、前半分を入れたつもりだったが。反対向き(峠の方を向いたところ)。例によって、大型車通行不可の表示。







写真784.赤坂地蔵
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 交差点の一角に地蔵さんが祀られている。明治3(1870)年、旧御代参街道の笹尾峠近くの赤坂というところに建てられたものだという。「赤坂の地蔵さん」として親しまれていたものを、平成8年春、ここへ移されたとか。説明文






写真785.赤坂地蔵(正面)
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 妙な屋根がついており、なんとも撮影しにくい。行列の籠を表現したものといえば何んとかわかる気もするけれど。それにしてもこんな広い場所で窮屈なことだ。側面をもう1枚。正面図に側面図、設計図じゃあるまいし、何とも芸のない話だけど、これしか撮りようがないもので・・・・。







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