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N06.大日川流域

N0603XX. 分水嶺・笹尾峠を越えるXX

取材:2016.01.
初稿UP:2016.07.20


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別項、”「御代参街道を歩く」” の中の”笹尾峠を越える”と同じ内容です。

御代参街道を歩くXX
02.笹尾峠を越える


5. 関係地図
地図621.緑ヶ丘入口から笹尾峠まで
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 緑ヶ丘5という住宅地がある。昭和45年応急修正版には記載がなく、55年版には記載されているからこの回に開発されたことになる。野洲川渓谷を撮っていたときにも気にはなっていたが、結局足を踏み入れることはなかった。さて前回の終点がその緑ヶ丘5の入り口だった(緑の線が前回のルート)。前回見た新旧対照地図を見ると、この緑ヶ丘5への進入路が御代参街道に当たっていることが分かる。右側の新しい地図---発行年は不詳だが、多分昭和50年前後であろう----に緑ヶ丘5の南半分が見え、その進入路と明治時代の御代参街道とがほぼ一致する。『図説・近江の街道』ではこのあと街道は緑ヶ丘5の中心軸といえる南北の道に沿って進み、旧笹尾峠に達していたとしている。
 史実の通りに歩こうとすれば、このルートをたどることになるが、例の「御代参街道」の標識は別のルートを示している。前回歩き終わったところで、緑ヶ丘5へは自動車ミチを横断して直進することになるが、例の標識はそこで自動車ミチを右へ取るよう指示しているのである。(前回はこの扉の向こうからこちら側へ出てきた)。上の地図の赤線が、私が標識に従って歩いてその結果を地図にフィードバックしたものである。



6. 西瀬音
写真701.西瀬音集落入り口
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 緑ヶ丘5(ファイブ)入口で自動車ミチを右へ折れる。150mほど進んだところで西瀬音集落の入口にいたる。右は川沿いにさかのぼって青土ダムへ続く。







写真702.西瀬音集落
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 山を背にした西瀬音の集落。この山を越えた左側が緑ヶ丘5である。道路沿いにきれいな水が流れる。この流れが前回歩いた柵内の道に沿う川に続くことになる。しっかりした堰がある。何の意味をなしているかは分からない。






写真703.清涼寺
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 清涼寺という寺がある。いい名だ。実はここを訪ねたのが2016年の1月2日だった。掲示板に『謹賀新年』の文字が見え山門には国旗が掲げられていた。天気もいいし静かな正月である。






写真704.サル?
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 清涼寺の山門を撮り終えて、さあぼちぼち山越えだと前を向いたとき、ン?、サル?、道の真ん中に2匹の猿が・・・。カメラは清涼寺を撮るのに若干ワイドになっていた。あわててロングにひねりなおす。瞬間だけど動きが大きくなった。敵はそれに反応した。ひょこひょこと森の中へ。どうせここまではこないだろうと、人を食った動作である。そしてあろうことか、後ろの1匹が引き返してきた。先ほどの1件のときに紙袋を路上に落としていったらしい。それを拾いに戻ろうというのである。キョウビのサルは計算高い。決して逃げるそぶりは見せない。悠々と引き返していく。参った参った。



写真705.坂下屋跡
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 サルの1件でうっかり見逃すところだった。路地の入り口に例の標識が張り付けてあったのだ。今までは棒と標識がTの字型に立っていた。よほどのことがない限り見逃すことはなかった。が、今度は違った。いちいち露地の中まで詮索しない。本気でサルを追い回していたら100%見逃していただろう。
 そしてもう一つ気になるのが、その上の表示。”御代参街道西瀬ノ音 坂下屋 土産物屋跡”とある。この写真、現場では何の不思議もなく撮った。しかしこのあと実際に山道を歩き、峠を越えてみて、なんとなく疑問が残る。ホンマにここがその土産物のあとかということである。これだけの表示をするからにはそれなりの根拠があるのだろう。とすると前項で見た『図説近江の街道』の地図はどう考えればいいのか。この地図では現在の緑ヶ丘5の進入路付近を街道としている。今回歩き出した入り口がそれに当たるが、そこからもうすでに500mほども歩いて来ている。この旧道が御代参街道とすると話が合わない。それにしてもこの店が”坂下屋”というのが話が出来過ぎている。なるほど坂下屋だ。この路地を入るとすぐに山道に入るのだから。しかしこの道が本当の御代参街道だとも思えないのだけど。
 古いといっても奈良時代や平安時代の話ではない。江戸の末期から明治になっても街道として残り、昭和の戦後一時期まで、道としては機能していたという。そのルートが急に消える。そちらの方が不思議である。



7. 山へ入る
写真706.山へ
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 露地を抜けると急に上りになる。大きな木の根っこが周囲を圧する。森に入ったところから踏み跡も定かでなくなる。写真の画像をPCで見ると、なんとなくぶれている。プロパティを読むと30分の1秒。ええ加減に撮っていたけど暗かったらしい。これは簡単なところではないぞ。倒木が横たわっている。こういうのにつられて道を外すことが往々にして起こる。要注意やな。



写真707.標識に出会う
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 倒木に気をとられ手前がおろそかになっていたが、例の「御代参街道」の標識が立っていた。今までは間違いはないよとの御宣託である。何度も書くが、これはありがたかった。ましてや右も左も分からない山の中から余計にそれを感じた。





写真708.道復活
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 標識に従って進む。道が復活した。木の段が見える。しかしその横には水が流れた後が見える。さらに進む。木の段はなくなる。しかし道は穏やか。突き当りが崖になっていて、なんとなく不気味。






写真709.崖にぶつかる
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 さきほど見えていた崖にぶつかる。今思うとこのあたりがポイントだった。このあたりといってもどのあたりか。山の中の道である。このあたりとしか言いようがない。カメラのプロパティによると坂下屋の横から山に入ったのが、13:09。緑ヶ丘5側面へたどり着いたのが、13:23。実際には14分しかかかっていないのだが、もっと長く感じた。そしてこの時点での時刻が13;16。全行程のちょうど真ん中あたりといえよう。
 さて右か左か。崖にぶつかっての判断。写真で見ても左へ折れているように見える。当然ここは左へ取った。



写真710.崩れた網
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 大した距離ではない、10mか20mか。崩れかかった意味不明のネットに出くわした。このあたりで何となく怪しいなと感じてはいた。本当に標識がほしいのはここだったけれども、それは見つからなかった。ネットに沿って進むとますます道は不明瞭に。






写真711.道がなくなる
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 道は全く分からなくなる。間違えたことは間違いない。けったいな言葉だけどまさに、本当の山ならすぐに引き返さなければならない状況である。しかし右を見ると先ほどのネットはなくなり、きれいな杉林。下草もほとんどない。その斜面を登れば、万里の長城のような緑ヶ丘5の住宅地へ出ることは間違いない。前から木の影がまっすぐに伸びてくる。太陽に向かって歩いていることを確かめておいて、右前方に見える杉林の斜面を登ることにする。



写真712.杉林を登る
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 本当にきれいなスギ林だった。勾配も特別苦にならない。太陽を左に見て登れば、緑ヶ丘5の側面へぶち当たるはずだ。






写真713.道か川か
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 道に出た、と思ったけれど、ひょっとしたら川かもしれない。川ならもっと岩が露出しているだろう。太陽は後ろから来ている。杉林を登りながら、崩れたネットのところを基準とすると反対向きに歩いていることになる。登りだからこれでいいのだろう。






写真714.何やこれは
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 何やこれは!、冷蔵庫が転がっている。こんなものをどないしてここまで担ぎ上げたのか。最初それに驚いた。しかし考えてみれば何でもないこと。上から投げ落とせば簡単な話である。クルマで住宅地までは簡単に行ける。そこからポイと捨てればよい。そんなところを汗をかいて登って来いたわけだ。すぐ上が住宅地の擁壁だった。この壁面を登ればいいわけだけど、若いときならともかく今は無理だ。もうちょっと右へ巻けば何とかなるはずだ。



写真715.建物が
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 山を登って、そこに建物が見えてくる。けったいな話だけどホンマの話である。道はいつの間にかホンマの道になっていた。もう間違いはない。







写真716.緑ヶ丘5へ出る
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 小道を上り切って縁石をひょいと跨げば緑ヶ丘住5宅地だった。草が切れて何人もの人間が通行した跡であることは確かだった。しかし、例の標識はどこを探してもなかった。ルートを外したことは確かだった。しかし先ほどの踏み跡を見れば、それは私だけではない。かなり多くの人がここへ上陸しているはずだ。





8. 緑ヶ丘ファイブを行く
写真717.緑ヶ丘5住宅地
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 後で地図を見直すと上陸地点は住宅地の南東隅だった。写真に写っている道路がいわば住宅地の中心軸に当たる道路。笹尾峠はその北西隅に当たるわけで、一番手堅い考え方はとにかく一旦西端まで出て、そこを北上すればよい。多少距離は長くなるかもしれないが、大したことではない。とにかく住宅地というところは人がいない。南東端から北西端までを往復したが、人にあったのは犬の散歩をしていた女性一人だけ、人に道を尋ねようなどという魂胆は基本的に間違っている。



写真718.緑ヶ丘5を行く  以下笹尾峠までは地図621参照
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 初めての場所だし、中心部へ入ると訳が分からなくなる恐れがある。とりあえず一番南、外側の道路を西へ向かう。京都の街のイメージがあるからその点は楽だ。ごみ集積場がある。やはりここにも生活がある。
 このあと右に直角に折れて、さらに鈍角に右へ曲がる。道は北東向き。標題写真は左から光が来ているが、この写真は木の影が左へ傾いて出ている。太陽が右後ろにあるということ。たぶん鈍角折れのあと北東向きの道だろう。



写真719.鈍角左折れ
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 西側の道路を北上する。鈍角に左へ折れるところが2か所ある。多分これは写真718、最初の長い北東向きの道路が終わるところだろう。家はほとんどないし、よく似た雰囲気だから、後で見た場合それがどこだったか見極めがつかない。






写真720.例の標識
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 面倒くさいことは考えずに、とにかく住宅地の西の端の道路を北上する。そうこうしているうちに例の標識が現れた。山の中で道を間違い、私は住宅地の南東角へ出たが、正しくトレースしていたら、住宅地の中ほどの東への出っ張り、地図621の「緑ヶ丘5」の文字の少し下あたりに上陸していたのではないか。そのあと住宅地を横断する形でやってきたのがこの辺りということになるのだろう。そう考えると、私はかなり遠回りをしたことにはなる。しかしまあ大した話ではない。



写真721.曲がって曲がって
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 さあここまで来ればとにかく分岐点では左へ曲がればよい。絶対に右へはいかない。しかるべきところにはちゃんと標識がある。中にはこのように何を思ったのかコーナーの内側に立ってるやつがいる。標識は外側だろうが。まあしかしこちらが注意しておればいいことで、ないよりはあり難い。





9. 笹尾峠へ
写真722.笹尾峠出入口
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 とにかく曲がって曲がってここまでやってきた。緑ヶ丘5からの出入り口である。南東角から緑ヶ丘を巻くようにして北東の角までやってきた。住宅地と別れて再び山へというところである。例の標識には晴れがましく「笹尾峠」とただ一言。さあいよいよだ。
 なぜかこの標識がいとおしくなって近くへ寄ってみた。別に抱き着こうというわけではなかったが、とにかく奥がよく見えるようになった。トントンとんとんと進んだところで道が消えている。しかし大騒ぎをするほどのことではないだろう。笹尾峠との表示もあることだから。この時点では道はひょいと右か左へ曲がっているものだと信じていた。



写真723.ひよどり越え
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 右か左へくっと曲がっていると信じて疑わなかったその道は・・・・、まっすぐすとんと落ち込んでいたのである。
  何ッコレ!っと今の若い人たちは言う。八十路のオジイはそんな器用な言葉は持ち合わせない。ひとり静かに、”ひよどり越え”やなとつぶやく。昔ありましたな、いまの人は知らんだろうけれど。
  鹿も四つ足、 馬も四つ足、
   鹿の越えゆく この坂路
  馬の越せない 道理はないと
   大将義経   真先に
 この驚きを素直に表現できる写真が撮れない無力さを痛感する。どないカメラをひねってもどうにもならないのである。下に見える例の標識は今までの例からして、私の目の高さより少し下にある。地面から150cmというところか。その上端がつややかに光っているのである。それを上から見下ろす高度感。昔なら走って降りた。尻もちの一つぐらいついても笑い話ですんだ。今はそうはいかない。こんなところでことを起こしたら・・・。驚きを理屈で表現しようとする、情けない話で。



写真724.未練たらしく
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 尻もちよりカメラのほうが大事だ。バッグにしまって・・・・”大将義経真先に”。下りて見返すいよどり越えは・・・なんや、こんなとこやったんか。別に大騒ぎするほどのところでもなかった。未練たらしくもう1枚





写真725.やっぱりヒヨドリ越え
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 道はじけじけと湿っている。あまり気持ちのいいところではない。そんなところで人間のものではない足跡が。こういうときに人間の目はすごいなと思う。立ったまま足跡を見ると、偶蹄類の2本つめが湿った土にぬるっとめり込んだその痕がきれいに見える。これは面白いとカメラを向ける。もちろん人間の目のようにはいかないから、ぐっと近づける。上から見たのとは全く別物に写ってしまう。カメラの方がもっとリアルに写ってしかるべきなのに。すくなくとも爪痕は2本に見えたのに、いまこうしてPCで見ると3本に見える。3本爪の動物はおらんだろうし。蹄痕部をアップ
 イノシシかもわからんが、これはやっぱりシカだろうな。先のひよどりごえを越えて来たのか。”鹿も四つ足、 馬も四つ足”、義経は足の数までは勘定したけれど、蹄の数までは考えに入れなかったんだ。



写真726.地蔵さん
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 と、こんなところに地蔵さん。これは御代参街道のものではない。この部分では別ルートだったはず。新しく誰かが置いたのだ。というボク自身も研究者でも何でもなくただ歩くだけだから、そこまで面倒なことを考える必要はないのだろうけれど。
 いつの間にか道はすっかり乾き歩きやすくなる。右にカーブしながら緩い上りに向かう。



写真727.裏向きの標識
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 いわくありげな裏向きの標識が。ひがみかもしれないがこのルートは標識などが鎌掛から土山向きに歩きやすくセットされているようだ。この裏向き標識もひょっとしたら何か特別な情報でもと気になりだした。結果的には何でもない禁猟区云々という、われわれには何の関係もない標識だったけど、それまでは意識がそちらの方へ行ってしまっていた。その先は笹尾峠そのものだったのだが、いま写っているまさに峠のこの風景はPCの画面で見るまでは気がつかなかった。何とも情けない話ではある。



写真728.笹尾峠
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 で、何の予感もなく、ひょいと飛び出した広場。少しの間、意味が分からなかった。写っている例の標識もほとんど真横から見る形だったし、「笹尾峠」の標識はいったん広場へ出て、振り向かなければ見えないところに立っていた。溝の底が上ってきたルート。ちなみに、このときの時刻13:51。西瀬音入り口13:00。小1時間というところだった。




写真729.笹尾峠
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 鎌掛側から上ってくると、ストレートにこの風景にぶつかる。真ん中の道が緑が丘5から上がってきた道。最後にもう一つだけ。ここに立っていた例の標識。左・土山宿、右・鎌掛宿。これはいいのだけど、ボクが責任者だったら、真ん中に「笹尾峠・現在地」の文字を入れるんだけどなー。





10. 峠道を下る
写真730.峠道を下る
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 日野側はいい道だった。例のひよどり越えとそのあと少し道の悪い部分があって、きょうは峠で引き返そうかと意欲をなくしていたが、この道を見て俄然元気が出てきた。そこで計算である。クルマは緑ヶ丘5入り口へ置いてきた。遅くとも午後4時にはそこへ戻りたい。西瀬音からここまでが1時間だった。いま午後2時、いまから帰れば3時。1時間余裕があるからいまから30分は進める。そこがどこだったとして、そこで引き返せばいい。とにかく最終目標は午後4時に緑ヶ丘5入り口である。さあ行くぞ。もう1枚



写真731.峠道を下る
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 何の心配もないいい道である。あとで素人は素人なりに、いろんなことが分かってくるのだが、このときはまだ何もわからないから、これなら籠は無理にしても、行列そのものの通過は不可能ではないななどと考えていた。もう1枚





写真732.倒木
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 キツネのお化けのような倒木である。通行に何の邪魔にもならないから、凱旋門ぐらいの感覚で潜り抜ける。







写真733.ササ
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 笹尾峠付近にも生えていたが笹が多い。なるほどササオ峠だもんな。実はこのときは何もわからないかったが、このあと県道41号を甲賀市側から日野町側へ峠を越えたときに、特に日野町側でこの笹に出会った。考えてみれば当り前のことだった。県道はこの近くを通っているはず。植生が同じなのは当り前の話だ。





写真734.視界が開ける
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 ときどきこうして左側(北を向いて下っているはずだから西側のはず)の視界が開ける。例によって三上山が気になるがもうちょっと左のようである。







写真735.標識が立つ
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 広場ではないがちょっとした雰囲気があるところに例の標識が立っていた。時間を見れば歩き出してからまだ10分ほどしかたっていなかった。それには御代参街道とあるだけで、あとは何もなし。せめて「鎌掛まで何Km」と表示があると助かるのだがなー。凡人の浅はかさ、ありがたさを感じつつボヤキが出る。相変わらずササが多い。もう1枚




写真736.倒木
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 倒木が横たわっている。動物ならひょいと飛び越えていくところ。人間でも飛び越えられるはずだけど、意地が悪いんだなー人間というやつは。わざわざこうして踏みつけていく。その昔読んだ登山の初心者講座で、こういう場合、その上に足をかけると身体・荷物の合計をよいしょと持ち上げなければならない。1回だけなら大した話ではないが、それを何回も繰り返すとそれだけでエネルギーの浪費になると。




写真737.倒木宙に浮く
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 そんなことを考えていたら今度は倒木が宙に浮いている。太い木が折れて細い木をなぎ倒している。高校生ぐらいのころならハイジャンプで越せそうなところだけど、いまとなっては越すに高いし、くぐるに低い。結局はくぐることにしたが、体が硬くなっているし・・・・。ここだけは難儀したぞ。もう1本倒木が。同じ木だと思っていたが、別のものだった。こちらはライオンというところか




写真738.細い木
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 周囲の視界が広がってきた。そんなところに1本の細い木か立っている。この木もいずれは倒れる運命にあるのだろうがうが、一回見たら忘れられない風景だった。







写真739.右折標識?
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 久しぶりに標識が出てきた。右へ曲がるよう指示がある。はて、こんなところで右へ曲がるようなところがあったかな。全く記憶がない。不思議である。







写真740.鎌掛の集落が見える
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 ところどころに禿山が見えるようになり、前方の視界が開けて遠く鎌掛の街が。気がつけば峠からずっと尾根道を下ってきたことになる。それもほとんど大きな下りもなくコンスタントな下りだった。そしていま立っている場所は、どっちを見ても谷という尾根の先端。このあと当然かなりの急な下りが待っているはず。それがなければ下界へはたどり着けないだろう。時刻は2時23分。予定の30分には若干の余裕はあるが、きょうはここらでやめにしよう。いまから引き返したら、緑ヶ丘5入り口へ4時には十分余裕があるだろう。




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