top

 

知らずに越えた大分水嶺

--- 20.塩尻峠 ---
(長野県)
2007年秋

初稿作成:2023.08
初稿UP:2024.03.20


前 項 へ 次 項 へ 目 次 へ



00.このとき越えた大分水嶺
地図00−20.塩尻峠(長野県)

 前項「高ボッチ」からの眺望はすごかった。しかしその高原自体の印象は曖昧模糊として、その中心地はどこだと問われても分かったようでわからない。だいたいその高原自体が長野県岡谷市と同塩尻市に分かれているのだが、その境界線が不明だという。
 で、取りあえずその高原でいちばん印象が強い電波塔付近を始点として、そこから南の国道20号の塩尻峠までの直線距離が約5.3Kmである。その間、私が走った”林道高ボッチ線”はほぼ大分水嶺に沿って走っていた。そのときはただ道の通りに走っただけ。大分水嶺に沿って走っているなど意識は全くなかった。いまこんなこと(地図上での大分水嶺探索)をやりだして”そうだったのか”と驚いてる次第。実際に5Kmも大分水嶺を実際に走ったのはここだけなんだから。




20−01.分水嶺の流れ 高ボッチから塩尻峠まで

 高ボッチ高原で消えた市境はQ点で復活し、大分水嶺はそれに沿うように南下する。左の地図では表記されていないが、旧中山道が大分水嶺を越えている。旧塩尻峠である。そのあたりが「塩嶺御野点公園」と呼ばれており、展望台なども設けられている。
 国道20号が大分水嶺を越えるところが塩尻峠である。旧塩尻峠と現在の塩尻峠との間に、長野自動車道塩嶺トンネルが中央分水嶺の下をくぐっている。





 a. 旧塩尻峠

 国道20号の塩尻峠の北650mほどのところで”林道高ボッチ線”と”旧中山道”とがクロスする。”旧塩尻峠”である。この辺り一帯が「塩嶺御野立公園」と呼ばれており、旧中山道を越えたところに「展望台」がある。このときは全くの予備知識なし。ただひたすら高ボッチを目指して走るのみ。展望台からの眺めがどんな風景だったのか全く記憶にない。いや、そこに展望台があったことすら気がついていない。
 郷土出版社刊『信州百峠』・「塩尻峠」に次のようにある。
 ――塩尻峠は展望が素晴らしことで有名である。御野立所の展望台付近からは、木の間隠れに雪の穂高岳北アルプス連峰(カシミール図)が眺められるが、眺望のすばらしさは南の諏訪湖の風景である。(略)天保6(1835)年に発刊された浮世絵『木曽海道69次』の中の渓斎英泉は「塩尻峠諏訪湖水眺望」と題し、一面に張りつめた諏訪湖の彼方に富士山を描いている。また、明治13年6月24日、明治天皇の伊勢・甲信地方御巡幸の際も、この峠で板輿から下りてお野点され、この風景を楽しまれたという。その後ここには大正5年に記念碑も建ち御野立公園となった。いまは展望台などもでき、眺望を楽しむ人が多い。――とある。(文・小松克己)
 堀公俊著、『日本の分水嶺』(ヤマケイ文庫)には、
 ――眼下には岡谷の街並みと諏訪湖、その向こうに八ヶ岳連峰、遠く富士まで眺望できる。ここは江戸時代の文人画家・谷文晁が『日本名山図絵』の「八ヶ岳」を描いた場所といわれている。彼の絵は相当デフォルメされてはいるが、間違いなくこの場所からのアングルである。――とある。
 横に長い八ヶ岳を縦長に描く彼の手法である。峰が八つ几帳面に並んでいる。右のいちばん手前から1つ、2つ…と勘定して、5つ目と6つ目を1つと読むか2つと読むかで勘定が変わってくる。それはいいとして、富士山がないぞ。このときは見えなかったのか・・・よくよく見ると八ヶ岳のすぐ右に半分雲に隠れて描かれている。マイッタ参った。
 「塩嶺御野立公園」をポイントとして、八ヶ岳・富士山をカシミール作画して見る。高ボッチから見たときに比べて、諏訪湖が八ヶ岳の方へ寄っているが山の並びは大差ない。実際の八ヶ岳はこのように横に長い連山であるが、それを文晁は縦に長く書いている。その縦に長い峰がきっちり八つ並んでいるのが面白い。



 b. 長野自動車道・塩嶺トンネル  

 国道20号塩尻峠と旧中山道が大分水嶺とクロスする旧塩尻峠、その中間点より少し北の地点で、長野自動車道・塩嶺トンネルが大分水嶺の下をくぐっている。いまから考えると、ドタ靴はいて山へ登ったのは、1980年9月、木曽駒が最後だった、それもケーブルで。定年退職してからはもっぱらクルマ。麓から山を見て楽しんでいた。
 この長野道の塩嶺トンネルも何度通ったか。大分水嶺をくぐっていることなど思っても見ないことだった。トンネルの真ん中あたりに、何かサインがあったような気がする。まさか「大分水嶺」のマークではなかったと思うが、一般的な岡谷・塩尻市境のマークだったのかもしれない。ストリートビューで…と思たが、トンネル内は記録なしだった。それはそうだろう。トンネル内をストリートビューで見ようという物好きはいないだろう。それよりも岡谷から塩尻へ向けて、トンネルを抜けて少し走ると、左に乗鞍、真正面ちょっと左手に槍・穂高が見えてくる。それが見えただけで満足だった。


 c. 国道20号・塩尻峠

 地図を見て、”旧塩尻峠(旧中山道)”と”塩尻峠(国道20号)”とに分けたが、一般にはこの辺りを広く”塩尻峠”と呼んでいたようだ。
 「塩尻峠Wikipedia」には次のようにある。
 ――長野県塩尻市と岡谷市の境にある諏訪盆地と松本盆地を隔てる峠。かつて中山道が通り、現在は別ルートであるが国道20号も通る。地形は岡谷側が急で、岡谷市街地約800mから最高点1,012m(国道20号上)まで一気に駆け上がる。塩尻側は比較的緩やかである。国道20号には、岡谷側・塩尻側ともに登坂車線が設置されている。――
 また、立風書房 、山本さとし著 『日本の峠道』洗馬から塩尻峠越えの項に、次のようにある。
 ――塩は、昔から生活に欠かせない物資だった。そのため海と山国を結んだ”塩の道”が発達したが、ここはちょうど、太平洋側の塩と日本海側の塩との接触点だったので、”塩尻”という地名がついた。――とある。なるほど、「太平洋側の塩と日本海側の塩との接触点」、言い換えたらそこが大分水嶺であったということである。
 国道20号塩尻峠は実際に何度も越えている。しかし、その中でいちばん印象が強いのは、”高ボッチ”への案内を見てあの眺望に出会えたこと。そして2度目、前項でレポートしたように崖の湯経由で入ったとき、その長い道に辟易し、帰りはこの塩尻峠へ下りた。日はとっぷりと暮れ、空に多少明るさは残っていたものの両側の森に夜のとばりがおり始めていた。ライトの光の中に小さく光る動物の目。シカらしい。エンジンをふかさずそーっと近寄ってクルマを止め、フラシュ"ON"に切り替えようとしたそのとき、思い出したように逃げていった。



このページのトップへ