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知らずに越えた大分水嶺

--- 10.四阿山(あずまやさん) ---
(群馬県・長野県)
1989年08月

初稿作成:2022.06
初稿UP:2024.03.20


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00.このとき仰ぎ見た大分水嶺
地図00-10.四阿山(あずまややま)

 あれはいつのことだったか。志賀高原へ向かうバスの中でのこと。どこかのSAでの休憩中の話。運転手さんが遠くに見える雪の山を指さして、独り言だったのか、そばにいたガイドさんへの話だったか。「菅平やね、1年中いつ行ってもエエね。ワシは好きやね。・・・」。たったそれだけの短い言葉だった。ほかにも何かしゃべったかもしれない。しかし記憶に残っているのはそれだけ。帰って地図を調べてみた。なるほど、群馬県と長野県との県境、長野県側の高原である。よし運転手さんの推薦や、”夏はここへ行ってみよう”ということになったのだろう。



01.大分水嶺の流れ
地図01.渋峠から四阿山へ

 大分水嶺上で、白根火山にいちばん近い峠が山田峠である。そこから北の渋峠を経由して草津白根高原ルートを走った(前項)。その後も高校生のスキーの付き合いなどで、志賀高原へは何度か訪れた。それが上で述べた運転手さんの”菅平の話”につながる。
 その山田峠から南西へ伸びる大分水嶺上で、次に自分の足で立つのは”鳥居峠”ということになる。そこまでの大分水嶺をたどりながら途中に”四阿山”が立つのに気がついた。1965年08月、万座温泉から夕日の中に立つのを見たあの四阿山である。そして、その翌日、白根火山の駐車場から雲海に浮かぶ姿を見た。
 と書いて、いま、ふと不思議に思うのだが、そのとき撮った山がどうして四阿山と知ったのか。自慢じゃないが、北信で一目見て分かるのは浅間山と妙高山ぐらいである。「いまこれを撮ってきたんですがね・・・」、などといいながらスマホの画面を出して話ができる時代ではない。旅館へ入ってから、恐らく山の形を身振り手振りで伝えながらの話だったのだろう。だから私の”四阿山”は、万座温泉からの一方向だけ。そして「四阿」の字。50年を越えてよくぞ今まで忘れずにいたものだと感心はするものの、その憶え方は極めてあいまい、「あずま・・なんとか」で憶えていたのだった。正しくは「あずまやさん」。その山が大分水嶺上に位置を占めることなど考えても見ないことだった。


 この「大分水嶺遊び」を始めるにあたって、深田久弥の『日本百名山』を読み直している。その中の”四阿山”の冒頭の部分である。
―― 菅平へスキーにいった人は、正面にそびえた二つの山をおぼえているだろう。四阿山と根子岳。あれがなかったら菅平の値打ちはなくなる。二つ同じような高さに見えるが、四阿のほうが百五十米も高い。上信国境では浅間を除けば、最高の山である。――


写真01.菅平 (左手前が根子岳2128m、右奥が四阿山2354m)

 この”大分水嶺遊び”を始めるにあたって、昔のアルバムを見直した。菅平へ行ったことすら忘れていたが、この写真を見て、そうかこんな山が見えてたのか。火山みたいな山やなとは思った。しかしそのときはまだ名前は分からない。意識した山なら、アルバムに貼り付けた時点で山名を書き込んでいる。万座から見て感動した山も、ここから見たときはまだ他人だった。
 地図を見ると右側が”四阿山”らしいが、深田久弥の文章ではそこまではわからない。とりあえず、カシミールをセットして、作画して見た(左手前が根子岳2128m、右奥が四阿山2354m)。スキー場といっても広いから、とりあえず国道の西側に見えるピークから見たものである。上の写真は国道の近くの適当なところである。しかし、絵も写真も深田久弥の文章の通りの風景だった。
 こうして考えてみると、冒頭で述べたバスの運転手さんの独り言は、――”遠くに見える雪の山を指さして”――のことだった。私自身、きっちり地理が分かっていたわけではないが、バスの中から見えたのは、菅平というよりは雪をかぶった四阿山をゆび指してのことだった。”四阿山と根子岳。あれがなかったら菅平の値打ちはなくなる”。要するに深田久弥の言葉を運転手さん自身の言葉として話していたことになる。



地図02 四阿カルデラ

 『四阿カルデラ』という正式な名称があるのかどうかは知らない。白根火山そばの山田峠から鳥居峠に向かって南西に伸びる大分水嶺をたどると、四阿山を盟主として北東側にくるっと小さな尾根のリングに気がつく。?、ひょっとして四阿山は火山じゃないのか。
 Wikipeiaによると、――四阿山は、約80万年前から30万年前に活動した安山岩質溶岩による成層火山で、34万年前の噴火により直径約3Kmのカルデラが形成された。――とある。なるほど、やっぱりカルデラだったんだ。と同時に成層火山、いわゆるコニーデだと。なるほど、全体の姿はコニーデだ(代表的なのが富士山)。そして、――その後の侵蝕により現在の複数峰による「四阿火山」の形態となる。四阿火山は、西に根子岳(2207m)、南に四阿山、東に浦倉山(2091m)、北に奇妙山(1629m)のカルデラで構成されている。北側でカルデラが割れていて米子川が北方に向けて流れており、ちょうどカルデラの縁に相当する部分に日本の滝百選に属する米子大瀑布がある。(略)四阿山の南側は長野県と群馬県の県境かつ分水嶺となっており鳥居峠へ続く。――とある。

 上に、「カルデラが割れて…」と簡単に書いてあるけれど、普通、”割れる”とか”崩れる”とかいう現象は比較的短時間に起きるはず。割れる前はカルデラ湖だったはずで、大量の水が溜まっていただろう。それが短時間に流れ出せば、下流域は大水害に遭遇したはず。勉強不足で、そんな大水害は聞いたことがない。地質時代の出来事だったのだろう。

 注:上の「地図02.四阿カルデラ」の根子岳の位置があいまいである。市境界線が外輪山と別れるところ、2128mのピークが根子岳のように見えるが、もしそうだとすると、前述の深田久弥の文章”二つ同じような高さに見えるが、四阿のほうが百五十米も高い。”とつじつまがあわない。根子岳はもう一つ手前の2207mのピークのはず。なおWeb地図の正式ページでは正しく表示される。


 四阿カルデラ・カシミールで作画/カメラ位置・鳥居峠上空5000m、カルデラ壁の東半分を大分水嶺が通っている。
 右・カシミール図もう1枚。北方から。カルデラが崩れた部分。カルデラのバックに浅間山・甲武信ケ岳・八ヶ岳・蓼科山などが見える。



◆ 秋田駒ケ岳のこと

 なお、この四阿山は地図で見る限り、大分水嶺遊びの第1項で取り上げた秋田駒ケ岳のカルデラとよく似ている。カルデラ壁東側の約半分を大分水嶺が通過しているところまで同じである。秋田駒はその麓、田沢湖高原で3日間を過ごしたが、天候に恵まれず、最終日にやっとその姿をゆっくり眺めたのだったが、裾を広げたその姿は、万座温泉から見た四阿山と瓜二つだった。
 『日本百名山』に、四阿山は選ばれ、秋田駒ケ岳は選ばれていなかった。数ある山のうちから100座を選ぶ難しさは分かる。やはり、上信地方と奥州との差かなどとひねくれてみたりしていたが、「あとがき」の中に次の文章を見て、やっと納得したのだった。
 ――70パーセントぐらいまでは問題なく通過したが、後は及落すれすれで、それを篩にかけねばならぬのは、愛する教え子を落第させる試験官のつらさに似ていた。(略)東北地方では秋田駒ケ岳と栗駒山を入れるべきであった(以上、深田氏ご自身の言葉である)。――



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