00.このとき越えた大分水嶺
地図00-08.白根火山
大分水嶺上のポイントの並びでいえば、前回の”渋峠”から南へ2.5Kmほどのところにある白根火山である。徒歩で30分ちょっとの距離だが、日本列島全体で見れば1つの点に重なってしまう。
その白根火山、残念ながら火山の上を大分水嶺が通っているわけではない。火山のそばを通っているといえばいいのか。白根火山は大分水嶺の群馬県側にある。堀公俊著「日本の分水嶺」によると、・・大分水嶺は、湯釜のある白根山を横に見ながら・・と表現されている。
01. 白根火山
このシリーズは本州の大分水嶺を北から南へ順にレポートしている。そのため事と場合によっては、妙なことが起こる。いまの場合がその例だが、レポートの順序が実際の経過と逆になる。いまの実際の流れは”万座温泉”で宿泊、ルート開通記念の栓抜きをもらって一泊した翌日、午前中”白根火山”に遊んで、その後、”渋峠”経由で志賀高原へという順序である。前項に書いたようにどう考えても時間が余る。しかし、今それを詮索しようというのではない。このレポートは”知らずに越えていた大分水嶺”を訪ねなおしてみようということである。
地図01.万座温泉・白根火山
上で、「白根火山(大分水嶺)」と書いたのは、この項の初めにも書いたように、白根火山に対する贔屓の引き倒しである。この白根火山の上を大分水嶺が通っているわけでもないし、白根火山のどこかで大分水嶺を越えるわけでもない。あえて言えば、このあと志賀高原へ抜けるのに、「山田峠」から「渋峠」まで、国道292号(浅間・滋賀・白根さわやか街道)を走ったことぐらいである。志賀高原ルートは一見中央分水嶺のように感じられるが、この国道が大分水嶺に沿うのは「山田峠」から「渋峠」まで。
地図の左下(南西方)が”万座温泉”である。そこからバスで白根火山のバスプールへ。記録によると弓池の近く、国道の白根山側がバスプールである。
湯釜から南南東15Kmぐらいの位置にある羽根尾辺りの上空4000mの位置から白根火山を俯瞰したところ。
大分水嶺の山田峠から、湯釜の中心までの直線距離が約1.3Km、湯釜火口壁上(標高2100mぐらい)に立って、大分水嶺を見ると、ほぼこんな形に見える。大分水嶺の山田峠(2041m)は湯釜の火口壁上端の高さより低い。驚いたのは、北北西方に日本海が見えること。白根火山から日本海までは約65Km。上越市から姫川あたり。
写真01.半世紀以上前のパノラマ写真
さてきのう熊四郎山から見た白根火山全景は、バスプールからではまさに目の前。どうしようもなかった。道の向こうの弓池のそばの、ロープウエー乗り場の近くまでバックして撮ったパノラマ写真である。撮影が半世紀以上前のものだから、記憶がはっきりしない。念のため弓池の南東方にある逢ノ峰登場付近を撮影地に定めてカシミールで作図してみた。両者比較。画面ほぼ中央、火口の奥の山が横手山、その右が”国道最高地点”らしい。
いま、デジタルの時代になって、パノラマ写真もボタン一つ。指定のボタンを押して、カメラをスーッと回せば、カメラの中で合成されたパノラマ写真のデータができるという。そうして撮ってきた写真を教室で見せてもらったが、まあ見事なものである。例えばパノラマ写真となれば、1枚の写真の右端と左端とでは、光線状態が90度ぐらいのずれがある。それすら目立たないように、それとなく調整をしているようである。そんな時代に何やねんこれは。
50年以上前のパノラマ写真。何枚かに分けて撮った写真をとにかく紙に焼いて、・・・これが大仕事である。3枚なり4枚なり、すべてが同じ調子に焼き上げるなど不可能である。上に書いたようにカメラの方向が変われば自ずから写真のトーンは変わっていく。それを一定に抑えること、もはや神業。その上に普通の写真では目立たないレンズの癖がある。何枚かを重ね合すと普段目立たない微妙なひずみが目に見えてくる。それをごまかしながら張り合わせていく。カメラ雑誌などには、紙はカッターで切ったのではだめだ、面に沿うようにカミソリで…。
とにかくそうして張り合わせたやつが残っていた。それをスキャンして…。まあとにかく満身創痍のパノラマ写真ではある。中央のタテの深い傷は、こうして張った写真をアルバムに収めるためにこんな長いものアルバムにどうして貼るねん。エイッと、真半分に折った線である。
02.白根火山火口湖(湯釜)
深田久弥著、『日本百名山』(新潮社)に次のようにある。
−−草津白根山は絶頂を極めて快哉を叫ぶといった山ではない。顕著な頂上らしいものもない。河口をめぐり高一低の稜線が連なっていて、その最高点が頂上とはいうものの、この山の特色は頂上よりむしろ、断崖をなした河口壁や火口湖の妙にある。
火口湖は三つ並んでいて、中央の一番大きいものは湯釜と呼ばれ、白濁した碧色の水をたたえている。その色が実に美しい。河口壁を登って湯釜がパッと眼前にひらけた時、誰しもおどろきの声をあげずにはおかないだろう。それは全く思いがけない不意打ちの美しさである。湖の片隅からは音を立てて噴煙が上がっている。−−
白根火山の火口湖については、この旅行以前に何回か雑誌の写真などで見たこともあり、およそのイメージを持っていたが、実際この目で見た火口は、想像以上に美しかった。そう、深田久弥がいう「不意打ちの美しさ」である。
この美しさが忘れられず、20年余を経た1986年、二度目に訪れたときには、「草津白根山は活動中につき、第一次規制を行っています。これより先は立ち入らないでください」との草津町長名での注意書きとともに、火口はぐるっとネットで取り囲まれていた。
たしかに草津白根山は火山である、しかも現在活動中の活火山である。調べてみると2022年、6月現在も、第1次規制中とか。1986年当時と、第1次規制のレベルが同じかどうかは分からないが、いずれにしてもあの「不意打ちの美しさ」ではないはず。
私が持っている『日本百名山』は、昭和39(1964)年7月20日発行。昭和39年9月30日 2刷とある。この項の旅行が1965年8月、1年のずれだけである。深田久弥のこの山への登山がいつであったか、これは分からない。しかし、本文の中に、次のような文がある。
ーー近年軽井沢から万座にバスが通じ、草津からも大きな道路が伸びている。スキーが盛んになって、弓池付近まで、ケーブルがついた。そのうち草津白根山一帯は、華やかな、しかし俗っぽい観光地の賑わいを呈することは必定ある。ーー
まさに、私たちのこの旅行で、”軽井沢から万座まで”の道を走ってきたのである。深田久弥の登山と私たちが訪れたのとでは5年も10年もの大きな年月のずれはなさそうなのである。私が2回目に行った1986年では、<不意打ちの美しさ>はなかった。『日本百名山』は我が国の登山の歴史を語る書である。そういう意味で、文章のベースとなる山行きの年月の一覧表をつけてほしかったといまになって思う。
03.白根火山火口湖三態
写真03.白根火山火口湖三態 |
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湯釜 | 涸釜から湯釜を見る。 | 湯釜の河口壁 |
川口邦雄著、『日本の山100』(講談社現代新書)”草津白根”の項に次のようにある。
−−−この山は晴れていても曇っていても、不思議に写真写りのいい山なのである。わたしだけそう思うのかと思ったら、他の人に聞いてもそうだという。つまりフィルム感光上から、茶とベージュ色の山体、それと反対色の緑青(ろくしょう)色の湯釜火口湖、何とも妖気のある幻想的なとりあわせで、なにか生きもののように感じられるからであろう。−−−
04.白根火山火口湖三態(カラー版)
写真04.白根火山火口湖三態(カラー版) |
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涸釜から湯釜を見る | 水釜(火口壁上から) | 水釜(低い位置から) |
ものの本によると、火口湖の色の微妙な違いをこと細かに説明をしてある。それを記録するのはカラーフィルムだと思ったのだろ。ネガカラーが実用化されだして数年。ここでカラーのプリントが残っていた。私のアルバムに残っているいちばん古いカラー写真は、1960(昭和35)年10月、穂高の涸沢で撮ったものである。モノクロームとネガカラーを併用しようとすると、必然的にカメラが2台必要になる。このときは勤務先の公用カメラ(6X6判二眼レフ)を借り出して紅葉だけ形をつけたものだった。この2眼レフはよく写ったが、何分にもカサが高く持ち運びに苦労した。その後、山用に旧い売れ残りの蛇腹式のセミ判を安く勝ってきて使っていたことがあるが、ひょっとしたらそれを持って行っていたのかもしれない。
特に”涸釜から湯釜を見る”については、モノクロームと同じポジションからのものが残っていた。多少の区切りは見えるものの、2つがつながっていて、空が広い。火口湖は空を写して、両者ともほとんど同じように見える。これはその日の天候によってイメージが変わっただろう。訪れた日は好天で、空の色を写していたはず。
それに引き換え、水釜である。このときは焦げ茶色に写っているが、果たして水固有の色は何色なのか。これは判断の難しいところ。右端の写真では明るい河口壁を写し、中の写真では影になった火口壁を写していた。いずれにしても火口壁の色を直接反映していたようである。
05.笠ヶ岳
笠が岳。上のパノラマ写真で左端の方にポコンと飛び出して見えるピークである。山体をちょうど2分するように、タテに木のない剥げた線が目印である。左の写真でもちょっと左へ流れてはいるがその線が見える。白根火山とは直接関係はないそれをなぜアルバムに残していたのか。白根火山に関係があるとすれば、左下に見える白砂の道路である。一見雪かと見紛うがそうではない。何かの工事現場のように見えるが、これがれっきとした道路だったはず。これを残したかったのだろう。
北アルプス穂高岳の西に、蒲田川を挟んで立つホンモノの笠ヶ岳とイメージがよく似ていたから。もちろん左の写真の笠ヶ岳も本物であるが。抜戸岳付近からの笠ヶ岳(1960年撮影)、双六池付近からの笠ヶ岳(一番奥のピーク・1961年撮影)。
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