00.このとき越えた大分水嶺
地図00-06・関越トンネル
上のタイトルには、『関越トンネル・谷川岳・三国峠』となっているけれども、実際に自分で越えたのは、”関越トンネル”だけである。それもたった1本のトンネルで、片側1車線の対面通行のころ。
自動車道では”関越”となっているが、鉄道では”上越線”である。小学校(ボクの時代は国民学校といった)で日本地理を習い始めるのは何年生だったか。上越線と信越線で難儀をした。どちらがどちらか区別がつかないのである。とりあえず清水トンネルの方が上越線、アプト式が信越線。そんな要領を覚えたのはとうに小学生でなくなっていたはず。いま地図を見ると”上信越自動車道”というやつがある。勝手にせい。
オイオイちょっと待てよ。長岡から走ったのは、関越自動車道だと思いこんでいたが、ひょっとしてあれが上信越・・・?。あー、びっくりした。ま、間違いなくあれは”関越自動車道”でした。
と、いうことで、このとき大分水嶺をくぐったのは、関越トンネル、当時完成していた現在の下り線ということになる。
01.大分水嶺の流れ
地図01 関越トンネル・谷川岳・三国峠
左の地図の北東部、この部分を拡大する。自動車道では”関越トンネル”、鉄道では”清水トンネル”・”新清水トンネル”・”大清水トンネル”などとなっているが、これらのトンネル群のすべてが大分水嶺の下をくぐっている。そしてその大分水嶺上に谷川岳が聳えている。しかし、私はその山を見たこともなければ登ったこともない。関越トンネルを通っただけである。ひょっとしたら目にしているかもしれない。しかしよそ目に見ただけでは見たことにはならない。自分の目でしっかり”あれは谷川岳だ”と自認できなければ意味はない。
そしてその谷川岳、深田久弥著『日本百名山』によれば、”5万分の1の地形図に山名が誤記されたことが原因で大分水嶺上のいまの位置の山が”谷川岳”と呼ばれることになったという。詳細は谷川岳の部で”受け売り”をさしていただく。
02.関越自動車道前口上
35年前の話である。何や!、これは。朝、滋賀県の自宅を出てひたすら北陸道を北へ走って、その日は長岡泊まりだという。なんのために。どう考えても訳の分からん話である。そのあとさらに北へ行ったのかと続きを見ると、そうではない。関越道を折り返して・・・・。何のために長岡まで行ったのかどう考えても意味が分からない。けれど何枚か写真を見ている間に、ははーん、これやな。”もう1本、関越トンネルを掘っています”。このときはトンネルはまだ1本だったのである。
念のため調べて見ると、関越トンネルの開通日は1985(昭和60)年10月02日だったという。当初は片側 1 車線の対面通行であったと。対面通行はつらいけどそれは仕方がない。とにかく開通2年目の夏である。私は滋賀県へ移住してから運転免許をとったので、世間の皆様方より取得は遅く、50歳を目前にした1982年3月の取得だった。この関越道を走った1987年を基準にしても5年前。この新しい長大トンネルを走りたかったのである。小学生のころ、清水、丹那トンネルという長大トンネル(もちろん鉄道トンネルだけど)は人気の的だった。しかし名前は知っていても行ける場所ではなかった。爾来40年を過ぎて、日本一の長大トンネルが自分で走れる世の中になった。50歳代も半分過ぎたおっさんにとって、それがうれしかったのである。何とまあ子供のようなアホな話である。
03.関越自動車道
写真01. 関越トンネル新潟側入口
走行中の撮影である。入口の上に並んでいる落石止めか、雪崩止めか。存在証明になるかと、ストリートビューで確かめてみたが、影も形もない。そりゃそうだろうこの程度のもので、できてから30数年。残っていることが不思議だ。それよりも、トンネルの名称を確かめたいのだが、このピントでは如何もしがたし。だとするとこれが関越トンネルだということも怪しくなる。
と、まあそういうことだけれども、関越トンネルでなければ、わざわざ写真を撮るはずもないわけだし。これが新潟側からの入り口。次の写真が群馬県側へ抜けたSAからということになるのだろう。
写真02. 谷川岳SA上り線
雪崩除けの板はない。周りを見ても写真002と別の入り口であることは間違いはない。トンネルを抜けて、すぐのPAへ入って、車を置いてわざわざここまで撮りに来たものであろう。それにしても長さ11Kmを越える長大トンネル。片側1車線の対面通行は緊張する。途中で前の車がハザードランプをつけて、スピードを落としだした時は気味悪かったし、渋滞で何分間かストップ。無事抜けたときはほっとしたのを思い出す。もう1枚(SAへの進入路側から)。
これで無事、大分水嶺をくぐったということになるのだが、当時はそんな意識はさらさらなし。ただ、長大トンネルを抜けたというただそれだけの満足感だけだったはず。
04.谷川岳
地図02 トマノ耳・オキノ耳
細かいことは何一つ知らない。場所も何となく”清水トンネルの近く”ぐらいの理解の仕方でしかない。ましてや、その山が大分水嶺上にあることなど思いもよらず。そして本来のその山は大分水嶺上にはなかったという、オイオイ山が動くのか。講談のネタになりそうなウソのようなホントの話。
しかしその名は、昭和20年代、高校生のころから知っていた。ときどき新聞に載る遭難記事を見て、ただ漠然と”何や知らんけど怖い山やなやな”ということである。
次は、深田久弥著『日本百名山』・「谷川岳」、冒頭の書き出しである。
――これほど有名になった山もあるまい。しかもそれが「魔の山」という刻印によってである。今手もとに正確な調査はないが、今日までに谷川岳で遭難死亡した人は二百数十人に及ぶという。そしてそのあとを絶たない。――
この本の初版発行は、1964(昭和39)年となっている。少なくともこの数字はこの年までのもので、現在のインターネット「谷川岳」Wikipediaによれば、1931(昭和6)年から統計が開始された谷川岳遭難事故記録によると、2012(平成24)年までに805名の死者が出ている。・・・という。
そしてまた次のようにも。
――こんなに谷川岳が有名になったのも昭和6年(1931年)上越線が開通して以来のことである。それまでは一部の山好きの人間にしかこの山は知られていなかった。大正9年7月、日本山岳会の藤島敏男と森喬の二氏が土樽から登られたときはひどいヤブ山で、――中略――藤島さんたちがオキノ耳の上に着いた時、岩陰に小祠があり、中に青銅の古鏡が三面祀ってあった。祠には富士権現(富士浅間大明神)を勧請してあったので、この峰は谷川富士と呼ばれていた。
しかるに5万分の1の地図に山名が誤記されたので、名称の混乱がおこった。現在の谷川岳は、古来「耳二つ」と呼ばれていた。そしてさらに「耳二つ」の北峰オキノ耳を谷川富士、南方トマノ耳を薬師岳と称していた。そして谷川岳という名は、今の谷川の奥にある爼ー(まないたぐら)に付せられていたのだという。木暮理太郎氏や武田久吉氏など古くから上越の山に親しんだ先輩は、しきりに正しい呼び方を叫んだが、マスコミ的大勢は如何とすることもできず、今では「耳二つ」を谷川岳と呼ぶことは決定的となってしまった。
「耳二つ」とはいみじくもつけられた名前で、上越線の上牧(かみもく)あたりから望むと、遠くに猫の耳を立てたようにキチンと二つの耳が並んでいる。その形が実にすっきりして清く鋭く、この山が昔から、奥上州の名山とされたわけも納得される。――
◆右・カシミールによる作画:上越線の上牧(かみもく)あたりから望む「耳二つ」。この地形図では、「トマノ耳」にはただ単に”谷川岳”、「オキノ耳」には”谷川岳・オキノ耳”との表記されている。山名誤記の後遺症があるようだ。
05.運命の”山名誤記”
5万分の1の地形図に山名の誤記があったという。木暮理太郎や武田久吉など、深田久弥が”先輩”と呼ぶ人たちが、”正しい呼び方”を叫んだという。両氏はともに1800年代後半の生まれだから、恐らく事は1900年代前半のころであったろう。”参謀本部5万分の1地形図”の時代である。深田久弥は”マスコミ的大勢は如何とすることもできず”と書いているが、誤記が外へ出ても、いったん出てしまえばすぐ訂正する相手ではなかっただろう。
しかし考えてみれば、その山名誤記があったがために、私はいまこうして、谷川岳を大分水嶺上の山として大手を振って取り上げることができる。爼倉(まないたぐら)がそのまま谷川岳だったとしたら、”ちょっとずれてるなー”と取り上げるのを躊躇しただろう。まさに運命の”山名誤記”だった。
◆注・トマノ耳は”手前の耳、”、オキノ耳は”奥の耳”であったとの説あり。
そしてもうひとつ運命の不思議、その爼倉(まないたぐら)の下を関越トンネル(次項)が抜けている。
06.三国峠
そうして三国峠。これも私自身が越えたわけではない。地図でトレースするだけである。前項・”関越トンネルの項で触れたように、新潟県と群馬県を結んだ三国街道が通っており、江戸時代は主要な脇往還(主要往還同士をつなぐいまでいうショートカット道路)の一つだった。高崎宿で中山道から分岐し、この三国峠(1244m) を越え、長岡城下につながっていた。
余談になるが、この三国峠。司馬遼太郎『峠』に次のようにある。主人公河井継之助が雪の中を江戸へ発つシーンである。
−−−継之助は発った。
道はいわゆる三国街道をとる。上杉謙信のころからの古道であったが、しかし、謙信のころには三国峠はない。
三国峠は越後と関東とのあいだにそそり立つ峻嶮で、街道最大の難所とされ、江戸幕府の最初にきりおとされた。冬期、この峠をぶじ越えればまず命をひろったとみていい。
「一種の狂人かもしれない」
城外まで継之助を見送ったひとびとは、それぞれわが家のいろりばたにもどって、みな首をふった。どの者の目にも、一望の雪の中に消えていった継之助の蓑笠すがたが目にやきついていた。−−−
◆三国峠、もう一つ余談を。「路線バスが来ない」
話はガラッと変わる。TVの路線バスによる旅番組。ある日『新宿から新潟まで』というのをやっていた。番組の大半は路線バスの”コース、ダイヤ”の話に費やされる。群馬から新潟へ抜けるのに大騒ぎをしていた。そこらあたりから関心を持って見始めたのだが、”水上経由で行くか、三国峠を越えるか・・・”。というセリフが聞こえてきた。これは面白いぞ。どちらを越えるにも路線バスはないことが分かってくる。そんなことは計画の段階で分かっているはずだろうが、それでは番組が成り立たない。それよりもこれはあの三国峠だろう。リーダーは”三国峠”を選んだ。「峠を越えるバスはないのだから、行けるところまで行って新潟県の旅館に電話して、迎えに来てもらおう・・・」などとやっている。
群馬県側のバスは、当然、三国街道のいちばん奥の集落で終点になるはずだが、番組ではいつの間にかトンネルの入り口での話になっていた。バスを降りてからそこまで歩いてきたという設定である。そこで旅館へ電話して・・・。迎えに来てもらうという設定。画面ではとっぷりと暮れた三国トンネルを見せてくれた。ここで大分水嶺を越えるのだが、そんなことを意識して越える人は誰もいない。路線バスによる旅こそ、大分水嶺に一番近いところにいるのだけど。
◆またまた余談・『三国峠→仙の倉沢』(NHKTV”にっぽん100名山選”より) 地図03.三国峠
何気なしに回したチャンネルで山番組をやっていた。若い女性ガイドの『三国峠は・・・』という言葉にオヤッと思った。群馬県云々という言葉。群馬から新潟へ抜けるあの”三国峠”らしい。新聞を調べてみると『苗場山から谷川連峰へ』とある。間違いないあの三国峠だ。
間もなく三国峠に着いた。石灯籠があって鳥居が建っていて、その奥に祠がある。TVでは峠を越えた人の名が刻まれた碑を紹介していた。武田信玄をはじめとしてすごい人の名が刻まれていた。メモを取る暇もなく出発。次は三国山です。稜線沿いに行く。頂上のすぐ下まで行って木組の階段が浮いている。”雪の重みで崩れるんです・・・”。番組の目的地は、平標山を越えて仙倉山までということだった。三国峠から測って片道7.9Km。出発地点から峠までの距離もあるから往復すれば結構な距離だった。仙倉山の2026mは谷川連峰の最高峰という。頂上から白銀を輝かせた北アルプスが見え、近くに谷川岳のオキノ耳、トマノ耳も。終始、稜線伝いの気持ちのいいコースだったが、そのコースが大分水嶺であることは説明されなかった。
◆N点
三国峠を越えてさらに西へ進む。N点で日本海側が新潟県から長野県に替わる。Web地図によると、そこに”白砂山”とある。なるほどきれいな名前やなと感心しながらよく見ると、三叉路からほんの少し西にある。また”三本槍”現象やな。那須連峰の北の端。頂上を経由しているものと思っていた大分水嶺が、頂上の少し手前で分岐していたあれと同じだ。極論すればこのような三叉分岐のほとんどがそうだといってもいい。というより山頂での三叉分岐などほとんどないといってもいい。カシミール3Dによる作図。撮影位置・白砂山の東南東4.5Km付近上空から。
07.野反湖
地図05.野反湖
さらに進む。O点で再び三叉分岐。同じルートで進んできた県境と大分水嶺とが、ここでそれぞれ別のルートへ分かれていく。県境が野反湖の北側を通過するのに対し、大分水嶺がその南側を巻くためである。大分水嶺からすればいわば”県境別れ”というところである。そこに堂岩山があるが、それも大分水嶺から別れて県境上に立つ。野反湖周辺の大分水嶺と県境。
野反湖から流れ出る川が北へ向かって県境とクロスしている。流れ出たあたりでは「カメヤマ沢」というらしいが、トレースしていくと秋山郷辺りで「中津川」の表示に出会う。この”中津川”は群馬県内の野反湖を源として直線距離500m強を流れて長野県内へ入り、最終的に信濃川となって日本海へ注ぐ。野反湖は群馬県内にありながら日本海流域に含まれる。ちょっと不思議なケースである。
08.草津峠
地図06.草津峠
もう1つ。草津峠。これも・・・?。あまり聞いたことがない。念のためと思って検索してみた。
「草津峠」→群馬県北西部の中之条町と長野県北東部の山ノ内町の境にある峠。草津温泉と熊ノ湯温泉を結ぶ。標高 1956m。”渋峠”に代わる新道として開かれたが,1970年渋峠を通過する志賀草津道路 (国道292号線) が開かれてからは,ほとんど利用されない。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)。Web地図を見ると、たしかに峠から細い道が”熊の湯”まで続いてはいる。しかし、草津温泉までは道もない。
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