野洲川物語

南北両流跡探訪

北流跡・6A 
旧川尻橋から河口まで・左岸


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初稿UP:2012.01.16

写真撮影はすべて2011年12月
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写真00・エリア前半を展望

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 今回のコースは旧川尻橋跡から河口まで、具体的にいえばドリームファームからということになる。
 写真の右端がドリームファーム。およそ吉川緑地全体を展望している。視野はおよそ110度ぐらい。40年ほど前までは、このような堤防が延々と続いていたことになる。



写真01・ドリームファーム前

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 老人ホーム「あやめの里」の前からドリームファーム前の道路を見たところである。かつてはこの場所が川尻橋の西詰めだった。
 旧街道を見るように、えもいわれぬカーブを描いている。このカーブが旧堤防と地図の上で一致しているのである。木の影になってわかりにくいが、右がドリームファーム駐車場。手前の道路を左へ行けば湖岸道路の「鮎家の郷」。



写真02・吉川緑地入口

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 道路のタイヤ跡が右へ曲がっていく。旧川尻橋に替わってつけられた連絡道路である。堤防跡はそのまま直進する。正面が旧北流跡地の吉川緑地。幅200m余、長さすでに整備された範囲でも400m余り。現在まだ拡張中である。




写真03・三上山

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 写真2の場所から振り返ってみる三上山。距離約9.7Km。手前が北流跡地で建造物が少なく遠望が利く。画面右外に老人ホーム「あやめの里」。突き当たりを右折して進むと湖岸道路「鮎家の郷」へ出る。




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写真04・吉川緑地

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 道路から離れ、田圃の中から緑地を見る。中央広場に立つケヤキの木。葉を落とし尽くして竹ホウキのよう。前項「吉川緑地」中央広場から見た写真をどうぞ。よろしければもう1枚どうぞ。ごめんなさい、調子に乗っちゃって。もう止めます。




写真05・緑地はずれに立つ巨木

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 上の地図01で、左岸道路が稲妻型にくくっと折れ曲がるところ。89mの標石のない標高点あたりにたつ巨木。木の形からしてケヤキかと思うが、下半分をツルに巻かれてかわいそう。
 道路の斜面に次の写真06の石段が見える。




写真06・石段

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 道路から田圃へ下りる石段。最近造られたらしく、まだ石が新しかった。それを下って畦に立つと、ちょうど道路面が目の高さに来る。上の写真04や05にも見えるのだが、道路はずーっと田圃より高い。旧堤防は平坦化されてはいるが、実際には2m近い高みを通っている。



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写真07・なだらかなカーブ

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 再び道路へもどる。緑地沿いになだらかなカーブを描いて進む。道路と緑地はほぼ同じ高さ。緑地内部の残留水路は園内のレベルよりはかなり低い。この水路が元の北流とどれぐらい差があるのか、素人には分かりかねるが。




写真08・三上山を振り返る

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 田圃の中に三上山がくっきりと見える。下の写真09の突き当たりにカーブミラーが見える。そこから三上山を振り返ったところである。地図を見ると分かるが、このあたりではこの場所が旧北流からいちばん離れた地点である。そのため、三上山が緑地の森から大きく離れて見える。




地図01・当エリア全図A

 国土地理院5万分の1地形図 発行:1951(昭和26)年 写真拡大

 ここでちょっと旧い地図を見てみよう。いまから半世紀以上も前、私が高校生から大学生のころ、近郊の山を歩くのに使っていたのが残っていた。いまとなっては川尻橋が記載されているのが貴重である。それと北流が終端部で、さらに3つに分かれて琵琶湖へ注いでいたことが分かる。赤字は便宜上私が書き込んだ名称。地図本来の地名は黒字で、野洲川、菖蒲、川尻が見えるだけ。「下」の字は「下堤」と続く。



地図02・当エリア全図B

 国土地理院5万分の1地形図 発行:1970(昭和45)年11月 写真拡大

 ということで、終端部で3本に分かれる地図が他にないかと探してみた。左は昭和45年発行の5万分の1地形図である。放水路工事が始まる以前の状態を示している。おそらく地形その他の状況は昭和26年発行の地形図と大差なく、地図の表現がより正確になっただけではないかと考えられる。



地図03・当エリア全図C

 国土地理院2,5000分の1地形図 発行:2004(平成16)年2月 写真拡大

 上と較べて劇的な変化が見られる。北流デルタの地形そのものが変わっている。湖岸道路の開通による変化が大きい。右岸はまだ何とか似ている点もあるが、左岸に至っては全く地形の次元が異なる。この両者に共通点はあるのか。それがなければ、漠然とした比較は出来ても、詳細な突き合わせはどだい無理な話になる。
 結果、見つけだした共通点は、河口にある86.mの三角点、これが一つ。しかし、1つではどうにもならない。両者をピシャリと合わすには、もう1箇所必要だ。幸いなことに、地図02には旧川尻橋が記載されている。この橋の西詰めが現在のドリームファーム前の交差点、地図03でいうと94mの標高点(標石なし)の位置である。これが最後の決め手になった。



地図02・03重ね合わせ

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 地図02と03を、河口の三角点と旧川尻橋西端の標高点、この2箇所を頼りに重ね合わせてみた。
ドリームファーム前交差点から600mあまりの間は、現在の道路が旧堤防とピタリと一致している。これは想像以上だった。そこで現在の道路が稲妻状にくくっと曲がっているところ(クリックして赤い矢印の位置)で、旧堤防はそのまま西に向かって直進していく。あとは水路中心だった土地が、圃場整備によって、直線道路中心の地形に変わったということであろう。一目見たときは全く共通点がなきがごとくに見えた変化も、視点を変えれば意外と元の形が残っていたというところだろうか。



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写真09・稲妻状屈曲

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 写真を拡大して見ると突き当たりにカーブミラーが立っている。ミラーが必要なほどのカーブだとは思わないが、とにかくここで道が一端右に曲がり、50mほどすすんだケヤキの木(画面右端)のところで左に曲がる。城下町や宿場町でいう枡形のような形(稲妻状屈曲)をなしている。道路の右側のフェンスは、新しく整備された緑地。ここを左へ分かれる西支流が流れていたことになる。もう少し左を見ると、何となく左へ分岐していく様子が感じられて面白い。



写真10・カーブミラーからケヤキの木

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 カーブミラーからケヤキの木を見たところ。稲妻状屈曲の箇所である。この間の50mは、北流から左へ分岐した西支流が、右から左へ流れていたことになる。もし流れが残っておったとすれば、この間は橋がかかっていたことになる。もちろんその当時道や橋があったわけではないが。



写真11・ケヤキと三上山

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 写真05で見えていたケヤキの木。05の位置からは太陽の光を真正面から受けていたが、ここからはちょうど反対側へ回ったことになる。
 公園の拡張工事中。荷物を積んでいる道が舗装作業が終わったばかりの遊歩道。境のネットを張る準備をしているらしい。




写真12・工事中の遊歩道

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 工事中の遊歩道が下流側へ延びていく。写真では分からないが、ヨシが群生する中を残留水路が続く。奥の褐色の森の向こうは右岸堤防跡。
 その後工事が進捗、現在はフェンスが延々と続いている。




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写真13・工事中

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 手前が舗装の終わった遊歩道。茶色、菱形に見えるのが残留水路の上に張り出した舞台。その向こうに園内道路。車の後が右岸堤防林。それが少し切れて、向こうが見通せる。いまでもほとんど人は見ないのに、これだけ拡張してどれだけの人が来るのか




写真14・遊歩道ターン

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 遊歩道がターンして、残留水路の右岸へ出て、上流側へもどっていく。どうやら拡張はここまでらしい。手前の遊歩道が旧北流と平行、左が下流。白い橋が見えるのが、北流と垂直。流れをせき止める方向。白い橋の部分で下流とつながっている。遊歩道は2つ目の橋を渡ったところで、もう一度右へ曲がって上流へ。



写真15・道路の外側

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 道路の外側、長いビニールハウスと北山杉。











写真16・浄水場

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 比良山系をバックに、浄水場の建物が見えてくる。










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写真17・ヤナギ乱立

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 ヤナギの木が乱立する。その生え方たるや、全く好き放題。人の力が全く及んでいない感じ。









写真18・水辺の風景

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 残留水路水辺の風景、何となく湖岸そのもの風景に近づく。実際は茶色の濁水がたまっているのだが、このときは青空に映えて綺麗に見えた。水は動いていない。水辺の風景をもう1枚







写真19・舟で行く

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 どこから出てきたのか小舟が一艘、釣りにでも行くのだろうか。










写真20・湖岸道路近づく

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 湖岸道路が近づいてくる。湖岸に生えている松林が大きく見える。その手前ダンプカーが走っているのが、湖岸道路。松林の向こうに雪をかぶった比良山系。小さな写真では手前が水面に見えるが、実は畑のネット。




写真21・水郷風景

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 ヨシ原に囲まれちょっとした水郷風景。










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写真22・湖岸道路に出会う

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 湖岸道路(車が走っている)に出会うことになるのだが、細かくいうと湖岸道路に出会うのは、左から来た農道(地図03で左岸中央に南北に走る道路)である。カメラが立っているのが堤防跡道路。農道に鋭角で合流する。





写真23・三上山

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 湖岸道路から見た三上山。内湖の向こうに上半身だけが見える。右の高い山が石部の阿星山。堤防林をうまく処理すれば、結構いい風景になるのだが。






写真24・内湖の和船

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 内湖の湖岸道路側に止められている和船。これも絵になる。











写真25・内湖の水門

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 地図03に見るように、内湖は湖岸道路の下をくぐってみずうみ側と陸地側に分かれている。そこにつけられた水門。実際には水は止まっており、水門は全開したまま。閉められるのは琵琶湖水位が異常に上がった場合ぐらいだろう。
 右が琵琶湖、左が陸地である。遠くの松林は写真20に見えていたもの。



写真26・内湖・琵琶湖側A

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 水門の横から、内湖の琵琶湖側を見たところ奥の林の向こうが琵琶湖。撮影時に歩いてみたが、その時点では琵琶湖とつながってはいなかった。奥に見える山は比良山系北部から、湖北の山々。





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写真27・内湖・琵琶湖側B

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 湖岸道路から琵琶湖側へ下りて、内湖を見たところ。草付きの砂州が入り込んで、面白い風景を造っている。写真24の位置から右側へ回ったので、比良山系中心部が見えている。いちばん高いのが蓬莱山。





写真28・菖蒲園

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 冬枯れの菖蒲園。旧北流の堤防跡らしい高みから見たところ。左が琵琶湖。右画面すぐ外が湖岸道路。








写真29・内湖畔のモミジ

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 内湖畔に1本だけ色づいたモミジが残っていた。右の堤防が湖岸道路。幹の横に水門が見える。拡大すると2門とも全開されていて陸地側とつながっているのが見える。







写真30・湖岸A

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 内湖と琵琶湖との間の砂浜。私が行ったときは内湖と琵琶湖は完全に遮断されていた。静かな砂浜に小さな波が寄せていた。対岸が比良連峰。







写真31・湖岸B

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 砂止めだろうか。このような石組みがみずうみに突き出ている。手前の湖水の清澄さ。








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写真32・三角点?

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 さて、地図02・03を重ね合わすのにポイントになった三角点。いまとなっては、別に見ても見なくても大勢には影響しないのだが、それでも本当に存在するのかどうかだけは確認しておきたい。そう思ってあたりをうろついていると、うやうやしく柵で囲んだあずま屋があって、中に三角のテーブル状の板組みがある。ネコなら入り込めそうな隙間がある。わざわざその中に三角点を囲み込んだとは思えないが、念のため覗いてみる。何にもない。考えてみれば当たり前の話し。三角点をこんな板で上からカバーするアホはいない。それをわざわざ覗いてみたヤツはもっとアホだけど。



写真33・三角点

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 ほんまにあるんやろかと、さらにうろうろしていて、やっと発見。今度はまたなんとお粗末な。囲いがあるわけでない、目立つような石組みがあるわけでもない。ただの標石がぽつねんと地面から露出しているだけ。50年の昔、北アルプス烏帽子岳のブナ立て尾根。急な登山道のまん中に立っていたやつを思いだした。




写真34・「史跡八ッ崎」

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 ほんまにこれが三角点やろか。こんな林の中に。ひょっとしたらまだ他にもっとまともなのがあるのじゃないか。そんな気がして、さらにきょろきょろしてみると、バカに背の高い標石が立っていて、「史跡八ッ崎」とある。たしか兵主大社で話を聞いたときに、「八ッ崎」云々と聞いたような気がする。神主が12月の琵琶湖にはいる神事が確かこの辺だった。エエ加減なことを書いて間違っていたら、「八つ裂き」にされそうで・・・、ここらで。それにしてもたった5文字を入れるにしては背の高い標石でした、ハイ。





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