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野洲川物語

南北両流跡探訪

北流跡・1a 屯倉神社の水止め石


初稿UP:2011.09.27
も ど る


 写真MYK01・屯倉神社正面  2011(平成23)年9月撮影 GoogleMap
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 屯倉神社正面である。「村社 屯倉神社」の文字がなんともきまじめ。こういう字を見るとうれしくなる。たとえばいまの「村」の字、木偏の第2画、木の縦の棒ははねていない。右の「寸」の第2画ははねてある。私達の小学校で習った字は、木の第2画ははねた。当然木偏もはねた。それがいつの間にかはねなくなった。たとえばこの石標の「村」の字は、いまの漢字テストではXになる。しょうもない話である。



 写真MYK02・旧八町堤防水止め石・1  2011(平成23)年9月撮影
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 さて鳥居をくぐって境内へはいると右手の森にこの水止め石がある。「旧八町堤防水止め石」と刻まれているが、今度は旧八町の意味が分からない。昔「八町」という名の町があったのか、XX町、〇〇町など、全部で八つの町があったのか。それとも飛躍して「八丁堤防」という長さ8丁(約880m)の堤があったのか。と考えて、いま市三宅のはずれから、竹生口付近で大きく竹生集落に向かって折れ曲がるまでの堤防の長さを測ってみると約900m余りである。「丁」の字には「町」が使われることがあるから、案外これが正解かなとも思う。


 写真MYK03・旧八町堤防水止め石・2  2011(平成23)年9月撮影
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 広角を使ったので、石がねじれて写っているが、実際にねじれているわけではない。左右の柱に溝を掘っておいて、一旦緩急あれば、上からこの石をすとんと落としたのであろう。だから石のことを英語でstoneというとは、誰かの下手な駄洒落。それはともかくとして、両側の柱の高さからして、石は2枚ぐらいか。隙間から水は漏れただろうし、これでどれくらいの効果があったものか。当時の人々の苦労が偲ばれる。


 写真MYK04・巨木クロガネモチ  2011(平成23)年9月撮影
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 鳥居の横に立つクロガネモチ。滋賀県巨木65選の1つであるという。65選とはまたけったいな数を選んだものだが、それはさておいて、樹齢およそ200年、高さ22m、周囲3,5mという。樹齢から考えて過去およそ200年間、この地で、この木が傷ついて死んでしまうほどの大災害がなかったということか。




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