A.「横田橋まで」へ

三上山スペシャル


野洲川流域から見る比良三上

B.横田橋以遠、鈴鹿山間部まで


暫定UP:2011.07.13
増補改訂UP:2012.01.27
HPトップへ


 7.横田橋以遠に見る地形の特殊性

  地図201 国土地理院データ地図
写真拡大

 さて横田橋以遠である。ここからは一筋縄ではいかない。まず地図を見ていただきたい。水口方面から三上山を見るときの見通しの関係図である。
 地図は大きく4ブロックがつながっているが、3ブロック目のまん中あたりにある「三雲・朝国狭隘部」。この言葉は、ここでの話を進めるために私が作った名称である。南から烏ヶ嶽のすそがせまり、北から朝国丘陵(これも私が勝手に使っている名称、別名TOTOの丘とも)が迫る。その300mほどの間をJR草津線、旧東海道、国道1号がひしめき合い、さらに野洲川が流れ下る。当然、我が三上山の視線もそこを通過しなければならない。
 地図の緑色の三角形は、仮に三上山のすそいっぱいの姿を狭隘部を通して見るとすれば、どれだけの幅が必要かを示したものである。まず、菩提寺山が立ちはだかる。三上山山麓の線は菩提寺山の半分をカバーするように通過する。実際には互いに譲り合いながらという感じにはなっている。つぎに十二坊のすそを絡める。そして三雲・朝国狭隘部。ここでも南岸、烏ヶ嶽のすそを絡めて通過する。  

  カシミール画像50 
写真拡大

 左は、カシミール3Dを使って作画したものである。カメラ位置は地図201の印の位置。300mの隙間を通して三上山が見える構図である。カメラはかつてのフィルム時代の標準レンズ、50mmにセットしてある。こうしてみると、狭隘部・300mの隙間が三上山の風景にとって如何に貴重かが分かる。


  カシミール画像200 
写真拡大

 同じくカシミール3D、レンズを200mmの望遠にセットした。菩提寺山のすそが三上山の左すそを隠す状態、右側の朝国丘陵と十二坊のすそとの二重構造、それらが三上山の右すそを隠す様子が見てとれる。このように菩提寺山と十二坊の隙間、三雲・朝国狭隘部この二重のネックを通して見るわけで、その範囲は極度に限定される。


  カシミール画像 湖南市側から 
写真拡大

 カシミール3Dの画像、湖南市側から見たところである。レンズは35mm。やや望遠ぎみというところ。国道1号泉西交差点から、バイパスへ、高架橋を下ったところにある感応式信号を左へ曲がったところである。
 狭隘部越しに見える奥の山は滋賀・三重県境の標高がぐっと低くなっているところである。現場からの写真をどうぞ。撮影現場地図



 8.水口山間平野

Google Map(横田橋以遠)

 これも私の造語である。横田橋を越えると左右が小高い山に挟まれる。といっても谷間ではなく、結構広々とした平地という感じである。一見どこからでも三上山は見えそうな気がするが、実際には見えるのは狭隘部を通した狭い範囲は限定される。

  写真201 水口町酒人から  撮影:2012.01.22
写真拡大

 横田橋から1.4Kmほど上流の地点。ただの川原で何の目印もない。湖南市朝国、国道1号高架橋を下って、信号「泉西」で県道535号へはいる。500m足らずで旧東海道・横田の渡し常夜灯。その裏から堤防上の道をさらに500mほど上流へ進むと、子供がソフトボールで遊べるぐらいの広場があって、野洲川の河川敷へ通じている。
 右にいま渡ってきた朝国の高架橋が見える。そこが朝国TOTOの丘陵。その部分は二重構造になっていて、その奥に十二坊の裾が見えている。(朝国丘陵は茶褐色、十二坊は緑がかって見える)。左の近くに見えるのが三雲烏ケ嶽のすそ。三上山はその隙間にすっぽりと収まっている勘定。
 手前の川が野洲川、カメラの前を横切っているように見えるが、実際は右斜め前方へ向かって流れている。このあと高架橋下あたりで左へ曲がり横田橋へ。横田の渡し常夜灯あたりからも見えそうな気がするが、実際には右に寄りすぎて、朝国丘陵に隠れてしまう。


  写真202 水口町宇田から  撮影:2012.01.17
写真拡大

 上の地点から1.3Kmほど上流、柏貴農道が通る新柏貴橋付近である。国道1号泉西信号からさらに東へ走ると、赤と白の高圧線鉄塔が見えてくる。その下の信号「さつきが丘口」を右折、そこからさらに1.4Kmほどで野洲川の堤防林が見えてくる。ここはその手前の農地である。
 三上山から見た方位は上の201とともに、地図201の赤い線上である。線上の地点を無理に探しているわけではない。見える地点を探すと、それが自然に一直線上に並んでいるわけである。比良山系のとの関係もほとんど同じである。撮影場所が遠ざかった分、朝国丘陵が低くなり、相対的に比良山がしっかり見えるようになっている。
 朝国丘陵と十二坊のすそとの二重構造が見える(朝国丘陵が茶褐色、十二坊が緑っぽい)。ワイド版で見ると十二坊(頂上付近にアンテナが何本か見える)までの関係がよく分かる。上のカシミール50の作画とよく似ている。
 500mほど前進した(三上山に近づいた)ところ。三雲・朝国狭隘部が広がって、その間に三上山がきっちりはまりこんだところ。



  写真203 菩提寺山  撮影:2012.01.17
写真拡大

 上の地点から100m余り右へ寄った。風景が劇的に変わる。三上山が朝国丘陵の上から上半身を見せる形になり、狭隘部には菩提寺山が見えてくる。上の場所からは烏ケ嶽のすそにに隠れていたのが現れたのである。当然、その分比良山も右へ寄って、十二坊山裾との関係は苦しくなっている。走る車から見ていて、山の動きは刻々変化する。当たり前のことだけれど、ここではそれをとくに強く感じるところである。



  写真204 水口町貴生川  撮影:2012.01.17
写真拡大

 水口町貴生川の近江鉄道沿いに佐土神社という小さなお宮がある。その背後の農道からの撮影。カシミール50のカメラ位置は三上山に向かって、佐土神社の右側(カメラの左後ろの偉人者がある)。この写真204はカメラの右後ろが神社。その分狭隘部がはっきりせず、三上山は烏ヶ嶽ののすその上から姿を見せている。
 旧東海道沿いを流れてきた野洲川と、南のJR草津線沿いを流れてきた杣川にはさまれた農地である。なお杣川は写真201の撮影地点あたりで野洲川に合流する。
 中央に写っている赤白の鉄塔は、写真202で述べた柏貴農道沿いに立つもので、202の地点から見れば、さらに約1.3Kmほど遠ざかったことになる。意識して探したわけではないが、ここもまた前の写真201と202と並べるとほぼ一直線に並ぶ場所である。したがって、三上山と比良山との関係は三者ともよく似た関係であり、あえていえば、三上山に対して比良山が徐々に大きくなってきているといえる。



 9.水口市街地

Google Map(横田橋以遠)

 近江鉄道の線路を境として、水口の市街地へ入る。当然建物が混み合って、眺望はきかないが、川の流れの向きにはかろうじて遠望がきく。この「比良・三上」の項は、下流域からずっと川の流れをトレースしてきたわけで、ここでも同じ形が見られる。

  写真205 水口町内貴橋  撮影:2012.01.17
写真拡大

 野洲川の内貴橋からである。上の写真204・佐土神社はどちらかというと南の杣川に近い。ここはその佐土神社から約1.3Kmほど右後ろへ移動したことになる。そのため狭隘部を見通す線からは大きくはずれ、三上山は十二坊の中腹に乗り上げた感じである。比良山は十二坊の中腹の上に権現山から蓬莱山までが顔を覗かすという構図になっている。写っている電車はいうまでもなく近江鉄道。私としたら、その背後の竹薮が除かれたらなーという思いである。



  写真206 水口町水口大橋  撮影:2012.01.17
写真拡大

 国道307号水口大橋南詰めから。内貴橋から600mほど上流にかかる橋、川はもちろん野洲川である。木の影になって一部しか見えないが、十二坊のすそから三上山が上半身を見せ、中腹の稜線の向こうに比良山が見える(注意して見ないとわかりにくいが、2本のメタセコイヤの間に見える)という状態である。



  写真207 水口スポーツの森  撮影:2012.01.17
写真拡大

 水口スポーツの森。水口大橋の南西に位置し、小高い丘の北西斜面が芝生で覆われ展望がきく。麓のスポーツ施設のポールが立ち並び、必ずしも景観良好とはいえないが、遠景だけに限るならば、三上山、十二坊、比良山系の関係を読みとることが出来る。十二坊の頂上付近から中腹にかけての稜線と、蓬莱山から権現山にかけての稜線の傾きが不思議に一致しているのが面白い。



  写真208 水口大池  撮影:2012.01.25
写真拡大

 水口大橋から貴生川へ向けて、国道が小さな峠を越える。その頂上の少し手前右側に小さな池があり、その向こうに三上山が見える。以前は背の高い松の木が何本かあって、結構叙情的な風景だった。これは1990年の撮影で、いまとはかなり風景が変わっている。いまはそれとは比ぶべくもないが、とにかくそこから例のトリオが見える。
 池から道路を隔てた反対側に、水口子どもの森の駐車場があって、そこの案内板によると、この池の名は「大池」とある。



  写真209 水口古城山  撮影:2012.01.17
写真拡大

 水口大橋大橋へ戻って市街地へ向かうとき、右前方に平たい鍋を伏せたような小高い山が見えてくる。これが古城山である。最近山頂部の樹木が伐採されて見通しがよくなった。上り口は北側の水口城山中学の前からで、水源地の下まで車で上ることが出来る。そこからは徒歩になるが、標高283m、ちょっとした散歩コースだから大したことはない。
 本丸櫓跡とある山頂からは水口市街地を通して真正面に十二坊が見える。ここの位置が例の狭隘部を見通す線からは右に寄っており、本来なら十二坊の陰に隠れて見えるはずはないのだが、カメラの標高が高くなったため、かろうじて中腹から頭を見せている形である。比良連峰は十二坊の反対側に見える。



 10.野洲川流域から

Google Map(横田橋以遠)

 上の地図201の古城山付近を見ても分かるとおり、そこで野洲川は大きく向きを変える。このあと上流へ向かって三上山が見える地点があるのか。川の向きが何となく三上山からの視線の向きに似てくるのである。とにかく橋の上からだけでも確かめてみよう。カシミールで見ると山頂部なら何とか見える場所もあるにはある。問題は実際に見えるかどうかである。

  写真210 中継ぎの一枚  撮影:2012.01.17
写真拡大

 水口頭首工の上流にある新岩上橋、何となく見える雰囲気だったが、結局は駄目だった。そのあと橋を渡って県道538号を進む。これは水口町和野の集落の近く。古城山の向こうに十二坊が見え、その左に三上山が見えた。比良山は三上山の右に見えるはずだから、古城山や、十二坊が小さく見る場所までバックすればひょっとしたら見えるかも知れない。



  写真211 高みから  撮影:2012.01.17
写真拡大

 さいわい後は田圃だった。しかも遠くへ行くほど徐々に高くなっていく。地図で測ると1.3Kmほどバックしたことになる。国道1号「徳原」交差点からやってくる道が野洲川を渡って坂を上ってきたところで、標高は220mぐらい。古城山よりは低いが、それが右に逃げてくれて助かった。この写真で三上山、十二坊、古城山と並んだところに小さく鉄塔が見える。その鉄塔が上の写真210の右端に写っている。さらに300mほどバックした地点からのをもう1枚。ほんのちょっとの違いだが、十二坊が古城山の背後に隠れかかっている。



 11.杣川流域から

Google Map(横田橋以遠)

 最後にもう1本の見え筋、草津線沿いである。JR草津線は三上山の川向こう石部から柘植まで、例の三雲狭隘部での屈曲はあるが、その後もほぼ直線に走り抜ける。これは言い換えたら野洲川の支流・杣川流域を走っていることになる。ひょっとしたらこの川筋に見える場所があるかも知れない。

  写真212 甲賀町上野  撮影:2012.01.17
写真拡大

 甲賀市甲賀町上野、JR草津線油日駅の約1Km南、三重県境まで直線距離で約3Kmというといころである。このシリーズでこれが平地から見た最も遠い三上山だろう。もっとも何をもって”平地”とするかの問題は残るが。まあ、要するにこの写真に見るような普通の農地があってということにしておこう。
 この場所の標高が225mぐらい。三上山山麓が122mほどだから、100mばかりこちらの方が高いことになる。それは考えてみれば当たり前のこと。野洲川は鈴鹿を水源として、琵琶湖へ注いでいるのだから、それぐらいの高低差はあって当たり前。そうでなければ水は流れない。
 三上山からの距離が約26Km、右の白い建物の上に蓬莱山(1174m)。とにかく、比良山が三上山より文句なしに高くなったことが分かる。もう1枚、同じところからの夏バージョンをどうぞ。


  写真213 甲賀町油日  撮影:2012.01.22
写真拡大

 甲賀町油日から五反田に抜ける道路のどちらかという油日寄り、標高245mぐらいの場所である。県道4号五反田から高間みずべ公園へ向かっていて、うっかり道を間違え田圃の奥に三上山が見えた。全く偶然の産物だった。右に縦を伏せたようになだらかに見えるのが十二坊。左は手前の森で視界が遮られているが、烏ヶ嶽のすそである。次の写真214では菩提寺山が見えているが、ここでは烏ヶ嶽に隠れている。望遠バージョンをどうぞ


Google Map(横田橋以遠)

  写真214 高間みずべ公園から  撮影:2010.11.09
写真拡大

 県道4号、ほとんど県境に近い甲賀町五反田。油日岳の麓に当たる。文章では書きようがないので直接地図を見てもらうしか方法がないが、現地へ行くと案内板があるので、何とかたどり着けるはずである。みずべ公園、文字通り油日岳からの水を利用して、子供が夏場に遊べるように設けられている。公園の上手に堰堤があって、その横から三上山が見える。
 比良山との関係は上の写真213とよく似ているが、こちらのほうが右へ寄った分、比良山も右へ移動している。杉の木ギリギリのところに見える山。地図を見ると、この撮影場所と三上山を結んだ線が三雲・朝国狭隘部を通るのが分かる。むべなるかなというところ。左、手前にでかく見えるのが烏ケ嶽、右、低くなだらかなのが十二坊。両方のすそが三上山を挟み撃ちしているのが見える。望遠バージョンをどうぞ秋バージョン。左下、林の上にチラと見える白い線が新名神の高架橋である。

  写真215 油日林道から  撮影:2009.08.24
写真拡大

 油日岳(694m)、鈴鹿山系最南端の山である。古い昔、この山頂に油日大明神が降臨し、そのとき大光明を発したので、「油日」の名が起こったという。山頂に祀られている「岳大明神」を奥宮とし、ふもとの油日神社を里宮とする山岳信仰の山である。創建は古く聖徳太子によるとの伝承も。
  現場は、油日神社の裏手から林道を2kmほど入った杣川源流沿い、直線距離28.3Km、標高400mぐらいの場所である。写真212の甲賀町上野から、3.2Kmほど右後ろへ移動したことになる。それによって、権現山の左下りが右へ移動している。三上山のすぐ手前、右へだらだら上りの山稜は十二坊である。

 12.山間部から

Google Map(横田橋以遠)

  写真216 飯道山から  撮影:2009.01.07写真拡大

 飯道山・664m。甲賀市水口町と信楽町の境に位置する。湖西側から見ると、なだらかな山容に見えるが、近づいてみると起伏に富んだ、いかにも修験道の山という感じがする。水口町側からも、信楽町側からも登山道は完備しているが、今回は信楽の宮町、ゴルフ場横からの道をとった。麓から頂上まで、ゆっくり登って1時間弱だった。
 登り着いて、あっと息をのむ。北アルプスかと見まがう雪の比良山系、想像以上の眺めだった。10年前にはもっと楽に見えた記憶があったが、木が伸びたのだろう、今回は三脚の場所に苦労をした。
 三上山の右上一番高いところが武奈ヶ岳。湖東平野から見てピークが奥にあるため存在感を感じない峰だが、ここまで登るとよく分かる。画面左端雪の多いピークが蓬莱山。びわ湖バレイの斜め線がきっちり見える。比良山の麓に琵琶湖が横たわる。三上山の手前に相似形の菩提寺山が重なっているのだが、写真では判別しにくいかも知れない。

 11.那須ヶ原山から

  写真217 那須ヶ原山山頂から  撮影:1999.04.08
写真拡大

 那須ケ原山(800m)。油日岳の隣の山である。油日岳を鈴鹿山系の最南端とするならば、”油日のすぐ北の”という表現になるのだが、鈴鹿の稜線はこのあたりでは西に曲がり、那須原山は油日のすぐ東ということになる。三上山からの距離30.7Km。これだけ離れても三上山は見事なスタイルである。
 三上山の左側に並んで見えるのが菩提寺山。その手前、左側から流れ下る稜線が三雲の烏ケ嶽の裾。そこから右へちょっと隙間があって、白い建物が朝国のTOTO建物群。その間の山峡を私は「三雲狭隘部」と呼んでいる。野洲川はそこを通って、甲賀市側から湖南市側へ流れ出る。そこにかかる橋が横田橋。甲賀市側の平地で三上山が見えるのは、その狭隘部を見通せる場所のみである。話がくどくなって分かりにくいかと思う。山名入りの写真217Aをご覧いただきたい。もちろんここは平地ではなく標高800mの山頂。狭隘部などくそ食らえ、文句なしにその姿が見える。
 三上山の向こうが雲に見えるが、そうではなしに写っているのが比良山系の山腹。稜線がはっきりしないのが心残り。といって簡単にもう一度というわけにもいかないし。
 この写真は10年以上前の撮影。もしいま、同じアングルで撮れば、丘陵地帯を横切る新名神が見えるはず。

  写真217 霊山から  撮影:1999.08.25写真拡大

 野洲川流域を越えたオマケの一枚。三重県伊賀町、霊山(766m)から。写真を拡大してゆっくり見てもらうと見えるはず。珍しい写真だが、残念ながら野洲川流域ではない。手前の丘陵地帯を滋賀・三重県境が通っており、それが分水嶺になっているはず。
 名阪国道・伊賀ICの南に位置する山である。山の南東側の田代湖畔、野外活動センターの裏から登山道がついている。駐車場に入れようとすると職員らしき人が誘導してくれる。親切なことよと感心してよく聞くと、別の集会のためだった。はいはいごめんなさい、妙なのが紛れ込んで・・・。
 三上山が顔を出しているのが三雲の烏ケ嶽。その向こう、右側から流れ落ちてくるのが十二坊山からの稜線。どこに三上山があるのかと思われるかも知れない。できれば三上山をもっと右へもっていきたかったが、登山道完備の山でいえば、油日だけということになるのかも知れない。
 三上山の背後に琵琶湖が見るかもしれないと目を凝らしたが、明るくかすんで肉眼での認視は不可だった。しかし、フィルムには写っていた。比良連峰ははっきり見える。ここまで来ると「どうしたら比良山が大きくなるのか」と悩んだことがウソのよう。まさに屏風である。


HPトップへ A.「横田橋まで」へ このページのトップへ