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このページは、附録:『分水嶺総集編:野洲川源流域 』と略同一です。 |
地図N09.野洲川流域分水嶺地図 雨乞岳 渋川越え(私が勝手につけた名称)を過ぎると雨乞岳まで峠はない。こういう書き方をすると、雨乞岳には峠がありそうに聞こえるが、地図を見てお分かりのように、クランク状の峠になっている。鈴鹿スカイラインの方から登って来て、雨乞岳の少し東(御在所岳寄り)の稜線へ登りつき、稜線を経て、雨乞岳のピークから北へと下る。その先すぐのところに「杉峠」とある。何か曰くがありそうな記憶があった。しかしきっちりしたことは思いだせない。PCで検索したら、杉谷善住坊が織田信長を狙撃した場所で、隠れ岩が残っているとか。私には歴史的なことを書く能力はないが、どこをどう通ってここを通ったのか、地図で見るだけだが、どちらから歩いてもとんでもない場所だ。 越えない峠 それともう1つ。どう考えても不思議な話。鈴鹿スカイラインの武平トンネルの手前で、スカイラインの道路をくぐって稜線へ登りだす道がある。スカイラインを登って来ているのだから、大した苦も無く稜線につく。そして、愛知川源流側へ越える。ちゃんとした峠である。ただし、その道が愛知川源流に向かって下るならば…。不思議なことにその道は分水嶺と並行に進んで、雨乞岳の手前で稜線に戻る。峠というものは、A側からB側へ越えてナンボのものである。一旦越えたところで、下ることをやめて元に戻った場合、その峠は峠といえるのか。「超えない峠」、不思議な峠である。 御在所山 いま辿っている稜線(野洲川流域と愛知川流域の分水嶺)は、当然御在所岳へたどり着くものと信じていた。それがそうでないことを知ったのは、この分水嶺探訪の出発準備をしていたときだったか、それとも武平峠へ登ったときだったか。いずれにしても地図を見ていて気がついた。このときはほっとした。あの公園みたいなところへ行かなくていいと分かったからである。御在所山へは2,3回登っているが、それでもうたくさんだと思っていた。ボクは祭りだとか公園だとか、博覧会など、人がワンサカ集まるところは大の苦手。こんどの取材で、御在所へ行かなければならないとしたら…と恐怖を感じていたが、これで役が一つ終わった思いである。御在所山山頂付近Web地図。 御在所山(1212m)と雨乞岳(1237m) ”山”と”岳”はどう違うのかよくわからない。標高によって分けているのかとも思うが、同じ鈴鹿の南の方、那須ヶ原山(800m)、油日岳(693m)という妙な例がある。まあ、そんなことはさしおいて、鈴鹿連山の中でロープウエーがついているのはこの御在所山だけ、まさに鈴鹿のエースである。で、初めて行く前、標高800mの那須ヶ原山から琵琶湖が見えたのだから、1212mの御在所山からも見えるはずだと期待した。しかし実際そこに立って見て、がっかりした。でかい山が目の前にあって、びわ湖どころの騒ぎではない。帰って地図で確かめた。雨乞岳が立ちはだかっていたのである。琵琶湖西岸から見ても同じことが起こる。坂本の山麓から鈴鹿山系の写真を撮った。当然、御在所山が写っているはずと、目を皿にして探したがない。同じように雨乞岳が邪魔をしていた。最後にもう1枚、この写真は”近江富士まんだら”に収録した雨乞山からの三上山(岡本宏撮影)である。おたがい、近くにいるというだけで、”岳”と”山”だけでは済まない影響を与え合っているのである。 |
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