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付録:分水嶺総集編

北周りF・山川/稲川/大日川流域

初稿UP:2022.02.25

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地図N06.山川・稲川・大日川流域分水嶺地図
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県道182号A越え(写真・下)
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  中畑越えを過ぎると、分水嶺は日野川流域の迫谷川源流と山川源流との間を蛇行しながら南下する。そして、県道182号から分岐して、グリーンバイパス近くの迫集落へ向かう細い道とぶつかる。これが”県道185号A越え”である。写真に見るように、峠とはいえないようなどこにでもある風景である。本文のレポートで次のように書いている。・・・薪積を撮ったりしていたら軽トラが1台やってきた。これがきょう歩いた区間で、上迫の集落内は別にしてクルマと出会った唯一のものだった。軽トラは見えている道の先端できゅっとブレーキをかけて左下へ消えていった。・・・峠を越えて振り返ると、ブレーキの意味が分かる。ここも市町境であるが何の標識もない。


  県道182号越え(写真・右)
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  このあと、分水嶺は県道182号の北に開けたこじんまりとした住宅地の山側を巻いて、県道182号と183号がぶつかる交差点へ出てくる。地図で見ると分水嶺はT字路交差あたりを通過しているが、182号だけを見れば、交差点の少し手前、大きな倉庫の前あたりが最高点になっている。これが右の写真である。このあと県道は三差路を過ぎて300mほどの共用区間を挟んで、182号は東へ、183号は北へ抜ける。そして分水嶺は布引山への上りにかかる。
  布引山山地。山川流域と稲川流域を分ける東西に長い山地である。その東半分には稜線を通して道路が走っている。県道182号越えを出た分水嶺は、その稜線上の283mの三角点へ上ってくる。



5.稲川流域
茶畑越え(写真・下)
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  布引山のピークともいえる262mの三角点のすぐそばの十字路である。クルマが走っているのが、国道1号”徳原”へつながる県道183号、カメラの向き前方へ伸びているのが稜線を東へ向かう道。この道をしばらく進むと、左手から細い道路が合流してくる。この道路とともに分水嶺が上がってくる(左の写真)。ここが茶畑越えである。「182号越え」から南東へ伸びてくる市町境界線がここで尾根筋とクロスし、地図の上では道路が日野町側へ出る。ここが200mを越える高原であるが、一見したところ平地としか思えない。たとえばこの道が県道や国道ならば市町境界標識などが立っているのだろうが、ここにはそれもない。



  学園西越え(写真・下)
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  滋賀県立淡海学園の構内が分水嶺をまたいでいる。布引山交差点から市町境と並行してきた道路が日野町内へ入る。左の写真は、左へ離れていく道を溝が斜めに横切っていく。市町境は目には見えないが、この溝を市町境界と読み変えると分かりやすい。ただしここで市町境界線が茶畑越えからやってきた道の左側(東を向いて左側・道の北側)を通ってきた場合である。ヤフー地図はその状態をきっちり表現している。ところが国土地理院のWeb地図では市町境界線は道の南側を通っている。これだと学園構内へ直進していく道を横切ることになる。目に見えない市町境界線が道のどちら側を通っているか。写真の溝が市町境界線だとしたら、ヤフー地図に軍配が上がる。



学園東越え(写真・右)
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  淡海学園の敷地に入るところで市町境を越えた。道は日野町域を通過中。もう一度跨ぎなおさなければ甲賀市域へは戻れないはず。現場を歩いたとき、その場所が分からなかった。もう一度市町境がはっきり表現されているヤフー地図を見直した。北東のカーブのところで細い道がT字型に分岐し、道から見て左肩が市町境になっている。改めてその部分を撮りに行った。平地ではほとんど消えていた2,3日前の雪が、ここではまだ残っていた。梅林の横を過ぎて、右カーブの下りにかかるところだった。右の写真で奥に向かって上って行く細い道の、左側が市町境である。



6.大日川流域

  地図を見れば、山川も、稲川もともに野洲川へ流れこんでいる。野洲川の支流であることは間違いはない。両者は布引山地で隔てられているが、それを含めて三者とも東西に長く伸びている。いや、東西ではわかりにくい、野洲川と同一方向といえばいいのか。普通、川は山地から川筋に向かって流れ下る。木の幹に対する枝の関係である。ところが山川も、稲川も共に野洲川と並行に流れ下っていたのである。特に稲川に至っては、山地から流れ下るいわゆるタテの流れと交差までして流れ下る。明らかな農業用水として人間がコントロールしている流れであった。そんな流れの中にあって、大日川は、久しぶりの山から流れ出る流れである。


 頓宮越え(写真・下)
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 県道41号、国道1号”頓宮”から日野町鎌掛に向かう山道である。市町境の峠を越すが国土地理院Web地図に名称はない。途中頓宮新池から峠までの間で、シカに出会った(本文にはスライドショーで紹介している)。道は平地を行く間は2車線で何の苦労もないが、野上野への道を分けでしまうと、とたんに1車線の山道になる。写真左が峠道。峠を越えて日野町側から見返したところ。大日川流域の分水嶺は短いが、その間に峠が2本越えている。この”頓宮越え”と、次の”笹尾越え”の2つである。

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 笹尾越え(写真・下)

  頓宮越えのすぐに東に位置する”笹尾越え”である。右の地図は昭和45年編集、同57年修正の国土地理院5万分の1の地形図である。この中の緑が丘ファイブ住宅地の北側に記載されている”笹尾峠”が不思議でならなかかった。県境などだったら、有名な峠の名前が記載されている。それはわかる。例えば鈴鹿峠などである。しかし、ここは市町境だ。しかもこの地図が発行されたされたころは、甲賀市はまだ”市”ではなかったはず。なのになぜこの峠だけが記載されているのか。

  疑問が疑問のまま年月が経ち、2012年12月、この分水嶺峠道探訪を始めた。改めて滋賀県の街道の解説書を読み直した。その中で、東海道・土山から中山道・五個荘に至る御代参街道が、この笹尾峠を越えていることを知った。なぜ国土地理院の地形図にこの名があるのか。やっと意味がわかったのだった。
  この峠は歩かなければならない。資料を集めている間に不思議なことに気がついた。国土地理院の地形図には、”緑が丘5(ファイブ)”住宅地の北側にその名がある。ところが最近のウェブでの情報では、それが当該住宅地の西、いくらか離れたところへ移動しているのである。住宅地北の峠は廃道になっているとか。これは頭の中だけで考えていてもどうにもならない。実際に行ってみなければ分からない。それが今回の取材だった。

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  左の写真が、現在の笹尾峠である。”緑が丘5(ファイブ)”住宅地から300mほど西へ離れた位置にある。住宅地の方から歩くと最初は水分を含んで歩きにくかった道が、いつの間にかササが生えた乾いた道に変わる。そして標高差で4,5mの勾配を登り詰めるとちょっとした広場へ出る。そこが現在の笹尾峠である。左の写真は登り詰めて振り返ったところである。
  なお、旧の笹尾峠から鎌掛へ下る道は、谷筋を下っていたが、現在の道は、逆に尾根筋を下っている。展望が利く気持ちのいい道である。



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