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地図005.大原川流域地図4 (国土地理院Web地図に加筆) 大原川上流部である。前項・信号のある交差点を過ぎると、川は県道129号から遠く離れ、見た目にはほとんど変化はない。地図に”深山口”とあるあたりへくると、川は近くへ戻ってくるが、これも地図の上だけで、肉眼でそれを確かめることはできない。 9.J 点付近 写真084.県道129号分岐点道標 Y字型分岐点、県道は左へ分かれていき、写っているのは二股部の道標と”那須ヶ原山登山道”の道標、それに橋に続く里道である。後はごちゃごちゃしたものがあるが意味不明。 写真085.深山橋 平地を直進する里道の橋である。地図によるとこの辺りの地名が”深山口”らしい。多分これで”深山橋”で正解だと思うが、”深”の字体が今のと少し違っていたり、”やま”が草書体で横に長く崩されていたり、難しいところがあるが地名と照らし合わせても間違いはないだろう。 写真086.深山橋上流 Y字分岐から山に向かって左方から流れてくるところである。数10m上流方に落差工がある。小と大、そして少し手前にもう1つ。光の加減で黒く見えるが、中ぐらいのもの、大中小3つの落差工が連なっている。 写真087.深山橋下流側 下流側である。すぐそこに県道131号の橋が見える。遠くの空は白っぽいのに、上空は青空だったらしい。水面が異様に青い。 写真088.深山橋 橋を渡り切って振り返ってみたところである。奥に県道129号が右斜めに通り過ぎていく。そして道標が立っている二股部(こちらからは白い立札の裏側が見える)。 写真089.下流側 三差路へ出て県道131号を、先ほど深山橋から見た橋のほうへ歩いてみた。すぐ橋に出る。下流側。いままで見てきた川ではいちばん浅い。当り前のことだが、水は清らか。 写真090.上流側 上流側である。橋を境にして上流側を見ているのだが、先ほどの下流側に比べて深く見える。この深さがこのあたりの川のスタンダードである。 写真091.みやまばし 山を見て楽しみながら、ふと橋のプレートを見ると、・・”みやまばし”とある。?深山橋といえば、向こうに見えている先ほどの橋やないか。向こうが漢字でこちらがひら仮名。まさかそんなアホなことはないだろう。そんなアホなことをしたら、どっちがどっちかを覚えるだけで苦労する。アホなことといえばまさに間抜けた話だけど、漢字のプレートを撮ってこなかった。おんなじ川やし、ほとんど同じところに架かっているのやから、同じ名前でええやないか。地元のおっちゃんのそんな声が聞こえてくる。 写真092.Y字三叉路 橋を渡って131号をそのまま進むと「Y」字を上下逆にしたようなY字路に出る。その二股部に小さな祠が建っていて、その前に碑が見える。 写真093.南無阿弥陀仏碑 碑の下部をセメントで補強したあとが見えたが、それがなんらかの力を受けて壊された跡と見えた。それも事が起こってから日にちが経っていないと見えて放置されたまま。ホウキでもあればもう少しまとまった形まで収めたかったが、素手ではどうにもならず。また赤の他人が手をつけていいものかどうかも分からない。 余談 徳本上人 南無阿弥陀仏碑 右は、東近江市鋳物師町”鋳物師”交差点に立つ徳本上人”南無阿弥陀仏碑”である。御代参街道を歩いたときに出会った。 |
場所:日野町三十坪 |
場所:鋳物師交差点 |
場所:日野町平子 |
場所:日野町蔵王 |
まずこの4 基について一覧表に整理してみた。4 基ともに共通なのが”南無阿弥陀仏”の独特の字体。とにかくの字体は一度見たら忘れられない。それと”徳本”のサイン。トクの字は旧字体。ワープロでは出てこない。ハンコは枠の中に”出”の字のY軸、X軸のそれぞれの線を長くしたもの。 10.K点付近 地図006.J 部拡大地図 (国土地理院Web地図に加筆) 写真094.大原貯水池畔(K点) 深山口のY字型三叉路(J点)から県道129号を860mほど進んだところ。地図でK点と示したところである。この2点は不思議なことに両方ともに三角点が設置されている。現場での確認はしてこなかったが、国土地理院のWeb地図によると、J点は271m、K点は309mとある。この間の標高差約40m。深山口の田んぼの一般的な高さに対して40mの高みにある。 写真095.大原貯水池畔(K点) 同じ場所から奥に見える山をアップした。何度も書くが、ここまで来ると山名がおぼつかない。例によってカシミールでの作図。山頂右の”大くだり”と左手前に見えるほぼ同じ高さのピークが特徴。右のピークが那須ヶ原山である。それはそれでいいのだが、左のピークはいったい何者か。那須ヶ原山に匹敵するほどのピークがあるとは考えられないが。 11.L点付近 写真096.大原貯水池畔(L点) 地図006の J 点、写真084に見える”右 山道”のところに「那須ケ原山道」の木の標識がある。1999年4月に、何度かこのあたりへ来た淡い記憶がある。そのあと2000年1月に発刊する『近江富士遊々』の追い込みにかかっていたころで、那須ヶ原山山頂からの三上山を狙っていた。 地図007.大原川源流部 三上山が見える場所は自分で探したが、一番つらいのは、多分見えるであろうと思って登った場所から三上山が見えないことだった。重い撮影道具を担いで元の道を下るときは疲れが倍になった。滋賀県近辺の目ぼしい登山の案内書を買ってきて、山頂からの展望の欄に、三上山が見えると書かれた山を探した。どのガイドブックか忘れたが、那須ヶ原山から「三上山が見える」とあった。ダムのふちから大原川渓谷沿いに上り、”Y”字分岐で右へとれば勝手に頂上へ達したはず。 写真097.那須ヶ原山山頂 1999年4月8日撮影の那須ヶ原山山頂からの三上山である。このとき、ここからの眺めで関心があったのは三上山だけであった。しかし、いまこうして大原川の流れをたどった後でこの写真を見るとき、画面の手前を横切る山間平野の集落がよくわかる。影の中で、集落の手前(南側・カメラは西北西を向いている)を走るのが県道129号である。 坂下越え 地図008.坂下越え 大原ダムから大原川沿いの道を遡る。標高400mぐらい、これから那須ヶ原山への本格的な登りが始まるというところで、道が左へ分岐する。大原川源流に沿い、那須ヶ原山と高畑山を尾根を結ぶ稜線の鞍部(627m)を越える道で、峠を越えてからは鈴鹿川源流に沿い、鈴鹿峠から下ってくる旧東海道に合し坂下宿へ向かう。 ◆行けなかった源流部を思う 参考地図→ 1999年4月、那須ヶ原山へ登るために、大原川沿いの道をさかのぼった。上の地図008に見るように、大原ダムから頂上までの間に分岐点が2か所ある。1つ目は、”林道出会”、2つ目は”坂下別れ”である。後者の”坂下別れ”については上で述べた。ここで触れたいのは前者”林道出会”である。ここでいう出会いの相手は、唐戸川沿いの林道。地図によると、その唐戸川源流と大原川との距離は200mでしかない。この200mが大きな意味を持っている。実は、この唐戸川は田村川に注ぎ、大原川は杣川に注いでいる。言い換えたら、この200mで、田村川流域と杣川流域に分かれているのである。 |
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