地図010.杣街道地図・5 (国土地理院Web地図に加筆)
JR油日駅はどこにあるか。当然油日にあると思い込んでいたが、どうもそうではないらしい。甲賀町上野が正解だとか。だから駅前の商店街も「上野商店街」なのだと。そしてそこを通る道、現在の県道135号(旧県道4号)が”新海道”、一本北の道路が”中道”といって新海道が開かれるまでの”杣街道”だという。詳細は下の”1.新海道油日上野(引札のことなど)”で。
そしてもう1つ大事なことが、ここで杣川が初めて新海道・草津線をくぐって北の方へ離れていくということ。油日駅の南いわゆる甲賀町上野集落の南で分岐した川は五反田川となって、草津線の南側を県境に向かって遡る。そしてもう1本、次の県道4号バイパスをくぐったところで青野川を分岐する。残った杣川は県道131号沿いに油日神社の方へ遡っていく。
この項では、中道沿いに青野川を遡り、県道4号五反田へ。付録として、青野川源流の”高間みずべの森”をレポートする。
地図001.杣街道上流部地図・1 (国土地理院Web地図に加筆)
S0504B. 杣街道・(大原市場〜上野)では、左の地図の県道135号、油日農協前交差点までをレポートした。その信号を越えて、農協の前を通って次の小さなT字路に祀られている金刀比羅宮碑のところが左の地図の赤線(杣街道)の始点である。三雲の天保義民碑近くの”新海道碑”で始まった杣街道は、両者一心同体で1本の道をたどって来たのだが、ここへきて、新海道はそのまま県道を直進し、杣街道は赤い線で示した、俗に言う”中道”を進むことになる。63.新海道油日上野(引札のことなど)で詳述。
1.新海道油日上野(引札のことなど)
写真X300.新海道油日上野
寺庄六角堂近くを歩いていて、水口教室(私が担当していた写真教室)の高田さんに会った。奇遇だった。甲賀図書館で”引札展示会”をやるとのことだったので見に行った。展示されていた1枚に”新海道油日上野”の住所表記が見つかった。
この杣街道の出発点、三雲に”新海道”の碑が立っていた。それ以来ずーっとその新海道を歩いてきたわけだが、碑は別にして、生活の現場でその名称が使われている痕跡に接することはなかった。道しるべなどにも、地名は刻まれているが”新海道”の名称が刻まれていることはなかった。そういう意味でこの引札の存在は貴重だった。
◆油日上野商店街
ここでいう「新海道」がいまのどの道か、といっても2本しかないので、”どちらか”かということだけれども。要するに1本目は今の県道135号、草津線に並行に走る直線の道路である。”おい、ちょっと待てよ、草津線と並行しているのは県道4号と違うのか”おっしゃる方がいらっしゃるはず。そうその通り。ちょっと前まではそうだった。しかしいまは違う。油日駅のところはバイパスができて、4号は外回り、駅前という範疇を離れて、ずっと北の方を回っている。JR線と並行しているのはここだけ県道135号ということになっている。ややこしい話だけどこれが1本目。
そしてそれと平行してもう1本、すぐ裏側というか、北側というか。いまの極楽寺の門の前の通りを行く道がある。これが2本目。いわゆる”杣街道”で地元では”旧道”と呼んでいるという。「新海道」はこの2本のうちのどちらかということである。
枡屋こと「山さ」さんの店がどちらにあったかが分かればはっきりする。高田さんに問い合わせたところ送られてきたのが左上の地図である。何の問い合わせの必要もないほどにはっきりしている。大正期にすでに今の県道が商店街になっている。「山さ」さんは上(北側)の右ブロックの真ん中辺にあって「新海道油日上野」としている。ただ不思議なのは、私が会場で見た限りでは「やまさ」さん以外には、”新海道”を使っている店がなかった。要するにみんながわっと飛びついて使うほど人口に膾炙したものではなかったということだろうか。
それともうひとつ不思議なことが。この地図に油日駅が記載されていない。失礼な言い方だが、記入漏れではないかと思った。線路は記載されている、ちゃんと国鉄記号で。まさかとは思ったが、念のため油日駅の開業日を調べてみた。何と、1959(昭和34年12月15日)だという。この商店街は鉄道の駅を中心として形成されたものではなかったのである。商店街が街道沿いに形成され、鉄道の駅があとからついてきた。
◆新海道・旧道
明治の後半、新海道の整備、鉄道の開通、このあたりに駅ができるという盛り上がりの様子を、高田さんから分かりやすい文章をいただいた。
----新海道のうち、油日上野商店街部分はあれだけの道幅・・但し、側溝は蓋が出来て若干は広くなっていますが・・で明治20年に整備がなされ、明治23年の草津線が柘植まで開通に相まって、この辺りに駅が出来る!駅が欲しい!との機運が高まり、競うように商店が貼りつきました。
新海道整備までの杣街道は、あの道標のあった極楽寺前を東に延びる道、地元で旧道と呼んでいます。----
1枚の引札が思いもかけない広がりにつながった。偶然が生んだことだったが、有難かったし、おかげで楽しくまとめに取り組むことができた。
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