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■前田悦子さんを悼む

初稿UP:2012.04.10
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遺作・ラフォーレ教室編 遺作・わいわい村編

 去る4月3日、写真仲間の前田悦子さんが亡くなった。2007年秋発病以来、5年に及ぶ闘病の結果だった。享年67歳。
 人生の偶然というのか、2007年という年は、私たちが写真仲間として出会ったその年だった。

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 左は前田さんの作品として、私の手元に残っているいちばん古い写真である。わいわい村2008年3月前半号。下はこれに付された前田さん自身の文章である。

 去年は思わぬ病気になってしまって、ラフォーレの写真教室が最後まで習えなくて残念でした。まだ治っていないので、外に出歩く事が出来ないから家の庭の猫柳を撮ってみました。病気の後遺症で右手の動きが悪くなって、シャッターの半押しが出来てもその後の半分が押し切れません。写真が撮りたい一心でリハビリに通って、自分なりに指を動かす工夫もしました。何度も何度も失敗しながら、右手の人差し指でシャッターを押す事が出来た時は本当にうれしかった。

 押せて当たり前のシャッターが、あとの半分が・・・・押せ・・ない、という。出歩くことが出来ないから、自宅の庭で。前田さんの執念がわき出てくるのを感ずる。その後も三脚を使ってカメラを固定。シャッターはレリースを使って親指で・・・。三脚を使って写真を撮るということが如何に面倒くさいことか、カメラをちょっとなぶったことがあるものならよく分かる。頭が下がる思いである。

 前田さんがいう「ラフォーレの写真教室」というのは、2003年秋から4年がかりで続けてきた「琵琶湖一周カメラウォーク」の延長として、ウォークの参加者に呼びかけて開いたものである。2007年4月、その初日、ラフォーレ琵琶湖の駐車場へ着いたとき、偶然、車がもう1台入ってきた。それが前田さんだった。「おはようございます、私の家このホテルの近くです。皆さんの中でいちばん近いと思います」と、挨拶されても、顔は見覚えがあるがお名前は分からない、そんな出合だった。前田さんも、琵琶湖一周は歩いていた。でも、何せ相手はバス1台、顔は覚えるが名前までは分からない、そんな状態だった。

 当HPに2007年ラフォーレデジカメ教室終了記念作品集が残っている。しかし、この中に前田さんの作品は、ない。全10回の途中から休み出された記憶がある。先日の葬儀の際、ご主人が挨拶の中で「平成19(2007)年秋に肺ガンであることが分かり」云々とあったから、このことと符合する。そのころ一度前田さんに電話したことがある。「今入院していて・・・」ということだったから、いま思い返せばこの作品集を作るに際しての連絡だったのかとも思う。

 わいわい村、同じ号の写真をもう1枚。次は同じく前田さんの文章。

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 この花を撮るには、昼間にその日の夜に咲きそうなつぼみを見つけること。その場所を夜でも解るような大きな木とかを目標にして、しっかりと覚えておくこと。花が咲く時間は午後9時前後からです。月明かりは関係ないみたいです。懐中電灯と三脚とを用意し、蚊の集中攻撃に合うので虫よけをスプレーをふりかけて、長袖の服と帽子も忘れずに。足元が悪いのとへびやマムシ除けのために長靴も履きます。
 懐中電灯で花を照らし出し、シャッターを切るときは電灯の明かりを少しづらします。白い花ですので、明かりが当たりすぎるとハレーションを起こしてしまいます。カラスウリを撮りかけてから3〜4年になりますが、自分の手の届くような所にはなかなか咲いてくれません。カラスウリの実がなっているのを見つけると、来年はあそこにも花が咲くんだと独りほくそ笑んでいます。私の撮影している場所が近ぢか大きな道路がつくようです。

 「カラスウリの花」。前の年、ラフォーレの教室でこの写真を見せてもらったとき、みんなが感心したので、無理を言って送ってもらった写真である。前田さんのコメントを見て驚いた。一読して、いい加減なことでは撮れないことがよく分かる。とくに、夜咲く花を昼間に目星をつけておくという。「来年はあそこにも花が咲くんだと独りほくそ笑んでいます」というくだり。写真は1年サイクル。この周到さ、この計画性が作品につながる。行き当たりばったりでは写真は撮れない。本気で写真を初めて半年にもならない時期、見事の一言に尽きる。
 それもさることながら、この文章の確かさに驚かされる。到底病の身での文章とは思えない。本当に気丈な方だった。「私は遠くへ行けへんし・・・」、「半押しは出来るけど、最後の押しが出来ひんねん・・・」、みんなの前でこともなげにさらっという、笑顔で。きいていてどこにも悲壮感はない。とことん前向き、そんな人だった。

 仲間の誰もが忘れられない写真を、「ラフォーレの教室」と「わいわい村」から1枚づつ。

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 「私は遠くへ行けないから・・・」、前田さんの口癖だった。ところがどうだ、この写真は。私は前田さんよりも10年も余計に生きているが、こんな雲今まで見たことない。写真の材料が向こうからやってくる。家の近所での撮影だという。

 もちろん黙って待っていて写真は撮れるはずはない。前田さんは攻めた。次の作品などはまさに攻めの作品。

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 冬の寒い朝、道路はつるつるに凍っている。これがカラスウリの文章にある「近ぢか大きな道路がつくようです」という道路だろう。カラスウリも攻めだったが、この凍った道路も攻め。待っていて撮れる写真ではない。病気の身で朝の寒さが如何につらかったか。それも冷たい三脚を持って・・・。ただただ頭が下がるのみである。



 わいわい村に届いた最後の作品。写真拡大

 2011年9月前半。前田さんのコメントに「晴れた良い日には外へ出られなくて、曇天の日に撮った写真です」 とある。夏のさなか、病の身に太陽は無理だったろう。でも、この明るさはどうだ。そういえば、何となく似ているような。

 そのあと、病状を案じたうちのシャチョウが暗躍をして、前田さんと同じ仲間・佐々木百合子さんとの2人展を開いた。出来るだけ費用は安くと花緑公園ふるさと館で。期間中10月のある日、たまたま会場へ行ったら、前田さん夫妻に出くわした。その日は元気で、ふるさと館の前の坂も自分で登ってきたとか。例によって三脚で展示された自分の作品を・・・。それが病院の外で見た前田さんの最後の姿だった。。。合掌。



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