top


三上山物語

Vol. 07 061〜070



前 項 次 項 目 次 へ



061

 ■秋の日に

掲載日:2009.11.18

  野洲市北桜 里の家
写真拡大

 「里の家」、茅葺き屋根の観光民家である。希望が丘文化公園西ゲートから花緑公園へ向かう県道が、小さな峠を越えてすぐ左側に建っている。永源寺町(現東近江市)黄和田にあった民家を参考に、昭和20年代までの生活スタイルにそって復元新築したものという。
 これが建ったのは、公園が整備されてしばらくしたころだった。三上山を背にした茅葺き屋根、懐かしの風景がよみがえる。しかし実際カメラを向けてみると、どうにもまとまりがつかなかった。山に対して家屋が大きく写りすぎるのである。何度か挑戦したが、結局あきらめた。
 これはその内部から見た三上山である。写真仲間のSさんをモデルに、板の間にカメラをセットした。一人では絵にならないなと困っているところへ、神の助けかもう一人、赤い服を着た女性が中庭へ。二人とも昭和初期にしてはモダンすぎるがまあエエか。   目次へ戻る



062

 ■沖島旅情

掲載日:2009.11.25

  近江八幡市沖島町
写真拡大

 沖島、琵琶湖最大の島である。沖島小学校のHPによれば、「奈良時代713年、藤原不比等が沖島に奥津島神社を建立」とある。また、保元・平治の乱の落武者が漂着、島を開拓したのが定住の始まりとの伝承も。いま、島へは近江八幡市堀切港から10分。離島への旅情を思わすから不思議である。
 三上山を撮りだして10年ほどしたころ、滋賀県地図を三上山が見える範囲と見えない範囲に色分けした。手仕事だった。面倒くさいが面白かった。その後10数年、2000年に出版した『近江富士遊々』に、手あかで汚れたその地図を載せた。それを見た守山市のTさんから、「地図では沖島から見えることになっているのに、写真集には島からの写真がない。なぜか」との質問をいただいた。「理由はありません、行かなかっただけです。機会があれば…」。
 その約束がいまやっと果たせた思いである。右、湖岸道路沿いの岡山、左わずかに長命寺山の端。   目次へ戻る



063

 ■蜃気楼に浮く

掲載日:2009.12.09

  高島市マキノ町海津
写真拡大

 海津大崎を中心として延々と続く桜並木。花の時期には人と車でごったがえす湖岸の道もいまは冬、葉を落とした並木には人影もない。ここは桜並木の西入口・海津浜。三上山からの直線距離46Km、湖岸に立って三上山が見える最遠の地である。
 まる一昼夜続いた雨が上がったあと、北からの冷たい空気が流れ込む。こんな日には、遠く湖面の果てに蜃気楼が現れる。水平線上に浮いて見える上下対称の黒い影がそれである。一見、琵琶湖の東岸を思わすが、実はこれ西岸に大きく張り出した安曇川デルタの姿。よく見ると三上山の右裾に新旭風車村の風車が塔のように立つのが見える。
 手前、左へ大きくせり上がるのが沖島。前回の「沖島旅情」撮影地である。見比べると分かるが、今回の写真では三上山の下部が消えている。地球が丸いことによる沈み込みが144mもあり、下から約3分の1が水平線下に没しているのである。   目次へ戻る



064

 ■三上燃ゆ

掲載日:2009.12.16

  彦根市稲里町
写真拡大

 彦根市・荒神山。標高284m。彦根市街の南西に位置し、山頂には荒神山神社がある。奈良時代、行基菩薩が奥山寺を開き、竃(かまど)の神として三宝大荒神の像を祀ったのが初めとされる。
 山頂まで林道が通じているが、樹木が茂って三上山方面の眺望はなくなっていた。去年、秋も終わりのころ、アウト覚悟でもう一度行ってみた。冬型気圧配置が強まった日のことで、林道には落ち葉が舞い散り、ラジオが「木枯らし1号」を報じていた。
 と、思いもかけず視界が開けた。工事で木が切られていたのである。頭上には暗雲が厚く、雨も落ちてくるというのに、南のほうは晴れていた。折から差し込む最後の夕日。一瞬、近江八幡市街が照らし出され、その向こうで三上山が燃えていた。
 三上山物語、今回が最終回になりました。1年8ヵ月、ご縁をいただきました読者の皆さま、スタッフの皆さま、ありがとうございました。100回を目標に、「三上山物語補遺」をHPで続けますのでご覧ください。
  目次へ戻る


========三上山物語補遺========


065

 ■多景島余言

撮影日:2009.12.14

  長浜市南浜町
写真拡大

 姉川河口左岸。長浜市街から西に向かう湖岸道路が大きく北にカーブするあたり。ブドウ畑の向こうにきれいな砂浜が続き、夏には南浜水泳場としてにぎわうところである。
 暗雲去来する冬型気圧配置の日、はるか南の明るみの中に三上山が小さく立っていた。直線距離41Km。画面右から続く稜線は津田山・長命寺山・八幡山。左に見える島影が多景島である。
 初めてここへ来たとき、この多景島が浚渫船に見えた。もちろんそのとき、彦根市南部の沖合に浮かぶこの島の存在は知っていた。にもかかわらず、ここから見えるこの島が、まさか多景島だとは思えなかったのである。私はそのとき、この「浚渫船」を隠すのに苦労した。浚渫船なら隠し、島なら写し込む。人間の勝手さである。
 「多景島」、それを眺める方向によって多様な景色に見えることから付けられた名だという。ここへ来るたびにそれを思い出す。   目次へ戻る



066

 ■明ける

撮影日:2008.11.20

  大津市衣川1丁目町
写真拡大

 北上する湖西線の電車が、おごと温泉駅を出てすぐにトンネルに入る。その真上あたりの高台。NO.29「風見鶏」でご覧いただいたのとほぼ同じ場所である。
 この住宅地が開発されたのが1990年代後半だった。そのころ私の関心は、「三上山がどこまで見えるのか」にあって、湖北の山々、京都西山、三重県など、遠く離れた場所から見る三上山を探し求めていた。そんな遠征の帰りだったろうか、ふと通った161号からこの高台が見えた。造成途中の赤土が妙に生々しかった。
 いまは、住宅地内の道路から大谷大学グランドの横を通って簡単に行けるが、当時その道は知らない。とにかくその高台を目指して赤土の斜面を駈け上った。そこがいまの「かざみ公園」の場所だった。当時は、遊具はもちろんのこと、木一本生えていなかったが、そこから見下ろす琵琶湖の風景は圧巻だった。   目次へ戻る



067

 ■出島灯台

撮影日:2009.06.07

  大津市今堅田1丁目
写真拡大

 「でけじま」灯台と読む。琵琶湖大橋のすぐ南、今堅田1丁目の岬に建つ木製の灯台である。創建は明治8(1875)年。47人の死亡者を出した客船「満芽丸」の転覆事故を受けて船会社が建てたものという。いまから100年以上も昔のこと、一つの事故での死者の多さに驚く。鉄道開通以前、湖上水運の隆盛ぶりがうかがえる。
 その後、明治22(1889)年、東海道線が開通する。東岸での人の流れは鉄道へ。しかし西岸での主流はいぜん船便だった。灯を消すことはできない。9戸の家が当番を決め点灯し続けたという。光源は、大正7年に灯油から白熱灯に。もちろん現在は自動点灯である。
 近くに案内板があって、…昭和36(1961)年、第二室戸台風により倒壊寸前の状態となりましたが、地元の熱心な保存運動により、昭和48(1973)年、今日見る姿に復旧されました…と。
 十六夜の月が湖面を照らす。   目次へ戻る



068

 ■東光寺秘話

撮影日:2009.02.14

  東近江市平尾町
写真拡大

 まんが悪いというか、縁がないというか、何度通ってもイメージ通りの写真が撮れない場所がある。ここもその一つ。東近江市平尾町、鈴鹿の山すそにある東光寺の参道である。西に開けた地形で、夕日が狙いである。上空雲一つない好天なのに、西のほうだけ厚い雲。日没まであと5分というところでその雲の中へ隠れてしまう。…。あーあ。
 十数年前のこと、そのまんの悪い場所へ露出計を忘れた。気がついたときにはすでに一週間がたっていた。その間、2回ほど雨も降っている。駄目だろうとは思いつつ現場へ行ってみた。…あった。私の記憶とは明らかに違う場所に、それも水に弱い可動部を下に伏せた状態で。どなたかがそっと置いてくださったのは明らかだった。まんの悪い場所へ何度も通う理由の一つである。
 その露出計、使い出して以来30数年を経て未だに健在である。カメラがデジタルになって、めっきり出番が減ってはいるが。   目次へ戻る



069

 ■入江の朝

撮影日:2008.10.16

  草津市下寺町
写真拡大

 烏丸半島の南に位置する入江である。国土地理院の地形図には「真珠養殖場」とあるだけで、固有の地名は明記されていない。面積にすれば烏丸半島と同じぐらい、いや、ひょっとするとこちらの方が広いかも知れない、にも関わらずである。写真を撮りだしてから、長く疑問に思っていたのだが、最近になって、草津のお寺のご住職から、「津田江」というのだと教えられた。外見上は湖岸道路で仕切られた形になっているが、実際は琵琶湖とつながる水路を道路が橋でまたいでいる。
 ある朝のこと、道路沿いの緑地帯で、日の出を待っていた。山にばかり意識を集中していたのだが、ふと横を見ると、ヨシ原沿いの水路を小舟が音もなく近寄ってくるところ。もう日の出にかまってはおれない。待っていた位置からはかなり離れていたが一目散。手前の木の葉っぱを気にしながらも、とにかくの一枚。日が昇りだしたのは、小舟が去った後だった。   目次へ戻る



070

 ■小船行く

撮影日:2010.01.15

  近江八幡市長命寺町
写真拡大

 琵琶湖には小船がよく似合う。以前は湖岸のヨシかげに手漕ぎの和船が泊められているのをよく見たが、さすがに最近はあまり見られなくなった。沖を行く大型の観光船も悪くはないが、私にはこの程度の小船がなじみやすい。
 この小船、姿が見える前にまずエンジン音が聞こえてくる。どこからともなく、かすかに聞こえていた音が徐々に大きくなり、やっと音の方向が定まったころ、岬の向こうから姿を現す。音がはっきりしてきたところで、航路を予測し、絵を作れるかどうかが勝負になる。
 場所は近江八幡市長命寺から国民休暇村に向かう道路から。この画面でいうと画面左はずれに岬があり、そこを曲がったところが長命寺港である。沖島がカメラの右後ろ。船は島へ向かうのだろうか。右に見える黒い山陰が岡山城跡。周囲が埋め立てられて山になったが、以前は島だったという。   目次へ戻る





このページトップへ 目 次 へ