021 |
■水と闘う
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掲載日:2008.10.29
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守山市小浜町
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前回は、雨乞いの故事にちなむものとして、湖南市石部の竜王の峰を訪れた。雨は降らなくても困るし、降り過ぎても困る。今回は降り過ぎた雨と人間との死闘の現場である。 これは野洲川幸浜大橋から上流を見たところ。前方の橋は稲荷大橋、画面左端、たもとの森に雛鶴稲荷神社が祀られている。この地は、広大な沖積平野の上を右へ左へと蛇行していた旧野洲川北流が、ひときわ大きく向きを変える場所だった。かさを増した水は、ターンによる遠心力をともなって襲いかかり、一再ならず堤防は決壊した。 いま鳥居の横に案内板があって、…この雛鶴稲荷神社は、北流がU字型に大きく向きを変えるところに、いまから250年ほど前、堤防の守護祈願もかねて建立されたものと伝えられています。…とある。 いま平坦化された北流跡地にナイター設備を持ったサッカー場が建設され、青少年の元気な声が響く。
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022 |
■水を分ける
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掲載日:2008.11.05
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栗東市出庭
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古来人びとは、干魃のときには神に祈り、洪水のときには命をかけて水と闘ってきた。幸い干魃にもならず、洪水も起こらない年もある。しかし、そんな年でも授かった水をめぐって、人間どうしのせめぎ合い、智恵の絞り合い。 ここは栗東市出庭、道の駅「アグリの郷栗東」の北東に広がる田園地帯。その一角に小さな水門が残っている。ここで1本の水路がゲートの幅2・2・1の割合で分かれて行く。写真ではわかりにくいが、左側にもう1本細い流れがある。真ん中のゲートには、水位調節に使われていたであろうハンドルが錆びついたまま残っている。いまはほとんど用をなさない遺構であるが、これを設置するに当たっては、たがいの有利不利、つかみかからんばかりの話し合いが重ねられたであろう。 このような水路の分岐は、方々で見ることができるが、私が知る範囲において、三上山をバックに絵になる風景はここをおいて他にない。
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023 |
■内湖明ける
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掲載日:2008.11.12
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草津市志那町
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草津市志那町、湖岸道路沿いの平湖。地図には真珠養殖場とある。写真左下に細い杭が無数に並んでいるのが見える。これがいわゆるエリなのか真珠養殖棚なのか、素人の私には判別できないが、日の出前の薄明時に、何100羽ともしれないシラサギがここから一斉に飛び立つさまは、まさに壮観である。多分この棒杭一本一本に一羽ずつ眠っていたのであろう。光量不足で十分な写真が撮れないのが残念である。 さて彼岸前後の約一週間、この湖畔に立つと三上山から朝日がら昇る。その太陽を背に飛んでいるのはシラサギならぬトンビ。羽音激しく飛び立ったシラサギのあと、主がいなくなった湖上を悠々と舞う。 こう書くといかにもトンビがのんびり者に見えるが、どうしてどうしてトンビは想像以上の働き者。シラサギが眠っているうちから起き出して、くるりくるりとパトロール。シラサギのご出勤のときだけさっと身をひき、それが過ぎればまたくるり。
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024 |
■金波そよぐ
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掲載日:2008.11.19
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守山市川田町
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守山市川田町、野洲川川田大橋上流の河川敷である。秋の夕陽をうけて波打つ金波。 昨年の秋、私のHPで「河川敷一面のススキ」と書いたら、野洲川田園空間センターのNさんから電話を頂いた。「手前で大きく穂をなびかせているのはススキだろうが、遠くの河川敷に広がっているのはオギだ」とおっしゃる。「?」、「萩」と「荻」、「ハギワラ」さんと「オギワラ」さんの区別ぐらいの知識しか持たない私は、一瞬言葉を詰まらせた。荻は萩とよく似た花ぐらいに考えていたのだから何をかいわんやである。まさかオギがススキとよく似た植物だったとは。 細かい区別は虫眼鏡レベルになるのだが、大まかにいって、オギは湿地帯を好み、上から見ると面状に広がる。それに対してススキは、乾燥した土地を好み、株単位で繁殖するのだという。 そういえばこの写真、オギは比較的水分が多い河原、ススキは乾燥した堤防上の道路沿いである。
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025 |
■暮れゆく
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掲載日:2008.11.26
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日野町西明寺
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久しぶりで西明寺へ行ってみた。湖東三山の一つを連想される向きもあろうが、こちらは日野町西明寺。鈴鹿連峰・綿向山の麓、標高400mぐらいの傾斜地に位置する静かな山里である。国道477号音羽交差点から県道へ入り、集落に突き当たると西明禅寺という古刹の門前に出る。その手前で左折すると、遙か西の彼方に三上山が見えてくる。 10年ほど前のある日、西明寺近くの県道のかたわらからキジが飛び出してきた。こちらも驚いたが相手の方がもっと驚いた。両足を踏ん張って急ブレーキ、アスファルトの上で20cmほどスリップ。止まるより先に転がるように半回転、ほうほうの体で元の草むらに飛び込んでいった。鳥のスリップを見たのは最初で最後、奴らも慌てると羽を使わないのかと面白かった。懐かしい想い出である。 画面左上、いちばん奥が比叡山。当然のことだが、三上山との間に琵琶湖が横たわっている計算になる。ここからは秋の夕暮れがよく似合う。
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026 |
■とんがり富士
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掲載日:2008.12.03
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野洲市南桜
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するどく尖った頂上部、「とんがり富士」である。私は、これを見ると円空のとぎすまされた鉈さばきを想起する。 この姿が見えるのは、三上山南麓、野洲市南桜のごく限られた一角からだけ。不思議だった。 地図上、三上山山頂とこの場所を線で結び、その延長線上に遠く離れてみた。山頂は丸く見えた。念のため180度離れた正反対の場所へも回ってみた。結果はやはり同じだった。これは手品だ。 そんなある日、頂上から少し離れたところに小さく日の丸が見えた。御上神社側から見ると頂上に立つ日の丸である。そうか、ここから見る頂上は、本当の頂上ではなかったのか…。手前に下ってくる尾根の一部を頂上と見間違っていたのだった。人間の顔を下から見上げると、頭のテッペンが見えず、鼻先が見えるのと同じ理屈である。 秋の午後、農道での首脳会談を終えたお婆ちゃん2人、「孫が待っとるでよ。ほな、さいなら」。
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027 |
■野洲の川霧
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掲載日:2008.12.10
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守山市新庄町
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川原一面の霧である。朝日を撮ろうと琵琶湖へ向かう途中、以前だれかに「夜明け前、新庄の川霧はすごい」ときいたのを思い出し、もしやと立ち寄った野洲川・新庄大橋からの風景である。 ”朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木”(権中納言定頼)、百人一首のこの歌に出会ったのは中学生のころだったろうか。以来60数年、川面から湯気が立ちのぼるのは何度も見てきたが、このように河川敷を覆い尽くす本格的な川霧を見たのは初めてだった。そうかこれが川霧か。新鮮な驚きだった。 温かい水の上に冷たい空気が入り込むことによって、川面からの水蒸気が凝結し、微細な水滴になって浮遊する、これが発生のメカニズムだとか。晩秋から初冬にかけての快晴の朝、放射冷却で冷え込むときに起こりやすいという。 写真は日の出のすぐあと、淡いグレーに沈んでいた霧が、赤紫に輝き出すところである。
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028 |
■遠い三上
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掲載日:2008.12.17
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東近江市上山町
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三上山に沈む太陽が見える場所はそう多くない。そのすぐ東側に鏡山が立ちふさがっているからである。ここは東近江市上山町、有名な湖東三山の一つ百済寺の近くである。国道307号から角井峠へ向かう県道が集落を抜けて、まさに山道へ入ろうとするところ、山ぎわに農業用水池があって、そこから三上山が見える。といっても、ご覧のように鏡山(右)と雪野山(左)のわずかに譲り合った両肩の間から、背伸びをするように頭部を覗かせているだけであるが…。三上山からの直線距離23.7Km、私が持っている望遠レンズをいっぱいに伸ばしても、ここまでの大きさにしかならない。 実は、この奥の角井峠からも三上山が見える。標高が高い分だけ展望がいい。本年最後の三上山物語は、そこから見た真っ赤な夕日で締めくくりたい、そんな思いで峠に通ったが、天気は我に味方せずチャンスを逸した。また機会があれば。 よいお年をお迎えください。
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029 |
■風見鶏
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掲載日:2009.01.14
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大津市雄琴3丁目
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三上山から朝日が昇る。ここは湖西の高台、レークピアニュータウンの一角にある「かざみ公園」。おとぎ話に出てきそうな八角形のあずま屋があって、かわいらしい風見鶏がついている。 風が身を刺すこの時期、さすがにベンチで休む人はいないが、朝の散歩の人が入れ替わり立ち替わり。太陽に向かってじっと手を合わす人、「きょうはまた、見事な天気ですね」と挨拶を交わす人…。犬をつれていましがたやってきた奥さん、「ワーきれい、ね、ね、タロー、見てご覧よ、きれいでしょうお日さん。琵琶湖もきれいよ、あんなに光って」…。当のワンちゃんは太陽よりもカメラが気になる様子。じっとこちらを向いたまま振り返りもしない。 少し離れて三脚を立てている人がいた。誰か分からなかったが、帰りぎわフト顔を見れば、何と写真仲間だった。風見鶏が今年の幸福を運んできてくれそうな、何かドラマが始まりそうな、そんな朝のひとときだった。今年も『三上山物語』をよろしく。
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030 |
■こがね色のとき
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掲載日:2009.01.21
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長浜市高橋町
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こがね色の夕日に湖面が映える。冬の琵琶湖は水鳥の天国。ここは長浜ドームのすぐ近く。カモなどに混じって、コハクチョウも羽を休める。三上山からの直線距離41Km。左の稜線は荒神山の山すそ。その続き、横に連なる黒い線は彦根市南部の田園地帯。きょうはこれを話題にお付き合いを。 これぐらいの距離になると、地球が丸いことを無視できなくなる。ボールの表面が平面でないのと同様に、琵琶湖の水面も平面ではなく、遠くへ行くほど沈み込んでいく。この沈み込みが馬鹿にならず、対岸までの距離を約15Kmとして計算すると約15m、よほどの大木以外は水平線下に没して見えないことになる。にじんだように見える黒い線は、じつは対岸そのものではなく、蜃気楼による幻の像である。 当然、三上山も沈み込みの上に立っている。距離約40Kmとして、沈み込みはなんと109mにもなる。湖面の標高を84mとして、(432−84−109=239)、見えているのは240m弱という計算である。
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