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知らずに越えた大分水嶺

--- 21.権兵衛トンネル ---
(長野県)
2007年秋

初稿作成:2024.02
初稿UP:2024.03.20


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00.このとき越えた大分水嶺
地図00−21.権兵衛トンネル(長野県)

 善知鳥峠を越えて霧訪山(きりとうやま・1305m)あたりから奈良井川・旧中山道・中央西線に沿うように南西に向かう。奈良井川はいうまでもなく犀川・千曲川・信濃川と名を変えて日本海へ注いでいる。その奈良井川は中央アルプス木曽駒ケ岳の中腹を水源としている。そこまで南下した大分水嶺はそこで方向転換して北向きにとって返す。その間の南北直線距離約28Km。大分水嶺は忠実に往復する。権兵衛峠はその南下の途中、経ヶ岳とUターン点の中間点やや北寄りの位置である。




21−01.分水嶺の流れ 善知鳥峠から権兵衛峠まで
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 善知鳥峠を越えた大分水嶺は南西に向かい奈良井川に沿うように南下していく。善知鳥峠・権兵衛峠間の直線距離約25Km。権兵衛峠は木曽と伊那を結ぶ街道の峠だったと聞くが、そのために大分水嶺を二度越えていたのである。伊那(太平洋流域)から権兵衛峠を越えて奈良井川源流(日本海流域)に入り、そこからもう一度老神峠を越えて木曽川流域(太平洋流域)へ出ていたのである。


21ーa. 経ヶ岳

 Wikipediaには、次のようにある。
 ――”木曽山脈(中央アルプス)の北端にある標高2,296mの山である。山頂には石仏や石塔が祀られている。“経”のつく山では日本最高峰。――
 権兵衛峠の少し北にあり中央アルプスの北端という。結構目立つ山である。経”のつく山の最高峰、参ったなー”経”がつく山がいくつあるのか知らないが、面白いことを調べたものだ。データベースを作ってしまえば簡単に調べられるのだろうが。


21ーb. 権兵衛峠

 権兵衛峠のこと。堀公俊著、『日本の分水嶺』(ヤマケイ文庫)には次のようにある。
 ――権兵衛峠は中央アルプスの分水嶺を越えるとても厳しい峠である。旅人が転んで鍋を欠いたことから、昔は鍋掛峠とも呼ばれていた。牛も通れないほど狭くて急なため、物資は人が背負子で運ばざる負えなかったそうだ。耕地が狭い木曽ではコメが不足しがちで、伊那から大量のコメを運ぶには、この道を改修するしかなかった。そこで木曽の牛方である古畑権兵衛が木曽十二宿に協力を呼び掛けて、自ら率先して新道開鑿に飛び込んでいった。当初は開発に消極的だった伊奈側の協力も得られ、1696(元禄9)年にようやく大分水嶺を越える新道が完成した。
 新道ができると、伊那の米が直接大量に木曽の運び込まれるとともに、逆に木曽から漆器などの工芸品が伊那へと流れていった。いつしかこの道は「米の道」、峠は「権兵衛峠」と呼ばれるようになり、木曽と伊那を結ぶ重要な道として利用されるようになった。――


21ーc. 2つの権兵衛峠

 大分水嶺を越える権兵衛峠付近の地図である。現在の地図で権兵衛トンネル(国道361号)も明記されている。地図のベースはWeb地図で中央下ぎりぎりのところに縦書に小さく「権兵衛峠」の表記がある(半透明の赤をかぶせた)。これがWeb地図に記載された権兵衛峠である。右下がりの文字でいうと「権兵衛峠A」であるが、これは私が追加記入したもの。ここを越えているのが、実際に権兵衛さんが拓いた峠道だろうと考えられる。
 それに対して東のほう(伊那の方から)大きなヤツデの葉を思わすように山麓を蛇行しながら巻くように登ってくる道(茶色で示した)、これもGoogle Mapでは361号になっている。この道はいまのトンネルと峠Aの間で大分水嶺を越える。これを権兵衛峠Bとした。
 蛇足:1992年というからもう30年も前の話である。この権兵衛峠を越えてみようと思った。当時、峠道に新旧2本があることも知らない。とにかく伊那ICで高速をおりて、峠道の入り口まで行ったが、”通行止め”の標示が道を塞いでいた。国道361号への分岐点。もしこのとき、この通行止めがなかったら”権兵衛峠B”を越えていたことになる。



写真1.権兵衛トンネルへ伊那谷を走る
1.山野草の店 2.不思議な標識 3.スロープに建つ民家 4.スロープに建つ民家 5.権兵衛トンネルへ

 実はこの5枚の写真は開田高原の項に入りこんでいた。そこにはこんなイメージのところはない。あれこれ考えて権兵衛トンネルへの取りつきではないか思いつた。
 滋賀県の我が家から開田高原へのルートを考える場合、高速を中津川で降りて国道19号で木曽福島まで、そこから361号へ入って開田高原までというのが一般的なところ。それを降りずに恵那山トンネルを抜けて伊那まで走り361号に入っている。物好きもいいところ。どうやら1992年の”権兵衛峠通行止め事件”への恨みを晴らそうというのが目的だったらしい。
 写真1.山野草の店 こんな真直ぐな広い道でのんびり写真を撮るなんてことはまずありえない。それがこうして残っているということの起こりは山野草の店である。うちのヨッチャンの”寄って行こう”コールである。ボクはちょっと見たらあとは用事はない。で、そこらをブラブラということなんだが、伊那ICから権兵衛トンネルまでの間に、この山野草の店がなかったら話にならない。それをストリートビューで確かめたら間違いなし。確かにありました。
 写真2、不思議な標識 ふと見ると道の向かい側がスキー場の様な広いスロープだ。そこに民家がぽつんぽつんと建っている。その広さにひかれて道を渡って山のほうを見たところらしい。そのときは何も考えずに撮った写真だけど、目の前に不思議な形をした標識が建っている。しかも裏向きで。もしこういうのに出会ったら、ズボラをせずに表側も撮っておべきだった。
 写真3.4.スロープに建つ民家 国道361号の山に向かって右側のスロープである。この民家もストリートビューに見えるはずである。簡単にはいかなかったが、丹念に調べたら、手前に何軒かの家が建ち、その向こうに特徴のある屋根が見えた。権兵衛トンネル越えで木曽路へ入ったことはな違いはない。
 写真5.権兵衛トンネルへ 勾配がきつくなって登坂車線が続く。それも終わりになっていよいよトンネルも間近。




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