知らずに越えた大分水嶺--- 01.旧国鉄田沢湖線・仙岩トンネル --- 初稿UP:2024.03.20 |
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00.このとき越えた大分水嶺 地図00-01.田沢湖線・仙岩隧道 左の地図で、赤色の実線が本州の大分水嶺である。岩手県と秋田県の場合は、北の十和田湖付近で少しずれているだけで、ほとんどが両県境が分水嶺と一致している。 01.1968年夏 古い話である。1968(昭和43)年夏。高校生の全国ユネスコ大会が行われるという。京都からはユネスコ協会がそういう活動をしている高校生を集めて参加する。往路と開会中はすべて協会で責任をもって指導する。ただし現地解散になるので、現地から京都まで帰路だけは各高校で引率をしてほしい。場所は秋田県田沢湖高原・秋田駒ヶ岳の麓だという。生徒3人やけどすまんけど行ってくれへんかと教頭からの話。”えらい遠いところですね”と牽制球を投げては見たが、秋田駒ケ岳に魅かれた。”行きます行きます”。 02.このとき越えた大分水嶺 田沢湖線・仙岩トンネル 当時、東北新幹線はまだなかった。もちろん秋田新幹線があるはずはない。上野から夜行の急行で盛岡へ。市内を散策して盛岡駅10時23分発の急行”第1南八幡平”に乗る。 盛岡を出た田沢湖線は、岩手山の裾のを横切るかたちになり、小岩井まではのぼりが続く。広々としたスロープに牧場が点在し、ちょっとした高原風景。 信州八ヶ岳山麓を走る小海線とよく似た風景である。 田沢湖線・仙岩トンネル それを上り切ると雫石へ向かって一気に駆け下る。それから再び上りになり、岩手県と秋田県との境の仙岩峠(上の地図では”仙石峠”と誤記している)をトンネルで抜けて、生保内川(写真右)沿いに田沢湖駅へと下る。途中、屋根に覆われた列車交換所(写真左)があるが、夏のいまは明るい感じである。このとき通った”仙岩トンネル”が、大分水嶺の下をくぐっていたのである。 上の地図で、”仙岩峠”を”仙石峠”と書き間違い、しかもそれを”仙石峠トンネル”と、間違った場所で使っている。後で改めるが、仙岩峠と仙岩トンネルとは全く別の位置にある。右の写真も、生保内川沿いを走る列車からの撮影であるが、線路沿いの構造物を、”列車交換所”と勝手に決め込んでいる。関係の構造物に違いはないが、列車交換所であるかどうかはわからない。当時、これらの構造物が新しいものであることに気がついてはいたが、深く追求することなく、”夏のいまは明るい感じである”で逃げている。アルバム作成時の甘さである。 とはいえ1968(昭和43)年の話である。新しさに気がついていたとしても、当時としては、その意味まで確かめるのは、そう簡単な話ではなかった。そのまま半世紀が過ぎた。このシリーズを始めるきっかけとなった『日本の分水嶺』・堀公俊著、ヤマケイ文庫を、読んでいて、----1966年、国鉄田沢湖線の仙岩トンネルが開通して、現在のJR田沢湖線が全通した。云々----とあるのに気がついた。驚いた。1966年といえば、私が、そのトンネルを通った2年前である。すべての構造物が新しいのは当たり前だった。 Wikipediaによると、この区間(盛岡-大曲間)はもともと軽便鉄道として計画され、岩手県側の盛岡―橋場間が1922(大正11)年に、続いて秋田県側の大曲―生保内間が1年遅れで翌1923(大正12)年に開業した。生保内というのは現在の田沢湖駅、一方の”橋場”は、現在の”赤渕駅”から北東へ入った国道46号沿いに位置し、雫石から直結していた。一言でいえば、当該区間の両側から開通して中ほどに位置する奥羽山脈の部分だけを残した。これが”橋場駅”の悲劇につながる。旧橋場駅の位置(Google mapで表示)。 地図02.国見峠・仙岩峠 古来人々は、岩手・秋田の県境の山脈(奥羽山脈・大分水嶺)を越えるのに苦しんだ。特に秋田県側、冬には積雪が5mにもなるという。その間の事情を、ちょっと古い地図で覗いてみよう。 国土地理院5万分の1地形図・「雫石」、昭和43年1月30日発行の地形図が我が家に残っていた。ちょっとした旅行をするときには、目的地の地形図を持って行くのが習慣になっていた。このときも”田沢湖”とこの”雫石”の2枚を準備して行ったものらしい。戦後20年以上も経っているのに、文字はまだ右書きだった。 1982(昭和57)年5月、井出孫六編として出版された『日本百名峠』(桐原書店)に、「国見峠」(文・真壁仁)という項がある。この峠がこの地図にある「国見峠」である。その最初の一部を拝借する。 このとき真壁仁氏がクルマで走ったという道は、上の地図02で茶色の破線で示した秋田街道のようである。 04.そもそも国見峠とは Wikipediaでは、国見峠(岩手県・秋田県)として次のようにある。 昭和43年発行の国土地理院地形図に「国見峠」の名称が記載されていた。しかし実際に峠としてのは働きは冬期の積雪のため、1年の半分は機能しないのが実情であったという。そういうことで明治8年に国見峠を避けて少し南のヒヤ潟を経由するように改良工事を行ったという。それが上の地図02の国道46号ということのようである。 地図03.国土地理院5万分の1地形図・「田沢湖」、(昭和37年6月30日発行) 上の「雫石」の左につながる部分である。本来ならばぴしゃっとつながるはずであるが、何がどうなったのか誤差が大きい。まあ要するに発行年度も異なるし、基本的なデータにずれがあったのだろう。 地図04.国道46号仙岩トンネル・田沢湖線仙岩トンネル 国土地理院Web地図に加筆 現在の状況である。国道46号の仙岩トンネル(全長2544m)が仙岩峠の真下を通過している。1975年完成。田沢湖仙岩トンネルについては、秋田新幹線(1997年開業)と併用されされている。狭軌(1067mm)の田沢湖線と標準軌(1435mm)の秋田新幹線が3線併用で運用されている。京都市電が昔、狭軌の北野線が四条通り(広軌)を三線併用で走っていたのを思い出す。 05.最後に.駒ケ岳のこと 地図05.駒ケ岳・国土地理院Web地図に加筆 上の地図04をさらに北へたどると駒ケ岳に近づく。標高1637m、このレベルの山なら県境になるに十分な価値がありそうなものであるが、いまの場合、中央分水嶺はそのピークの南東730mほどのところにある横岳1522mを通過する。700mぐらいなら、駒ケ岳主峰(地図には男女岳とある)を越えそうなものだが、これが地形の妙である。 06.写真:駒ケ岳? そのときのアルバムに左の写真が残っていた。付け加えて、「駒ケ岳」とある。たぶん宿舎周辺から撮影したものだろう。しかし気をつけなければならないのは、この駒ヶ岳が自分にとって、遠隔地の、いままで名前も知らなかった初めて見る山であるということ。誰か地元の然るべき人に、「あれが駒ヶ岳ですね」と確認したかどうか。それが今となっては全く記憶がない。しっかりした山だったから間違いはないとは思いながら、これはカシミールだ。 ◆.つけたし:盛岡・開運橋のことなど 2022年10月2日の、京都新聞のページである。このページを開けたときに、なんとなくその写真の周辺を歩いたような雰囲気を感じた。もちろん写真はドローンによる上空からのものだったし、実際にそんなアングルで現場を見たわけではなかったが。読めば、盛岡駅から200mほどのところで、北上川に架かる開運橋だという。盛岡へはたった1回しか行っていないが、そのときたしか渡ったはずだ。念のためにそのときのアルバムの地図を確かめた。新聞に付された地図と同じ橋である |