野洲川物語


祇王井川探索Map

5.江部から家棟川河口まで 6.8Km

目 次 へ

写真拡大 写真501・地図 

 前項の終わりで、「延長戦」と称して取り扱った川(地図にも河川名記載なし。地元では”新家棟川”と称しているとか)が、祇王井川を吸収して、朝鮮人街道と並行して家棟川へ向かう。画面右端を奥へ向かうのが通称新家棟川。左の桜並木が朝鮮人街道。



写真拡大 写真502・地図

 朝鮮人街道。ところどころ桜並木が切れて三上山が見える。 新家棟川はガードレールの外側を自転車と同じ向きに流れる。流れの速さは微々たるものである。




写真拡大写真503・地図

 桜並木が少しとぎれる。







写真拡大 写真504・地図

 家棟川と直角に合流する。欄干が見えているのが朝鮮人街道の新家棟川橋。
 ついでに1本下流の県道2号にかかる橋の名前を確認してみた。と、なんと「家棟川橋」。同じ名前の橋が同じ川に並んでかかっている。橋の名前て、こんなエエかげんなものか?。


写真拡大 写真505・地図

 家棟川右岸から見た合流点。向こう岸、橋のたもとの四角い孔。ここにいたって水位の調節は全くなし。仮に家棟川の水位が上昇すれば逆流が生じるはずである。右下に見えているのは、小南方面から流れて来る川。



写真拡大 写真506・地図

 朝鮮人街道新家棟川橋から下流方面を見る。遠景の山は比良山。









写真拡大 写真507・地図

 朝鮮人街道のすぐ下流が県道2号。そのもう一つ下流の農免道路の橋。そのすぐそばに立っている標識。家棟川のふりがなに「やむねがわ」とある。ところがすぐ横にある橋は「やむねがわばし」、どっちがほんまやろね。さすがこの橋には「新」はついていなかったが。


写真拡大 写真508・地図

 「やむねがわばし」から下流方面を見る。左に見えている大きな枯れ木が家棟川と童子川の合流点。
 見えている道は左岸堤防上の道。童子川合流地点には橋はない。もし、このあと琵琶湖まで歩くとすれば、右岸を歩くこと。



写真拡大写真509・地図

 上の写真508の枯れ木の近くから下流を見る。左に遠く見えている木々は家棟川左岸の外側に並んでいる。そこまでの間に左から童子川が直角に合流してくる。橋はない。




写真拡大 写真510・地図

 家棟川右岸から例の枯れ木を見たところ。この木に気がついたのはいつごろだったか。そんなに遠い昔ではない。上の写真509の木の並びなどは早くから気がついていたし、三上山と並べて写真集にも収録している。しかし、この気については全く意識はなかった。多分他の木に埋没して、姿を見せていなかったのだろう。
 ありし日の姿:
                            @ 2009.01.20撮影。  A 2009.05.25撮影。

写真拡大 写真511・地図

 家棟川・童子川の合流地点。家棟川の右岸から。画面左から三上山の真下までが家棟川左岸。そこから右は童子川の河床になっているわけだが、写真ではその区別がつかない。 







写真512・地図

 上とほぼ同じ場所から下流に向いて、左岸外側に並ぶ樹木を見たところ。








写真拡大 写真513・地図

 川から離れて県道48号の近くから、写真512に見る木の並びを見たところ。






写真拡大 写真514・地図

 県道48号比留田橋から下流を見たところ。川の突き当たりに見える木の並びは、堤防に植わっている桜。最近しっかりした花をつけるようになった。
 同じ場所から上流を見たところ
 なお、この橋のたもとから左岸沿いに”やなむねサイクリングロード”がつけられている。しかし実情は名前とは裏腹に荒れた感じで自転車で走っている人は見たことはない。

写真拡大 写真515・地図

 県道48号比留田橋のすぐそばにちょっとした広場があって、石碑に「親鸞聖人御旧跡」とある。案内板に「やいたの河原」の説明がある。
 …親鸞聖人が関東からの帰途、木辺の毘沙門堂に逗留、早乙女に田植え歌を伝授した。そのとき聖人が敷いた菰を清らかな水に流したところ、夜ごと下の場所まで遡ってきた。もったいないことと焼いて灰にして土に埋めたとか。菰を焼いたところが「焼いたの河原」、菰を捨てた川を「菰捨て川」と呼んでいます。…とある。案内板全文

写真拡大 写真516・地図

 比留田橋の下流900mほどの一にある農道の橋(下平野橋)から上流を見たところ。河床のほとんどがヨシで埋まり、6月ごろになるとヨシキリの鳴き声が絶え間なく聞こえてくる。画面右に三上山、まん中かやや左に尖ったカブト山、まるい相場振山、地元では総称して田中山。
 ここは日野川との距離が一番狭く、画面すぐ左が日野川堤防である。三上山の下の黒い木が桜並木。
                               満開のころの桜並木1桜並木2

写真拡大 写真517・地図

 下平野橋からさらに250mほど下流の農道の橋。名前を見て驚いた。「比留田橋」、なに?またか。比留田橋はさっきあったぞ。もうエエ、橋の名前にこだわることは止めた。
 その比留田橋から上流を見たところ。まん中ちょっと右、傾いた台形に見える山が城山。
 写真514の「比留田橋」から左岸沿いに続いてきたサイクリングロードは、ここで右岸に渡り、河口まで続く。

写真拡大 写真518・地図

 同じく比留田橋から下流を見たところ。何となく水郷のムードである。










写真519・地図

 野洲市野田にはいる。堤防の間隔は目で見て分かるほど変化するわけではないが、流れの幅はうんと広がる。
 




写真拡大 写真520・地図

 国道477号野田橋と並行する水路橋。トラス形の橋の向こうが国道の橋。右へ行けば、近江八幡市野村橋。左へ行けば兵主大社。





写真拡大 写真521・地図

 国道477号から下流を見たところ。ここも何となく水郷のムードである。
 堤防上の道は右岸左岸どちらにもついているが、河口まで歩くとすれば、右岸を歩くこと。左岸は途中合流する川のため遠回りを強要される。





写真拡大 写真522・地図

 野田橋下流左岸に「野田先祖の墓」なるものが建っている。「野田家先祖の墓」ならわからんでもないが、野田先祖?。よこに案内板があって、”家棟川中小河川改良事業によって、墓地移転の要請を受け…”云々ということだった。墓地移転竣工記念碑である。



写真拡大 写真523・地図

 家棟川の南西側を流れてきた新川が合流してくる。川は大きく左へカーブする。川幅が広がり比良山が近くなる。
 合流点には橋はない。左岸をそのまま直進するためには、新川を600mほど遡らなければならない。



写真拡大 写真524・地図  

 新川との合流点を家棟川右岸から見たところ。家棟川は画面左から右へ流れ、新川は画面奥から手前と流れてくる。といってもすでに琵琶湖に近く、水の流れは微々たるものではあるが。




写真拡大 写真525・地図  

 新川との合流点より少し下流、右岸に左の写真のような案内板が立っている(対岸・左岸から見たところ)。それによるとここに野田堰堤と呼ばれる堰があったのだという。案内板拡大
 実は、私が三上山の写真を撮りだした1970年代後半、この堰堤はまだ現存していた。案内板でいえば、3代目に当たることになる。それがいつごろ撤去されたのか、気がついたらなくなっていた。案内板にも撤去年月の明確な記述はない。おそらく1980年頃でだったのではないか。対岸の、案内板に正対する位置に堰堤の遺構だと思われる構造物が残っている。手前に見えるコンクリート製の構造物である。
◆ありし日の野田堰堤ワイド版野田堰堤望遠版(撮影:八田正文、1970年代後半。いまだったら、水門は右へ三上山は左へ分けるが…、時すでに遅し。ああ、諸行無常。)


写真拡大 写真526・地図

 河口付近から上流を見たところ。三上山が印象的なところである。
 わたしが三上山を撮りだした1970年代後半ごろまで、対岸に茂っている木の向こうに水門(野田堰堤)があった。同じ場所から望遠版
◆ありし日の野田堰堤ワイド版野田堰堤望遠版


写真拡大 写真527・地図

 河口にかかる湖周道路の橋(家棟川大橋)。この向こうは琵琶湖である。
 季節は一転冬。ここまできて、冬景色を見てもらわない手はない。夏とは全然違うんやから。冬景色をどうぞ。ついでにもう一枚。琵琶湖自慢の比良アルプス





目 次 へ このページのトップへ