野洲川物語


祇王井川探索Map

4.生和神社から江部まで 2.2Km

行程2.2Kmは写真427まで。それ以降は約1Km

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写真拡大 写真401・地図 

 一旦生和神社へ戻り、祇王井川を渡って朝鮮人街道へ出る。写真316の橋を渡って直進してきたところである。旧街道の風情が復活し、左の写真のようなばったん床几も見える。





写真拡大 写真402・地図

 写真322323で見たT字分岐を生和神社と反対側から見たところ。ちょっとした親水公園風につくられ中学生が遊んでいた。
 現場は地図を拡大してみると分かるように一画が空き地になっていて、車が置かれたりしておりる。朝鮮人街道からも距離があり、うっかりすると見落としてしまうおそれがある。

写真拡大写真403・地図

 朝鮮人街道が、宿場町の枡形を思わすように、クランク状に屈曲している。風情のあるところである。ここで朝鮮人街道と祇王井川が入れ替わる。ここまでは街道の左を流れていた川が、ここからは右側を流れることになる。なお、祇王井川は地図の右下(南西側)から右上(北東)へと流れている。いまは、朝鮮人街道を川と同じ向きに進むと考える
 写真は朝鮮人街道の下をくぐって右側へ出て、さらに穏やかに左へ(最終的には街道に沿って流れる向きに)曲がっていくところである。

写真拡大 写真404・地図

 やがて、街道は希望が丘から辻町の図書館の前を通ってやって来た県道324号と交差する。写真はその少し手前から交差点を見たところ。
 祇王井川は街道の右手(進行方向を向いて)、民家の裏側を流れていて、ここからは見えない。



写真拡大 写真405・地図

 県道との交差点に出て、右折して少し進むと祇王井川が県道をクロスしているのに出会う。左の写真は下流を向いたところ。意味は分からないが、京都の高瀬川の船着き場のように川幅が約2倍になっている。不思議な構造である。

*江戸時代、川幅をめぐって争いがあり、大津代官所の役人が検知を行った記録が残っている。毎年6月19日に記録の虫干しをしている。(山本清一さんの話)


写真拡大 写真406・地図

 県道を越えて、再び朝鮮人街道を進む。茅葺きの門をもった住宅。残してほしい風景である。









写真拡大 写真407・地図

 真宗大谷派吉祥山。車が目の前を通って寺名をかくした。寺の名は「遊林寺」。とかく難しい名が多い寺にあって、林で遊ぶ寺。いいですねー。本来寺は庶民の集まるところだったはず。「遊ぶところ」、これが本来のお寺のはず。
 祇王井川は寺の向こうを流れている。


写真拡大 写真408・地図

 しばらくして、この付近としてはちょっと大きな新しい雰囲気の川に出会う。地図によるとJR線の下から現れるのだが、それ以前はどこから来るのか不明。名前もはっきりしなかったが、あれこれ探しているうちに、橋のたもとに「起点・東込田川」との石標が埋め込まれているのが見つかった。初めて聞く名前である。
 祇王井川はこの川に直角に交わる。平面交差である。右から流れてきてこの川に合し、左の水門から流れ出ていく。写真では黒く段差が見える。この段差が可動式で、祇王井川の水位に合わせ、この川の水位を調節しているのであろう。
*ここも昔はよく水争いをしたところだという。

写真拡大写真409・地図

 左の写真は東込田川に注ぐ手前、上流に向かって見た祇王井川。柿の木の新芽の下を叙情的な風景である。





写真拡大 写真410・地図

 ところがその場所で180度回転して、下流側を見ると川に施された柵にたまったゴミ。係りの方が大きな熊手で引き上げているところ。きけば、1週間単位だったか、10日単位だったかで当番が決められていて、こうしてゴミをすくい上げているのだという。
 トンネルの向こうは明るい水面が直交する東込田川。川の平面交差である。ゴミをすくい上げると水の流れがどっと変化したのが印象的だった。

写真拡大 写真411・地図

 同じ場所から見た平面交差後の祇王井川。画面奥が下流である。いままで同様民家の裏側を流れていく。







写真412・地図

 ここのところ、ずーっと祇王井川は朝鮮人街道からは見えない。ところどころそれから派生する路地に入ると、民家の裏にこうして見ることができる。







写真拡大 写真413・地図

 やがて街道は広い道路と交わる。右手前が祇王駐在所。右向こうがマルヨ製パン所。交差する道は微妙にカーブを描いている。ここがいまの水路に変わる前、旧の家棟川の流露だったところ。もちろん天井川で朝鮮人街道も祇王井川もその下をくぐっていた。コミセンぎおうの玄関前に朝鮮人街道の隧道の銘板が残されている。
 交差点から右(旧家棟川の上流側)に、屋棟神社があって、その参道がマルヨパンの横を通って、朝鮮人街道につながっている。左の写真は街道から見た屋棟神社。(川は家棟川だが神社は屋棟神社)。

写真拡大 写真414・地図

 旧家棟川跡の道路を暗渠で抜けた祇王井川がマルヨ製パンの裏から出てきたところ。穏やかなカーブと石積み、奥に見える地蔵さん。何となく懐かしい風景である。(右が上流、左下が下流)。




写真拡大 写真415・地図

 地蔵さん側から下流を見たところ。この突き当たりが朝鮮人街道。左上に見えている石橋のさらに向こうである。そこで川は街道に沿って右へ曲がる。





写真拡大 写真416・地図

 朝鮮人街道から見たところ。奥に地蔵さんが見える。上の写真では小さく見えていた石橋が手前に大きく見える。奥が上流、手前が下流。この写真では川は左へ曲がる。
 ここから川は、祇王幼稚園の前で左へ曲がるまで、朝鮮人街道に沿って流れる。その間約300m。


写真拡大 写真417・地図

 途中、「福谷酒店」という立て看板があって、そこを左折すると古い造りの民家の前に出る。写真のような「祇王井」という提灯が下がっている。画面左に自動販売機があって、売ってますぞ清酒「祇王井」が。値段は?。あとで調べときます。



写真拡大 写真418・地図

 祇王幼稚園の手前にJAがあって、そこへの橋が時代物。その横に「祇王井川の美しさよ永遠に」というモニュメントがある。









写真419・地図

 祇王幼稚園のはずれで、川は左へ曲がり、民家の裏で街道と平行になるように、もう一度右へ曲がり直す。朝鮮人街道に対して約50m左側を流れることになる。
 民家の裏側へ出たとこにより遠望がきくようになる。これは田圃の中の木立。古墳の跡だろうか。左端の校舎は野洲北中学校。

写真拡大 写真420・地図

  造り酒屋の蔵だろう。この板壁は県道2号からもよく目立つ。江部交差点から祇王郵便局あたりを走っていて、きれいな板壁だなといつも気になっていた。しかし、その真下を祇王井川が流れてたとは、まったく気がつかないことだった。



写真拡大 写真421・地図

 川沿いの民家。軒からつるされたすだれが何とも情緒的。いままでも祇王井川の典型的な風景として、よく紹介されていた風景である。土蔵の白壁窓も印象的。






写真拡大 写真422・地図

 ここでも水門があって、微妙な水位の調節が行われている。画面奥が上流、手前が下流である。水はカメラの方に向いて流れてくる。









写真拡大 写真423・地図

 少しずつ曲がりながら民家の裏を流れていく。手前が上流、奥が下流。水は手前から向こうへ。











写真拡大 写真424・地図  

 しばらく行くと川は直進するが道は突き当たりになる。右へ曲がると朝鮮人街道へ出られるが、人間ひとりなら畦道を直進できる。左は、たまたまそこで出会った昔ながらの風景。おじいちゃんが祇王井川にはいって何かを洗っている。



写真拡大 写真425・地図

 県道32号をくぐるところ。左上、車が通っているところが県道である。ここまで川沿いに細い道がついている。







写真拡大 写真426・地図

 県道を渡ってさらに30mほど直進する。左の写真は県道をくぐってきた川が田圃に突き当たって、直角に右折するところ。地蔵さんが2体祀られている。田圃の向こうの桜並木が朝鮮人街道。

*この近くにポンプがある。祇王井の水量では足りないので、地下水を汲み上げて田用水にしている。



写真拡大 写真427・地図  

 地蔵さんの場所から、里道に沿って流れ、朝鮮人街道をくぐって山側へ出てきたところ。赤い車は小南から永原へ向かって走っている。川は車と逆向き。上流から下流を見たところである。




写真拡大 写真428・地図  

 上の写真の赤い車の位置あたり、水路は鈍角で右へ回る。

 その曲がった先に、右側からやってくるもう1本の水路Aがあることは地図を見て分かっていた。いままで見てきた水路(祇王井川)がその水路Aを集めてあとは家棟川まで一直線。ややこしいのはここまでと、たかをくくっていた。

写真拡大 写真429・地図  

 しかし、念には念を入れてという言葉もある。一応見るだけは見ておこう、と100mほど下流にある橋を渡って、反対側へ回ってみた。
 ?、主客転倒とはこのこと。私は当然のことながら、祇王井川が横からやってくるちょろちょろした川を吸収するのだろ思っていた。何のことはない。吸収されるのが祇王井川だった。写真428を裏から見たところである。いや、この写真429が表で428が裏というべきか。堂々たる水量の川(水路A)が祇王井川からの水を集めていたのである。橋らしきものの下をくぐって来るのが祇王井川。手前の川(水路A)の水は左から右に向かって流れている。
 これで試合終了だと思っていたが、延長線やがな。帰りの電車間にあうか?。

写真拡大 写真430・地図  

 ということで、これを放り出すわけには行かない。その川(水路A・この水路も新家棟川と呼ばれているそうである)を遡ることにした。
 再び県道とクロスする。トラックが走っているのが県道。

 と書いてまた心配のタネが1つ増えた。このトラックはどこから来たのか・・・?。何をアホなことを、左から来たのに決まってるでしょうが・・・。
 地図では分からない。実際にこの場に立って見てもらうとよく分かる。左側ではいまJR線を越える陸橋の工事中。それは絶対に越えられない。道は細くなって、JR線の下に高さ1.8m制限のトンネルが1本あるだけ、それも一車線。私が乗っているPassoでも、頭こすらへんかとびくびくしながら運転席で頭を下げて通っている。こんなトラックは絶対に通れませんで・・・。いやほんま、どっから来たんやろね。

写真拡大 写真431・地図  

 と、しょうもない心配をしながら県道を越えてさらに進むと、右奥に大きな石灯籠が見えてくる。これは朝鮮人街道沿いに立っている。灯籠があるのだから近くに神社でもあるのかときょろきょろしたが何もなし。大きな川の渡し場にも常夜灯があったときくが、そんな大きな川もなし。何かいわれがあるのだろうが。また勉強しときます。

写真拡大 写真432・地図  

 と、反省しながら行くと、今度は川が階段状になっている。それも雲を突く大男が、左、右、ざっぶざっぶと上っていくような状況設定で。





写真拡大 写真433・地図  

 この川おもしろい。延長線はとことん勝負がつくまでやってこそ。引き分けなんてしょうもないことはやらんぞ、と人様の屋敷のよこや裏を合法的にすり抜けて進む。と、広い通りに出た。何やここか。
 ほっとして辺りを見回す。石灯籠がある。朝鮮人街道にあったヤツとは別の風情がある。その横を流れてますがな、さっきの川が。これは通りから下流を見たところ。

写真拡大 写真434・地図  

 上の場所から、回れ右をして上流を見たところ。と、まあここまでは確認できた。水量も結構ある。写真を見てもどこか家の間から流れては来ているのだが、定かではない。このもう一つ上はどこか、探し回ったが、結局は分からなかった。政治資金ではないけれど出所不明。やっぱり引き分けか。


写真拡大 写真435・地図  

 不審者通報される前にやめた方が身のため。人様の庭や畑をじろじろ見渡して、なんぼ川を探していますというても・・・。
 田圃のふちを勢いよく流れていた水。これのようでもあるし、やっぱり違うやろうな。不思議な川だけど、とにかく面白かった。振り返ったら、コミセンぎおうが目と鼻の先だった。

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