野洲川物語


祇王井川探索Map

3.野洲駅前から生和神社まで 2.2Km

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写真拡大 写真301・地図 

 野洲駅前道路と朝鮮人街道との交差点。野洲駅からやって来て、右折したところ、滋賀銀行前に「本山錦織寺一里」と刻まれた大きな石標が建っている。
 カメラの背後は滋賀銀行である。
 祇王井川は石標の背後、民家との間を流れており、駅前通りをくぐって北東側へ渡る。




写真拡大 写真302・地図

 野洲駅前の交差点から和田のほうへ向いて進む。朝鮮人街道と並行して流れる祇王井川。(カメラの背後が駅前交差点、前方が和田。川は手前から奥へ流れる)。ここ10年ほどの間に、マンションとの高層建築は増え、風景が変わってきた。正面の鉄塔はNTTのアンテナ。


写真拡大写真303・地図

 川の中にさらに細い水路。こういう風景はよく見られる。本流に小さな石を置いてちょっとしたダムを造る。これで水位を調節して、側流へ引き入れる。途中和田の方を向いてみたところ。




写真拡大 写真304・地図

 こうして本流との水位の差を作って、水を分ける。細かい調節のための道路からハシゴが設置されている。小さな木の標識に「矢萩取水口」とある。

*明治時代に水争いがあって、裁判が大審院まで行った記録が残っている。




写真拡大 写真305・地図

 マンションが建って、旧街道沿いという風情はない。下流に向いてみたところ。






写真拡大 写真306・

 かつての川沿いの洗い場だったのだろう。いまは使われた気配はない。手前、祇王井川を渡る細い水路。これも昔は大事な水源だったのだろうが、いま水は流れていない。川の流れは右上から左下向き。

*このあたりは祇王井の水位が低く、上流からの水を立体交差で農地に送っていた。



写真拡大 写真307・

 これもかつての洗い場。新しい柵が微妙な立場を表現していて時代を感じさせる。川の流れは上に同じ。





写真拡大 写真308・地図

 上と同じ立体交差だが、こちらは生きている。立派な側道もついている。夜、来たことはないが、これを渡るのには勇気がある。
 写真にも少し写っているが、水路にゴミがたまる。多分朝、誰かが掃除されているのだろう。夕方には、橋の半分ぐらいまでたまったゴミが浮いていることがある。


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写真309・地図

 久野部跨線橋近く。川は向こうへ流れていく。












写真拡大 写真310・地図

 久野部跨線橋下から下流を見たところ。私が野洲の住民になった昭和45(1970)年ごろには、久野部跨線橋はまだなく、この川沿いに朝鮮人街道が国鉄線路を斜め踏切で渡っていた。







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 久野部跨線橋を過ぎてすぐJR線下の暗渠に入る。写っているのは野洲駅へ向かう下り電車。
 このあと跨線橋まで引き返す。階段を上って久野部側へ下りる。信号でターンして線路横へ出る。







写真312・地図

 JR線をくぐって暗渠から出てきたところ。右端遠くの陸橋が久野部跨線橋。その昔、和田の方からの踏切は線路を斜め横断して多分ここらへ渡っていたのだろう。
 走っている電車は上り米原行き。





写真拡大 写真313・地図

 橋の上から下流を見たところ。左の道路が地理的には朝鮮人街道ということになるのだが、旧街道の面影はない。









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 祇王井川・中ノ池川分岐。祇王井川の川幅が広がり左へ中ノ池川を分岐する。祇王井川は再び細くなって直進する。中ノ池川はこのあと童子川につながり、西祇王井川とも呼ばれる。最終的には家棟川に合する。
*正式には、橋をくぐった下手にある堰から下流が中ノ池川。



写真拡大 写真315・地図

 分岐後ノ中ノ池川。朝鮮人街道の橋の上から下流を見たところ。手前、左右にみえる三角形は空気堰。空気を入れて堰の高さを調節する。いまは空気が抜けており、段差はなし。段差が大きくなると、水位が高くなった水が祇王井川に流れていく段取りになる。

*独断で「空気堰」としたが、実際には水道水を注入して調節するのだという(山本清一さんからの教示による)。そういわれたらそうだ。空気では軽くて話にならないだろう。



写真拡大 写真316・地図

 中ノ池川を渡って、続いて稲妻形折れ曲がりながら祇王井川を渡る。手前の欄干は曲がりなりにもコンクリート製だが、反対側はガードレールそのもの。右に伸びるのが朝鮮人街道。再び旧街道の風情がよみがえる。祇王井川は正面の家の裏側(左)の地道沿いに流れる。




写真拡大 写真317・地図

 写真316の橋を渡らずに、川沿いに地道を進む。微妙にカーブしていて、風景としても素晴らしい。











写真拡大 写真318・地図

 生和神社近くにあった石のおもり。漬け物石にしては数が多すぎるし、鮒寿司用のおもりではないかとの話し。真偽のほどは未確認。

と書いておいたら、守山市のTさんから次のようなコメントを戴いた。
 ・・・「石おもり」は多分、近辺の醸造業(酒造りだと思います)からのもので、それをフナズシの重しや、漬物用に使っていたのではないでしょうか。戦前、わが家の生業は造酢業でした。その酢蔵では醸造用の桶が並び、桶と土間との間にこの石が4個程置かれ、桶が直接土間と接しないように工夫されていました。・・・
 最終的にはこの石をおいた人に直接きく以外、正確な答えは得られないのだろうが、多分こういうことなのでしょう。ありがとうございました。



写真319・地図

 生和神社。
 案内板に曰く「祭神は藤原忠重公。平安時代中期藤原氏の荘園であったこの冨波荘の領主であった。元来この冨波荘は池や沼が多く、一の澤に生息してい大蛇を退治、村民の永年の憂苦を払拭されるとともに、この沼沢地を開拓、村の鎮守神として祀られた。…」とある。

写真拡大 写真320・地図

  生和神社横の親水公園。












写真拡大 写真321・

 ビックリした。最初例の水路の立体交差かと思ったがそうではない。民家の裏口から出てくるのだから、通るのは人間様らしい。水量の多いときに落ちたらどうするの。本当に渡る人があるのだろうか。ひょっとして体操選手の家か。個人のお宅をネタにしてゴメンナサイ。


写真拡大 写真322・地図

 さて、T字分岐。カメラは下流を向いている。祇王井川は右を直進。1つは左へ大きく曲がって中の池川に達する。









写真拡大 写真323・地図

 写真322から左へ直角に曲がったところ。Tの字の縦線の右側から見ているところ。祇王井川は突き当たりを右から左へ抜ける。









写真拡大 写真324・地図  

 写真323の場所から180度反対側を見たところ。












写真拡大 写真325・地図

 上の写真の奥に見える緑の木のあたり。樹下2絵段に分かれてカーブしていく。
 奥に横一線の堤防が見える。これが先ほど別れた中ノ池川。単純に考えれば、何でこんな面倒なことをと思うのだが、何か深いわけがあるのだろう。





写真拡大 写真326・地図

 中ノ池川へ合流。めでたくもののさやに収まったわけ。










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