野洲川物語


祇王井川探索Map

はじめに.祇王・祇女のことなど

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 祇王井川

 祇王井川は、野洲川・石部頭首工で取水され、野洲市の中心部を流れて、家棟川と合流して琵琶湖へ注ぐ農業用水路である。『平家物語』に登場する白拍子・祇王、 祇女が、水不足になやむ故郷の人びとのために、当時の平清盛にたのんでつくらせたという伝説がある。
 三上山山麓、野洲川右岸七軒場の住宅地の中に、「祇王井川水源地跡」という記念碑が建っていて、その裏面に、つぎのように刻まれている。

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 ・・・・・ 田用水ノ不足ニナヤム江部庄二生マレタ祇王ハ コレヲ救ウコトヲ悲願二 平清盛二仕エタ ソレハ経国ノ政策二織込マレ急速二完成ヲ見夕 時二承安三年三月十五日 ソノ水路ヲ祇王井川ト名付ケ ココヲ源トシテ延々卜十ケ村ヲ潤シタ 祇園精舎ノ鐘ノ声ハ絶エテモ流レハ絶エズ 江部庄ノ命ノ水トシテ今二至ル
     昭和五十二年五月吉日 記ス・・・・・
 前述したように、現在の祇王井川は、石部頭首工を水源としているが、それ以前はこの七軒場あたりが水源だったという。祇王井の「井」は、湧つぼとか湧元とかを意味し、かつては野洲川伏流の湧き水を水源としていたことによるといわれる。この水源地碑 は、その湧き水とり入れ口跡だといわれる。野洲川堤防のすぐ横で、河川敷は野洲川運動公園になっている。
 県道から住宅地に入ったら、とにかくいちばん奥(野洲川に近い方)までつっこむ。空を見て鉄塔を探す。下を見ていては見つからない。その鉄塔のすぐ横(真下といってもいいぐらい)が水源地。生け垣で囲まれていて、うっかるすると見落としてしまう。四の五のいわずにとにかく鉄塔を探すこと。

   

 白拍子・祇王

 祇王、祇女の姉妹は、江部庄(現・野洲市中北)で生まれた。父は橘次郎時長といったが、保元の乱で命を絶っている。そのあと 二人は都へ出て、母の手ひとつで育てられ、その美貌と歌舞が認められ、平清盛の愛妾となって、さきほどの願いとなる。
 工事は、瀬尾太郎兼康を奉行として行われた。その工事が難行したとき、不思議な童子が現われ、その引縄に従って掘ることにより、工事は一昼夜で完成したという。 今も祇王井川の下流で家棟川に通ずる川を「童子川」と呼んでいる。
 この川が完成したあと、祇王は京都嵯峨の往生院にかくれる。 清盛の寵愛が同じ白拍子の仏御前に移ったからである。その仏御前もやがて往生院で尼となる。清盛も死に、平家の一門も滅びた建久元年 (1190)7月、祇王は嵯峨野の地で息をひきとった。

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 故郷の人びとはその恩を思い、古くは江部といった地名を祇王と改め、その水路を祇王井川と呼んだ。後世さらにその遺徳をしのんで 一草庵を営み、その菩提をとむらった。妓王寺である。この寺はいまも野洲町中北の地にひっそりと在る。




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 祇王屋敷跡。妓王寺から300m足らず。集落内の里道を通って県道32号へ出、それを渡った向かい側。古墳を思わすような小さな塚があって、ひっそりと碑が建っている。






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