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kitaFG:野洲川源流右岸分水嶺

北周りFG・山川/稲川/大日川流域

初稿UP:2022.02.25

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このページは、附録:『分水嶺総集編:北周りF・山川/稲川/大日川流域 』と略同一です。


地図N06.山川・稲川・大日川流域分水嶺地図
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 北周り分水嶺総集編としては「山川、稲川、大日川流域」を収録しているが、本稿といては前2項は省略。大日川のみを収録している。


6.大日川流域

  地図を見れば、山川も、稲川もともに野洲川へ流れこんでいる。野洲川の支流であることは間違いはない。両者は布引山地で隔てられているが、それを含めて三者とも東西に長く伸びている。いや、東西ではわかりにくい、野洲川と同一方向といえばいいのか。普通、川は山地から川筋に向かって流れ下る。木の幹に対する枝の関係である。ところが山川も、稲川も共に野洲川と並行に流れ下っていたのである。特に稲川に至っては、山地から流れ下るいわゆるタテの流れと交差までして流れ下る。明らかな農業用水として人間がコントロールしている流れであった。そんな流れの中にあって、大日川は、久しぶりの山から流れ出る流れである。

  頓宮越え(写真・下)
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 県道41号、国道1号”頓宮”から日野町鎌掛に向かう山道である。市町境の峠を越すが国土地理院Web地図に名称はない。途中頓宮新池から峠までの間で、シカに出会った(本文にはスライドショーで紹介している)。道は平地を行く間は2車線で何の苦労もないが、野上野への道を分けでしまうと、とたんに1車線の山道になる。写真左が峠道。峠を越えて日野町側から見返したところ。大日川流域の分水嶺は短いが、その間に峠が2本越えている。この”頓宮越え”と、次の”笹尾越え”の2つである。


写真拡大   笹尾越え(写真・下)

  頓宮越えのすぐに東に位置する”笹尾越え”である。右の地図は昭和45年編集、同57年修正の国土地理院5万分の1の地形図である。この中の緑が丘ファイブ住宅地の北側に記載されている”笹尾峠”が不思議でならなかかった。県境などだったら、有名な峠の名前が記載されている。それはわかる。例えば鈴鹿峠などである。しかし、ここは市町境だ。しかもこの地図が発行されたされたころは、甲賀市はまだ”市”ではなかったはず。なのになぜこの峠だけが記載されているのか。

  疑問が疑問のまま年月が経ち、2012年12月、この分水嶺峠道探訪を始めた。改めて滋賀県の街道の解説書を読み直した。その中で、東海道・土山から中山道・五個荘に至る御代参街道が、この笹尾峠を越えていることを知った。なぜ国土地理院の地形図にこの名があるのか。やっと意味がわかったのだった。
  この峠は歩かなければならない。資料を集めている間に不思議なことに気がついた。国土地理院の地形図には、”緑が丘5(ファイブ)”住宅地の北側にその名がある。ところが最近のウェブでの情報では、それが当該住宅地の西、いくらか離れたところへ移動しているのである。住宅地北の峠は廃道になっているとか。これは頭の中だけで考えていてもどうにもならない。実際に行ってみなければ分からない。それが今回の取材だった。

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  左の写真が、現在の笹尾峠である。”緑が丘5(ファイブ)”住宅地から300mほど西へ離れた位置にある。住宅地の方から歩くと最初は水分を含んで歩きにくかった道が、いつの間にかササが生えた乾いた道に変わる。そしてちょっとした勾配を登り詰めると小さな広場へ出る。そこが現在の笹尾峠である。左の写真は登り詰めて振り返ったところである。
  なお、旧の笹尾峠から鎌掛へ下る道は、谷筋を下っていたが、現在の道は、逆に尾根筋を下っている。展望が利く気持ちのいい道である

*緑が丘5(ファイブ)北端にあった旧笹尾を過ぎたあたりで、分水嶺は野洲川源流域に入る。現実問題としては、県道41号”頓宮越え”現在の”笹尾峠”を歩いた以外は、次の”平子越え”まで、地図をトレースしただけである。



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