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野洲川物語

地図遊び・川をまたがない一本の線
野洲川流域を囲む分水嶺・その峠道を訪ねる
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00.はじめに

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 こに1本の川がある。対岸へ渡りたい。ただし、川を跨いではいけない。さあ、あなたならどうする・・・。ここでいう「跨ぐ」とは、飛行機・船・橋など近代的なものはすべて駄目。徒渉も跨ぐことになるから駄目。跨いで駄目なら、トンネルを掘ってモグラ戦術・・・・。
  まあそんなアホなとことは別にして、結局は川に沿って上流へ向かい、最上流を回って対岸側へ出る。再び川に沿って下流へ・・・ということになる。もちろん枝別れした流れがあるから、それも丹念に上流へ回り込んで。途中、ひょっとして隣の川に出くわすこともある。もちろんその川もまたがない。
  その川が水を集める範囲を流域(集水域)、お互いに隣り合う流域の境界線が「分水界」(流域界)というのだそうだ。 ようするに降った雨がA川へ流れるかB川へ流れるかの境である。その分水界が山の稜線にあるときに、それを「分水嶺」と呼ぶという。

  こうして描かれた一本の線を巡るのが今回の目的である。対象の河川は野洲川。

  野洲市に住まいしている一人の人間として、「せめて野洲川流域だけなりとも・・・・」と考えた。最初に述べた”橋のない一本の線をたどる”こと。これが本来の願いだが、草木を分けて道のない線をたどること、これは年齢的に無理な話。出来ることとしたら、野洲川流域から隣の流域へと分水界を越える峠道を訪ねることぐらいである。現実問題として、何があるのかないのか。やってみなければ分からない。
  私はいま、日本人男性の平均寿命に近づいている(2012年12月現在)。命がある間にそれが終われるものかどうか、それすらやってみなければ分からない。これが出発の辞である。

 以上、前口上。

 そして、完結を前に。

 こうして始めた峠巡りだったが、甲南町・浅野川の途中まで進んだ時点で、思ってもいなかった病気入院(2018年8月〜12月)。その時点で、あと 1 年もあれば…と考えていた予定は見事にはずれ、”最後は、石部宿から旧東海道を歩いて鈴鹿峠で締める”との願いは削除。やっと2021年秋、終りが見えてきたところである。
 出発の時点では、この分水嶺を越える峠道が何本あるのか、そのうちの何本が越せるのか。何もわからない状態だった。地図に記載されていながら、実際に行ってみると廃道といわざるをえない状態であったことも何回か。まさに”現場に立って初めて見えてくる”ことの連続だった。長い文章を読んでくださいとは申しません。せめて写真の何枚かだけでもご覧いただければ幸いです。



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