TNK・
YTK・
HN・
Chou・
マミー・
MO・
MEGW・
JIJI・
MRT・
marimari・
|
|
一覧表/目次へ |
■TNK
着信:2014.05.17
野洲川に菜の花が綺麗に咲いていましたので、河原まで降りて行き2枚と、友と赤穂での日の出を1枚を見てください。 | |
■1.野洲川に映りこんだ陸橋 写しては見たけれど?どうすればいいのか、思案してます。
◆そうやな、ちょっと思案するな。でも面白いと思う。どちらも上下逆像になって川面に映っているのだが、手前の鉄橋と電車をもう少しはっきりさせたい。ということで、とりあえずもうちょっとコントラストを上げてみるかな。それとは別に遠くの水道橋のあたりに見える空の青と、手前の電車の近くの薄いオレンジ、この2つを生かしたい。ところがコントラストを上げるとお互いに逆の要求をしているわけで2つの色が消えてしまう。難しいところ。ちょっとお手上げ。
|
■2.野洲川に三上山 絵葉書のようになりました。
◆「絵葉書のようになりました」て、絵ハガキを馬鹿にしたらアカン。こんな暗い絵葉書はない。調整する。空が無表情。なんでもエエから行ったときに撮るではだめ。いつ撮るかが問題。水平線に意志がない。要するになり行き任せ。
|
■3.赤穂の海に朝が来た 朝日なんてなかなか撮りに行けない私でも連れがあって撮って来ました。太陽だけ、前景を入れる、どれだけ入れるのか?むつかしいです。
◆もう少ししっかりした前景を入れたほうがいいだろう。竹が何本か見えるけれどもちょっと弱い。ワイドで撮っているのだから、手前の海岸線を入れるのも一つの手。
画面全体が暗い。太陽が明るいと周囲が暗くなるのは仕方ないが、でももう少し明るく調整できるはず。水面か空かどちらを主とするか、撮影時の意思が感じられない。そういう意味で、2と3は同じ問題点を抱えている。
|
|
一覧表/目次へ |
■YTK
着信:2014.05.19 撮影場所:福井県武生市味真野 『万葉まつり』に行ってきました。 | |
■1.打つ
◆たしか「あじまの」と読むんだったか、このあたりの歌が結構万葉集に採用されているとか。紫式部も若いころにこのあたりで生活したとか。
和太鼓のショーだけど、いちばん手前の男性がジャンプして画面からはみ出してしまった。こういう動きは予測できないからつらい。それともほかに何枚かあったが、あえてこれを選んだのか。そこのところが不明だが、もしそういう過程で選んだのなら、その意味は何か。もしはっきりした意味があるなら読めるはずだが、それがもう一つはっきりしない。結局ぶっつけ本番の難しさか。
|
■2.超太刀
◆なるほど、でかい太刀だ。しかしこんな2人がかりで持つような太刀をどないして振り回したのか。分からん話しだ。
これも撮影する側からすれば、しんどい話だ。だいたいどこをどのように歩くのかわからないだろうし、バックの選定なども思うようにはならないだろう。今の場合も肝心の太刀が白抜けの空へ出た。祭りを専門に撮っている人は、1回目は下見のつもりで行くのだいう。とにかく「行ってきました写真」はつらい。
|
■3.投げる
◆これはまいった。送られてきた写真を見たとき、きれいなコスチュームを着て、みんな上を向いてきれいにそろっているなと思っていた。題を見ると「投げる」。何ッ?・・・。改めて写真を見るとなるほどテントの上にバトンが点々と。これこそ白飛びの空に入れたかった。うまいこと行かんものだ。
|
|
一覧表/目次へ |
■HN
着信:2014.05.20 撮影場所:草津三大神社 5月8日、いいお天気でした。藤の花で有名になっている三大神社に行ってきました。10時頃でしたので太陽の光が強くて白いものを着ている人たちは白飛びしてしまいこれを考えての撮影でした。人は大勢、大方は介護を受けている老人の車での見学。幼稚園のお花見で賑やか過ぎる人を入れないで撮るのが難しかったくらいです。中々良い構図作るのが難しかったです。 | |
■1.蝶も来た
◆なるほど、藤を撮りに行ってもちゃんとチョウを仕留めるあたりは、さすがHNさん。でも今の場合は、右の暗い木がチョウの存在を食ってしまったかな。チョウと同じ黒色ということで、チョウが木に沈んでしまった。いずれにしてももう少し明るいところへ置いてやりたかった。
|
■2.記念撮影
◆?記念撮影。データの送り間違えじゃないだろうな。どこで記念撮影をしているのだろう。中央の女性もカメラは持っていないようだし。写される側らしい人も車いすのおばあちゃん一人だし。藤の写真だとすると、真ん中の女性は邪魔をしているだけだし。仮に記念撮影の皆さんがはっきりしていても、藤と記念撮影とどっちやねんということになりかねない。難しいところだ。
|
■3.三大神社の藤の花
◆灯籠が手前にドーンと頑張り過ぎた。写真を撮っている人を入れたかったからどうにも仕方がなかったのだろうが。もしこの場所で、どうしても灯籠をというのなら、もっと左へ置くことだろう。それでも灯籠の大きさは変わらないから、でかいことには違いはないわけだけど。
|
|
一覧表/目次へ |
■Chou
着信:2014.05.21 娘が比良におりまして、月曜日の朝守山を通り帰ってくる途中で撮りました。朝の4時30分ごろだと思います。美しかったので撮ってみました。比良で毎年1回「かんじる比良」というイベントが行われているのですが、ある1軒のお店の前でメダカが泳いでいました。 | |
■1.守山の日の出
◆水田に昇る朝日。4時半は大げさで5時前後だろう。それはともかく、朝日があまりにもきれいだったのでクルマを止めて…。
これは撮った写真そのままというところだろう。日の出直後で太陽は昼間の輝きに比べるとまだまだ光は乏しい。しかし周りの風景に比べると明るい。おそらくこの時でも直接肉眼でじっと見ることはできなかっただろう。そういう太陽を画面に入れるのだから、周りの風景は暗くなる。おそらくこの画面も撮影時の記憶をたどってもらうと、全体的にもっと明るかったはず。田んぼの向こうの街並みもある程度は細部まで見えたはず。そういうイメージで調整をしてみた。どうだろうその時のイメージにちょっとは近づいただろうか。
|
■2.火鉢の中のメダカ
◆イベント会場で見たメダカ。昔はどこにでもいたのだけれど、昨今では数が減っているとか。
ホテイアオイのはっぱが入った水槽にメダカが泳ぐ。全体としてちょっと近づきすぎたか。奥のほうの葉っぱにピントが来ている。カメラはピントは合わしたよというサインは出すけれど、どこに合したかということは出さない。これはそれを扱う人間の責任。限界を超えて近づきすぎるとこのようなことが起こる。
ピントとは別に、水面に少し波があったほうがいい。手でそっとつつく。
|
|
一覧表/目次へ |
|
■1.暑い一日
◆昭和19年、小学校5年生の夏。生まれて初めて飛行機雲を見た。雲一つない青空を悠々と行くB29。銀色にきらめく気体が白い煙を後ろへ流していた。煙は消えなかった。誰も知らなかった。そばにいた大人も、あれはなんやと驚きの声を上げた。その翌日だったか、誰からともなく情報が流れてきた。あれは煙ではなく飛行機雲というのだと。
三上山の斜面にかかる飛行機雲2本。1本は新しく1本は古い。なるほどなー。野洲周辺は飛行機の航路に当たる。条件さえ合えば、飛行機雲なんかあって当たり前。それをこうして写真の材料にしようてなことは考えたこともなかった。負けた。
「暑い一日」にしては若干暗い。このような一面が明るい空は、カメラのオート露出はねずみ色(明るい白と暗い黒の中間という意味のねずみ色)に調整される。だから目で見たら画面は暗く出てくる。明るく調整する。これで初夏の空の明るさになる。
|
■2.初夏の足音
◆何の葉かわからないが、新しく生まれたムギワラトンボが、白く枯れた去年の葉っぱに止まる。時間の流れを感じさせる。
ここまではいいのだが、ここでちょっと問題。意地悪をするのではないが、といいながら結構意地悪をしているのだが、この写真はマミーちゃんから送られてきたデータkらトンボの部分を100%に伸ばしたものである。結論は言わなくてもわかる。こういう写真のピント合わせの難しさである。
|
■3.ゆりの木咲いた
◆ゆりの木の花が点々と咲いている。背の高い木だから当然望遠ということになる。よく晴れた日でバックは青空。これが白飛びだと泣かなければならないが、幸いにもうまくいった。消えかかった飛行機雲が薄く広がるのも面白い。
面倒くさいからいじわるはしないけれど、自分で100%に伸ばして確認しておくことが大事。とくに望遠の場合はこわい。
|
|
一覧表/目次へ |
■MO
着信:2014.05.22
大池寺をの散策を楽しんできました。朝の光りを私自身も受けて、とても気持ちが良かったのですが、写真でそれを表現するのは難しい・・・でした。 | |
■1.光りを受けて わずかな朝靄も肉眼ではしっかり見えていたのですが、写っていないなぁ〜。
◆そうかー、写っていないか。でも中央の木を境として左側では写っていると思うのだが。それをMOさんが写ってないと感じるのは、「肉眼ではしっかり見えていた」という朝もやは明るいところに見えていたのではないか。ところがこの写真では暗いところにモヤ(霧?)が見える。もう少し明るいところを入れたらイメージ通りになったのではないか。
|
■2.めざめの朝 立ち木とハスの葉が重なってしまったのは、はしごが必要かと思ったり・・・でした。
◆なるほど、「立ち木とハスの葉」、でもこれは梯子をもってきてもダメだろう。ちょっとは木立が上へ移動するかもしれないが、重なることに関しては同じだろう。それより右へ寄れなかったか。それができたら木立が右へ動く。
ハスの葉と手前に散らばっている花びらがなかったら、カメラ振れと間違われそうな表情が面白い。葉っぱと木立の関係さえ解決できていたら面白い写真だったのになー。
|
■3.素人仕事 クモの巣は芸術的センスがないといえばないのですが、なにかとご多忙なクモだったのかと想像しながら、キラキラ感に惹かれて撮りました。
◆「芸術的センスがない」のは、クモのことだとは思うが、MOさん自身の自己評価とも取れなくもない。オット、失礼を・・・。と、まあいろいろあるけれど、このクモは心配性やね。どんなに念を入れても気が休まらないわけ。しかしこんな見えみえのクモの巣に引っかかる虫がいたら、よっぽど間抜けやね。
写真としては中央にどーんと来た感じ。もうちょっと右に置きたかった。
|
|
一覧表/目次へ |
■MEGW
着信:2014.05.24 今年も琵琶湖大橋の夕日と夜景を撮りに挑戦してきました。 | |
■1.落日の大橋 日差し強く、雲があればと思いながらの1枚です。
◆1つのテーマに連続して挑戦、敬意を表します。確かに太陽は強いけれど、実際問題としては山が高いからこれ以上は時の運というところだろう。橋自体の対称形も近くに来て崩れているので、対称形を求めようとするとレンズを長くしなければならず、それをやると山が窮屈になる。難しいところ。
1995年7月発行の「くさぶえ」というコミュニティ情報誌(県発行)が残っていた。その表紙がまさに同じ場所からの撮影だった。琵琶湖大橋守山側からのこの構図は、やす教室の田中邦男さんが初めて撮ってきた(昨年9月の4教室合同展に発表)と思っていたが、すでに20年前に撮られていたということ。くさぶえ誌表紙(撮影者不詳)は例のイーゴスを意識しての構図になっているが、いずれにしても類似の構図の場合は、後発者は先発者を追い抜かなければ類似作で終わってしまう。難しいところである。
|
■2.黄昏の大橋 琵琶湖大橋を渡り帰る時、街灯が灯り出したころの一枚です。
◆夕暮れ時の琵琶湖大橋。橋の照明がともりだしたころだという。レンズが結構長く、クルマが流れていないことから見て、シャッターもそこそこ早いようだ。照明用のライトが手前のほうははっきり見えるのに、奥のほうは弱くしか見えない。ライトのカバーの関係でそう見えるのかと思ったが、どうもそうではないらしい。受け売りだが、琵琶湖大橋の照明は守山側と堅田側に分かれていて、守山側が約15分早く点灯するという。ということは、奥の照明のあいまいな明るさは、まさにただいま点灯中だったのではないか。完全にともった時の効果は「くさぶえ」誌表紙で歴然。
|
■3.大橋が飛んだ びわ湖大橋の夜景、ズームアップで撮りました。
◆ズームの遊び。MEGWさんは「飛んだ」というけれど、僕には琵琶湖大橋がカンザシをさしたとしか思えない。「飛んだ」とするには、ワイド側と望遠側の2つの橋の像が同一水平面上にあることが条件だと思う。そして両方の橋の像がしっかり画面に定着し、その間をライトの線が繋ぐ。無責任に言うているだけで、可能どうかはわからない。
理屈の上では
A.ワイドで静止露出カメラは斜め上向き。
B.カメラを水平(画面上でAの水平線と一致するまで)向きまで振り下げながらズーム。
C.ズーム終了後静止露出。画面上の水平線はAでの水平線と一致している。
以上A,B,Cの時間の総計で適正露出。
そんなことできるかと思うか、ひょっとしたらできるかもしれないと思うか・・・。
|
|
一覧表/目次へ |
■JIJI
着信:2014.05.24 残春模様3題
| |
■1.岳の残雪融け急げ 山にも木の芽膨らみやっと春。
◆木の枝で「八」の字のゲートを作ってその中へ残雪の山を入れた。幔幕の中央部を持ち上げて、その奥に大事な人の肖像画を置いたような、そんな雰囲気である。ここのところで窮屈さを感じてしまう。特に山の左右の稜線と枝の方向が重なって余計その感を深める。まあ、要するに前景探しの問題だけど、木の枝は左だけ、右の空いたところへ山を塩梅よく置くということでどうだろう。
|
■2.郷の子供は夏模様 元気な子供は季節を飛び越える。
◆なるほど暑い日はあついからね。伊那谷のミヨちゃんが出てきたのかと思ったが・・・と、すれば当然お母さんは美人のはず。それを隠して見せないあたりは・・・。子供は天真爛漫、こんな噴水で遊べるなんて、健康でよろしい。
|
■3.春の名残かサクランボ あの櫻が実になった、もう一度見てほしい・・・と。
◆見事に実ったものだ。右上の白飛びが惜しかった。風があって葉が揺れたりすると白飛びの予測なんかはできないし。風がなくてすべての葉っぱがじっとしているなんてことも考えられないし。起こってしまった白飛びは仕方がない。幸い画面が若干暗い。いっそのこと全体を明るくすれば、多少なりとも助かるのではないか。一回とんだものは、いくら暗くしても飛びはとび。逆に明るくしても若干面積が増えるだけ。ということで明るく調整した。多少楽になったかと思えるが、しかし結局はとびはとび。これは飛びそうだとの予感があれば、マイナス補正しかない。PLフィルターを云々する人もいるが、全体の色に影響するので(ごくわずか、わからない程度だけど)、ボクはマイナス補正を奨めたい。
|
|
一覧表/目次へ |
|
■1.よそよそしく歩く:(新唐崎)
◆おっと、これは平均台。アオサギのコマネチ。ちょっと古いか。用心深い鳥だから逃げていくほうが多いのだが。でも惜しかったなー。構図のすべてが水平になってしまった。ちょっとでも斜めから見てとれる場所だったらよかったのに。こればかりは相手のあることだし。
|
■2.陽を求め:(比叡辻)
◆これは何といえばいいのか。僕自身、気をつけて見たこともないし、光と、ピントと、バックのボケぐらいしかものをいうデータがない。光はもう一つはっきりしないが、ピントとボケはいい。とするといい写真だと早合点される向きもあるが、さあ果たして・・・。なんせ初めから僕はわからんと白状してるのだから。
|
■3.散歩:(新唐崎)
◆これも詳しい人なら、○○ハトとさらに細かい名が出てくるのだろうが、ボクにはハトとしかわからない。そのハトがくさ原で散歩中。理由はわからないがハトの周囲だけが何となく明るい。実際にはそんな都合のいい光があることはめったにないので、レンズの癖かとも思うが、他の写真にはそんな形跡はないし・・・不思議やねというしかわからない。
奥にスズメが一羽いる。これが芸をしてくれたらよかったのに。
|
|
一覧表/目次へ |
|
■1.ひとやすみ:(5月18日箱根の金時山を歩いて)
下山してその名も富士見茶屋という場所でツーリングの人たちが休憩中、くつろいでいる雰囲気と富士山の雄大な姿の組み合わせを少し意識して撮りました。
◆舗装されているし、白線もひかれているから駐車場か展望台か。でもこういう場所をデザインする連中は富士山なんてのは風景だとは思っていないのだろう。いや、考えていますよという人がおればそれは嘘。もし考えているとすればこんなガードレールを使うはずがない。旅の記録としてならなり立つが、写真としては難しい場所だ。
せめてこのミーティングを駐車場の真ん中あたりでやってくれるといいのだが、大体人間というやつは、(いや、すべての動物はというべきだろうが)真ん中に立つことを好まない。もっともそんな真ん中につっ立っておればクラクションの一つも鳴らされるのが落ち。やれやれ。
|
■2.家族のシーン:(19日箱根彫刻の森美術館で)
若いご夫婦が可愛い盛りの小さな子どもと無心に向き合って幸せ感漂う光景でした。長い人生の中のきらきらしたひとコマ、自分にもあったような…? と老婆はしみじみした次第。前の二本の木が何とも目障りでしたがどうにもならずシャッターを切りました。
◆シカよけか、スズメバチ対策か、黒いネットが巻かれて・・・・。何とも目障りな木である。その木が2本。気がついたら、入っていたというのならともかく、「何とも目障りな」と意識していながら、なぜ入れたのだろう、それも2本も。どうしても入れたいというのならどちらか1本だろう。左を入れた例。右を入れた例。
だいたいこういう場合、意識しだすとそれから抜け出せなくなる。これはアカンなとおもったら、いったんその場を離れて別のものをねらってみる。そのあともう一度戻ると不思議に頭が整理されている場合が多い。両方カットした例。ベビーカーが前景になって生きているし、きっちりそろえた靴も効いている。こんな写真が撮れたのに。…そうです。私もそう思ったのです。で、一回りして戻ってきたら、この家族はいませんでした。そんなこたァ知らん。勝手にせい。
|
■3.新緑の中で「ハイッ!」
これはとても面白い造形物でしたので後ろに回って緑を背景にしてみたのですが、真正面ではなくてもこういうオリジナルな作品を対象にして撮るのは良くない事なのかどうか・・・ご意見頂ければ幸いです。
◆そのオブジェを真正面からどーんと撮って・・・・というのはどうかと思うが、このようにひとつの添景として使うような場合は差支えないだろう。もっと卑近な例として、生け花を対象物とする場合など、全く別の作品として受け取られる場合もある。生け花の作者との関係も考えなければならないが。
いまの場合は、遠慮がちに風景の中の一点景としているが、バックの木組みに埋没して生きてこない。中途半端な作品になった。もう一歩肉薄してもよかったか。
|