デジカメわいわい村
とれとれ作品集 NO.142
2014年01月・後半

 

BEST

SS HN MO HN JIJI


JIJI SS HN MO YN MEGW

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■JIJI

着信:2014.01.13

 雪の朝、比叡山へ出かけました。ドライブウエイは閉鎖中。掛け合って、やや強引にゲート通過。昨年、6月の撮影場所から「雪の近江平野」を狙いました。返すカメラで、京都、大阪を切り取りました。同日、ほぼ同時刻でこれほどの違いがあることを観て、滋賀県の平均余命が全国3位にランクアップしたのはこの豊かで澄み渡る自然に育まれてのことと再認識したものです。自然ヲ水ヲ空気ヲ大切ニシヨウ!

 

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■1.近江の雪
 昨年6月提出分と同アングルで撮りました。鈴鹿山脈は雲の中。近江平野が狭く見える。
◆出た!。去年6月に次ぐ第2弾。去年の「近江大景観」には度肝を抜かれた。どうしたら、こんなクリアーな写真が撮れるのかと驚いた。さて今回、表題は「近江の雪」と控えめだが、「やや強引に・・・」ゲートを。いやいやどういたしまして。私の見るところ強行突破。おそらくサングラスの一つもかけていただろうし、JIJIさんに凄まれたら、たいていのおっちゃんは後ずさりする。
 とまあ、そういうアホなことはさておいて、わいわい村としては写真について何か言わなければならない。・・・稜線の重なりの立体感、空気の透明度などは、昨年版のほうに一日の長があるようだし、鈴鹿の稜線が見えないこともマイナスとはいわないがやっぱり残念だ。撮影者の責任でないことは言うまでもないことだが。わいわい村は以上ここまで。

 以下、今年版の三上山の描写について、「いやいや、これは参りました」の弁。
 送られてきた原版から、三上山の部分だけをアップした。これを皆さんはどのように感じられるかわからないが、今回の三上山の表情は、私が長年かかって作り上げてきたイメージ通りのものといえる。
 ご覧のように雄山と雌山が大小2つのピラミッドが並んでいるように見える。 雄山から見て雌山に向かう面は平面というよりむしろ凹み気味である。その中を雄山から雌山に向かって1本の尾根が流れ下っている。写真ではその尾根の影がしっかり見える。私はそれを鼻筋尾根と呼んでいる。その面のイメージは万博公園の太陽の塔の顔の部分に似ている。
 このように頭の中では1つのイメージができているのだが、それを誰かに見せてすぐ理解してもらえるような写真が撮れない。ちなみに私自身が撮ったその部分は、『湖国と文化』誌2014年冬号(現在発売中)に発表したが、近くから撮っているために手前が大きく写りすぎ、イメージとは程遠いものになっている。それに対して、今回のJIJIさんの三上山はまさにその部分が見事に表現されている。「参りました」という以外に言葉はない。
 そうか、上から撮ればよかったのか。でも、比叡山からとは思いもつかなかった。いいところを教えてもらった。さっそく比叡山へとは思うが、やっぱり撮れないだろうな。私なんか、強行突破なんてとてもとても、「通行止めや」といわれる前にしっぽ巻いて逃げ帰るもんな。




 

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■2.京洛に雪なし
 叡山の山裾の屋根に雪が見えますが、ビルの林立に、最早そんな風情はありません。
◆比叡山から見た京都市街、イヤーすごいものだ。何mmのレンズを使ったのかはわからないが、とにかくかなり長いはずだ。それが少しのぶれもなくびしっと撮れている。望遠レンズでのブレを止めることがいかに大変か、ちょっとでもやってみた人にはよくわかるはず。見事。・・・それにしても今のデジカメはよう写るんやな。いやいや、こっちの話で。
 レギュラーサイズでは細部が見にくいと思うので、ちょっと大きめのサイズでどうぞ。まず目に付くのが平安神宮の大鳥居、並びにその周辺の美術館など。左のほうの京都タワー。西本願寺。東本願寺がはっきりしないのは不思議だが。東寺の塔も間違いないだろう。
 余談だけど、京都西山の小塩山から三上山を狙ったとき、おまけで東山界隈の大きなお堂や塔がしっかり写っていた。東福寺、泉涌寺、清水寺など。超望遠をやると思ってもいない楽しさがわいてくる。


 

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■3.浪速の空
 3月オープンの話題、日本一のノッポビル「はるかす」も入れて、大阪の街です。
◆「はるかす」とやらは、一番左の高いやつか。私なんかが真下に立って上を見たら、目を回してひっくり返るだろう。比叡山からこんな写真が撮れるようになった。すごい時代になったものだ。その昔大阪からやってきたカエルが天王山で京都の町を見ようと背伸びをしたら大阪の町が見えたという。そんな心境だ。
 大阪の街の空気もさることながら、遠距離撮影の色調の難しさ。妙な赤っぽい青みが強くなり、色の調整が難しい。どうしても現実とは異なる色が出てくる。これはフィルム時代から変わらない。



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■SS

着信:2014.01.15
■撮影場所: 花緑公園と三上山山頂

 

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■1.冬樹
 電柱や電線が気になりますが、バックの山が青みがかって冬の厳しい感じを表現できたかと思います。
◆電線はともかく、この電柱はあとわずか左へ寄ったら消せるのではないかな。100%ではないにしてもほんのわずかが残るだけで、大部分は消えるだろう。
 主役の3本の木はこれでまとまっているのだから、あとはバクさえ整理できたら、いい写真になる。バックがいかに日陰になってくれるかによって勝負が決まるが、最低、真ん中の木から左ぐらいのレベルは確保したい。真ん中と右の木の間、そこが何となくごちゃごちゃした。バックが暗くなる時を待ちたいが、それをやってると雪が解けるしね。

 

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■2.縞模様
 三上山山頂からの雪景色です。田んぼの縞模様が面白かった。
◆面白いね、これ。JIJIさんのが望遠型だとすると、これはまさに直下型。山頂からこんなほうが見えるのか。平地でこれだけの雪だから、山上はもっと積もっていたはず。以前雪の日に登った人から、岩場が滑るうえに、頼りの手すりが凍っていて難儀したと聞いたことがある。SSさんも元気だね。
 さて写っているのは三上小学校の裏側、大山川との間の農地で、農道が枡形状に折れている。いつも通るたんびに、こんなところへ敵が攻めてくるわけがないやうろにと、いつも首をかしげている。
 写真としては、上の大山川から向こう側、藪なんかがなくてもよかったのではないかという見方もできる。入れるか入れないかは賛否分かれるところだろうが、手前の直線道路やクランク状の農道が結構面白いから、切ったのと切らないのと両方、A4ぐらいに伸ばして比較してみると勉強になる。


 

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■3.雪景色
 こちらも三上山山頂からの雪景色です。
◆こちらは北桜、花緑公園の桜池から流れてきた小山川が、びわこ学園の入り口のところで希望が丘道路と別れていくところ。山頂から、こんな方向も見えるんだ。私なんかは、比良山と琵琶湖が見えるぐらいしか意識がなかったけど。2でもそうだったけど、SSさんがいうように田んぼの色がそれぞれ特徴があって面白い。少しく黒いころは麦が植わっているのだるか。
 この風景は2のような道の変化はない。その代り、高圧線鉄塔が1本、これが結構効いている。田んぼの中に立っていて、山の上から見るとき隠しようがないというところだが、これはそこにあってよかったとおもう。地平から見るとき、往々にして邪魔になるものだが、今の場合は風景を助けた。2のどこかにもあってもよかったかとも思う。そんなこと言っても実際にはないのだけれど。山上の風物は2の右下にわずかに見えるだけである。もし可能ならしっかりした枝などを入れると一つの位置アリバイになり、風景に変化が与えられるだろう。


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■HN

着信:2014.01.16
撮影場所:草津志那浜

 白鳥が来ないが水鳥を愛する会の人たちが観測場を作り色々の水鳥を観測しています。1月6日、水鳥の写真でも撮って見たいと出かけてみました。毎年のように観測場を建てて詰めかけておられました、水鳥などが多く集まり人に慣れて見ている人の近くまで近づいてきています。その後3日後には2羽の白鳥が飛来してきたとのことでした。ここでは色々と野鳥を見ることもでき、少しばかり撮って来ました。

 

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■1.湖岸のもず
◆丸々していてかわいいな。ピントがぴしゃりと来ていて、目玉にキャッチライトがきっちり入っている。首から胴回りへかけての羽毛のつややかな色が見事。
 右上に建物のひさしのようなボケが見える。その上に木の枝の一部が見えたりしているので大事にしたのかもしれないが、今の場合だったら、しっかりした枝が1本通っているから、上はカットしたほうが画面が整理されたのではないか。ただしそこを切ると、新しい画面で、鳥が上へ寄ってしまうという問題はある。下もある程度切らなければならないかもしれないが。




 

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■2.羽ばたきながらの食事
◆なんとまあ、こんな細い枝に止まって。あまり細すぎて滑るから、羽ばたきながら体を支えて、それでも一生懸命エサをついばむ。鳥も生きるためには大変だ。しかし鳥というやつは、我々人間と違って、失敗してドスンと地面へ落ちるということはないから心強い。
 ピントは例によって間違いなし。バックは多分空だと思うが、厳寒期のこの時期、うっかり見ていると雪野原をバックに撮ったのかとももう。季節感がなせるわざだろう。ピントが合っている枝と合っていないのとが適当に分かれ、ぼけている枝が、白壁か何かに映っているようにも見える。そういう意味で不思議な雰囲気を持った写真だ。


 

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■3.湖岸のひと時
◆親子でユリカモメにエサをやっているところらしい。浜にロープが張ってあって、餌をやるほうも撮影する側もポジションが制約される。たとえばこの場合、画面の左のほうから狙うと、女の子の表情などもキャッチできるかと思うがロープが邪魔になっただろう。ロープを支える杭は、幸い女のこの足でカバーされて事なきを得たが、これが丸見えだったらもっとしんどかった。飛んでいる鳥の羽に当たる光など見るべきところもあるが、結果的には単純なスナップ写真ということころか。



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■MO

着信:2014.01.17

 

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■1.残秋:(東近江市)
 鳥居にしだれかかった紅葉が印象的だったので撮りましたが、紅葉と鳥居のバランスがどっちや〜・・・と思わせるアングルだったかな。
◆鳥居と紅葉。確かにどっちやということかもしれないが、紅葉がまだ浅く、あまり自己主張していない。それに対して鳥居には木漏れ日が当たって石の面にうまく変化をつけてくれた。鳥居というのは日本の伝統的構造物だけれども、写真としては厄介な代物。いつかどこかで江戸時代の浮世絵師が描く鳥居を集め考えてみたことがあったが、彼らもこれを描くのに苦労している跡が見える。今の場合は上半分をうまく使った。その上に面に模様がついてなかなかいい表情に仕上がった。この模様がつくタイミングだったことが成功の理由。左下の屋根の上部も神社の雰囲気のプラスした。


 

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■2.早朝の湖岸A:(高島市)
 日の出を待っていたら釣り人が湖にどっぷり浸かって・・・。好きな人は寒さもなんのそのなのかと感心しながらふと見ると、遠くに三上山が・・・。欲張ってしまいました。
◆高島市とあるけれども、ここは和邇浜(和邇川河口・大津市)じゃないかな。まあ、今の場合どっちでもいいことだけど。
 このくそ寒いのに浜にじっと立って釣る人、水に入る人。世の中にはわからんことがたくさんある。最も1枚の写真を見てあーやこーやと、これもわからんもののうち。MOさんは三上山を欲張ったというが、そのことよりも真ん中の釣り人の表情かな。顔の表情じゃなしに体全体の表情、とにかく魚釣りにしては無表情。それと画面全体での位置。画面真ん中につったった無表情。これが一番つらかった。
 ということで、無表情は仕方ないとして、トリミングすれば多少は助かる部分もある。人物が2人とも左を向いている、幸い太陽がそこにあるから、人物と太陽で絵を作る。この場合、結果的に三上山はカットしたが、これは三上山が邪魔だというわけではない。絵を作るうえで入りきらなかっただけで、カメラが左へ回って、水に入っている人の近くまで持ってくればそれはそれで収まる話だ。


 

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■3.早朝の湖岸B:(高島市)
 2と同様、砂地の黒の処理に迷いました。
◆MOさんのコメントに「砂地の黒の処理に迷いました」とある。何をどのように迷ったのかわからないが、今の場合は水平線の位置の問題だろう。これがきっちり処理されていたらシルエットの浜は勝手についてくる。今の場合それにはあまり意識がなかったのではないか。少なくとも2よりはシルエットに変化があるし、絵になりやすかったはず。カメラを上へ振って水平線を下げる。それによって左下のシルエットが小さくなり、空が広くなる。対岸の砂嘴(サシ・水に入っている人の右、細いシルエット)も生きてくる。


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■YN

着信:2014.01.20
撮影場所:町内の児童遊園地

 アングルの撮り方が3枚とも同じ様になってしまいました。小さな子供遊園地ですので、少し離れた位置から撮って見たらよかったかなあと思いました。

 

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■1.光のファンタジアA
◆最近このような地域でのイルミネーションがはやっているらしい。方々の教室で作品が出てくるようようになった。LEDライトなどの普及で、手軽にできるようになったからだろう。3の写真など、川があって森があって、遠近感もありちゃんとした風景になっている。
 夜景というと、周りが暗いため、ピント合わせが難しいうえにシャッター速度が遅くなるため、どうしても甘い写真になってしまう。その点この3枚はしっかりしている。ピントもしっかりしているしブレもなさそうだ。
 私が初めて夜景を撮ったのは、20歳代のころ、京都の四条河原町だった。何かわからないが周りのネオンが写っていいた。鬼の首でも取ったようにうれしかった。当時は何を写すかよりも、技術的にどうして写すかが問題だった。今のカメラはよく写る。YNさんはどうして撮ったのかわからないが、カメラによっては「夜景モード」なんてのがあり、それにセットしておくと露出も心配しなくてもよいという。ようするに撮影技術の問題ではなくて、考え方の問題になってきている。→2に続く。


 

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■2.光のファンタジアB
◆ そのせいかどうかはわからないが、YNさん自身も撮影方法云々よりも、”3枚とも同じようになってしまった”ことを気にしている。この感覚は正しい。大体イルミネーションは言うに及ばず、夜景そのものがもともとそういうものなのだ。たとえば、このイルミネーションが点灯されている期間中、いつ行っても同じように写るはず。日中の風景だったら、撮る時間帯によって写真が変わる。ましてや日が変わればまったく別の絵が出来上がるはず。ところがイルミネーションはいつでも同じ。撮る方向によって、多少絵が変わるだけ。
 だからYNさんが撮ろうと誰が撮ろうと、よほどのことをしない限り同じ写真になってしまう。夜景は人工的な光源で一旦点灯されたら金輪際変化しない。だから今晩行こうと、明日の晩に行こうと同じように写る。もし変わるとすれば、霧かかかる雨が降る、はたまた雪が降るとか。→3に続く。


 

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■3.光のファンタジアC
◆ ということで、変化をつけようとすればイルミネーション以外の光を使うしか手はない。とっぷり暮れて真っ暗になってからでは光はイルミネーションだけになる。だから暮れきる前、まだ周囲に薄明が残っているとき、遠くの山影とイルミネーションを組合すとか、それが無理なら屋根の一部を薄明の空に入れるとか。その場その場の周囲の状況を組み入れる。暮れきってしまえば、近くを通る車のライトを入れるとか、要するに自分だけの工夫をそこへ組み込む。イルミネーションだけを単純に撮っただけでは誰が何時撮っても同じ写真になる。



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■MEGW

着信:2014.01.24
 今回はダイヤの輝きをテーマでまとめました。

 

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■1.ダイヤの輝き:朝陽
 堅田スポーツ公園から、日出の輝きです。前景に杭と草木を入れてみました。
◆MEGWさん得意の三上山からの日の出。薄雲があるらしく太陽の光がある程度コントロールされている。これでもおそらく太陽全体が姿を現したらしんどかっただろう。山頂と太陽との関係は成功。
 あとは画面全体が何となく重い感じ。うまくいえないけど画面に軽快感がないというのかな。画面の重さ軽さを表現するのに、ポイントは2つある。一つは画面全体の中での山の面積(早い話しが大きさ)。あと一つは画面内での水平線の高さ。
 今の場合、山をあと少し小さくし、水平線を下げたら軽くなったはず。太陽は小さいのだからあと少し小さくしても大差ない(レンズを短くする)。カメラ位置を下げる。杭が地面まで見えるようになる(陸から離れたところにあるのなら、水面まで見せる)今のままだと杭が中途半端。


 

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■2.ダイヤの輝き:氷柱
 紅葉の枝にぶら下がる氷柱、朝陽をバックに耳飾りの輝き、キラッと切取りました。
◆つららから溶け出した水滴がキラッと光っている。それを暗いバックでとらえた。おそら撮影者としては撮った時に十分な手ごたえを感じただろう。あとは見る側の好みの問題だろう。












 

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■3.ダイヤの輝き:水滴
 かざみ公園から枝の水滴に映る朝陽をマクロ撮影。太陽を水滴に隠してみました。
◆水滴の中に太陽を入れた。これは入ったのではなくて「入れた」。MEGWさんとしてはこれを見てくれということだと思う。私は写真が送られてきたとき、添付写真としてサムネイルをちらと見る。この時の印象が結構大切だと思っている。この写真の場合何が見えたか。下に光っている琵琶湖の反映が最初に目に入った。水滴の中の太陽が見えたのは画像処理をしているとき。ある程度の大きさが必要だということだ。その大きさを確保しながら、周辺の情景をどう組合すかがポイントだろう。いまの場合は、とにもかくにも水面での反映の処理だった。ファインダーの中でも反映が明るすぎて、肝心の水滴が見にくかったのではないか。





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