デジカメわいわい村
とれとれ作品集 NO.141
2013年12月・後半

 
 

BEST

S.T S.T HN YTK MO


HN YTK JIJITKS YN SS S.T MO SKI MRT

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■HN

着信:2013.12.18

 今年は小鳥の出が悪くて何も出会わずに帰って来たこともあります。(花緑公園が)有名になって来たらしいので、撮影人が昨年より多いからかもしれません。でも好きな事で時間を忘れての撮影です。

 

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■1.早朝の川蝉:(近くの小川)
◆いつもの小川ということだが、三面張りの岸に止まっているのとは違う。手前の岸から出ている排水パイプの上に止まっているらしい。手前の岸の枯草が多からず少なからず。草の名前がわからずもどかしいが、川の上へ跳ねるように出ている枯草みい。いつもの向こう岸が左にうまくぼけて、川の面が明るく光っている。その雰囲気がいい。
 相手がいることで、自分がいくらイメージを作っても、相手が動いてくれなければ思うような写真にはならない。この写真は非常にいいところに止まってくれた。これが一つのきっかけになって、行動パターンが作られるといいのにね。

 

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■2.紅葉の残る枝に、エナガ:(花緑公園)
◆紅葉の散り残る枝にエナガが来た。それも一番手前の枝に、こちらを向いて。HNさんとしては絶好のチャンスというところだろう。鳥の下に見える小さな斑点は、ひょっとしたらフンを落としたところかな。
 写真としては細かいことだが上端の真ん中辺に見える裏返って飛んでいる葉っぱ。これが気になる。撮影の時点ではそこまで読み込むことは多分不可能だろう。仮に読み取っていたとしてもレンズが言うことを聞かないこともある。結局はトリミングということになる。この絵がオリジナルか、トリミング版かわからないが、あまりトリミングするのもどうかと思われるし、難しいところだ。

 

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■3.虫探すメジロ:(花緑公園)
◆例によってかわいい目。「虫を探す」ということだけれども、これもじっとしていないのだろうな。これもHNさんが好き好んでこの場所を選んだわけではないのだろうが、止まった場所が悪かった。葉っぱがごちゃごちゃして、そのうえ葉っぱ葉っぱの色が同色なのがしんどい。その中で目玉だけがパチッと目立ってはいるが、全体としてはそれだけでは画面全体を引き締めることは難しかった。


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■YTK

着信:2013.12.18

  11/30に教林坊に行きました。昨年は、時期が遅く最盛期が過ぎていましたので、今年は秋真っ盛りを期待し満を持して行きました。最盛期には一週間ぐらい早かった様ですが天気も良すぎるぐらいで暖かく観光には良い日和でした。(写真には天気良すぎたかなあ・・・)。

 

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■1.秋日和A
◆教林坊の庭全体を収めたというところだが、どうしたんだろうな。全体が何となく乾いた感じで、色がしっくりきていない。太陽が真後ろにあるわけではない。若干露出オーバーだったのかとも思われる。たとえば手前の置石の横に跳んでいる部分があるし、左の建物の横にもとんだ部分がある。これぐらいのことはよくあることだともいえるが、kの色調は落ち着きを欠いた。あとは全体の雰囲気がごちゃごちゃして落ち着かない。もう少し狭い範囲で絵を作ったほうが楽だっただろう。

 

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■2.秋日和B
◆同じ題がついているが、こちらは1に比べると画面がしっくり落ちるいている。全体が影になったなかで真ん中の細い2本の木だけが斜めからの光を受けて輝いている。右に置いた太い幹もきいている。太陽が画面右上ギリギリのところにあるわけで、フレアーが表れている。場合によってはゴーストが出る直前だったらしい。もし何枚かとっていたとしたら、それが画面に出ているのもあったかもしれない。これは画面に出たらいけないというわけではなく、逆にうまく使えばそのときの雰囲気を盛り上げることにもなる。

 

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■3.藁葺き屋根
◆教林坊の建物の象徴ともいえる藁ぶき屋根。行った人は必ず撮る。残念だったのは、画面全体が曇り空に見えること。「写真には天気良すぎたかなあ・・・」というにしては光が乏しいし、空が白く飛んでしまったこと。たぶんこれはカメラの向きと太陽の位置とによるものだろう。どしてもこのアングルでというならば、建物の向き、太陽の位置なども計算して、そのタイミングまで待つなり、再度挑戦するなりということになるのだろう。


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■JIJITKS

着信:2013.12.18

 年の納めに、何時も恍け顔の「アオサギ三態」を提出します。その日、滋賀県文化センターの茶室・夕照庵で茶会を催していました。庭の池に風情があり、鳥もやってきます。<アオサギがボケっと、岩に立つ。カイツブリのような小鳥が傍らに着水。無視・不動。ややあって、立ち場所を替える。その着地の見事さ>を説明したいための3点です。
 写真としての仕上がり(手振れ、ピンの甘さ)より、アオサギの着地を見てほしいという、本末転倒の偏狭さは、本物の爺々に向かっているかなと自問するところです。

 

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■1.邪魔もの
 何時もの様にジッと立つ君。カイツブリと思しき小鳥の着水。波紋に池面の空が揺れる。
◆そうか、ここが定位置か。池の中の大きな岩に「無念無想」。カイツブリがやってきても「無視・不動」。ホンマこのアオサギという鳥は哲学者の風貌がある。ちょっそした足音などに敏感に反応するのに、いったん不動を決め込むと塑像のように動かない。それに比べるとカイツブリなんいてやつは潜ったい浮き上がったり、こちらから首を出したかと思うとあちらから・・・。なるほど、これはサンサーンスの「動物の謝肉祭」、それともプロコフィエフの「ピーターと狼」。
 写真としてはアオサギの哲学者はうまくいった。左前方からの光を受けて、暗いバックに浮き立っている。問題は水面の輪。カイツブリが動くから輪ができるのは当たり前。静かに動けというのは無理の話。またJIJIさんの童話のストーリーからしても動いてくれなければ哲学者との対比が成り立り立たない。ところが写真としてはこの水の輪が、池の手前半分をややこしくしてしまった。池面に映っている対岸の映像がそれに加勢した。童話として一番面白いところが、写真として苦しい状態を作ってしまった。




 

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■2.着地態勢
 何を思ったのか、舞い上がり近傍の岩場に移動する君。拡げた翼は大きく華麗だ。
◆ひょいと後ろへ飛べばいいのにと思う。ところがアオサギ大先生の辞書には、「後ろ飛び」という言葉はない。それはそうだ。後ろ向きに飛ぶ飛行機はない。前向きに飛び上がって半周してきたところだろう。ゆうゆうとJIJIさんの目の前を通り過ぎたのではないか。
 機首を上げて羽を大きく広げて全制動。その姿やよし。しかし、困ったなー後ろの岩。白く飛んで絵をつぶしてしまった。シナリオの誤算。アオサギ大先生に免じて…といわれても、こればかりはねー。


 

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■3.着岩成功
 着岩の見事な姿を誇る君。次にガッツポーズを見せてみろ。
◆どーれ見たか。両手を振り上げて、エンディングの一振り。フォルテシモでジャーーン、と曲が終わる。ナレーションがあって、「そのとき、カイツブリ君はどこへ行ったのか、姿を見せませんでした・・・」
でオワリ。この白飛び何とかならなかったか。めったに見られない大先生の芸だったのに。


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■YN

着信:2013.12.20

 

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■1.鞆の浦の常夜灯
 朝から雨中の撮影で大変でしたが道路に灯りが写り綺麗でした。
◆雨の中の撮影大変でした。傘も持たなければならないし、カメラを自由にコントロールできなかったかもしれない。でも雰囲気だけは出ている。
 気になること2つ。1つは「道路に灯りが写り・・・」というのに、何でその写った光を入れなかったのかということ。
 2つ目は1と矛盾することだけど、この場合、街灯は必要だったかどうかということ。これは堅田の灯台と月、4,5年前の私の写真。当時は三上山のほうにも光がほしくて月を使ったが、今考えると失敗作だったと思っている。「灯台か月かどっちやねん」ということ。
 今の場合、右の白壁の光はほしい。その光は街灯からのものだろう。それはいい。だからもうちょっと右に振って、街灯を画面の外に出し、常夜灯による道の反映を入れて、絵を作ったほうがはっきりしたのではないか。今度行くときも雨が降ってほしいなー。


 

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■2.日の出
 翌日は夜明け前から尾道で朝日の撮影に向かいました。またも雨模様で日の出が危ぶまれましたが、かろうじて雲が切れてきて撮影は出来ました。カメラの設定が上手く出来なくって残念でした。もう1度行って撮り直したいくらいです。 
◆日の出の撮影は、太陽と雲との組み合わせに尽きる。雲がないまったくの快晴もつらい。太陽が明るすぎるから。今の場合、太陽が雲にカバーされているのかな。太陽が顔を出すと海面が光るのだが。今にも出そうだけど、結局顔を出さなかったということもあるわけで、つらいなー、そういうときは。


 

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■3.日の出
◆よかったなー、何とか顔を出した。黄色の強い風景になった。この色も空気の状態でいろいろ変わる。ホワイトバランスを云々する人もあるが、それは撮影前の話で、太陽が出てからそんなことやってたら、どないにもおっつかない。結局出たとこ勝負ということ。海も光った。船も来た。バンザーイ。
 これで日の出の写真第一段階クリアーというところ。
 今の場合もうちょっと考えてほしいことは、もう少し広く撮ったほうがよかっただろうということ。上の太陽と雲が窮屈だし、下の木の枝?ももうちょっとしっかりほしい。レンズを短くする(絵を広げると)と船が小さくなることなどが気になるかもしれないが、この場合の船は多少小さくなっても心配はいらない。しっかり効いているから。


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■SS

着信:2013.12.21
■撮影場所: 広島県鞆の浦と尾道

 

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■1.雨の路地
 暮れてゆく港町の路地に灯りがともり、竪褄を持ち上げた粋な女性が現れて来そうなそんな雰囲気でした。
◆そう、高下駄に蛇の目傘でね。そうすると奥の強いライトが隠れ、人物がシルエットになって、髪の毛、肩の線から袖口にかけてエッジがハイライトになって・・・。右側の軒先のライトが傘を照らして・・。
ははー、勝手に写真ができてしまった。
 しかし現実はこれなんだから仕方がない。でもこれはこれで長い路地に光る線またよし。カメラは水平のまま高さを下げて、路地のライトの線を少し短くする。その分左上の白壁が若干増す。もう少し明るさが残っているときだったら壁の白さがきいただろうし。しかし雨の中での話だ。無理は言うまい。

 

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■2.港の灯り
 降りしきる雨に灯りが霞んで漁船もぼんやりしか見えません。
◆昔ありましたな、ハーバーライト。そのころの光もこんな色だったのだろうか。町の夜景、とくに夜空が緑色に写るようになって久しい。蛍光灯か水銀灯のせいだろうけれど。
 青い夜霧に 灯影が赤い
 どうせ俺らは 独り者・・・ご存じディック・ミネの夜霧のブルース。
 いやいや、SSさんなんかはご存じないか。でも、昔は夜霧といえば青と相場が決まっていた。 そんなこといっても今は緑に写るのだから仕方がない。ということで、緑は緑と割り切る以外手はない。
 造船所があるのだろうか、強い光が4基、雨にけぶっている。しっかり見えれば港の雑多な状況が写るのだろうが、それは霞ににじんだ。これはこれで現代の夜景なのだろう。欲を言えば、左の1番目と2番目のライトの間隔がもう少し広がって、トン、トントントンとリズムを作っていてくれたらなー。

 

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■3.クレーンのある風景
 造船所なのかクレーンのある建物の屋根が光って、人も見えないしクレーンが動いているようでもないのに力強く感じました。
◆クレーンの強さは言うまでもないが、それ以外に工場?の屋根の直線の組み合わせ、これが面白い。SSさんとしては例外に属する絵になった。場合によっては中央の屋根のラインとクレーンの下部だけで絵にしても写真になったかもしれない。今のままで行くとしたら、下の青白い光、トタンか何かが光っているのだろうけれど、それはカットしておいたほうがいいだろう、メインはあくまで中央の屋根の光に持っていきたいから。


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■S.T

着信:2012.12.25

 京都の神社仏閣の紅葉は渋滞、駐車難と料金・拝観料等を考え、小銭と時間を惜しみ久し振りに万博記念公園に行きました。開園時間(09:30)に合わせ出かけましたがやはり人出多く中央駐車場は45分着では駐車率50l程に驚きました。

 

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■1.シンボル:(径11b 未来の太陽)
 駐車場から中央橋手前で見つけた黄金の顔。
◆面白いなー。何度も見た顔だけど、こうして改めてみてみると何とも面白いすっとぼけた味がある。この味に対してこうだったらどうだったかという気になる点が2つ。
 1つ目は、左右の木の大きさ。これが左右完全な対称形だったらどうだったか。現場がこうだから、絶対無理な話だが、ないものねだりで左右の木の大きさが同じだったらどうだったか。2つ目は、空に白雲があっらどうだったか。今の場合は快晴らしく雲一点ない青空。これでいいような気もするし、白雲がほしいような気もする。これは人それぞれか。空の雲はともかくとして、木の大きさはどうしようもないのだが、ついそれを考えてしまう。
 4通りの組み合わせが考えられるが、それぞれの場合を考えてみるのも一つの勉強かもしれない。


 

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■2.ケヤキ並木
◆いい雰囲気だ。ケヤキの葉の黄葉。寺院などで見る赤い葉っぱとは別の趣がある。それがケヤキ独特の斜めの枝と交わって、見ごたえがある。多少モヤがある状態で奥のほうがかすんでいる。これが何とも言えずいい。よくみると遠くに人物が2人歩いているが、もう少し手前に来てくれるともっと存在感が増しただろう。


 

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■3.語らい:(もみじ川芝生公園)
◆寒くないのだろか。若い女性3人が芝生の上で輪になって、おじさんがカメラで狙っているのを知ってか知らずか話に夢中。望遠で狙ったのだろう。手前の枝と彼女たちがいかにも木の下にいるように見えるのも面白い。右端に幹を少し見せたのがきいた。その下落ちががごちゃごちゃ見えるのは何か手を使って処理をしたかった。



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■MO

着信:2013.12.25

 A,B,Cともに早朝に訪れた12月の初旬の醍醐寺の様子です。立ち込めた霧を太陽が照らし始める時を写真に収めたいと思いますが、肉眼で見たようには撮れず難しいです。

 

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■1.森の朝A
◆3点とも同じ狙い。要するに朝霧のかすむ木々を手前に黒くつぶれた幹を置いて絵を作った。一つの場所で、同じ発想の絵を狙う。面白い狙い方だ。密度の高いトレーニングになるだろう。
 この場合、左半分が生きている。それに対して右半分が黒い木が多すぎた。そこに生えているから、どうしようもないのだが。だからと言って左半分の縦位置でどうだとなると、今度は木の葉のシルエットが上半分に固まって、妙なことになるだろう。今のままでも上半分であることには変わりはないが、右半分があるから、左上ということでバランスが取れている。こちらをとればこちらがたたずというジレンマ。
 いろいろ苦労しているなということはよくわかる。黒い幹をどんと持ってきて、挑戦的な力強い絵にはなっている。でもあと一歩のバランスの問題か。「肉眼で見たようには撮れず」ということだが、目で見たように写らないのが写真。ボクも若い時、「写真」じゃなしに「写偽」だと腹を立てたことがある。でも目で見たとおりに写れば面白くもおかしくもない。ここは写真ではこう写るだろうと、風景をカメラの目で見る。写偽がぴしゃりと決まったときが面白い。


 

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■2.森の朝B
◆1と同じことが言えそうだ。中央に見える稲妻型の細い木。これがバックの紅葉の中で生きている。それを囲む左右の木だが、右2本は隙間のバックも整理されて、これはOK。独特の雰囲気がある。左ブロックの右2本が、邪魔になるような気がするが、それがなくなった時、その空間が生きるか死ぬか。その2本がなくなった時、1番左の細い木が邪魔にならないか。いろいろ考えてみるが、結局、これしか仕方がないのかと思ってみたり。撮ったほうもそうだろうけど、見るほうからも悩み多い写真だ。

 

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■3.森の朝C
◆1,2と横位置でやって見て、画面の幅を埋める難しさに苦労した。それならばと縦位置で狙った。気持ちはわかる。でも結論から言えば、これが一番しんどかった。何がそうさせたか。手前の太い木とその奥のV字の右の幹との重なり。これが致命傷になった。もう少し左へ回って、それらを離すか、上の端でちょっと重ねてN字型にするか。いずれにしても、右端部分のモミジの葉っぱの単調さを考えると、そこへ太い木を持って行って、びしっと決めたかった。



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■SKI

着信:2013.12.30

 

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■1.晩秋
 10/20京都の「渉成園自然観察会」に行った時に東本願寺前で撮影しました。銀杏の黄葉と紅葉の葉の落葉が綺麗で、手前の赤色の葉を大きく入れる事と奥行きを出す為にカメラを低く構えて撮りました。渉成園に行く前の朝の光で撮らなかった事を反省しています。(時間に余裕を持って出る事も反省。
◆ワイドレンズの教科書通りのカメラワーク。赤い葉っぱにさりげなく銀杏の葉っぱがのっていたりして芸が細かい。その赤い葉っぱが2枚、ちょっと離れていて大小関係がうまくついた。これも教科書通り。気になるところといえば、奥の街並みがごちゃごちゃしてしまったこと。もうちょっと見せたほうがはっきりしてよかったか。

 

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■2.秋日和
 渉成園の中での撮影です。モミジバフウの大木の紅葉が青空に映えて綺麗でした。下をもう少し切った方が良かったのでは・・・と思っています。
◆黄色と赤の混ざり具合、それに左からの光がいい。しかし枳殻邸(渉成園の別名)には何度か行ったけどこんな大きな木があったかな。「下をもう少し切った方が・・・」ということ高れども、そういう考え方もできる。SKIさんは具体的にどう考えたのかわからないが、要するに真ん中辺の黒い幹の力づいよいところ。それを横位置で切る。それだけでしっかりした絵になりそうだ。とまあ、そういう考え方もできるが、別の見方をすれば、左下の人物などは結構きいているから、あながち下を切ればということでもなさそう。むしろ右下の手前に伸びてくる枝さえ処理できたら、下は生きてくるのではないか。もうちょっと左へ回れば解決できそう。いずれにしていろんな考え方ができそうで、いろんなバリエーションが作れそうな魅力のある木だ。


 

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■3.荒天の後
 10/16の明け方に台風26号が通過した。台風一過で撮影は無理だと思ったが、仲間三人で行く事になった。昼過ぎ迄雨が降ったり止んだりで、風も強く、琵琶湖は茶色でした。夕方の撮影ですが、思わず大きな虹が出て、ご褒美かな・・と思いました。
◆背の高い大きな虹が出た。夕方の虹だ。誰しもカメラを向けたくなると思いきや、そんなものには目もくれず、別のところを望遠で狙っているおばさんがいる。手すりに手を当てて、狙いすますところなど結構なベテランらしい。でも何撮ってるのやろね。人生いろいろというところ。
 このおばさんがいなかったら、虹がとってもきれいでしたという作文写真で終わっていた。おばさんで写真に変化が出た。おばさんバンザイ。


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■MRT

着信:2013.12.31

 

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■1.冬到来:(北小松)
◆北小松と言うから比良の谷筋だろうか。1本1本の木が雪をかぶって、一面の雪という状態になっている。写真に写った状態はそこまでで、いってみればやや単調ということになろうか。中央の下のところに何か屋根らしいものが見えるが、それも画面に大きく影響するようなものではなさそうだ。あえていえば左下の太陽が当たっている部分。その白さが目立つ程度。全体としてやや力に欠ける印象になった。


 

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■2.雪化粧:(北小松)
◆雪のすぐあとらしい。枝にいま降ったばかりの雪が残っている。まあその時に現場にいなければ撮れない写真で、珍しいといえば珍しいが、そこのところだけアップでは、結局それだけで終わってしまう。「ものすごい雪が降りました。枝という枝に雪がついていました。枯ーれ木残らず、花がー咲く・・」、結局絵に表現されているのはそこまでだわ。


 

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■3.守り神:(白髭神社)
◆題を見た限り、言おうとしていることがもう一つはっきりしない。神社の守り神としての鳥居のことを言っているのか、その鳥居を守るように両端に止まっている鳥のことを言っているのか。ときけば、案外「両方」との返事が返ってきそうだけど。
 もし、鳥居を主題にしたのなら、この写真は大して意味はない。2羽の鳥が面白かったというのなら、まだ分からなくもない。というのは下に雪の線をちらっと見せて、その下の鳥居は寸足らず。そこのところが何とも不安定だ。いずれにしても鳥居の写真の難しさ。全体を見せると間が抜けてということで、下の雪で隠した。それなら手前は国道の路面のはずだが、それをしっかり入れたほうが、全体としての絵はまだ安定するのではないか。もちろんそれをやると今度は「二の字」の問題が出てくるが。





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