HN・
SS・
YTK・
S.T・
marimari・
YN・
JIJITKS・
TNK・
MRT・
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■HN
着信:2013.12.03
このごろ川蝉がよく現われてくれます。1羽に決まっています。もうはっきりと縄張りが決まっているようです。同じ川蝉です。場所も同じ所で毎日川蝉を待つ私を家内は笑っています。それでも来るとじっとして居られない。今日はどんな所にどんな仕草をするだろうかと興味しんしんです。だがいつもの処に止まる。そこからが違う色と形が違う。その日によっては色が違う。これで毎日来るたびに一生懸命に寒さも忘れます。毎日のように川蝉さんに遊んでもらっています。 | |
■1.紅葉の散った後:(花緑公園)
◆HNさんとしては珍しい構図だ。鳥の真上から。もちろんカメラが真上にあるはずはないわけで、鳥が枝にぶら下がった格好でカメラのほうへ背中を見せているわけだが。それが意外と新鮮に感じられる。普段の横から見ているアングルとの違いに起因するのだろう。
モミジの葉っぱが散った後ということで枝が交錯している。これは処理のしようがない。カメラとしては前後をぼかしてはいるのだが線としては残る。光線状態は申し分なし。あとはこのぼけた枝の処理だけだった。しかし、言うほうが無理な話だろう。鳥に電話をかけてちょっと移動してもらうしかない。
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■2.ゴミと一緒:(近くの小川)
◆ごみといっしょくたの場所にいるのかと思ったら、そういうことではなかったらしい。エサをゲットしたが、その時にごみも一緒にくわえてしまっということらしい。人間だったら、エサを手でつかんでおいて、ごみをプッと吐き出せばすむ話だが、鳥の場合はそういうわけにはいかない。結局、餌が力をなくすまでじっと待つしか仕方ないのだろう。カワセミ君の表情が、意外とのんびりしたように感じられるのは、そのいわく言い難い時間というわけか。
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■3.サギに追われた川蝉:(近くの小川)
◆すごいな、このピント。鳥本体はぴしゃりと止まって、羽が今にもに振り下ろされようとするところ。まさに新鋭の戦闘機というところ。サギとの遭遇というところらしいが、写真としてはこのシラサギは邪魔しにやってきたというところ。いないほうがすっきりしただろう。いるならいるでもう少しカワセミに関心があるような態度をするなりしてほしいところ。カワセミがせっかく最高の芸をしているのに、シラサギは大根役者やな。そうか大根も白いか。これもシラサギに電話やな。
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■SS
着信:2013.12.03
■撮影場所:希望ヶ丘 | |
■1.草紅葉
紅葉を撮りに出かけましたが、数日前の強風にかなり葉を落としていました。緑の葉が残っているばかり。その代りに草が色づいて、初めて見る景色でした。
◆そうか、風が一回吹いただけで葉の様子が変わってしまうのだからなー。無理なことを言ってしまったのかなーと今になって反省している。たしかあれはラフォーレでの教室だった。SSさんが雪の野原に立つ1本の木をとってきた。何とも情緒のある木で、思わす「ちょっと続けて撮ってみない?」と言ってしまった。「ちょっと」といったか「ずーっと」といったか無責任なことに確たる記憶はないが、「続けて・・・」といったことは間違いない。SSさんのHP「むどらしか」によると、2009年1月のことだという。とすれば指折り数えて・・・。
これはまた見事なくさむら。例によって、私には草の名など・・・。でもこれはまた見事な。せっせと通った褒美かな。とかく悪役を押し付けられているセイタカアワダチソウまでエエ方のツラをしているのだから。最後に小声で、青空がほしかったな。
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■2.小春日和
1、の撮影の4日後、草紅葉は色あせていて、この季節の変化の激しさにおどろきました。小春日和の休日、希望ヶ丘は若者や家族連れで大賑わいでした。
◆お、今度は青空だ。親子づれで遥かなる木を目指してというところだが、広角の手品。でもSSさんがいうように、手前の草は1のほうがいいのだから「忠ならんと欲すれば孝ならず」、難しいもんだ写真は。でも開き直ってセイタカ君を引っ張り出す手はあったかもしれない。
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■3.晩秋
今年の紅葉は例年より早く、駆け足で終わったような印象があります。希望ヶ丘の楓の森はすっかり葉を散らしていました。裸木に当たる光、後ろに残る紅葉に深まり行く秋を感じました。
◆散り残る紅葉をバックに・・・細かい写真だ。「細かい」が具合悪ければ「繊細な」か。どちらも同じ意味だろうけれど。ま、ようするに手前の光を受けた木が細く複雑だったし、バックの名残の紅葉もちょっとうるさかった。結局手前の木の選択かな。もうちょっと太いしっかりした木で、それがしっかり決まればバックが多少細かくてもやかましくても、何とかなったのかもしれない。トリミングすれば何とかなるかと、先ほどから考えているのだが、それも難しい。
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■YTK
着信:2013.12.06
休みが無くてサ-クルに参加できなくて申し訳ありません。先日、木之本の鶏足寺に行ってきました。紅葉が満開でとても綺麗でした。
八田(注):水口教室の人だけど、勤務の都合で現在休部状態。よろしく。 | |
■1.パンダと私
◆「…と私」の組み合わせがわかりにくいが、とにかく子供が背負ったパンダのザックということなのだろう。時々このように後ろ向きに子供を背負った人をみるけれども・・・。
へー、鶏足寺もこんな人ですか。
こうなればカメラなど悠長に構えておれないのだから、子供に密着してワイドでノーファインダー。 カシャカシャカシャと数枚。疑われないようにね。
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■2.燃える秋
◆下の人間どもを避けて、というところだろう。赤と黄で一見盛り上がっているように感じるが、全体が単調というか、深みがないというか。その意味は、右上で斜めに走る枝を見るとわかる。皮がめくれて白くなった部分があるが、その部分に太陽が当たって全体に影がない。ということはそれ以外の枝もほぼ同じ状態。枝が同じということは葉も同じ。結局画面全体が太陽の光をほぼ正面から受けている。もう少し陰影が感じられる向きを探すと絵がしっくりしてくる。
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■3.紅葉映える
◆これは2で書いたことがもっとはっきりしている。真ん中の杉の木も、左の木も、この表情がすべてを物語っている。太陽を背中にすると、このようにぱんぱんに乾いた風景になる。とにかく陰影を組み合すことが第一歩。
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■S.T
着信:2013.12.10
市民大学22期会秋のハイク(伊賀市島ヶ原)岩倉峡に参加しました。9月の16号台風で木津川沿いや各所で被害あり、遊歩道下はえぐられたり手摺には漂流物が絡んだり、大きな落石など2ヶ月後でも放置され通行止の箇所も有りました。
語り部さん曰く、国鉄開通(明治30年)当時の駅舎が現存で過去には村民一家族一人以上がポッポ屋(国鉄マン)の村だったそうです。
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■1.紅葉と瀬:(岩倉峡)
枝振りの中に見つけた木津川の瀬。
◆紅葉の葉っぱの隙間と川の瀬をうまく組み合わせた。太陽の光があまり強くなかったのか、紅葉そのものは白波を引き立てる側になり、位置的にもうまく組み合わさった。手前、川底まで見通せる部分もあり、万事うまくいった。
ただ欲を言うならば、白波の奥に岩が並んでいるらしい。カメラを若干下げて、それらをはっきり見せてもよかったか。白波は多少枝と重なっても葉と葉の間からでも自己主張をするだろうから。
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■2.黄葉:(岩倉峡)
遊歩道分岐点の大木。
◆太い幹をどんと置いた。広角での定番ものということになるのだけれど、画面全体の黄葉が今の場合はそれを助けた。左下隅から直線的に伸びる影の部分、杉の木のように見えるが、これが意外と画面に高さ感を与えている。いい写真だ。
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■3.軒裏:(正月堂)
軒裏を染める紅葉。
◆「軒裏」という題だが、撮影したあとで画像を見て、あれ、思ったより軒裏が明るく写っているぞということで出てきた題名ではないか。撮影時はやっぱり紅葉に眼目を置いていたのだろう。軒裏はつけ足しで絵としてはやっぱり紅葉が主になっている。
しかし、この写真に「紅葉」という題をつけたら、まだまだやなーというところだった。なぜなら、紅葉の幹を見ればわかる。この幹が真っ白になるほど真正面から太陽が当たっている。これで紅葉の表情が出るはずはない。だから「軒裏」で逃げた。「紅葉」としなかったのでまだ助かりはするが、本来は、それならそれで初めから軒裏を主とした絵を作らなければならなかったはず。
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■marimari
着信:2013.12.10
紅葉はやや遅めだったように感じましたが11月末近くに教林坊を訪れる機会がありましたので、その時の写真から投稿させて頂きます。 | |
■1.装う
すっと伸びた竹を彩るような赤、黄のもみじがきりりとした和服の模様のように感じました。縦横両方ありますが竹の雰囲気から縦の方がピッタリするように思います。
◆縦と縦、どうしても単純な感じは出てくるが、場合にもよる。今の場合は手前の黄葉が三段になって色添えをしているから、素直に見ればいいのだろう。縦位置は正解。
いい場所を探した。時と場合によってはグランプリものだったろう。が、残念ながらこれは「グランプリ」ではない。なぜか、・・・奥の竹が明るく飛んでしまった。それもメインの竹が。(飛んではいないかもしれないが、少なくとも竹のニュアンスはない)。じゃ、マイナス補正か・・・。そうじゃない、そうじゃない。そんなことしたら手前のモミジが暗くなって死んでしまう。じゃ竹だけ暗くするにはどうすればいいの・・・?。そんな器用なことはできません。
そう、この条件では誰が撮ってもこうなるだろう。この時、考え方は2つある。
1.この時、太陽は自分の真後ろにある。もしこの時が午前中ならば、午後まで粘る。太陽は左へ回る。竹は半分ぐらいが影になる。これが決まれば見事な写真になる。
2.午後ならそれを待っていたら日が暮れる。明日の午前中にもう一度出直すということも選択肢の一つ。そんなアホなことはできないというのなら、次善の策として、その場で左右に動いてみる。ちょっとでも竹の影が見える場所を探す。でもその時は別の絵になる。
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■2.陽だまり
落ち葉溜まりと小さな石の仏塔が共に明暗を分けている状態に目が向いたものです。
◆うーん、気持ちはわかる。これも時と場合によっては・・・、しかしこのままではしんどい。なぜか。理由は1と同じ。五輪塔の頭が真正面から太陽の光を受けている。せっかくのモミジも枯れたようにカラカラに写っている。この片隅の情景が風景といえるかどうかは別にして、とにかく風景は太陽を背にしてみるとカラカラに乾いて見える。解決方法は1と同じ。マイナス補正すれば、今少し見えている影の部分は完全につぶれてしまうだろう。これ以上マイナスにはできない。あとは明るい部分が暗くなるのを待つしか仕方がない。近くならいったん帰って昼飯を食って出直せばいい。三上山を撮るとき、私はそういうことをよくやった。遠くで入場料を払って・・・ああ、無情。
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■3.競い合って
こちらも赤と黄のもみじですが輝くような華やかさを木立で額っぽく囲んで引き締めてみたのですが。
◆こちらは1や2に比べると光線状態は良い。豪快な紅葉というのか、圧倒される感じがする。問題は近くの木立だというシルエット。「額っぽく囲んで引き締めた」というが、さあーこれで引き締めたことになるかどうか。わたしには視界を狭めたことになるように思える。ちょっと意地の悪い言い方だけど、「右も左も見る必要はありませんよ、そこには紅葉はありませんよ」と言っているような。
引き締めるには木という状態がしっかりわかるように、ある程度の形を見せたほうがいいのだろう。それも片方でよい。このような縦位置の場合は、そこへ木一本は無理だろうから、斜め方向の枝を入れるとか。
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■1.眼を見張る紅葉
近くのお寺のハナノキです。丁度見ごろでしたので沢山撮りましたが、手振れかピントが合って無いのが沢山有りました。
◆なんと立派なこと。太い幹、枝、そして今を盛りの黄葉。薄曇りという感じで、それがまたもみじにうまくなじんだ。こういう薄曇りの時は、絵が平面的になるものだが、今の場合は、手前の赤い葉っぱと後ろの黄色い葉っぱがうまく立体感を作り出している。わずかに見せるお堂も場所説明の役を果たしている。いい写真だ。もう少し下を見せて子供でも遊んでいたら、・・・でも、いなかったんだろうな。
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■2.浮御堂から三上山
一生懸命に撮ったつもりですが帰ってプレビュウで見ると手ぶれであったり欠けていたりでどれも自信が有りません。
◆三上山を大きくしたかったのだろう。ぎりぎりまで伸ばした。浮見堂の屋根も入れたいということで縦になった。これ以上広くできない事情でもあったのか。この場所からお堂と山を合わそうとすると、山が小さくなるのは仕方がない。横位置でワイドをつけて、ゆっくりと絵を作ったほうがいいだろう。湖面も見せて、対岸までの奥行き感も持たせたい。
まあ、これは練習、天気も悪かったようだし。
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■3.出島灯台 ちょっとバランスがよくないのですが。
◆たしかにね。バランスがよくないといえばそのとうりだけど、実際に行ってみると撮りにくい場所でね。下にはフェンスがあるし船が邪魔をしたりして。これはこれで仕方がないところかもしれない。
欲を言えばカメラをもう少し左へ振って、灯台を画面の真ん中近くへ引き出せるといいんだけど。ひょっとしたら左にも邪魔ものがあったのかもしれない。それよりも、薄暮時に明かりがともっていてくれるといいのだけど。交通の便のこともあるし無理は言えない。
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■JIJITKS
着信:2011.12.24
「青い鳥」が飛び損なって、やや気落ち気味の霜月末、御嶽山中腹の濁河温泉に遊び、白山、乗鞍岳、笠岳そして御嶽山の雪に冬を感じました。還れば琵琶湖、今まで見たことのない凄い虹に出会いました。
湖西道路を北進中前方に虹を見つけ、「虹をつかむ男」のダニーケイのようにひたすら追い続け、荒天の和邇濱の畔で、掴んだつもり・・・が、生憎、手にしていたのは、水陸両用の<PENTAX・WG-3>だけ・・・。沖合の凄まじい波濤を捉えることが出来ず、またまた、「虹を掴み損なった男」となりました。 | |
■1.ツインの架け橋
葦の彼方、ツインの架け橋がありました。
◆オッ・・・・、これはすごい。時節がら赤と黄色の世界に、「ワシはそんなもん撮らんぞ」と、ブルーを引っ提げて登場。かっこエエぞJIJIさん。まさに比叡おろしに颯爽というところ。この新鮮なブルーは生きる。
ありましたな「虹をつかむ男」、高校3年だったか、大学生になっていたか。その後中年のおっさんになって三上山を撮ろうと思った。そう、私が初めて撮った三上山が虹だった。そのときはバイクも車もない。当時の女房の買物用の自転車で飛び出した。しかし、それでものになるほど虹も写真も甘くはない。そのときの写真は見事にボツ。もちろんフィルムで、どこかに残っているはずだが、皆様にお見せするほどの代物ではない。
JIJIさんはこの虹を和邇浜までひたすら追い続けたという。虹はいくら追っても追いつかない。あの不思議な感覚。でも間に合ってよかった。「今まで見たことがない・・」、そうだろうな。私が虹の写真を見るたびに不思議に思うことがある。虹の内側と外側との明るさの差。内側はなぜ明るいのか。しっかり調べればどこかにその理由は明らかにされているのだろうが、私自身はいまだ読んだ記憶がない。その明暗の差がこれだけはっきり出ている写真は初めてのような気がする。
とにかく間に合った写真として、これ以上とやかくいうことはないが、それではわいわい村は単なる写真陳列サイトに成り下がる。重箱の隅をつつく思いで一つ、二つ。
1つめは、水平線がわずかに右上がりなこと。そんなことどうでもええとおっしゃる方も多いはず。目くじら立てるほどのものではないことは確かだが、とりあえず修正版を。どう考えるかは見る方のお好きなように。
2つめは、水面を少し下げる。カメラを上に振るわけだが、そのほうが虹が空中に浮くイメージが強くなるのではないか。山の高さを表すのに上を詰めろという。「だからつめたんや。虹の高さを出すために」と。ちょっと違うんだなー。山はとにかく高さ。虹は高さも感じるが空中での存在感だと思う。虹の上を見せて空の高さを感じさせる。その高い空に虹は浮く。昔ありましたな、Over
the Rainbow、「虹の彼方に」と訳されているが、ぼくは感覚的に、虹の上を超えると解釈している。
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■2.龍の誕生
荒れる沖に龍の誕生も斯くや・・と思うような泡立つ波濤。
◆そうか虹の根元はこんなに見えるのか。JIJIさんはそこにわき上がる龍の姿を見た。望遠そのものか、それとも多少なりともトリミングをしたものかはわからないが、波が逆巻いている。とにかく一番手前中央の白波がきいている。カメラをあと少し左へ振ってもよかったかなとも思うが、いずれにしてもぎりぎりのところだろう。1では水平線について細かいことを言ったが、この画面は相手が龍だ。水平もくそもないだろう。ちょっと傾けてみるのも面白いかもしれない。その場合は右下がりかな、虹を立てる意味で。
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■3.昇龍 湖底から美しい龍が昇るような様でした。
どうしても虹を見ていただきたくて、雪山はやむなくボツとなりました。
◆虹が下半分だけ残して終焉に向かう。その先に雲の塊が。龍が昇って雲と消える。細かいことだけど、右端の岬が黒く琵琶湖からほんの少し浮いている。その浮代が虹の下にも見える。といいうことは、この虹を作っている水滴(雨滴)は、蜃気楼で浮くほどの距離にあるんだ。写真でしか見えない世界だ。こんなこと、肉眼では考えてもみないことだろう。
■どうしても虹を見ていただきたくて、雪山はやむなくボツとなりました。
◆わかる。それはそうやろうけれども、ボツの中にダイヤがあることも・・・。やっぱり雪山も見たいなー。
そうそう、御嶽の濁河温泉。山頂で秋の寒冷前線の直撃にあった。飛んでくるアラレに顔を風上に向けられなかった。ほうほうのていで逃げ込んだのが濁河温泉だった。一夜明けて帰りのバスから見た雪の御嶽。・・・バカヤロー。みのもんたではありません。
調子にのってもう1つ。近くに秋神温泉というのがある。濁河より里に近いからご存知かもしれないが、そこもいいですよ。主人が「氷点下の森」を作っている。もう20年ほど前の話だけど。
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■TNK
着信:2013.12.14 柿シリーズで、これは岐阜県で撮ったものです。平凡だとは思いますが、もっと変化をつけるにはどうすればいいのか?この日は小雨交じりだったので光の取入れなど........ | |
■1.初冬の詩
◆小雨交じりで確かに光は乏しい。ずらっとつながった吊るし柿を素直に下から見上げた形。「もっと変化をつけるには・・」どうしたらええのやろね。このままではどこをどう撮ってもよく似たものになりそう。傘をさして上を見上げている人物でもいると変化は出るだろうが、そんな人物がおいそれといるかどうか。作業する人でもおればまた話が変わってくるが、こうして一旦ぶら下げてしまうとある程度は無人のだろう。広角で大小の変化でも狙うしか仕方がないか。
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■2.柿に囲まれて
◆これは天気が回復したらしい。やっぱり光が生きていくると被写体も生きてくる。瓦が見えたりして1よりは絵そのものに変化がある。題にあるように、生活自体が「柿に囲まれて・・・」というところ。そのように1に比べると小さな違いはありはするが、最終的には大同小異というところ。何か、あっと驚く変化がほしいところ。
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■3.柿提灯
◆題が面白い。こんなことばがあるのか、TNKさんの造語か。上から狙ったわけで、ピントも上の段にしっかり来ていて、下の段はアウトフォーカスになっている。このように上下3つずつを限定で切り取ったのだから、下の奥まできっちり来ているほうが、はっきりするのではないか。もっと広い範囲で遠ざかるほどぼけていくのも情緒的だが、今の場合は、6つ1ブロック、しっかりきたほうが絵がしゃきっとする。
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■MRT
着信:2013.12.15 11月高島朽木小入谷に行った時のです。 | |
■1.峠の幕開け:(小入谷)
◆谷筋に雲が沈み、山の上全体がうすい靄に包まれている。日の出とともに雲が動き出すところだろう。遠くへ行くほど薄れていく山並みが距離感を見せている。手前にススキの穂とか、木の枝などが少し見えると全体の雰囲気が変わる。要するに風景に対する演出をするかしないかで絵が変わる。
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■2.谷川の息吹:(朽木中牧)
◆谷川が朝日に光るところを望遠でとらえた。それが間違いだったとは言わないが、結果として川が突き当たるところにあるススキの群生がどーんと真ん中に横たわることになった。(これだけの大きなグループはススキではなくて、オギかもしれないが、我々素人には見分けはつかない)。川が左へ曲がりだす前、左右のススキはどちらか一方でよかった気もする。ここは広角で遠近感をつけたほうが絵になりやすいのではないか。とにかく真ん中のススキがでかすぎた。その奥の木などが情緒を感じさせるが、その前にススキが奥行きを止めてしまっている。
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■3.夜明け:(小入谷)
◆裸になった木と朝焼け雲。右下に見える小屋の一部。左の斜面が堤防か、山の裾かちょっとわかりにくいが、これははっきりしなければ困るというほどのものではない。
以上ここまで夜明け前の情緒を作ってはいるのだが、しんどいのはここで話が止まってしまうことか。うん、それでどうしたの?ということになる。
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