デジカメわいわい村
とれとれ作品集 NO.139
2013年11月・後半

 
 

BEST

JIJITKS JIJITKS SS HN SS


HN marimari SS JIJITKS MO S.T MEGW まさーき マミー SKI MRT

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■HN

着信:2013.11.17
撮影場所:花緑公園

 昨年楽しかった花緑公園の小鳥撮り、今年も通いかけました。昨年の好きな仲間も顔を見せてきました。でも葉っぱが多くて、その上小鳥もまだ人に慣れていないのか、はしっこいので、また葉っぱが多いので、直ぐに隠れてしまいます、そのために撮りにくかったです、でも近いので通いたいと思っています。

 

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■1.紅葉に光さす
◆HNさんの写真を見ると、どこに鳥がいるのかと探してしまう。以前我が家でただの木の写真をかけて置いたら、「どこに三上山が写っているのですか」とよく質問された。テーマが決まっているのがいいような悪いような。
 で、これは鳥はいないようだ(断定するのがこわいけれども)。鳥のあいだの時間稼ぎというところか。モミジの葉っぱのアップ。バックもうまいことぼけて、まあ、一応の段階はクリアーしているが、そこ話が終わってしまう。もう少し何かが欲しいところ。

 

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■2.公園の小鳥
◆申し訳ないが鳥の名前は分からない。かわいいな。相手が動くものだから、こちらの思うような絵は作れないのは百も承知だが、鳥がいる部分だけ日が陰っていたらしい。まんの悪いものだ。
 鳥の左の縦の枝が絵のバランスをとっているが、横に並ぶ2本の枝が、水平に並んだのがしんどかった。こういう場合、絵をいくらか回転させると(今の場合だと時計方向に)鳥の姿に違和感が生じるだろうか。たとえばこんな具合に。私なんかは大差ないように感じるが、いつも見ている人からすると、やっぱりおかしいなということになるのだろうか。もし大差ないよというのなら、枝の状態だけを考えれば、傾けておいた方が絵は安定する。


 

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■3.紅葉に包まれて
◆カメラをぶらせたのかと思ったが、そうではなさそう。鳥とそれがとまっている杭とはしっかり止まっている。ということは風で周囲の木が騒いでいるのか。木のブレの中でわずかに止まって見える鳥の頭がいい。風の強さもシャッタースピードも分からないが、べらぼうな強風とも考えにくいから、そこそこ遅いシャッターだったのだろう。一つの挑戦として評価したい。



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■marimari

着信:2013.11.18

 ここ暫く一人前に(?)スランプというか、自分が何を撮りたいのか分からない状態が続いて、カメラを手にするにも気合が入らずにおりました。好きな季節へと時間が動き始めて最近ようやく「撮りたい」気分が復活してきた次第で、久々の投稿させて頂きます。
 11月17日。紅葉まだ早い奥琵琶湖を訪れました。つづらお半島のドライブウエイ展望台まで行き、海津大崎まで戻る道中に撮ったものです。

 

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■1.繋がる時間
 釣りをしている父親と男の子だと思いますが、そんなに言葉を交わす風でもなく見受けられ、餌のつけ方か何かを動作で示している場面の後にそれぞれ黙って釣り糸を垂れてている様子がとても印象的で、淡々と、しかもしみじみとした「親子の時間」が伝わってきました。お互いに「魚が掛かってほしい」、もしかしたら父親は「息子に釣らせたい」という思いと、後には二人共に深い思い出の時間になるのではと、色々な意味を込めてのタイトルですが、説明するようでは…と悩みました。
◆親と子の言葉のないつながり、それを見ている撮影者とのつながり、たとえばTVドラマなどならそういう心理的なものを盛り込めるのだろうが、たった1枚の写真でそこまでのものというと、これは難しい。だいたい魚釣りそのものが、そうべらべらしゃべるものではない。だからそこまでは自然と読めるが、それ以上となるとしんどくなる。この絵だけではそれ以上のものは無理だったろう。


 

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■2.お気に入りタイム
 こちらはただ一人での釣りを愉しむのか時間を愉しむのか悠々たる雰囲気が羨ましい様な気がしてカメラを向けました。
◆一人で悠然と糸を垂れる人。その一人を画面に入れて・・・となると、「一人」=「孤独」という、単純な関係式で終わってしまう。花一輪を画面の中へボーンと持ってきたのと同じイメージである。いつごろだったか、「群衆の中の孤独」という言葉が流行った。要するに何人かいる釣り人の中で、ひときわ孤独感が強い、そういうイメージを持ち込めると強い写真になるはずだが。


 

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■3.フィナーレ
 桜の頃はどんなに素晴らしい事かと思うドライブウエイでしたが、葉を落とし始めた桜並木の一角、秋の陽に映える幹や枝の姿が晴れやかに見えて撮ったものです。背景の山と前の道路をカットし不定形なトリミングですが。
◆不定形だからどうのこうのというわけではないが、やっぱり無理に切ったなという感じが強い。定型そのものにいろいろな比率があり、どれが定型でどれが非定型とはいいにくい、とにかくこの場合は、横並びを狙ったために無理をしてでも上下を切らなければならなかったということ。
 もう少し左へ寄れば、左右の幅は自然と縮まりいわゆる定型にまとめられたのではないか。その方が幹の間隔が縮まり木の密度が大きく感じられるのではないか。もっともその位置が自由にとれたか否かは定かでないが。


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■SS

着信:2013.11.19
■撮影場所:希望ヶ丘

 

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■1.たたなづく
 山が交互に幾重にも重なって、スケールは小さいけどたたなづく青垣 という言葉が浮かびました。
◆2と3の写真を見て、SSさん奈良へ行って来たのか。当然この山の写真も奈良の奥山で・・・と思って撮影場所を見ると「希望が丘」だという。ヘー。希望が丘にこんな「ういの奥山けふこえて」みたいな場所があったのか。それもかなり高い場所から俯瞰している。光が左上から来て尾根の一つ一つを浮き上がらせた。左に置いたメタセコイヤかスギかちょっと判断しにくいが、針葉樹林を左に置いたのが、画面に変化を与えた。左上の奥あたり、もう少しモヤがかかっていると奥行き感が強くなったかも知れない。

 

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■2.光を受けて
 前回提出した写真について、先生から動物のモニュメントに近づいて撮った方がいうアドバイスを頂きました。再度撮り直してきました。
◆取り直しが出来るのが近場撮影の強み。取り直しの出来ない一発勝負の緊張感も悪いとはいわないが、少しずつ変更を重ねて作り替えていくのがわれわれ素人には向いている。
 ボクが前回の写真を見て動物たちをアップしてといったのは、動物たちがもっと木から離れて遠くにいる(当然木は遠くに小さく見える)というイメージからだった。この写真はそれを望遠で納めたのだろうか。それとも動物たちが動くのだろうか(動物は動くものと相場が決まっとるといわれそうだが)。 もっともボクのイメージでなければならないことはないわけで、これでも立派に通用する。お陰ですっかり奈良公園のイメージができあがった。それも胴体から上は姿を見せず、8本の足で奈良公園を演出した。なかなか面白い写真である。

 

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■3.メルヘン
 青空に浮かぶ雲、鹿とウサギのモニュメント。童話が書けそうな雰囲気がありました。
◆そうそう、こうしてシルエットになっていると本物かどうか分からない。よくできている。けれども塑像であることは確か。それが証拠に近寄っても逃げない。というところで、ワイドでウサギに近寄る。巨大なウサギが小さなシカに襲いかかる。そんなイメージも作れそう。なのだが、肝心の木はどこへ行ったのか。SSさんにとっては木ありてこその動物たちなのだが。


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■JIJITKS

着信:2013.11.08

 言い訳:前回分の<紅葉の池畔>水面に起きた波紋はカイツブリが潜った瞬間です。被写体が消えた後の空振りの絵です。動物愛護の精神は忘れてはなりません。
 今回のテーマ <晩秋の幻想>

 

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■1.幻想摩周湖
 摩周湖の水の碧さをバックに夕日に照らされた白樺群です。夕刻に撮った風景をトリミングしたらこんな絵になりました。
◆エエなー。深山幽谷に分け入った感じ。シラカバが日陰になった斜面に生えているのだろう。根っこの部分が闇に隠れ、上半身が夕陽に照らされている。もちろん肉眼で見れば根っこまでしっかり見えている。それを闇に隠したのは写真の魔術、いや露出の妙。摩周湖の湖面だという上部の深いブルー。この「限りなく深いブルー」がきいた、ただよう霧を思わす。エエなー、トリミングしてここへたどりついたという。オリジナルはどんなんだったのか。




 

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■2.平湯大滝の暮色
 陽の陰った滝壺への落水をゆっくり撮りました。岩肌が美しかった。
◆これもエエぞ。滝の水といえば白と相場が決まっているが、スカイブルーの水の色がいかにも冷たそう。それが上から幕を垂らせたように落ちてくる。そして白いハイライトが法隆寺の救世観音のよう。こんなことを言うとバチが当たるかも知れない。とすればミイラになったミロのビーナスを見るような。これも罰当たりかな。
 最近、平湯大滝の写真をよく見るようになった。20歳代のころ、平湯経由でよく上高地へ入っていた。いまの土産物センターはまだなくて、砂利を敷いたけの駐車場から谷間を通して笠ヶ岳が真正面に見えた。大滝があるとは聞いていたが、行ってみようということにはならなかった。こんな観音様が見えるのなら、そのとき一度でも行っておけばよかった。
 そんなことでわたしは平湯大滝は知らない。でも、この水勢からおよその高さは想像できる。その下部だけを切り取った。それを見て、全体像が想像できるのは一にかかってこの水勢の描写である。これをつるつるに流してしまえば水勢は測れない。もちろん観音様もミロのビーナス出現しない。その観音様をちょっと右へ寄せて、その右に細い流れを置いた。左側の暗い岩。そこに滝壺の水面かな?、それが神秘的。エエぞ。


 

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■3.青い鳥の街
 秋の美を捜した旅から大津へ帰れば、そこに幻想的な景色があった。チルチルとミチルの心境…。もっと琵琶湖の風景を撮ろう‥と。。
◆さあ、三連発なるか。これはm.mさんの例のターナー風幻想と同じ建物らしい。それが朝陽を受けて輝いている。普通に撮れば白く飛んでしまうところが、どうした加減か露出がアンダーになった。JIJIさんがアンダーにしたわけではない。(ひょっとしてマイナス補正でもしていたら大変だとプロパティーを覗かせてもらった。ゴメンネ、勝手に。露出補正は0ステップだった)。アンダーにしたのは間違いなくカメラである。いまどきのカメラはときどきこのようなとんでもない手違いをやる。ということでこの金のヤカタが出現した。
 さあ、そこでや、どうしようかと思案したが、三連発なるかどうかの瀬戸際だし、「先生とJIJIさんとのやりとりが、わいわい村でいちばん面白い」とのたまうファンの方が、数は少ないが1人や2人はおられる。この方たちを大切にするという意味もあって、この際しゃべってもエエやろう。秘密保護法案が正式に国会を通過するとこういう話は出来なくなる。で、裏話を。
 前回、正式投稿の3枚の他に、チルチルミチル版としてこの写真のオリジナルがついて来た。なかなかいい作品だった。ホームランになる可能性大と思ったので、「もうちょっと建物を大きくすればよくなるでしょう」とさりげなく返事をしておいた。そして出てきたのが上の「青い鳥」版。当たりはよかったけど、むちゃくちゃ振り回した感じ。惜しくも大ファール。三連発ならず。残念。ちゃんとタイミングを合わせてきっちり振ればこんな当たりになっていた。そういえば秘密電報では、「明るさを調整して」の文言が抜けていた。イシハ幹事長の話、例の下目使いで、「このモンゴンを・・・入れるか・・・入れない・・・かは・・・、この・・法案の・・・イノチを・・さゆう・・・」。もうエエ、こっちは急がしいんじゃ。
 それよりもワシしのいうことをきいてくれ。何で金のヤカタを真ん中より右に置いたかということ。この場合太陽の光は左から来ている。そして建物の表面で反射してカメラに達している。もちろん太陽の光の道筋は見えない。しかし建物の左側は太陽の光はON,右側はOFFである。そのONの部分を長くとり、OFFを狭くした。
 昔ありましたな、田端義夫の「かえり船」。
 ・・・捨てた未練が未練となって 今も昔のせつなさよ・・・。


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■MO

着信:2013.11.20

 

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■1.霧の中を:(近江富士花緑公園)
 赤い車が来るのを待っていましたが、少ないのですね。ちょうど霧が深かった時だったので、ライトをポイントにしてみました。
◆なるほど、ライトをポイントに。でも点灯しているクルマはスモールだし、ヘッドライトをつけているのは遠いし。ちょっとしんどかった。いちばん奥の車のライトが、大きく伸ばすと分かるのだが。しかし、こんなことで理屈を言っても仕方がない。
 画面が少し右下がりなのが気になる。ひょっとしてと思うのだが、いちばん奥のクルマ(ライトをつけているヤツ)を眼目に置いたのではないか。この車はまだ左カーブを走っている。ために道路も左(車の進行方向に対して左)に傾いて設計されている。カメラがそれにつられたのではないか。その結果、右カーブになったところでは、クルマが左(車の進行方向に対して左・道路の外側へ)へ滑っていきそうに感じる。それが面白いのだが、初めからその意図を持って傾けたのなら、あえてイチャモンをつけることでもない。奥のクルマにつられて傾いたとするならば、やっぱり気になる。


 

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■2.静かに紅葉:(東光寺)
 仕事の帰りに立ち寄りましたが、工事中だったことを知らず・・・。誰にも出会わなかった訳に納得。寺の境内には入れませんでしたが、道中の紅葉を楽しみました。紅葉を撮ってみました。
◆東光寺というのは、いまの東近江市、かつての愛東町のモミジで人気が出てきたところかな。寺の前の斜面に墓がたくさんある。もしそうだとすると、10年ほど前、墓の横の坂道で、三上山への夕日を撮っていて露出計を忘れてきた。一週間ほどたって気がついて行ってみたら、撮影場所の横の墓のそばに、メーター部を下に、雨が入らないようにして置いてくださっていた。その間雨の日が2度ほどあったがメーターは健在だった。
 赤と黄と2種類のモミジがあって、ポイントは左の塀についている黄色だと思う。その色が妙にこてこてして、光と影がさっぱりしない。何でかなと考えてみたが、そのときに当たっていた光のせいかな。3のコメントとつなぎ合わすと、ここでの撮影は昼前ということになる。影が出来ることは当たり前だけど、それが何故かうるさく感じられる。色のせいかな。

 

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■3.赤かぶ干し
 2に続いて、うわさに聞く゛赤かぶ干し゛は、どの辺で・・・と探しながら走りました。時間的にはちょうどお昼頃だったので、作業をしている人もなく、改めて訪れたいと思いました。琵琶湖の背景を取り込むのにもホテル等が写り、構図が難しかったです。
◆肩に力が入りすぎた。やっと見つけた赤カブ干し。これや。琵琶湖岸なのに、湖面を入れようとするとバックのホテルなどが・・・。結局干し棚の下へ潜り込んで、いや、潜り込んではいないかも知れないが、横から下へ回り込んで、ああでもない、こーでもないと、ひねくり回した。その結果が、ボーンと大きな穴があいて致命傷の白抜け。
 人間力が入りすぎると往々にしてこういうことになる。といってエエ加減に撮れというわけではないが、もう少し対象物まで距離を置いてもいいのではないか。バックにホテルが入ってもいいのではないか。それも一つの環境描写ぐらいに考えて。
 写真の基礎は対象物に肉迫して余計なものは入れない。これが出発点だが、時と場合によっては、距離を置くのも必要なのではないか。ただ漠然と距離を置いて余計なものまで写し込むのは困るけど、これは環境描写だと強い意志を持って取り込む距離は生きてくる。この場合、やっぱり太陽側に回って表から撮った方が生きるのだろう。


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■S.T

着信:2013.11.22

 15日写真展示日の帰途、永源寺ダムの八風街道(国道421)石槫隧道〜306で三重に。ダム周囲の中程での橋梁工事で仮設橋梁は交互で工事車両の通行頻繁で要注意、車は待避車線活用し紅葉を眺め奥永源寺からは快適な道路と隧道で帰宅しました。

 

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■1.山映える:永源寺ダム
 干上がったダム湖と黄葉の明暗。仮設橋梁の中程まで進みダンプ通る度上下動激しく気持ち悪かった。
◆ということはダンプが通るなか仮設の橋の中ほどで撮ったということだろうか。なんとまあ恐ろしいことを。山の面は左と右とに分かれているが、メインになる左の面が太陽の光を真正面から受け、右半分(奥の)面が右から受けている。上の文章からもわかるように、たまたまそこを通った時に撮っているわけで、この状態はどうしようもない話。結果的には行ってきました写真ということになる。


 

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■2.紅葉:永源寺ダム
 黄葉の中映える。
◆木に当たる光がいい。これも一連のときに撮ったとしたらこれはうまくいった。当然葉っぱに当たる光も生きている。要は写真とは光を見つけることである。幹の上部両側の青空が抜けている。白に比べればまだ気楽であるが、絵としてみると気になるところである。


 

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■3.西日:国道421不老橋
 通過後バックミラーに光ったのでUターンした(不老橋)。
◆題は「西日」だけど、バックミラーに写ったというのは、欄干の光のことだろうか。西日だとすると右上の空のことだろうが、実際の場面はどうだったかわからないが、写真としては飛び加減で魅力はない。カメラを下へ振って、空は避けて道をグンと手前まで入れたほうが力強い写真になっただろう。今のままだと結局どっちやねんということになっている。



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■MEGW

着信:2013.11.22

 

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■1.朝霧
 朝霧に煙る三上山、赤く染めた朝日模様です。
◆この写真のポイントは太陽だろう。三上山が写ってはいるがモヤに隠れて姿がはっきりしない。船が一艘いるが小さくポイントにはなりにくい。とはいえ太陽だけでは絵にならないわけで、三上山とのバランスは無視できない。今の場合、画面右ぎりぎりということで、絵が安定しているとは言いにくい。もう少し右を広くとって全体のバランスを安定させたい。レンズを短くするわけで、太陽は小さくなるが、この場合は致し方ないだろう。


 

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■2.朝霧沸く
 一面霧が湧き上がり、霧が赤く染まり、影のコントラストが刻々と変化する中の一枚です。
◆画面が異様に赤いがこういう瞬間もあるのか、それとも調整の段階でこのような色を引き出したのか。今しも、トンビが一羽、太陽に向かって飛行中。ファインダーの中で「やったー」というところだろう。やっぱりこの一羽が生きた。


 

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■3.陽光
 風見公園から三上山頂上に揚がる朝陽にようやく出会うことができました。
◆近年盛んに言われるダイヤモンド富士である。撮影場所が限定されると年に2回しかチャンスはないわけで、MEGWさんのコメントに「やっと撮れた」という心情がにじみ出ている。まあいまどきのことであるから、わたしが最初やっていたような、地図の上に線を引いてという時代ではない。この現象が何月何日に起こるかということは、カシミール3Dで知ることができる。
 それなら簡単だと思われるが、その日にそこへ行っても天候の条件その他、すぐに作品になることはまれで、また明日といかないところが苦しいところ。「ようやく出会うことができました」というのは本音だろう。写真としては手前に木でも草でも、いわゆる前景があればもっと生きたものになっただろう。


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■まさーき

着信:2013.11.25
この秋の記録です。よろしく、おねがいします。

 

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■1.錦の谷
 葛川坊村から、比良の武奈ヶ岳へ登った時の景色です。西南稜に上がると、一気に見晴らしが良くなり、色づいた山々が疲れを癒してくれました。もう少しガスが晴れるとスッキリしたんですが。
◆山の斜面が紅葉して、青い杉がアクセントになっている。おそらく肉眼ではいうことなしの風景だっただろう。それが写真となると難しい条件になるのだから皮肉なもの。谷一面に太陽の光が均等にさしている。ふつうは片方の斜面が明るく他方が暗いのが一般的である。写真は光と影から成り立っている。谷筋全体が明るくなると、写真としてはつらい。



 

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■2.染まるお堂
 日吉大社の門前にある、大きな楓の木です。日を浴びた紅葉がお堂を照らして染まってます。逆光気味ですが、もみじが明るくなったので良いかと。
◆「染まるお堂」、「日を浴びた紅葉がお堂を照らして」・・・、題を見ても、コメントを見ても、お堂が主役のようである。しかし、題は後からつけたもので、撮ったときにその意識があったかどうか、たぶんもみじに大方の意識が行っていただろうと考えられる。それが証拠に絵としてはお堂は付け足しである。撮影時に「お堂を主役に」との意思がしっかりしていたら、こんな中途半端な切り方をするはずがない。後追いコメントでは作品はできない。


 

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■3.静かな秋の池
 京都北山の鷹が峯から奥に行った所にある「沢池」です。俗世からかけ離れた雰囲気で、ひとけのない、不気味ともいえる場所でした。ドラマのロケで良く使われるそうです。
◆画面左の水際にラグビーボールを立てたような、黒い楕円形が見える。画像処理のときに私が間違ってつけてしまったのかと驚いた。でもそんなレタッチをした覚えはないし・・・とよく見ると丸太棒が、カメラから見て視線の方向に浮いているのか、横たわっていのか。それもどう見ても、水の部分にあり、水面から見える上半分が水面に反射して楕円形に見えるらしい。いずれにしてもこのラグビーボールが致命傷だった。


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■マミー

着信:2013.11.26

 

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■1.大地からの贈り物
 初めて我が家に柿がなりました。
◆桃栗3年柿8年というけれど、ほんと、カキは年数がかかる。接ぎ木もしなければならないし。その柿が初めてなった。なるほど、大地からの贈り物。
 初冬の陽だまりにおおきな柿がどっさり、喜びが伝わってくる。マミーちゃんのコメントがあるのでそのイメージが増幅されるが、写真だけだとその喜びが伝わるかどうか。できれば影でいいから、こもが寄ってくるような雰囲気が加わったらよかったか。
 


 

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■2.雨の日
 自動車の中から花をとってみました。
◆雨が降っていたらしい、濡れたフロントガラスを通した花らしい。残念ながらガラス面にピントが来てしまった。水滴などがついていない透明なガラスだと、それを通して向こうのものにピントが合う場合が多い。もっともガラスまでの距離にもよるが、車内からガラスまでの距離ぐらいだと外のものに合う場合が多い。それとガラスの傾き、フロントグラスのように傾いている場合は抜けやすいが、側面の窓ガラスのように傾いていない場合はガラスに合いやすい。
 今の場合、ガラスの状態がわからないが、いずれにしても水滴がついている。こういう場合はガラスに合う確率が高い。もしこれが側面の窓ガラスだったら、いったん窓を開けて外へピントを合わす。そのままカメラを動かさないようにして半押しのままで窓を閉める。そして全押しする。または、カメラをガラスに密着させて半押しする。そのまま(半押しのまま)適当なところまで下がる(ガラスから離れる)、などの手が考えられる。
 余談だが、ネット越しに遠くの風景にピントを合わせた写真を見た。手動で合わせたのかと思ったらそうではなかった。ネットにレンズをくっつけてピントを合わせ、半押しのままネットから離れて撮ったという。


 

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■3.森の装い
 永源寺へ行って来ました。
◆紅葉した山の面が見事。寺院内の手入れされた紅葉もきれいだが、私はこういう山一面の紅葉に魅力を感じる。今の場合、画面は3つに分かれている。手前の杉の木。光っている斜面、陰っている斜面。絵としては面白いが、肝心の太陽が県らの真後ろにあった。日向の面にべたっと光が当たっている。横からの光が当たっていたら、だいぶ風景は変わっていただろう。奥の斜面に吊り橋のように見える電線は話の材料としては面白いかな・・・というところ。S.Tさんの1・山映える、まさーきさんの1・錦の谷などと同じ、光の方向の難しさだ。


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■SKI

着信:2013.11.30

 

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■1.斜光:(高島市朽木小入谷)
 おにゅう峠の雲海撮影を終えての帰り道、 林道沿いの杉林に斜光が射していた。光は、強くなったり弱くなったりして、数分で消えてしまった。
◆これはまたすごい光線だ。太陽がいくら強い光を出しても、目の前に何もなければこの線は出ない。杉林があって、さらに空気中に霧かモヤかそういったものがなければ条件は整わない。いってみれば絶好の状態の時に出会ったということになる。ワクワクしながらカメラを向けたことだろう。その気持ちが画面にそのまま表れている。
 思ってもみない現象が目の前に現れた。それも濃くなったり薄くなったり、早く撮らなければ…、気持ちが焦る。このように考える余裕がない場合、どうしてもその気持ちが正直に表れる。杉林は縦線だから、とにかく縦長。そして太陽は真ん中(かろうじて上へ逃げてど真ん中だけはのがれたが)。
 どうしても杉の縦長にこだわるのなら右はカット。左右両方の光を生かすのなら横長か。


 

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■2.霧に包まれて:(高島市朽木中牧)
 おにゅう峠の雲海&日の出撮影を終えて針畑川の川霧を撮ろうと川の下流にカメラを向けると、その先に霧に包まれた風景が目に入った。両端に濃い杉木立が目立ったので、それを避けるように構図をとった。
◆霧の風景、うまい具合にカラスが枝に止まっている。小さいけれども目立つ。これが逃げないうちに・・・、カメラというものい意地が悪いもので、カラスに意識が集中するとどうしてもそれが真中へ来る。まあ、これは仕方がないけれど。霧の中の影絵の部分はとにかくにも絵になった。問題は手前の草地。堤防か盛り土かわからないけれど、これがとにかく目立つ。カメラをもう少し上へ振って、この草地を半分ぐらいに抑えると、おさまりがよくなったのではないか。


 

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■3.平池の紅葉:(高島市今津町深清水)
 平池の草紅葉を目当てに行ったが、最盛期は過ぎていた。池の周りの紅葉は綺麗だったが、物足りない感じだったので、池の映り込みも入れました。
◆画面の下半分だけ見ていると、上高地の田代池を思わす。それにくらべると対岸の木々が煩雑でどう切ろうともおさまりがつかない。これは下半分だけ使って、映り込みを狙ったほうが、絵がはっきりしただろう。
 と、こういう見方になるのも光線の関係かとも思える。特に左側のごちゃごちゃした樹木に当たる光が特に単調に見える。もちろんそこの光だけが単調というわけではない。太陽光線のことだから、すべて同じ方向から当たっていることは間違いないのだが、今の場合は左半分への光の当たり方が気になる。


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■MRT

着信:2013.11.30

 

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■1.晩秋の池:(平池)
◆SKIさんの3と同じ条件下での撮影のようだ。対岸に立つ杉の木の幹を3本、材料にして映り込みで絵を作った。それは一つの手であることは確かなようだ。ただし、今の場合、SKIさんの絵でも気になったが、太陽の光がかなり正直なようだ。たとえばいちばん右の幹のように、ほとんど全面が光を受けている。やはり写真の根本は光への対処である。


 

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■2.杭の演出:(平池)
◆何に使われていたのか。朽ちた杭が数本。それをまとめて絵を作った。誰の写真だったか忘れたが、菖蒲の写真にこのような杭が添えられているのを見た記憶がある。花が主役で杭が脇役という構図だった。今の場合は、その杭が主役。この杭が何に使われていたのだろうと話は続くが、たいがいはそこで終わってしまう。そこのところがこの写真のつらさである。


 

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■3.晩秋:(河内赤坂自然環境保全林)
◆河内赤坂というと、千早赤阪村かな。だとしたら、私のような戦前の歴史を習ったものには、楠正成で大人気だったところだ。この写真とは直接関係はないのだろうが。
 門の手前から奥の紅葉を写したところらしい。いわゆる門構えになるところを左と上との逆L字型に抑えた。それを完全に黒くつぶれる一歩手前に抑えた。奥の紅葉の明るさがさほどでもなく、それによって黒くつぶれるのが抑えられたのだろう。そういう点ではうまくいった。
 問題は肝心の紅葉に光の変化が乏しくべたっと平面的になってしまったこと。それが証拠に右に見える幹の全面が同じ明るさだ。曇っていたことが原因かもしれない。べたっとしたさえない明るさが、手前の門の黒くつぶれるのを防いだが、肝心の紅葉にはマイナスになった。苦しいところである。





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