森川・TNK・HN・JIJITKS・S.T・SS・MEGW・MRT・ |
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■森川邦昭
着信:2013.10.01
琵琶湖岸のレジャー施設で活躍した大観覧車の解体作業が始まった。閉園から12年を経て、ベトナムで現役の観覧車として復活するという。イーゴス108、これは「すごーい」を逆読みして命名。高さ108メートルは当時世界一だったそうです。
撮影の日(9月13日)には既に客が乗るゴンドラは外されていました。このような被写体は初めての経験です。少なくとも被写体に明暗が出来る朝夕がいいだろうと晴天の夕方、歴史の一つとしての記録撮影も兼ねて訪ねました。 | |
■1.姿を消す観覧車A
日ごろは目の行かない建物と錆びついた支柱の一部です。支柱の時計も撮影の時は午後3時ですが、午前9時で止まっていました。カメラの位置からは小さいですが経緯とは関係なく淡々と作業者が仕事に励んでいました。
◆観覧車イーゴスの解体作業。1つの記録になることは確かである。このように意図して撮ることも一つの記録だし、全く意図してはいないのだが、気がつけば一つの記録になっていたということもある。
実は私が編集した『近江富士まんだら』に、この観覧車の営業中の写真(撮影:清田治男さん)が載っている。撮影が2000年3月11日。営業終了2001年8月31日。本の出版2006年10月10日。撮影後1年半で営業終了。もちろん本の出版時にはすでに終了していたことになる。
昔話のついでにもう一つ観覧車を。これは私の撮影で、撮影が1981年10月11日。真野浜からの夕景で琵琶湖大橋東詰、いまのピエリの場所にあった遊園地。そこに観覧車があったことすら忘れていたが、こうしてみるとごくわずかだがその姿が見える。
本論に入る前から余談になってしまった。赤茶けた支柱や梁から解体作業らしいころは分かるが、時計が止まっていることを写真で語ることは難しい。正しい時刻が画面で表現できないから。それと森川さんが表現したかったらしい作業員の姿が、まん悪く2人とも風景に埋没してしまった。これが苦しかった。何とか工夫して、空間中に浮き上がるポイントは探せなかったのか。これが残念。
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■2.姿を消す観覧車B
取り外されたゴンドラが並んでいました。事情を知る者にとってはなんとなく寂しい思いもします。そこに作業のおじさんが現れました。この方も事情には無関係なんでしょうが、背を曲げ、ややうつむき加減で寂しげに見えました。
◆取り外されたゴンドラが、3台1,2,3と同じ大きさで並んでいる。ちょっと斜めから大、中、小と大きさに差を付ける手もあったのだが、それをこのように全く同じ大きさに並べた。必ず差を付けなければいけないというものでもないし、これはこれで一つの受け止め方だろう。ただ若干気になることがある。画面が何となくさえない。取り壊しの対象として見るため、あえてわざとこのトーンにしたというのなら、それはそれでとやかくいうことではないが、何となく勝手にこのトンになってしまったというのなら、もう一つ打つ手があったかも知れないと考える。調整見本。
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■3.姿を消す観覧車C
撮影を終えて駐車場に着いた時、当の観覧車は
「よく見ておくがいい、これで最後だぞー」と云わんばかりに凛として日没とのシルエットでこちらを見ていました。
◆過去の存在表明。証拠写真。森川さんは「日没とのシルエットでこちらを見ていました」と擬人化している。一つの消えゆくものへの情緒である。それはそれでなるほどねと思う。しかしその反面、この30数年風景を見てきて気になること、「存在証明」は情緒に流れては駄目だと強く感じる。あと30年たったら、この観覧車を知らない人間が30歳になる。そのときどの場所からどちらを向いたときにどの方向に観覧車が見えたという資料が必要になる。これがいちばん雄弁に語れるのが写真だと思う。文章ではとても無理だ。存在証明には出来るだけ不変のものとの組み合わせと考える。
1000年、2000年とまではいわないが、すくなくとも50年、100年は変わらないものとの組み合わせであって欲しい。たとえば、上に挙げた営業中の観覧車、この姿そのものがなくなる。ひょっとして琵琶湖大橋も、周囲のビルもなくなるときが来るかも知れない。それでも山の重なりを丹念に調べれば撮影場所は特定できる。としたら、この観覧車はどこに立っていたかの推定が出来る。大げさなことをいうようだが、これが『近江富士まんだら』の基本的な編集方針だった。
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スポット測光について一通りのことを書いてみたが、おそらく最後まで読む人はいないはずだから、結論だけを先に書いておく。
要するにカメラに付属のスポット測光を使いこなすのは、簡単でないという話し。「妙なことをやるより平均測光の方がはるかに使いやすいですよ」ということ。
■1.秋の雲
◆「秋の雲」、まさに題の通りの写真である。その点に関しては、手前に2,3本しっかりと空へ抜ける花があってもいいかなと思うだけで、何もいうことはない。しかし画面が暗い。もう少し明るく調整した方が秋らしく見える。調整後の写真でも雲はもっと白くてもいいかなとも思う。
3.秋の夕景に、「この写真だけ田圃が暗くなってしまいました」とのコメントがついている。TNKさんはそう感じたらしいが、この3枚全部暗い。ということは露出決定に当たってなにか根本的な問題があるのではないかと思いプロパティを覗いてみた。この3枚とも測光モードが「スポット」になっていた。そのスポット測光のポイントが画面上のどこか分からないが、多分画面の中央だろう。だとすると白い雲と青空の部分だ。カメラはそこの明るさを計って露出を決定する。
スポット測光もAUTOのうちの一つである。いまのカメラのAUTO露出への信頼度は高いから、それでOKだと考える。そこに大きな落とし穴がある。・・・2へ。
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■2.収穫は
◆これも暗い。現場を知らないから何ともいえないが、もっと明るく、コントラストも強いはずだ。調整見本。調整すればいいのだから白く飛ばしてしまうよりはましだと、あえてマイナス補正して暗めのデータを作る人がいる。それはそれでいい。その都度しっかり調整して絵を作ればいいのだから。しかし、いまの場合マイナス補正はしていない。意図的に暗くしているわけではない。何やらわからんけど暗くなったというのが本当のところである。その何やらわからんところの原因がスポット測光である。
画面の中のポイントになるところをスポットで測光したら、「画面全体が適正な明るさになるよう露出が決まる」と解釈している人がいる。これはとんでもない間違いである。
スポット測光とは、「測光した小さな点(いまの場合でいえばの、画面中央の刈り終わったあと)を、グレーの明るさになるように露出を決めます」ということである。この場合のグレーとは、いちばん暗いときが真っ黒、いちばん明るいときを真っ白として、その中間の明るさという意味。この画面で、極度に露出アンダーにすれば、中央の刈りあと(上の写真で茶色に写っている点)が黒くつぶれることになる。それを真っ黒とする。逆にむちゃくちゃオーバーにすれば、同じ場所が白く飛ぶことになる。それを真っ白とする。
じゃ、どれぐらいアンダーにすれば茶色の田圃が真っ黒になるのか。またどれぐらいオーバーにすれば真っ白になるのか。フィルム時代、いわゆるリバーサルカラーで真っ黒から真っ白までの明るさはおよそ5段だといわれていた。いまデジタルがどうなっているのか、きっちり勉強していないから分からないが、多分大差ないだろう。具体的な例を挙げると次のようなことになる。
いま仮に絞り優先で撮影すると考えよう。スポット測光して1/400秒と出たとする。絞り優先だから絞りは不変である。グレー(真っ黒と真っ白の真ん中)が真っ黒になるには2段半(5段の1/2)シャッターを速くすればよい。いまの場合でいえば、1段で1/800秒、2段で1/1600秒、3段で1/3200秒だから、2段半でおよそ1/2500秒ぐらい。明るい方はどうか、1段オーバーで1/200秒、2段オーバーで1/100秒、3段で1/50秒だから、2段半はだいたい1/70秒ぐらいになる。もうお分かりだとは思うが、ほとんどのカメラで、露出補正の範囲がプラス(2〜3),マイナス(2〜3)なのはそういう意味である。それ以上補正しても黒くつぶれてしまうか、白く飛んでしまうかで、補正の意味がなくなってしまからである。だからスポット測光で得た値とは、この露出補正のための基準点をゲットするためのものといえも言える。基準がなければ補正のしようがないのだから。そしてその基準点は、あくまで真っ黒と真っ白の真ん中のグレーだということであって、けっして絵として適正な明るさではない。基準点から必要な補正をして初めて自分の欲しい明るさ(露出値)が算出される。・・・3へ。
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■3.秋の夕景
この写真だけ田圃が暗くなってしまいました。空が多くなったためでしょうか?
◆この場合は明らかに露出アンダーである。と同時に、上で書いてきたことを正直に物語っている。とりあえずスポット測光のポイントを画面の中央としよう。右のクルマの少し右上の点である。青空と白い雲が混ざり合わさっているあたり。目で見たらかなり明るかったはずである。しかしカメラはその点をグレー(真っ黒と真っ白の中間)に計算する。そのグレーが文字通りのグレーとして表現されている。カメラは指定されたその場所のい明るさがその画面全体の明るさだと考える。下にさらに暗い田圃の部分があるなんてことは夢にも考えていない。これがスポット測光の本質である。だから、撮影者は指定したその場所が、自分が考えている絵の中で、どれぐらいの明るさが必要なのかをカメラに対して指示てやらなければならない。いまの場合だったら、もっと白い部分があるから、中央部は最高の明るさから、若干暗めといったところだろう。最高の明るさ(飛ぶ瞬前)をプラス2.5だとした中央部の明るさはプラス2ぐらいか。
単体のスポット露出計を使う場合、右上の白い部分と田圃の暗い部分の明るさを計り、もしそれが5段の範囲内であれば、自分のイメージで真ん中の点を探し出し、それをカメラにセットする。初めて使った場合は値がいろいろと出てくるからうろうろする。5段を越えていたら、普通は暗い方を犠牲にして、白飛びがないようにする。慣れないあいだはオートの小型カメラを持っていって、それで露出を計って確認するというアホなこともやっていた。しかし慣れてくると要領が分かってくる。風景写真の場合は、カメラの前方約30〜50度上方の青空を計ればいい。たとえば「1.秋の雲」の場合だったら、右上か左上の青空が少し暗く見えるところ、そこらを基準点に選ぶと一発で決まる。スポット露出計なら簡単に測れるが、カメラのスポット測光では、青空ではピントが合わないから、実際問題としては無理だろう。
カメラ内蔵のスポット測光を使いこなすには、単体のスポット露出計で、露出体系を十分理解してからのことであろう。
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■HN
着信:2013.10.03
このごろ撮影のネタが少なくなった感じです。年齢のかげんか遠くに行くのが億劫になってきました。近所ばかりで探していま。今日の写真も散歩の範囲で見つけたものばかりです。 | |
■1.秋の空
◆HNさん、心配することはない。遠くへ行くばかりが写真じゃない。結局は「行って来ました写真」で終わる。それよりも地元にしっかり腰を据えて・・・、その方がよっぽといい写真が撮れる。
題は「秋の空」、なるほど飛行機雲が何本か流れて、飛行船のような白い雲が浮かぶ。絵の内容と題とはきっちり整合性を持っている。しかし、それで写真としての形が整ったかというと、そうは簡単にいかないのだから写真というのは面倒くさい。
空の部分はこれで問題ない。あとは残りの地上の部分。空を生かすためにはこれは単純な方がいい。たとえば隅の方に神社の森を入れるとか、とにかくいまの場合、地上に何があるのかなどと詮索させる必要はさらさらない。問題は空なのだから。じゃ、空だけ写せば写真になるか、そういうわけでもない。地上から空へ伸びる何かが欲しい。
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■2.秋の夕方
◆そうそうこういう要領。この植物はよく見るのだが名前が分からない。いま1本だけがぬっと出ているから奇異に感じるが、たとえばこれを2、3本、うまくまとめて空へ出す。中空に満月が浮いている。白壁に夕日が当たってオレンジ色に。レンズを長くすると月が大きくなる。そのためには後へ下がれる広さが必要になるが、町中ではないのだからこれは自由がきく。考えようによってはいろんな絵が出来るはず。
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■3.朝の田園
◆太陽の光で反射しているハウスがポイントらしいが、これはちょっと弱い。空へぐっと突き出る何かが欲しい。この場合だったら、トラクターに近寄って、ボディーを空へ出す。ガラスがあるからべらぼうなシルエットにはならないはず。窓に露でもついていたら場合によってはキラキラとポイントになる。同じ材料でもアイディア次第で何とでもなる。
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■1.苔の生す径
森の園地の小径に木のベンチにキノコが付いて、秋の風情。
◆木製のベンチにキノコがついて、ええなー、秋やなー。つぎのわいわい村はこれに決めた。ご満悦のJIJIさん。私などは現場を知らないから、写真の画面だけが頼り。私の目には、鉄板の上にキノコが乗っている。どうせバーベキューの食い残しだろう。なるほどなー、でも信州では鉄板を地面に敷いてバーベキューやるのか。炭は穴を掘って入れるのかな、なるほそういえば煙突もついている。でもその方が安全か。
ゴメンねJIJIさん。80歳近くなって、ますます意地悪になった。ホンマにそう見えるんだから。何故JIJIさんにはそう見えないか。現場で2つの目で見ているから。現場ではベンチと影は明らかに上下に分かれて立体的に見えたはず。でもカメラは単眼、どうがんばってみても立体的には見えない欠点を持っている。私はカメラを始めて間がないころ、片目を閉じて風景を見るようにしていた時期がある。両目だと風景は立体的に見える。写す風景は2次元の世界だから、3次元で見ていては駄目と考えたから。どれぐらい続けたか、いつの間にか止めてしまったが、いまでも無駄ではなかったと考えている。
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■2.初秋に散る栗坊主
苔小径に歩を進めると、栗坊主の昼寝。誰が食したか、もう、実はなかった。
◆お、クリや。思わずシャッターというところ。結果、ミドリの日の丸。左の落ち葉が生きているから、右と下をしかるべくカット。それで回復する。
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■3.早暁の郷景色
寝惚け眼に、旭日前の郷景色。凛とした冷気に朝霧が流れていく。
◆これも現場はよかったんだろう。朝霧が気持ちを奮い立たせたとみえて、結構長いレンズで引っ張ったように見える。結果赤みがかった空がべたっと単調になった。これはワイドでもっと広く撮った方がよかっただろう。広く撮れば赤から紫まで空の色の変化もキャッチできただろうし。なんといったって信州の空はワイドだ。
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■S.T
着信:2013.10.05
過日の台風18号の被害甚大の桂川、TV報道で濁流をかぶる渡月橋をみて欄干は脆いのでやめてと祈りました。四日市で体験した伊勢湾台風の高潮(約1.5?b)では公害の町でヘドロと廃油の除去作業と現場復旧に労務、資材の不足に苦労した事思いだしました。不心得者は復旧状況と観光客の出足はと(盛況)半月後を見に行きました報告写真です。 | |
■1.傷跡:嵐山 渡月橋 (中之島側)
増水し欄干に漂流物当たれば即、破損でしょうが免れました。橋脚の水きり横架、橋台の化粧袴板の破損でよく頑張りました。
◆建設業界出身のS.Tさんとしては、これは見過ごすわけには行かないと言うところだろう。でもこれは被害状況の視察というよりは、渡月橋は流れていませんよという全体の姿の確認に終わっている。なるほど化粧袴板の損傷は見てとれる。しかし弱い。渡月橋全体の姿があって、その後で、「でもひどいキズですな」、ということになる。そうじゃなくて、見るやいなや「ワーひどいキズですな」、そのあとこれは渡月橋ですなといわさなければならない。
そのためにはとにかく肉迫(可能かどうかは別にして)、ワイドで損傷部をアップにする。余った隙間で渡月橋であることが分かる描写をする。
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■2.濁流水位:嵐山 中之島
渡月亭別館の腰に残る漂流物、各所の旅館はまだ休業中です。
◆これも1に同じ。これだったら観光旅館の記念撮影。そういえばこの辺り水がひどかったらしいで終わってしまう。漂流物をとにかくアップ。柱に残る水のあとをアップ。望遠ではそれだけしか映らないから、ワイドでアップ。旅館の姿はその隙間に。こういう写真は遠吠えでは何の役にも立たない。とにかく肉迫。それならお前やってみろといわれそうだが、ボクにはとてもとてもそんな勇気はない。
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■3.変わり無:嵐山 渡月橋 (三条通り側)
川下側からは濁流跡見られず さすが観光地 橋や河原の漂流物の除去完璧。歩道の敷き砂利も入れ替えたのか白色でした。土産物店は繁盛、水は道路では川下側からは濁流跡見られず、膝や腰までになったそうです。
◆よかった。でもこの3枚を通してどこにも人物が見当たらないのが不気味。土産物屋繁盛なら、人がおりそうなものなのに。
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■SS
着信:2013.10.06
■撮影場所:守山市 地球市民の森 | |
■1.光芒
大きな黒い雲の塊と山の端の間の太陽。落日の輝きを撮りました。
◆なるほどカメラを向けたくなる風景だ。もうちょっと高い場所、たとえばかつての十二坊山頂などからだと下に琵琶湖が広がって、アクセントになるのだが、ここでは無理だ。速野小学校のトンガリ屋根がもうちょっと近いといいのだが、これも無理だとすると、あとは木を雲に重ねて大きく撮ることか。右に木の端が見えるが、これをせめて幹まで入れたらよかったのではないか。広い雲にこだわったのかも知れないが、木を入れることで逆に雲の広さが出る場合もある。そういう構図も撮っているのではないだろうか。
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■2.夕焼け空A
気になる木のアップです。
◆前回も気になったが、下が窮屈。木が宙に浮いているように感じる。多分反対側(右岸・三上山側)の堤防上から撮っているのだと思うが、下を入れることは無理だろうか。堤防の上端が入ってきて、草などがゴチャゴチャするのかも知れないが、シルエットなら何とか形がつくのではないか。それともバックの町並みを避けたのか。せっかくの重量感のある木だから、下がないとアンバランス感が強い。
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■3.夕焼け空B
ワイドで撮りました。
◆せっかくのワイドなのに、バックに雲が重なった。木のシルエットは明るい空に置きたかった。それと木を上げて、背後の比叡山からの稜線を下げたかった。左の木の根本あたりで堤防に隠れるぐらい。無理ななー、カメラを下げるのは。下の遊歩道へ降りたのでは見上げる形になるしネー。でも雲の様子によってはそれも絵になると思うが。これから葉が落ちるとねらい目になる。
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■1.朝雲の輝き
かざみ公園から、飛行機雲に折り重ね流れる雲の輝きです。
◆朝日が昇ったところ。確かに現場にいたらシャッターを切りたくなる風景だろう。しかし太陽も湖も、さして強調されているわけでもない。空一面に広がるまばらな雲と、その上に伸びる飛行機雲の重なりがおもしろかったということだろう。たしかに最初見たときにその重なりには目が行く。しかしそれだけのことかな。「確かに重なっていますね、それがどうかしましたか・・・?」というところか。
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■2.朝光の釣人
休日には多くの釣り船釣り人が見受けられ、朝日を受けた釣り人の様子です。
◆MEGWさんのコメントでは、釣り人にこだわっているらしいが、それは二の次、やはりこの場合は朝陽の反映と、その中に入った釣り船だろう。いまの場合、太陽そのものは画面からはずし、その反映だけをアップしたのが成功した。そのほかの釣り人と船は、たまたまそのときそこにいたというだけで、タイトルに「釣り人」を云々するにも足りないことだと思う。
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■3.陽光の影に
大正寺川湖畔から琵琶湖グランドホテルに朝陽が反射している様子、水面の光の旋律を強調してみました。
◆こういう場面に出くわせば、一応はカメラは向けるだろうけど、まあ旅の思い出の1枚というところだろう。「朝陽を受けたホテルが湖面に映っていました」という状況説明だけに終わっている。状況が分からない第三者に見せた場合、あっと驚く何らかの仕掛けが必要だろう。どうしたらいいのかと問われてもボク自身何の解答も持ち得ないけれど。
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■1.耐える松:(三保の松原)
9月30日、三保の松原に行った時、陽射しが強い日中、長年にわたり色々な事に耐えて来た松に目が止まりました。
◆松の枝が風雪に耐えて、複雑に入り込んでいる。それは分かる。しかしそこだけをアップして上からの光の中で見ると訳が分からなくなる。それが目的なのだろうが、やはり周囲の状況、とく富士山との関係など、そういう背後の状況などが見えて意味が出てくると思う。それが無理ならせめてこの松の周辺の環境など、説明的なものが欲しかった。
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■2.波の樂(ガク):(清水港)
清水港で海を眺めていた時、穏やかな波の囁きに目がいき、一時の間を過ごしました。
◆波の模様の面白さというところらしい。水色の輪がいろいろな形に変化して、波間にゆれている。そこまでは想像できるが、写真としてはそこまでで、画面が単調すぎたか。1つ1つの形の変化、それは分かるが、画面全体としてはそれが並んでいるだけに終わってしまった。たとえば面としてみた場合、部分的に明るさが変化するとか、もう一つ何かの変化が欲しかった。それが組み合わさって面白さが出てくるのだろう。
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■3.泡のパフォーマンス:(清水港)
泡の演技に見とれていました。
◆波が何かにぶつかって飛び散るところだろうか。状況は分からないが、そういう部分のアップらしい。水しぶきが飛び散っているのだろうが、いちばん手前の波にどうやらピントが来ているらしい。絶えず動いているものだから、ピントがあった時点で波の状況はすでに変化している。飛び散る波はアウトフォーカスになっているようだ。何かピシット来ない不満感が残る。
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