デジカメわいわい村
とれとれ作品集 NO.131
2013年07月・後半

 
 

BEST

SS マミー マミー MO HN


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■HN

着信:2013.07.17
花緑公園の小さな蓮池

 蝶トンボは曇り空の日は涼しいですが美しい色が出にくいので晴れている日に行きたい。でもこの頃暑すぎるのでなかなか出にくいです。今日は思い切って出かけてきました。9時過ぎから11時ごろまで暑さを我慢しての撮影でした。写真は3人ほどで撮って居ましたが最後は自分だけになりました。300枚ぐらい撮れていました。その中から変わった写真を選択して見ました。

 

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■1.蓮花の前に止まった蝶トンボ
◆300枚。この暑さの中、気が遠くなるなー。「熱中症」にならないように気をつけてくださいねと月並みな言葉。わたしはこのけったいな言葉がどうも気になる。熱中というのは、たとえば野球に熱中するとか、将棋に熱中するとか、何かを一生懸命やることを意味する言葉だった。だからHNさんは鳥やチョウへの熱中症。人間、熱中症にならずして何が成るか。HNさんを見習って熱中症になろう。
 いただいたメールの題名をこのページへコピーする。何だか長い題やぞ。「ハスの前に止まった・・・」、くどい題やと思って写真をよーく見ると、なるるほどそういう意味か。黒いチョウトンボを白いバックの前に置いた。置いたというと簡単なようだが、実際はトンボがそこに止まるのを待っているわけで、簡単な話ではない。
 300枚の数字にものが言えなくなるが、写真としては、左前の羽の先の方がハスの実に重なったのがしんどかった。止まったところが細い枝か何かだったら、この心配はなかっただろう。


 

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■2.バラに止まった蝶トンボ
◆トンボがバラ園まで出張したのだろう。HNさんもそれを追って・・・。池の様子とはまたひと味違った写真になった。ところが、止まったところが、まん悪くすぐ後に別のつぼみか枝かがあったらしい。それ以外の面は大きな円いぼけが並んでおり、バックには最適だったが、トンボの部分だけが後の何かと重なった。結果トンボがごちゃごちゃとした中に混ざり込んでしまった。意地の悪いもんだ。今度出張するときは、独立した枝にとまるように命令したくなる。

 

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■3.小池に咲く蓮の花
◆ほう、もうこんなきれいに咲いてますか。花緑公園の池のハスは花が小ぶりで可愛い。主役の花の上の長方形のぼけが、もうちょっと場所をわきまえていてくれたら・・・。余りにも真上過ぎた。あと少し右だったら解決したのに。とはいえ、この暑い中での熱中症には頭が下がります。




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■JIJITKS

着信:2013.07.19

今朝、(何時ものロケーションで)久しぶりの清々しい空気の中で日の出を見ていました。

 

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■1.陽ひそめる時
 陽は今、出ようかの姿勢を示しながらゆったりと構え、あたかも息を留め、身を潜めていたように、湖面を照らし始めました。
◆湯たんぽおじさんの早起き写真。この時期の日の出の早さは半端じゃない。ましてや「あめつちはじめてひらけしとき」から解き起こそうというのだから大変だ。というので、今回は古事記調というとこらしい。
 何となく分かるような気はするが、写真としては水平線が上へ行き、手前の砂洲との間の広い水面が何とも間延びがしている。砂洲を入れようとするとこうなるのは必然だが、レンズをぐっとワイドにして、空を引き入れることは出来なかっただろうか。今のまま(陽ひそめる時)ではこの広い湖面がドナイしようもない。



 

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■2.陽染める時
 雲に映した陽灯りが湖面を染めていきます。船も、藻も、漣も、同じように。
◆混沌ですな。雲に当たった光が湖面に反映。「光は闇を通してますます光る」というところ。訳のわからん文だけど、10年ほど前の仏教カレンダーにこういう意味の言葉が載っていた。これは写真の世界の文章やなと記憶に残っていた。混沌の闇の中に光が・・・。しかし光があればそれはもはや闇ではないわけで。
 JIJIさんのこの画面は、まあゆうて見れば抽象の世界。それはいい、しかし、その抽象の世界に1つだけどかーんとヨットが出てきた。とくに強い1本のマストに、寝ぼけ眼で見ていた人がこれは何やと目を覚ます。そういう意味で、いまの場合、ヨットが主役になると話がおかしくなる。ヨットは半分ぐらいで押さえたかった。空の反射をつかもうとすると結構位置が厳しい。それとヨットとの位置調整が解決しなかったのか。

 

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■3.陽いずる時
 切れ間から斜光を放ちながら、雲上に乗り出す姿の力強さを見せました。
◆混沌から開放されてやっと一条の光がというところ。刻々の変化が緊張を感じさす場面だが、その一瞬を切り取ってしまうと、前後の変化がすべて無に吸収されてしまい、その瞬間だけが残る。これが写真の残酷さ。何か特別な手法を使って、その一瞬の余韻を残すか、それともその余韻もすべて捨て去って、その瞬間の絵に風景を凝縮させるか。
 訳のワカランことを書いたが、結論は太陽の位置。ひとことでいえば、この画面の太陽は高いと思う。単純に太陽を下げようとすれば、カメラを上に振ればいい。水平線が下がり太陽も下がる。当然空が広くなり、その広さに耐える空でなければならない。
 太陽の高さによって、水面での光の明るさが変わる。と同時にカメラの高さによっても反射光の明るさが変わる。カメラ位置は前後左右上下。


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■SS

着信:2013.07.22
■撮影場所: 大篠原(1)と希望ヶ丘文化公園(2・3)

 

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■1.蓮、朝日を受けて
 朝日を右横から受けて、これから開こうとする一番きれいな形(と私は思います)の花を撮りました。
◆蓮が開花するところらしい。かなり開いているように見えるが、まだこれからさらに開くのだろうか。花を暗いバックに置いて、横からの光が気持ちいい。露出もぴしゃりと決まった。茎の右側のエッジもきっちりきいている。
 左上の小さなぼけ、その中でとくに白く明るいところ、それと花の真下、楽譜のト音記号のような白飛びが目立つ。左上の方はちょっと修正すればすむが、ト音記号の方は場所が場所だし、形が形だから苦しい。何でこんな光が当たったのかな。


 

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■2.朝焼け
 朝焼けの写真を撮りたいとずっと思っていましたがなかなかチャンスがありませんでした。今日は撮れそうな気がして出かけました。上手く雲が焼けましたが、太陽の昇る位置が良くありませんでした。3の写真で雲が燃えるような写真が欲しかった。冬でないとダメなようです。
◆SSさんのコメントを読んで、忘れていた昔のことを思い出した。三上山の写真を撮りだして1年ほどして、バイクを買った。これで湖西へ通えるようになった。早速日の出を撮ろうといまの米プラザのところへ行った。太陽は全く関係のない沖島の方から昇った。
 太陽は自分では動かせないから、季節を待つしかない。自分が撮りたい位置を決めて、そこへ太陽が来るのがいつになるか、多少の誤差はあるにしても、およその日を見極めて、その日より少しは早めに下見に行く。これならあと何日ぐらいと予測して詰めていく。朝焼けのような場合は範囲は広いから、およその見当で何とかなると思うけど。やっぱり1ヶ月刻みぐらいで押さえていくことだろう。
 そういうことは別にして、この写真でも左の森を辛抱すれば見事な朝焼けだ。青空の中でこんなに雲だけがオレンジ色に開けること自体が珍しい。貴重な写真だと思う。

 

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■3.空、日の出前
 2の写真とほぼ同時刻なのにこんな空の感じでした。残念です。
◆まあ、こんな雲が出ていたら、太陽の方向さえ合えば雲が焼けるということ。夕方出ていても明日の朝はどうなるか、これが分からないからつらいな。でも最近は天気予報が詳しくなったから、それを聞いて丹念に予測していくしかない。


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■S.T

着信:2013.07.23

NHK「こころ旅」三重県版で投稿者の思い出の風景のいち日は、学業と食糧難で悩んだ末にいきついたところが親戚のある一志郡香良洲町でした。「白砂青松」の海岸では辛苦の思い出があります、云々とありましたので訪ねてみました。
 現在は津市香良洲町で当時の白砂青松の海岸は護岸で寸断され、面影もなく何故か放送時間も短かかったです。考えるにはNHKも当たり障りないように飛ばしたように感じます。何故なら敷地は町の1/3の3.9平方Kmを昭和17年8月発足の軍事施設・三重海軍航空隊の跡地で知覧のミニミニ版の若桜会館が有るので端折ったのだと思います。
 解説によると終戦までに38000名最大時は15000名以上の予科練が航空機搭乗員としての基礎訓練を受けたそうです。
                               以上報告終。

 

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■1.白砂青松の現在
 S.Tさんの熱のこもった取材には頭が下がる。これは三重海軍航空隊の跡地のレポートである。わたしももう3,4年早く生まれていたらその年代に入る。そういう点で強く感じるものはある。しかし、そういうことは別にして、この欄の担当者としては若干戸惑いを感じる。
 このわいわい村での対象範囲は、広い意味での風景写真としていいる。 津田さんの今回の写真は一種のレポート写真(たとえば新聞写真など)と考える。 広い意味での風景写真ともとれないことはないかも知れないが、写真の解釈がわいわい村でやっている技術的に云々とは少し食い違いを感じる。
 レポートというのは自分が感じたことを第三者にいかに強く訴えるかということである。だから、その現場を知らないわたしが写真の1枚1枚の技術的なことについて云々することは余り意味がないと思う。そんなことをいえば、旅行写真も同じではないかということになる。今回の写真でいえば、チョウトンボも、琵琶湖の朝も、希望が丘の木も、すべてレポートではないか。確かにそういうことは言える。どこまでがレポートで、どこまでが作品か。線など引けるはずはないが、たとえば上の写真などは、海岸の松の木に多少なりとも太陽が当たっていたらと思う。しかし、この写真としては撮影者の意図がそんなところにあるわけはないので、それを言っても見当違いになろう。そのような考えから、以下2葉の写真についても、レポートとして拝見させていただくにとどめたい。



 

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■2.三重海軍航空隊営門(ミニ知覧)














 

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■3.連合艦隊凱旋記念
 



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■マミー

着信:2013.07.27
甲賀町の方で、野生の猿に出合いました。

 

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■1.こんにちわ
◆おっとっとっ。サルが柵の上を反省しながら歩いている。こうなると、野生といっていいのか、文化的といったらいいのか。まあ、そこらの人間と同じレベル。
 フェンスに対してほとんど直角方向から撮っているので、レンズの長さが読めないが、状況から考えて、広角や標準ではなさそう。まあちょっと長目というところだろう。カメラを構えていても、逃げるそぶりもないのだからおそらくそのあたりの集落の一員のぐらいのつもりでいるのだろう。右へ回って柵の方向から狙ったら、分かりやすい絵になっただろう。もっともその間サルが逃げないとしての話だけど。


 

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■2.ウルトラC
◆おっ、首がない。と思ってよく見ると後ろ足でぶら下がっているところらしい。こんなところにおらんと、木下サーカスあたりへ志願すればいいのに。でもこのワイヤーは何かな。電線ではなさそうだし、人間が張ったものには違いないが、サルの遊び場やね。これもワイヤーの方向から撮ると、バックが見えて、ヘーこんなところでサルが遊んでいるのかという見方が出来る。2枚ともバックが藪でそこのところが読めないのがつらかった。


 

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■3.仲良し
◆マミちゃん一連の演出もの。同じ池らしい。他の連作とは違って、カメラの位置がちょっと変わった。池に大きな木の影が写っている。これがポイント。左の2本と右の2本。これを全部見せたら、ちょっとくどかったし、子供たちが食われてしまう。右側を岸ギリギリのところで押さえたのが成功した。光の具合もいい。秋にもう1回撮りたいね。そのときはしっかりデータサイズを確認して。


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■TNK

着信:2013.07.30
6月に出かけた時の作品です。

 

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■1.白樺林
 乱立した中、木の奥行きを感じられたらいいかなと思い切りとってみました。
◆6月に出かけたというだけで、場所は分からないが、見事な白樺林。こんな風景を見るとぼくは、八ヶ岳東麓の八千穂高原を思い出すが、ほかにも探せばあるのだろう。
 こういう場合、林の中を行く小径が写っていると奥行きが出てくるが、今の場合は一面の草のようだ。ここで道をもってこいというのは無い物ねだり。曇り空だったらしい。おそらく林の外から狙っているのだろうから、幹に当たる光はカメラの後からの正直な光になる。だから右の太い幹など、直径全体が同じ明るさに見える。太陽光線がないのだからそれも仕方がない。あとは全体を明るく仕上げることだろう。


 

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■2.光る床
 剣道の練習道場窓からの光で磨きこまれた床の輝きに身の引き締まるように思いました。
◆谷崎潤一郎>の『陰翳礼讃』に出てくるような。陰翳礼讃の発表が昭和8年だとか。ボクが生まれるちょっと前。そのころの明るさの感覚は現代とは違っていただろう。
 左の写真の場合、露出補正をしたかどうか分からないが、全体を暗く仕上げた。トータルでは成功だろう。上の方の畳のヘリのような線の正体が分かりにくいが、これがなかったら、もっと自由な明るさ調整が出来たはずだが、いろんな意味で(構図の上からも、明るさ調整の上からも)邪魔をしているようだ。といって、なかったら単純になりすぎるとの考えも出てくる。難しい写真だけど、、なかなか味のある作品に仕上がった。


 

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■3.雨がほしい
 晴天続きでこの花にはかわいそう、気のせいかやせ細って見えました。でも時が来れば咲かないといけないと観光客を迎えてくれていました。
◆ユキノシタ・・・だったかな。可憐な花だ。何人かの人がときどき撮ってくる。もともとは湿気の多いところで咲く花だから、「雨がほしい」は、その通りだろうけど、今の場合、この暗いじめじめした岩と
花とのコントラストで、絵を作って「湿地に咲く」ぐらいでよかったのではないか。
 それとは別の問題として、もし今のままの絵で行くとしたら、右上の小さな正方形が目立つ。その部分の木と空をちらっと見せることで、空気が変わる。しかし今の場合は白が強すぎた。空を隠して遠くの木をもってくるなどして、せめてグレーまでで止めたかった。



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■MRT

着信:2013.07,31

 7月26日、朝早くから伊吹山に行った時の写真です。霧が濃くて日の出が見られませんでした。

 

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■1.守り綱
◆境界を示す綱だろうが、この場合は主役は霧だろう。綱は霧を表現するための材料になる。だから、題は「霧の中」とかの方がよくはないか。
 霧をオート露出で撮ると、このようにネズミ色に写ってしまう。ネズミ色というと、この写真はブルーがかっていると考えるかも知れないが、そういうことではない。ここでいうネズミ色とは、白から黒までの明るさの階調としてのネズミ色。黒と白のちょうど中間の明るさという意味。霧にも色々あるが、肉眼で見ればもうちょっと明るい。出来れば現場でのプラス補正がベストだが、事後調整で明るく調整しておきたい。色調はともかくとして、山道での霧を表現したものとしてはいい写真だ。霧に消えゆく人物が入るともっとよくなる。


 

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■2.日の出を待つ
◆こんなに霧が濃くて、日の出が見えるはずはネエだろうが、とわれわれは思う。でもそれを目的で登ったおっちゃんたちはあきらめない。うん、分かる分かる、ちらっとでも見えないか・・・、アホかといわれそうなことをやるんだ、山の上では・・・。自分たちがモデルにされていることも知らずに。
 そういう意味で、ちょっと間が抜けた頑固親爺の生態記録としては面白い写真だ。


 

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■3.シシウド
◆これはちょっと色が出てきた。霧が晴れたのか、霧のないところへ移動したのか。シシウドも早い時期にはこんな状態があったらしい。貴重な生態写真だ。何か大きさが分かるものを画面に入れてもらうと、見る立場からすると助かるが。しかし、思うようなものはないだろうし、妙なものは入れたくないという気持ちも働くし。さてどうしたものか。


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■MO

着信:2013.07.31
今回も、水の流れに魅力を感じて撮ってみました。

 

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■1.雪解けの流れA
◆谷川の激しい流れ。ややアンダー気味の露出で、真横から狙った。カメラがきっちり水平に保持されていたとして川の勾配が手にとるように分かる。木が立っているところは、中洲かそれとも岸だったのが増水で水をかぶったのか。水の色から急な増水でもなさそうだし。露出がアンダーなため、そのこのところがきっちり読みとれない。もっともそれが読みとれなければならないというほどのことでもないが。
 このような流れを真横から撮ることについて、写真としての情報量が限定されることが分かる。ちょうど電車を真横から撮るのと同じ。正面も見えないし、電車の長さも分からない。よほどの必然性が無ければ、写真の狙いとしては避けた方がいいだろう。


 

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■2.雪解けの流れB
◆川下から川上を向いている。1に比べて情報量は多くなり、両岸の状況や岩をかむ流れの表情が手にとるように分かる。
 手前の草がもう少し大きくてもよかったか。ただ、そのためにはカメラを下げることになる。それをやると渓流の勾配感が低下する。難しいところだ。ワイドにして草に接近する手もあるが、おそらく足場は自由がきかないだろうから難しいか。
 こういう流れはスローシャッターで、水を流すのが定番になっているが、これはそこそこ速いシャッターでわずかな流れで止めた。流れの雰囲気がうまく出た。
 いい場所に恵まれたことにもよるが、いい写真になった。

 

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■3.迫る三階滝
◆どれとどれで三階滝とするのかよく分からないが、それはまあどうでもいいことだろう。流れの中のいわば広場とも言えそうな場所である。その広場であえて段差を表現しようとしたのだろうか。カメラを低く構えたようにも受けとれる。流れのイメージと表現しようとする内容に若干ずれがあったように感じられるが。
 この3枚、ボクが選ぶとすれば、2,3,1の順。





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