デジカメわいわい村
とれとれ作品集 NO.125
2013年04月・後半

 
 

BEST

SS HND MRT  S.T MRT 


HN森川S.TMEGWMOHNDJIJITKSMRT館長SS

一覧表/目次へ
■HN

着信::2013.04.16
場所:八幡掘り

  今年も八幡掘りの風景を撮りに行ってきました。4月5日でした。午前中に行った時には車の置き場がなくて午後で直しました。何時もの景色です。なんとか変わった写真を撮りたいと探して回りましたがこの様な写真でした。

 

写真拡大

■釣りする子
◆こんな小さい子供が危ないところで魚釣り。多分画面の外に親か兄弟がいるのだろうが、ちょっとコワイ風景だ。釣り場に写っている影は橋の上からの影で、この子の影は左手の影がわずかに見えるだけで、他は完全に身体の陰に隠れてしまっている。
これで左手を広げていなかったら、影のない子供ができあがるところだった。ということはカメラから見て、子供と正反対の位置に太陽があったということ。しかし、そんな七面倒くさいことより、子供を自由に遊ばす親の勇気をたたえたい。この子は将来力強い人間になるぞ。

 
写真拡大

■2.水郷の花見
◆船が遠のいたので、カメラを上へ向けた。当たり前の風景になった。子供の竿が見えているのが、せめてもの慰めだが、上との関連がなかったら、これも余り意味をなさない。思い切って周囲をカットした方が、強い写真になっただろう。もしレンズがもっと伸ばせるならば、船が桜とマッチングするところまで待って、そこで絵をまとめる手もあった。

 

写真拡大

■3.一寸あれなんや
◆そうか、よく見ると舳先に座っているのは2人か。最初それがわからなかったので、身体に較べて足が小さい人やなと思った。よく見ると手前に子供がいた。手をかざしているのは、太陽がまぶしいためかと思ったけど、「あれ何や?」だったのか。ことごとく読み間違い。ゴメンネ、HNさん、お二人さん。
 ことほど左様に、写真というものは、撮った人と、見る人とでは、見方が全く異なる場合がほとんど。それが写真の難しいところ。床の畳と室内の男性のシャツが飛んでしまったのがつらかった。要するに天気がよすぎたということ。


一覧表/目次へ
■森川邦昭

着信:2013.04.17
■撮影場所: 野洲市内

■後半も桜を題材にした作品です。そのうちの1点は4月前半の作品の撮り直しで、桜と椿の赤の組み合わせです。

 

写真拡大

■1.春の彩A
 椿の赤と桜のピンクの組み合わせに挑戦しています。前半の作品において絵に占める椿の割合が大き過ぎました。今回は前回とは違う公園ですが、もう一度撮ってきました。
◆まさか撮り直しに行くとは思わなかった。これはうっかりしたことを書けないぞ。前回は何を書いたのか。とりあえず前回の作品を見直した。桜に対してツバキが大きすぎる。森川さん自身もそう書いているし私もそう思った。そういう経緯のあとの今回の写真である。さすが撮り直しただけのことはある。バランスはよくなった。
 と思ってよく見ると、・・?。ツバキにピントが来てサクラはぼけている。前回はうっかり見逃していたが、森川さんの意図はツバキが主でサクラが従だったのか。だとしたら話が変わってくる。前回のは大きく全体を撮っているから、ピントの差は余り気にならなかった。ところが今回のは対象物に近くなって、それがはっきりしてきた。これは看過できない。ツバキが主となると、もう一度考え直す必要がある。この実験は来年回しか。

 

写真拡大

■2.春の彩B
 今年初めて訪ねた撮影ポイントです。細い堤でまた遠望が効く場所なのでまずはそれを生かした構図にしました。
◆童子川の堤防から北向きにカメラを向けたところか。以前はヨシが密集していたが、浚渫されて流れが見えるようになった。橋の上かららしいが、結果的に風景に近景がなく中景と遠景だけになってしまった。何となく記録したというだけで、「よー咲いてますなー」と、手をかざしてみている感じ。もう一つ迫ってくるものがない。しかし、もし私が考えている場所だとしたら、近景になるようなものはないんだなー。来年撮るとしたら、何らかの演出が必要。

 

写真拡大

■3.春の彩C
 この撮影ポイントも初めてです。樹齢を重ねているのか殆どの木が堂々としていました。
◆なるほど堂々とした木だ。しかし木に力がないのか、花の時期に早かったのか、花が淋しいのが残念。それとバックの緑。麦畑だろうか。サクラのバックとして適当だったかどうか。ボクはサクラのバックのイメージとしては淡いブルーが適しているような気がするが。


一覧表/目次へ
■S.T

着信:2013.04.17
撮影場所:城南

 京阪電車八幡市駅前の淀川になる手前の三川(木津、宇治、桂)の背割堤櫻に行く予定の6〜7日が春の嵐になり、晴れた8日朝に行きましたが、落花したのと駐車場が堤下の近くにありながら有料指定場所が遠く¥1,000では割に合わず、名神京都南IC傍の城南宮の庭を巡り帰四しました。

 

写真拡大

■1.落花盛ん:(室内からでは風を感じず)
 茶室から見た枝垂れ桜花。
◆茶室から窓越しに散る桜を狙った。散る花びらが印象に止まったのだろう。ところが運悪く茶室の中だった。しかし、S.Tさんはこれを絶好のチャンスと感じたのではないか。そこのところが写真の難しいところで、そう感じた時点で、この写真はアウトだった、というよりこの題はアウトだった。
 茶室にいることを表現しようとすると、当然レンズはワイドになる。人間の目には散る花びらは目立って見えるが、ワイドレンズでは小さくしか写らない。それが止まってしまうから、散っている様子はどこにも感じられない。どだいワイドレンズでは落下の花びらは無理。望遠なら何とかなるが、それでは障子は写らない。自分としては「落下盛ん」を意識したとしても、出来た写真を見て別の題にすべきだった。写真そのものは情緒的ないい写真だと思う。但し、右上のシラサギのような白飛びを除いては。


 

写真拡大

■2.陽射の模様
 竪板格子張りの変哲ない柵の影。
◆どこかの柵の影らしい。前々回だったか森川さんの作品を思い出す。どちらも柵が作る影をテーマにしている。ところが何となく感ずるところが違う。それは何か。1つにはレンズの違い。森川さんは望遠で影そのものをアップした。こちらはワイド(とまではいかないかも知れないが、少なくとも望遠ではない)。じゃ、ここで望遠に換えたら面白い写真になるか。さあ、何ともいえないところだろう。となればレンズ以外に何か違いがあるのか。比較されていい気はしないかも知れないが、勉強だと思って辛抱してほしい。
 森川作品ではワラを束ねたような得体の知れない柵から、どうしてこんな影が出来たのかという不思議さがある。こちらS.T作品は、タイトルは「影」だとしながらも、柵本体もきっちり見せている。写真としては、どちらが主かはっきりしない。影も見えて当たり前。早い話が、種明かしをされた手品を見ているよう。もうちょっと何かの手が必要だった。


 

写真拡大

■3.若葉
 羽化途中の様なモミジ 
◆モミジの新芽らしいが、こんな状態で出てくるのか。こちらの方はきっちり撮れている。気になるのはバックの黒い影。特に点々と見える遠景の並び。それと並行した黒い線。ちょっと強すぎた。これは写ってしまってはどうにもならない。ファインダーの時点で対処したいところだが、実際にはそこにあるわけだし、そう簡単にはいかないだろう。



一覧表/目次へ
■MEGW

着信:2013.04.19
桜便り第2弾です。

 

写真拡大

■1.春讃歌A
 西教寺を訪ねて、「法華千部会」の法要初日に当たり人出多い中、境内を散策、やや高台から切り取ってみました。
◆「やや高台から」とはどういう意味だろうか。高台というのは下が見えて「高台」であって、これからはそれが見えてこない。結局この絵は、春の好日、建物の陰にサクラを入れたのがポイントで、それにプラスして、青天に映えるのがおまけ・・・ということになる。
煎じ詰めれば、門の屋根と重なっている花をどうするかということだろう。今の場合はこれでよかったのかな。それを無理に避けようとすると、屋根が必要以上に強くなったかも知れない。


 

写真拡大

■2.春讃歌B
 仰木の里東公園から、この時期桜を訪ねて散策、歩道橋の上から太陽光が雲間からスポットライトの様に桜を照らすタイミングを狙いました。
◆スポットライトに照らされているのは、川の向こうの明るいところという意味だろうか。手前の1本にも当たっているようでもあるがはっきりしない。絵全体で見ると陰になっている面積が多く、何となく損をしているような。手前が明るく奥が暗い方が、絵としては映えたのではないか。


 

写真拡大

■3.灯台守は
 この時期の出島灯台は、桜と三上山の三点セットが楽しめると思い行きましたが、早朝の三上山は霞んで絵になり得ず次回の宿題になりました。今回は、朝日に輝く灯台と桜です。
◆これは難しい絵になった。一言でいえば、桜と灯台がケンカしている。まさにMEGWさんのコメントの通り「朝日に輝く灯台と桜」。とにかくこの灯台は強い。画面の隅にあっても目立つ。それとサクラのでかいのがどーんと立っている。どちらも負けない。
 この場合だったら、灯台をメインにして、サクラはそのそばで3分の1ぐらいが顔を出す程度でちょうどいいのだろう。どうしてもサクラをというのなら、花で灯台を半分ぐらい隠してやらないと、花は負ける。とにかくこのケンカに勝負をつけてやらないと収まらない。


一覧表/目次へ
■MO

着信:2013.04.24

 

写真拡大

■1.去り行く春:(斎神社)
 桜の頃も終盤。風の強い日でしたが出かけました。パラパラとしか花がついていなくて、枝が丸見え。その枝がいかにも流れているかのように感じられました。
◆斎神社というと菩提寺の県道27号沿いにある神社で、確か背の高い何とかサクラで有名。その先端部を長いレンズで狙ったのか。「枝がいかにも流れているかのよう」という表現の意味が分かりにくいが、何がどう流れているようだったのか。・・・ゆれているのだろうか・・・。何かを感じてカメラを向けたのだろうが、それが分かりにくい。この画面だけなら、青空をバックに先端部をアップしたとしか読みとれない。むずかしいなー。


 

写真拡大

■2.光を受けて:(三井寺)
 今年は、綺麗な桜になかなか出会うことができなくて、訪れた時はすでに新緑の季節に突入という感を受けました。光を受けた緑がとても印象的でした。
◆カメラはほぼ太陽に向いている。厳しい逆光で、木の幹のエッジがするどい。とくに2本の木が重なったところで、手前の木の左側の光は細くするどい。そこまではいい。問題は若葉。目で見たら、太陽の光を受けてキラキラ輝いていたのだろう。思わずそこへカメラを向けた。太陽は画面の縁へ出したが、ゴーストが入ってきた。これ自体は悪くはない。でも、若葉は輝かない。何故か。バックが白いから。建物でも、山陰でも何でもいい、何か暗いものをバックにこの若葉を納めたかった。バックが暗かったら、太陽の光芒ももっと意味のあるものになった。

 

写真拡大

■3.一番乗り:(勧修寺)
 咲き始めの白い藤を見つけました。蜂が一匹。普通ならブンブン飛んでいるのに、その日は独り占めのようでした。
◆これもバックに1の青空がほしかった。白いフジにネズミ色の空が映えなかった。とはいうものの、毎日まいにち青空というわけには行かない。たまたま行ったときに曇ってしまったということもある。だから、そういうときは開き直って、たとえば露出オーバーに撮って、花と空は白くぼかしてしまう。白はわずかに分かるぐらいでいい。そういう背景に黒いハチを持ってくる。全体を白くするとしても、一部分は黒いものがほしいから、枝と蜂がそこへ収まる。


一覧表/目次へ
■HND

着信:2013.04.26

 いずれもこの春桜を撮ったものですが、ダイレクトに撮らずに間接的に表現したものです。

 

写真拡大

■1.窓越しのさくら
 京都府庁の旧館の窓から中庭のさくらを撮ったものです。
◆発想自体は面白い。空が青くてサクラとのコントラストがはっきりしていたらと思うが、多分花曇りだったのだろう。それはいうて見ても仕方がない。
  一つ気になることは、窓枠のシルエット。幾何学的、対称的に狙っていながら、右端が切れた。入っていたのを無理して切る必要はないから、多分切れていたのだと思うが、これはきっちり入れたかった。現場では、なかなかそこまできっちり撮れないから、ほんのわずか大きめに撮っておいて、仕上げの段階で、きっちり対称形にトリミングすればよい。出来ることなら、カメラをもう少し上へ上げて、窓枠の上すぼまりを押さえたかった。


 

写真拡大

■2.哲学の道
 水路に浮かぶさくらを強調してみました。
◆これは、人間の目とカメラの目との差。人間の目は水面に浮いている花びらを意識して見るから、大きくはっきりと見える。カメラにはその意識はないから、物理的に見えるものしか見ない。花びらをとくに意識して見ることはしない。
 カメラでなくて人間であっても、現にわたし自身、この写真を見たときには、水面にサクラの木が映っているとしか見えなかった。HNDさんのコメントを読んだあと、いま現在でも、その見え方は変わらない。なぜ、HNDさんにはそれが見えるか。自分が撮った現場を知っているからである。
 浮いている花びらは、おそらく橋の上からでは無理だろう。水面にもっと近づく必要がある。そういう場所があるのかないのか。


 

写真拡大

■3.万福寺の庭
 散り始めた桜が庭に落ちて日頃と違ったイメージがありました。
◆これはよくる風景。少なくとも2の橋の上からよりはカメラは花びらに近い。地面とのコントラストもあるから、花びらはよく分かる。たしかにHNDさんのコメント通りの風景である。「日頃と違ったイメージ」
であることも事実。
  ・・・だけれども、見た人はどう感じるか。「そうですな。淡雪が積もったようですな」ぐらいはいうかも知れない。でもそこまでだろう。何故か。ただ漠然と「日頃と違ったイメージ」で終わっているからである。この絵を見ただけではよく分からないが、右に見える太い木がこの花びらの張本人だろうか(上端にチラッと花が見えるが)。
 もしそうだとしたら、その木を主人公に置いて、散ってない花も見せて、絵を構成した方が強くなりはしないか。「この風景はこの木が作ったのです」という強さである。
 もしそうでないならば、「この花びらはどこかから飛んできたもので、日頃と違ったイメージです」という作文で終わってしまう。


一覧表/目次へ
■JIJITKS

着信:2013.04.28

■先週末(4月20日)、NHKのアナウンサーは「週末は、”寒の戻り”で荒天になる」と天気予報。4月初旬に、同一人物が「本日は”花冷え”で・・・寒い」と言った。今更、”寒の戻り”はないよなアと爺々はボヤイていた。その報いか、3月末の信州の早すぎた春探しの失敗の仕切り直しを試みて、今週(’22日)からの信州方面への撮影旅行には、水ならぬ”雪”を差された感じで、まさに、季節は“戻って” いた。

 

写真拡大

■1.氷解の春風
  凍りついた平湯大滝からの雪解け水の流れの横に氷柱を見つけた。
◆上のリード文の前に、もう一文あって、「兎に角、出席簿にハンコを・・・の想いで」とある。そう、それですよJIJIさん。頭のええヤツが優等賞をとる。そなのは当たり前。そいつらは勉強せんでも点数がとれるんやから。それよりも「とにかく頭だけはついてますけど」という私などには皆勤賞の方がはるかに意味がある。・・・どうでもエエ話を。
 と、しょうもない文章を打ちながら、ちらちらと上の写真を見ている。左上が氷らしいことは分かる。それからツララ状のものがぶら下がっている。右下にちらりと見えるのも氷だろう。問題はそれらの間。雪解け水かとも思うが、白い斜めの帯が泡のようにも見えるし、氷のようにも見える。それ以外のところも全体が凍っているようにも見えるし、流れているようにも見える。とまあ、現場を知らないものにはそこのところが分かりにくい。写真の意味は撮影者以外の第三者にメッセージを渡すことを目的とするのだから、そこのところをきっちりと伝えることから始まる。
 そんなことで、仮に雪解け水なら、部分的にも流れている部分を作りたいし、凍っているなら、それをはっきり見えるように表現したい。要はシャッタースピードの選択と光の採り方。滝は暗いところが多いから、自由にはいかないだろうけど。



 

写真拡大

■2.女神湖に風光る
  風景に比して風は暖かく、薫風の5月が近づいていることを実感しました。
◆女神湖から蓼科山を見たところかな、それとも霧ヶ峰かな。山の名前は今の場合どちらでも大して意味はないと思うが。湖面の円形の波はメッシーが首を出して引っ込めたあとかと、ロマンの一つも考えてみたくなるが、風光るということで、実際は石を投げたのか。違っていたらゴメンなさい。もしそうだとしたらちょっと単純すぎたか。石を投げる場合は2つ投げこむ。2つの波が干渉してちょっと面白い模様を作る。
  色調調整したようにも見えるが、山の色など少し過度になったように感じるが。


 

写真拡大

■3.槍ヶ岳の春
  南北中アルプス、浅間山が一望できる”王が頭”から望遠で山々を沢山撮った。<白馬・五龍・鹿島槍・爺が岳・立山・・・・槍ヶ岳・穂高・乗鞍・御嶽・木曽駒、甲斐駒・北岳から富士山まで>記録写真みたいになりました。
◆凄いな、残雪の山。槍の手前の三角形は常念だろう。美ヶ原から見ると、こんなに重なって見えるのか。槍は平地から見えにくい山で、これだと安曇野から見えるはずはない。「記録写真みたいに」というけれど、山好きにはうらやましい限り。
 この写真に限っていえば、問題点は、絵としては空が広いことと、色調では画面が暗いことかな。春の山だから、こんなに暗いはずはない。明るさの調整だけはやっておきたい。調整見本。もっとも美ヶ原から見た場合、実際には遠く小さく、こんなにはっきり見えないかも知れないが。


一覧表/目次へ
■MRT

着信:2013.04.29

 

写真拡大

■1.映えるベランダ:(比叡辻)
  被写体を探しながらの帰り道、ふと小川に目をやると枯れ草と家のベランダが小川に美しく映えて私の心をとらえました。
◆小川に白いベランダが映っている。何となく幸せが浮き出てくるような。これが別の色だったら、この幸福感は出てこなかっただろう。比較的明るく映った川面の中に、同系統とも言える白いベランダが、このイメージを作りだした。その幸福感に引っ張られたように、カメラが傾いた。(カメラが水平なら、ベランダの縦の線はこのようには傾かない。上下鉛直に写る)。実体がこのように傾いて写る気になるが、今の場合はいっこうに抵抗感がない。むしろそれがこの写真の魅力でもある。


 

写真拡大

■2.春:(花緑公園)
  桜の美しさをあらためて見させてもらったような気がしました。
◆小さい画面で見ると、背後が茶色の和紙のように見えるが、画面を大きくして見るとそうではないらしい。画面一面にバックの枯れ枝などが詰まって見える。そういう意味で、大画面で見ると力を発揮する写真なのかも知れない。絵としては画面一面にサクラをちりばめた不思議なイメージになっている。これはこれでOKとも言えるが、出来ればもう少し、絵の中心になるような幹なり枝なりを見せた方がよかったかもしれない。


 

写真拡大

■3.昼間のひととき:(叡山駅前)
◆街角のスナップ。画面奥に銅像が鎮座していて、その前を我感せずのおじさんが行く。手前にはこれまた何の関係もない女性が2人、サクラを見上げている。画面上部では車が1台、走り去ろうとしている。なにごともない昼間のひととき、たったそれだけだけど、庶民の平和な生活が感じられる。
 あと1歩、左へ寄れば、角の家のエアコン室外機は消せる。もっとも撮ったときには、そんなこと全く気がつかなかっただろうけれど。




一覧表/目次へ
■館 長

着信:2013.04.29

 

写真拡大

■1.花じゅうたんA
 自宅前の道路に散り積もった桜の花びらを低い位置から奥行きを表現しました。
◆撮影意図が空回りをした。一言でいえばレンズの選択ミス。この写真を見ると電柱付近のガードレールにピントが来ている。写っているサクラの木はほとんどが電柱の向こうにある。だから木(花)にはピントが来ている。ところが道路は見えているのが電柱付近まで。レンズが長く、かつ絞りが浅い(F値が小さい)から手前はぼけてしまっている。結果、この画面は下半分がぼけ、上半分がピントが来ているという妙な絵になった。狙ったのが「散り積もった桜の花びら」というのだから、完全に意図に反している。
 これはワイド(焦点距離が短いレンズ)で狙う。足下に散った花びらを手前に置く。花びらの1枚1枚がきっちり見えるはず。そこへピントを合わせ大きく絞る(絞り優先でF値を大きく、シャッタースピードが遅くなるからカメラブレには注意)。これをやると画面全面にピントが来るはず。ワイドだから、電柱などはうんと奥へ去り、どこにあるのか分からないぐらいになる。



 

写真拡大

■2.花じゅうたんB
 1と同じですが、自宅前堤防上です。花吹雪との組み合わせを狙ったのですが、通行人とのタイミングが合いませんでした。
◆これは1と意図が少し違う。望遠で人物を狙ったわけで、ピントがそのあたりに来ている。何故縦にしたのか。その意図が分かりにくい。横でよかったのではないか。カメラが傾いて、人物が右へ倒れている。左カーブで右へ倒れているから余計違和感がある。縦位置に構える場合、注意していても自分のくせが出る。傾きと明るさを調節した。まあこんなところかと思うが、できあがってみると単なるカラー舗装のようにも見えて、「花じゅうたん」というタイトルが適切だったかどうか。


 

写真拡大

■3.桜富士
 日の出時間の三上山を、桜の木で覆ってみました。
◆下から、とくに木の内側から見上げた場合、花が暗くなることが多いが、これはうまくいった。花のつき具合がまばらだったのがよかったのかも知れない。空の色の変化(右下の明部から左上の淡いブルーへの変化)もいい。上の幹の八の字はちょっとやりすぎのようにも感じるがそれはまあエエでしょう。
 最後の詰めは画面全体に対する三上山のバランスだが、もう少し上へ入れたかった。下がどうなっているのか分からないが、これではせっかくの花に対して、遠慮しすぎ。バランスが悪かった。



一覧表/目次へ
■SS

着信:2013.04.29
■撮影場所: 醒ヶ井養鱒場とチューリップ畑

 

写真拡大

■1.飛沫
 水車がしぶきを飛ばして威勢よく回っていました。飛び散る飛沫を撮りました。しぶきにも色んな形があるんですね。
◆養鱒場の定番とも言える。しぶきの中の黒い水車がいろいろ形を変えて面白い。忍者の黒頭巾に見えたり、手裏剣に見えたり。今は3連が写っているが、2連ぐらいでアップしたらもっと迫力が出る。
  細かいことだが、画面上端に見える対岸の道は不要では?。もし雰囲気描写として道を入れるとしたら、もうちょっとはっきり入れた方がいい。

 

写真拡大

■2.新緑
 お店は営業していないのか閑散としていましたが、新緑が光を受けて綺麗でした。
◆写真というのは、本来撮影目的があるわけで、たとえば観光パンフレットや、旅のアルバムなどに使うとなればこれなどは最適。パンフレットなら、手前に人物の上半身ぐらいを1人半ぐらいほしいかな。写真作品としては、一般的すぎたというところかな。

 

写真拡大

■3.色とりどり
 養鱒場の近くのチューリップ畑。幼稚園(保育園?)児たちで賑わっていました。チューリップも子ども達も色とりどり。一本づつもらって目の前を駆けて行きました。
◆楽しそうだ。大きい子が小さい子の手を引いて。と思ってよーく見たら、その向こうにベンチが重なっていた。意地の悪い。あと少し待って右へ逃げたら、子供の顔が隠れるし、ここへ来るまで、左手の方で狙うしかなかったか。子供を追っかけて気がついたら、ベンチが写っていたということだろう。右端遠くにも子供たちが小さく見える。いい雰囲気だったのに。誰や、こんなところへベンチを置いたヤツは。




このページのトップへ 一覧表/目次へ